25 強者は空気を読まず
夜となり、戦いの気配は薄れ、鬼の村には静寂が訪れている。
坂棟は、鬼の王と差し向かいに座っていた。
小さな炎が二人を照らしている。
王の傍にはタチバナが控え、坂棟は一人だった。
セイは、依然として負傷者の治療にあたっていた。
「我々を救っていただき、感謝のしようもない。また誤解があったとはいえ、タチバナが坂棟殿を襲ったことは、謝罪させていただく」
深々と鬼の王――オオムチが頭を下げた。
王が頭を下げることは、彼に従う全員が敗北を認めたということになりかねない。
本来、王としてはやってはならないことだ。
だが、それを行えるオオムチの度量の大きさと性格の清新さがあったからこそ、鬼は何とかこれまでまとまってこれたのだろう。
「いえ」坂棟はそっけない。「それで、これからどうするつもりですか?」
彼はすぐに本題へと入った。
坂棟の中には、すでにある道筋ができていた。
それは、鬼たちがパルロ兵に襲われるところを見た瞬間に、完成したものだった。
初手となる、鬼の村を襲ったパルロ兵の全滅は果たした。
坂棟の脳裏に描かれた計画にもとづき、すでにハルが動きだしている。
「これから?」
「はい」
「私としては、図々しい願いであることはわかっているのだが、助けてもらいたい者たちがいる。ランストリアで捕らわれている者たちを救ってほしい。あなたの力ならば、可能ではないだろうか? 労を報いるのに、この刀を坂棟殿に与えよう」
オオムチが刀を差しだした。
鬼の刀は、道具としても貴重品としても価値が高い。
王の刀となれば、相当な業物であろう。
「この村にたいしたものはない。だが、私個人のものであれば、何でも与えよう。私個人ができることは何でもしよう」
オオムチは熱意をこめて、坂棟を説得しようとした。
「いや、あなた個人ができることは、必要としません。王としてのあなたに、話があります」
「王として……」
オオムチは眉をひそめる。
「ラバルの王として、鬼の王に提案したいことがある」
坂棟の口調ががらりと変わった。
「この村と周辺に住むすべての鬼は、この地を放棄し、ラバルへと移住してもらいたい」
「何を……王? それに、ラバルとは何のことだ?」
オオムチだけではなく、タチバナにも驚きがひろがっていた。
彼は「ラバル」以上に、「王」という単語に反応している。
「シムラルズ山嶺をこえたところにある、新たな国だ。竜王が棲んでいた場所、と言えばわかってもらえるだろうか」
坂棟は、ラバルを町ではなく国だと表現した。
これは、彼の意識が一段階上へと進んだことを示していた。
「幻光竜シャインラトゥのことか!」
「そこに、ラバルという国が生まれた。鬼には、ラバルの住人になってもらいたい」
「……なぜ、そのようなことを提案する?」
「これから私は、ランストリアを破壊する」
坂棟は事もなげに言ってのけた。
「破壊?」
「パルロ正規兵を私が全滅させた以上、すでに、ラバルとパルロは敵対関係にある。鬼とパルロも、同じ状況だ。パルロ本国に正確な情報を持ちかえらせないためにも、拠点は潰す必要がある。パルロ本国から調査隊が到着する前に、鬼の移住を含め、すべてを終わらせる」
坂棟はただ座っているだけだ。
だが、存在感が増し、言動に重みが加わっている。
病身の鬼の王は、気圧されながら思案した。
「自分たちの存在を知られたくないから、私たちを移住させようというのか」
「それは否定しない。だが、一面しか見ていない」
「……利用しようというのか?」
「利用するという意味では、同じだ。あなたが、私に提案したことは違うとでも言うつもりか?」
「それは――だが、そちらの提案はすべての鬼を巻きこむものだ」
国という単位を用いた以上、当然のことではないか、と坂棟は考えたが、別のことを口にした。
「では、もう一度お訊ねする。これから、どうするおつもりか?」
鬼の王は、坂棟の問いが、鬼全体の今後を問うたものであることをようやく認識した。
「パルロと戦い、今度は本当に滅びるのか? それとも、これまで同様に隠れひそむつもりか? だが、次こそ、パルロは、本気で周辺一帯を調査するかもしれない。そうなると、確実にあぶりだされると思うが?」
「………」
「あなた方は戦いを選んだ時点で、変化を望んだのではないのか? パルロと戦い、華々しく散ることを望んでいるのなら、とめない。だが、鬼の中に、生きたいと望む人があるのなら、ラバルが引き受ける」
「少し時間をくれないか?」
「時間はあまりない。皆の意見を集約するということは難しい。王が決断をくだすべきだと、私は思う」
「――そうか、それでも時間をいただこう」
「頼まれた件、約束はできませんが、最大限の努力はします」
坂棟は立ちあがり、部屋から出ていった。
王と臣下の二人は、わかっていたはずの深刻な問題を、改めて眼前に叩きつけられた。
――鬼は、生きるのか、滅びるのか。
「お待ちください、坂棟殿」
すぐにタチバナが坂棟を追ってきた。
坂棟は振りかえり、タチバナを待つ。
夜空の下、明かりは星のみである。
家々に灯りはない。
疲れたように、村は寝静まっていた。
「坂棟殿。若を、若様をお救いください」
「ヤマトさん、殿下と言ったほうがいいのかな? 彼は本当に生きているんですか?」
今回の作戦の大将が、ヤマト・クツハであることを坂棟はすでに聞いていた。
将としては愚かなようだ、という評価を彼は下している。
「はい、おそらくあの怪我の具合ならば、数日は動かないはず。ただし、動けると判断すれば、間違いなくセイレーンの女王を単独で狙いに行くはずでござる」
タチバナは、ランストリアからヤマトが脱出するところまでは一緒にいたが、その後別れてしまった。
捜索したかったが、彼は兵をまとめなければならなかった。
裏切者が出たことにより、村の位置が敵にばれているおそれが高かった。
何より、村の者たちに情報を伝える必要があったのだ。
ヤマト一人の命を優先するわけにはいかなかったのである。
タチバナは、ヤマトの容姿を説明した。
「まあ、命さえ奪われていないのなら、助けられるかもしれませんね」
坂棟は年長者に丁寧な言葉づかいで返答する。
彼自身は、あまり言葉づかいにこだわりはない。
彼の育ってきた常識によって、言葉を選んでいるにすぎなかった。
自分に対する言葉づかいも同様に、さして関心はない。
「この先、鬼がどうなるのかは、わからない。だが、若だけは逃してほしい」
「それは、ラバルに連れていけということですか?」
老人は視線を地面に投じた。
直接返答はしなかったが、坂棟の言は正しいのだろう。
「全力は尽くします。ただし、条件があります」
「条件……」
タチバナが顔をあげる。
条件をだされると、彼は思っていなかったようだ。
「おそらく、この後あなた方は会議をするのでしょう。その時に、全員の移住を勧めてほしいのです。このままでは、鬼が滅びてしまうことは、あなたにもわかっているでしょう?」
「……かもしれませんな」
たとえ、それが正しい選択だとわかっていても、認められないものというのはあるのだ。
老人の中でも、理性と感情が対立していた。
「あなたがたには、あなたがた独自の生き方や、美学のようなものがあるのかもしれない。だが、わかっていながら滅びる、などということを、俺は認められない。本気で、パルロと戦いたいと思うのなら、ラバルにきて雌伏の時を送り、牙を磨くべきだ」
「……かもしれませんな」
「あなた方は、自分たちが弱いのだということを、まず自覚したほうがいい」
ランストリアへの無謀な襲撃がそれを証明していた。
タチバナは答えない。
「さっき言った条件というのは嘘です」坂棟は表情を幾分やわらげた。「可能なかぎり救う努力はします。ただし、よく考えてほしいのです――タチバナさん」
「何でござろうか?」
「あなたは、若様を救いラバルへと連れていってほしいと言った。そこに、鬼が進むべき道標があるのではないですか?」
「……さようですな」
タチバナの歯切れは悪い。
「では、セイはこのまま村に残して、治療にあたらせます。良いですね?」
「ああ、もちろんでござる」
「それでは、お互いに良い返事ができることを期待しています」
「私も若の救出に連れていってもらえないだろうか?」
坂棟の背に、深刻と哀願がブレンドされた声がかけられた。
坂棟は振りかえり、
「ダメ」と、一言言い放った。
「なに?」
老人は目を見開く。
「言ったでしょう。あなたがたは弱い。足手まといです」
坂棟の淡々とした口調や態度から、彼が心から事実を述べているだけであるということを察して、タチバナは言葉を失った。
老人は、坂棟の正しさを認めざるをえず、大きく肩を落とす。
「あなた方は、敗残兵なんだから、ゆっくりと身体を休めていてください。会議さえしっかりしてもらえれば、けっこうです」
余計すぎる二言を言い放って、坂棟は走りだした。
泣きそうなほどの沈痛な顔で、鬼の老人は、異界者の若者を見送ったのである。
坂棟はハルに対して、念話でいくつか命令を飛ばしていた。
ランストリアを潰滅すること。
姿を見られないようにすること。
パルロの正規兵を全員始末すること。特に階級の高い者は、確実にとどめを刺すこと。
捕虜となっている鬼を助けること。
鬼を利用して、偽の情報を流すこと。
できるだけ、鬼に被害がでないようにすること。
そして、新たに、ヤマトの特徴を教え、見つけるようにと、つけくわえた。
坂棟は、鬼の村からある程度離れると、木々の間を器用に飛びかって、樹木のてっぺんにでた。
彼は、地上ではなく、空での移動を開始する。
「頼りにしてるぞ、ハル」
ヤマトが森に身をひそめてから、五度目の太陽が落ちようとしていた。
ヤマトは、あの日の戦いで腕を負傷していた。
五日たった今も、傷は完全には癒えていないが、動くのに支障はないと判断した。
利き腕でなかったことは幸いだった。
ヤマトは、今まさにセイレーンの女王を討つという最大の機会が訪れていることを実感していた。
ランストリアには、兵士がほとんどいないのである。
おそらく、鬼の村を攻撃するために出撃したのだ。
貴族や商人につかえる兵士や傭兵、奴隷兵などはいるだろうが、それらの戦力は無視するつもりだった。
ヤマトのこの考えは正しかった。
貴族や商人たちは、自分に降りかかる火の粉を払うためにしか兵を使用しない。
まして、セイレーンがどうなろうと知ったことではないのだ。
名ばかりとはいえ、ヤマトはれっきとした王族だ。
村人たちが襲われようとしているのに、かたき討ちを優先するなど、おかしいというのはわかっている。
だが、ヤマトは、セイレーンを許せなかった。
のうのうとあの女が生きていることが認められなかった。
罠にはめられた仲間の無念を晴らすには、セイレーンの女王の首をあげるしかない、と思いこんでいた。
狙うのは女王のみ、それ以外はどうでもいい。
ヤマトは、女王の暗殺を考えていた。
しげみから出ようとした時、突然、ヤマトのすぐ傍に人の気配が生じた。
「あなたがヤマト?」
慌ててヤマトは距離をとり、柄に右手をかける。
夜目では正確に確認できないが、相手は女のようだ。
「質問したのだけど?」
「おまえは、誰だ?」
質問を返した瞬間、ヤマトは衝撃を受けた。
頭が揺れ、足が地面から離れる。
「私が質問したのだけど、わからない?」
高身長の女――ハルが、片手で首をしめあげて、ヤマトの身体を宙づりにした。
武装したヤマトは、体格はさしてよくないとはいえ、かなりの重量なのだが、ハルはまったく苦にしていない。
ヤマトの口からうめき声がこぼれおちた。
「ああ、これじゃ、話せないのね」
ハルは力をわずかに緩めた。
「ナ…ニモノ……ダ?」
「あなた、鬼でしょ? 鬼はよっぽどバカなのね。質問をする権利が誰にあるのかわからない?」
服作りの素材に夢中になっていたところで、坂棟に命令を受けたハルは不機嫌だった。
八割がたは八つ当たりである。
八つ当たりをとめる役がいないところが、ヤマトにとって不運であった。
「もう一度だけ訊く。あなたはヤマト?」
「………」
ヤマトは息がつまった。
口の悪い目の前の女からは殺意は感じられなかった。
おそらく、このまま気絶させるつもりだろう。
命の危険はないが、それを許せば復讐の機会が失われる。
「――ヤ…マ……ト」
「そう、じゃあ、このまま眠っていなさい」
「マッテ――」
ハルの腕の力がゆるみ、ヤマトは解放された。
四つん這いになったヤマトは、肺に酸素を取り入れるために、ぜいぜいと荒い呼吸を繰りかえす。
「もう一つ、もっと大事な質問があった。鬼って、どんな服を着ているの? 布地はどんなもの?」
あまりに場違いなハルの質問に、ヤマトはついていけない。
ヤマトの思考は、空白と混乱で悲鳴を上げた。
いったい何者なのか、何を考えているのか、何もわからないことが不気味でしかない。
だが、強い。
機嫌を損ねてはならない相手だ。
そして、ヤマトの敵は、目の前の女ではない。
戦うべき相手を間違えてはならない。
「その鎧は、変わっているわね……そうね」ハルは思案するように目を細めた。「あなた、ここで何をしていたの?」
「セイレーンの女王を討つつもりです」
「そう――じゃあ、私がこの町を破壊し終わるまで時間をあげる。それまでに目的が果たせなかったら、それは知らない。あなたが私のやることに巻きこまれても、それも知らない。それでいいわね」
あっさりとハルが言う。
ヤマトには、彼女が何を言っているのかわからなかった。
言葉の意味はわかる。
だが、町を壊すというのは何だ?
何かの比喩なのだろうか。
「どうなの?」
「はい、わかりました」
ヤマトは頷く。
どうやら自由を保障されたらしいことを、ヤマトは理解した。
それで充分だ。
「じゃあ、始めましょう」
ハルが視線をランストリアへと投じる。
白光が輝き、崩壊音が鳴りひびいた。
あっさりとランストリアの防壁は崩れ、進入路ができあがる。
「何をしているの? セイレーンを討つのでしょう」
「は、はい」
ヤマトは、壊れた防壁に向かって走りだした。
圧倒された精神に復讐心で火を灯し、もう一度、心を奮い起こす。
「見つけろ、としか言われてないから」
ハルは走り去る鬼を見送った。
主の意図を理解しながらも、ハルはわざとその道から外れる。
彼女は、まだへそを曲げていたのだ。
一連の戦いの中で、もっとも深刻さから遠い場所にいるのが、ハルであっただろう。




