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13 身勝手な勝者




 各処から弦をはじく音が連弾のように重なった。

 弓を離れた一五〇本の矢が、弧を描き、巨大な生物へと雹のように降りかかる。


 すでに三〇をこえる回数、繰りかえされた攻撃だ。

 だが、弓矢による攻撃は黒い球体の魔族に対してほとんど効果をあげていなかった。

 矢は、大きな腕ではたき落とされ、あるいは黒い毛に防がれて、本体にまで到達していないようである。


 ジャグは善戦しているが、それは、命を奪われていないという意味に過ぎず、足どめの役割をほとんど果たしていない。


 火による攻撃はいくらかマシな結果を残した。魔族が嫌がるそぶりをみせたのだ。反応があったという、ただその一点においてのみ、効果が認められた。

 ただし、使用された油の量が圧倒的に少なく、火勢がいかにも弱い。

 魔族を倒す、あるいは動きを止めるような傷を負わせるには、村や森を燃やす以外に方法はないように思えた。

 しかしそれを行うには、準備をする時間も罠を作る時間もなかった。

 火攻めというのは現実的ではない、という役に立たない教訓を得ただけだ。


 長は身じろぎすることなく、戦況を見つめていた。

 たとえ演技であったとしても、彼が怯えた様子をまったく見せず、また、弱気な発言をいっさいしなかったことは、非常に重要なことである。

 完全な負け戦であるのに、戦士が戦い続け、何とか戦線を維持することができているのは、これがもっとも大きな要因と言えた。


 魔族と交戦を開始して、まだたいして時間はたっていない。

 当然、他のセリアンスロープたちの避難はほとんど完了していない、と見るべきだ。

 彼らは戦いつづけなければならなかった。


 戦士の中には、女性もいる。

 恋人や家族の命が奪われる瞬間を目撃しても、セリアンスロープの戦士たちは助けるどころか、敵を傷つけることさえできなかった。

 戦士である彼らが、戦いで役に立たないという事実は、鉛のように彼らの身体を重くした。

 無力さの実感は、絶望を増大し、恐怖を増長する。

 無謀な戦いと、無力の認識の悪循環である。

 戦闘の続行は、ごく近い将来不可能になるだろう。


「まったく、ダメね」


 ここ汚れてるわ、という言葉で代替えができそうなほどに軽い口調で言ったのは、ハルである。

 気配を感じさせることなく、突如現れ、彼女は長の隣に立っていた。

 彼女と彼女の周囲だけは、絶望におかされていない。


「私の主人があなたたちを助太刀しても良い、と言っているけど、あなたはどうしてほしい?」


 無表情のままハルは問いかける。

 主人の傍にいる時とは、感情そのものと感情の表現が大きく異なっていた。


「助太刀? 協力してくれるのはうれしいが、無駄に命を落とすことはない」


「そうね。いつまで、こんな無駄死にをさせるつもり?」


 気づかいの拒絶、いや否定をされた長は、鋭い視線をハルに刺した。

 だがハルはまったく痛痒を感じていないらしく、特に表情に変化はない。


「おまえに何かできるとでも言うのか?」


「今のが依頼ね。わかった、私が何とかしてあげる。彼らに退くように言いなさい。邪魔」


「本気か?」


「あなたの問いは、無駄な時間よ。いいの、どんどん死んでいくけど?」


「――く」迷いは一瞬。長は命じた。「皆、一度退け!」


 長の声は、一方的な狩場と化していた戦場によく響いた。

 セリアンスロープの戦士たちはすぐに反応する。

 半数ほどの顔には、安堵の色が浮かんでいた。残り半分は諦めである。


 長は決断した。

 ジャグから普通ではないと報告のあった、この余所者たちを利用して、セリアンスロープを生きのびさせよう、と。

 この女が魔族に勝てるなどとは考えていない。

 この場を放棄し、女を犠牲にした時間で逃げのびることにすべてを賭けるのだ。


 女を犠牲にしたとしても、セリアンスロープの中から多くの犠牲者が出ることになるだろう。

 だが、とどまればもっと多くの犠牲者が出る。


「ねえ、おまえ。さっき私に対してひどく侮辱的な言葉を使った」長の肩は、ハルの白い手に捕らえられた。「お仕置きは必要ね」


 長の身体が空中に浮く。

 長は自分の身に何が起こっているのか、理解できなかった。

 彼の身体は華奢な美貌の女によって、持ち上げられていたのだ。しかも、片腕のみで。


 長の視界はめまぐるしく動いた。

 すべの景色が一瞬にして後方に流れていく。

 彼はハルによって真横に投げ飛ばされたのであった。威力が大きいので、山なりではなく直線で飛んでいる。

 長の戦いの記憶は、ここで途切れることになった。





 ハルは長がどうなったのかを確認しなかった。

 彼女の目は、黒い球体に投じられている。

 何やらセリアンスロープが一人、まだ魔族の周囲をうろちょろしていたが、彼女はまったく気にしなかった。


 黒い球体がハルとの距離をつめるにつれて、さまざまな破片や石などが、彼女に向かって飛んできたが、彼女のはりめぐらした不可視の壁により、すべてが弾かれた。


 いよいよその距離が五メートルを切ろうとした時、黒い球体から伸びた腕が、ハルを捕まえんと襲いかかってきた。


 ハルは左腕をあげる。

 ちょうどそこに魔族の腕が振り下ろされ、二本の大きさの異なる腕がぶつかった。

 硬い物が激突した音に、空気が割れるような音が重なる。

 衝撃波が空中で弾けた。


「ぬるい」


 ハルは腕をおろす。

 自然な動作だ。

 彼女の身体のいずれにも、そして服にさえ傷一つ汚れ一つない。


 一方で、魔族の大きな腕は手首から先が無くなっていた。

 破裂したのだ。

 ハルの攻撃とも言えない、ただ腕をあげるという動作によってもたらされた負荷に、魔族の腕は耐えられなかったのだ。


 赤い雨が、滝のように降り注いだ。

 のたうつように暴れる腕から、血の雨はいつまでも大地にばらまかれる。

 黒い球体からいっきに数十の口が現れ、悲鳴を上げるように大きく口を開いた。

 声を発する機能がないのか、音はまったく出ていない。


「泣いている暇はないんじゃない?」


 瞬間移動としか思えない動きで、ハルは魔族の前に出現した。

 装飾過多な彼女の服が、風におおきくはためく。


 空中にいるハルに、五本の肌色の腕が一斉に集中した――が、いずれも見えない防壁に阻まれる。


 ハルが口元をやや斜めに上げた。

 弾かれた腕が次々と破砕する。

 魔族の腕は、痛みに悶えさんざんに暴れまわっている。

 破裂箇所から噴射された赤い液体は、濃い霧状になって空中へ大量に散布されたが、一滴さえもハルには届かなかった。

 地面には、赤い湖が生まれていた。


 何が起こったかを理解しているのは、ハルのみだろう。

 ハルは、わずかな間に見えない球体を五つ放ち、それが腕に接触すると同時に、いっきに力を解放させ、小爆発を起こさせたのである。


 ハルは右拳を引き、目の前の巨大な球体めがけて振りぬいた。

 まっすぐと伸びた彼女の腕が、黒い球体に触れる。

 何かが抜けるような、奇妙な音がした。

 ハルの視界は、いっきにひらける。

 巨大な黒い障害物がなくなったのだ。

 黒い球体は、三分の二以上がハルの拳一振りで消失していた。

 残ったのは、地面を這う部分のみである。


「無駄なあがき」


 空中に浮かんだままハルは呟く。


「でも――これで、終わり」


 上空からハルは、地面を這う魔族に向けて、もう一度拳を振るった。

 今度は全く接触していない。

 熱衝撃波が彼女の拳の先から放たれ、魔族の残滓を跡形もなく焼きつくしてしまった。

 それは、魔族から大量に噴出された赤い液体までも蒸発させる。


 戦いが始まって二〇秒とたたない内に、セリアンスロープを苦しめた魔族をハルはあっさりと撃破してしまった。


 戦いで生じた衝撃によって吹っ飛ばされたセリアンスロープ――ジャグのみが、次元の異なる戦いの、唯一の観客となったのである。





 魔族の襲撃でセリアンスロープが混乱する中、坂棟はあっさりと小屋から脱出していた。

 彼はセリアンスロープが避難している場所にいる。

 一緒に連れてきたラグルーグを、坂棟はこの場所に放置した。


 彼は、すぐに単独行動を開始する。

 ヒューマンだと思われる坂棟を避けるセリアンスロープは圧倒的に多かったのだが、彼はたいして気にしなかった。

 他者の反応や評価が気にならないというのが、もとからの性分だからだ。

 といっても、現在彼は人捜しをしており、会話が成立しないというのは、たいへんな不便をともなった。


 だが、それはいくらかの解消をみる。

 セイの救出作業のおかげか、坂棟たちは一部のセリアンスロープたちから信頼を得たのだ。


 一般人が戦いに巻きこまれてはダメだろう、という坂棟の倫理観から発せられたセイの救出活動は、結果として彼自身に発言力を与えた。

 これにより、坂棟は目的の人物二人を捜しあてることに成功する。


「ビグズだな」


 坂棟は忙しなく動いているセリアンスロープに声をかけた。

 ちょうど周囲には人影がなく、二人きりだ。


「今はおまえたちの面倒を見ている暇はない」


 押しのけようとしたビグズの腕を、坂棟はつかむ。


「非戦闘員と言えばいいのか? 彼らの退避を助けるのがおまえの役目だな?」


「……そうだが」


 ビグズは困惑の表情を浮かべた。

 坂棟の手を振り払おうとしたのだが、腕の自由を確保できなかったからだ。


 普通のヒューマンは、セリアンスロープに体力で大きく劣る。

 力比べで負けるはずなどないのだ。


「なら、大丈夫だ。うちのセイが充分にやっている。それに魔族の問題はすぐに終わる」


「何を言っているんだ。手を放せ」


「おまえ、ブルラーグに何をしたんだ?」


 ビグズは固まった。


「当たりか」


「……おまえたちには関係ない」


「確かにな。でも、俺に関係なくても、ラグルーグには関係がある。いちお、俺はあいつの保護者なんだ……今は迷子になってるが」


「関係ないな」


「おまえたちが罠にはめたんだな」


 ビグズの肩が震えた。


「おまえ、向いてないよ。こんな言葉だけで、そんなに反応するんだから。なぜだ? あのでかいやつに弱みでも握られたのか?」


「弱み? そんなことで、俺が――」


 ビグズは口を閉ざし、うつむく。

 喋ることは秘密をもらすことと気がついたようだ。


 坂棟は、数秒間目の前のセリアンスロープを観察した。

 いや、彼はその冷たく光る瞳で、ずっとビグズを観察していた。


「何が許せなかったんだ」


 沈黙の中、坂棟の言葉は波紋のように静かにひろがった。

 ビグズが顔をあげる。

 双眸にあるのは、迷い、後悔、哀しみ、おそれ。


「あいつが、裏切ったんだ……」


 弱々しい口調で、ビグズは話を切りだした。

 あまりにあっさりと口を開いたのは、彼の中に懺悔をしたいという気持ちが、すでに生じていたからだろう。




 妹が亡くなり憔悴したビグズは、偶然、ある人物が話している会話の内容を聞いた。


「ブルラーグは、なぜ調べなかったんだ? いつもの彼なら、疑問があるのなら調査をしてあきらかにしただろう。彼の能力なら、これが普通の事故ではないと、わからないはずがないと思うが……」


「長の後継者争いで、それどころではないのではないか」


 ビグズの心身は凍りついた。

 そんなことはあるはずがない、と思いながらも、小さな疑惑が芽生えた。

 この時の彼は、まだブルラーグを疑いきれていなかった。


 それよりも、妹の死に、何か原因がある――敵がいてほしいという願いがあった。

 妹の死を認めるために、彼の心は犯人を欲していたのだ。


 そして彼は、疑惑と期待がまざった心で、ブルラーグのことを調べる。


 ブルラーグは、事故で死んだとされた妹の調査をろくにしていなかった。

 それどころか他者にも調査をさせないようしていた。


 この二つの事実が、彼にブルラーグへの疑念を本格的に抱かせることになった。

 ビグズはブルラーグに妹のことを直接問いただした。


「僕を信じて待ってくれ」


「調査をしているのなら、僕にも手伝わせてくれ」


「いや、君には向かない。これは、もしかしたら――すまない」


「なぜ、謝るんだ?」


「とにかく、慎重にやるしかないんだ」


 ビグズとブルラーグは、少しずつ疎遠になった。

 そんな彼に近づいてきたのが、ジャグだった。


 ジャグは犯人捜しを買ってでた。

 だがこれは、戦うことを本分とする大柄な男にとって、得意分野ではない。

 実際に犯人捜しをしたのは、彼を後援している長老の一人だった。


 犯人はあっさりと判明した。

 ビラの男だったのである。

 ズワールの様子を探りにきたビラの男と、妹が偶然鉢合わせして殺害された、というのが真相であったらしい。

 名もわかった。

 ヴァルハと言う。


 ビグズの知る人物であった。

 まだ、ズワールとビラの交流があった時に、ズワールを数度訪れたことのある男だ。

 無口な男、というのがビグズの印象であった。


「仇を討つぞ」


 ジャグは宣言した。

 ジャグは怒りに燃えていた。

 粗野で短絡的な男ではあるが、同族に対する思いは強いものであるらしい。


 あるいは、その怒りは単純であるだけに、喪失感を胸に抱えていたビグズ以上のものであったかもしれない。


 ジャグとビグズ、さらに二人を加えた少数で、彼らは秘かにビラへと向かった。

 数日間森に潜伏しながら、ビラの様子をうかがい、ヴァルハをつきとめた。

 そして、さらに数日間待ち、ヴァルハが村から出たところを彼らは襲い、見事に仇討ちは成功したのである。


 妹の仇は討ったが、ビグズの心はまったく晴れることがなかった。

 疑問が水面下から現れては、消える。

 これの繰り返しだ。


 ジャグにわかったことが、なぜブルラーグにわからない?

 わからない?

 わかっていたとしたら?


 ビグズは、あえて考えてこなかった禁断の問いを解放した。


 真実を知っていたとしたら?

 ビラとの仲を壊したくなかった?

 妹のことで、問題になるのが嫌だった?

 なぜ、壊したくない?

 あの時の彼が壊したくないモノとは、何だ?


 ――結婚。


 ビラの長の娘と結婚するためか!


 それでは、妹が哀れすぎるではないか!


 こうして、ビグズはブルラーグを見限り、仇討ちに力を貸してくれたジャグを選んだ。

 ブルラーグとビラが、ビグズの敵となった。


 そして、ついにはブルラーグを陥れることになる。


 ビラは滅ぼすべきなのだ!





「ブルラーグが、魔族を倒さなければならないという主張を始めたのは最近か?」


 ビグズの悲哀と悔恨の心情に流されることなく、坂棟は淡々と問う。


「……なぜ、そんなことを……?」


 自分が話していた内容とはかけ離れた質問に、ビグズは反応しきれていない。

 彼の心は、いまだ過去を彷徨っていた。


「ブルラーグに魔族を倒す力があるのなら、さっさと倒せばいい。時間をかけるのは、魔族を強くするだけだ」


「彼は早い段階から魔族を倒すことを主張していた」


「早い段階というのは、どのくらい? 一年以上前か?」


「ああ、もっと前だ」


「なぜ、時間のずれが生じているんだ?」


「調査が難航したからだ」


「その調査の責任者は?」


「――バーブグ」


「ジャグの後ろにいたという長老は、誰だ?」


 逡巡した後に、ビグズが呟くようにしてその名を告げた。


「――バーブグ」


 坂棟はビグズに背を向けた。

 充分に話は聞けた。

 予想どおりの結果だった。


「ああ、そうだ」坂棟は振りかえる。「ブルラーグと一度話してみると良い」


「ブルラーグはもういない……」


「いや、生きていた。ブルラーグが個体として優れているのか、それともセリアンスロープという種族が凄いのか、どっちだろうな」


「待て、どういうことだ。ブルラーグが生きているというのは?」


「言ったとおりだよ。俺の従者が救出した」


「待ってくれ――」


「待たない。同じ質問に答えるのは無駄だ」


 聞きたいことだけ聞いて、言いたいことだけ言うと、坂棟は、ビグズには認識できないほどのスピードで移動した。

 主人も従者も、まったく自分勝手な性格の持ち主であった。


 問いただしたい存在はすでに目の前にはおらず、残されたビグズは、混乱したまま放置された。

 彼の自失はしばらく解けなかった。








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