12 ラトへの命令
「あまい、というよりは、できるからやるという程度に過ぎないのでしょうが……従わされる方としては、いささか面倒なことですね」
球体の魔族の通った跡をさかのぼるように、ラトは飛翔していた。
「ブルラーグを探せ。生きている場合は、保護しろ。次に、ビラ(北のセリアンスロープ)へ行って、あっちを鎮めておけ。迅速にすべてをやれ」
坂棟から命令を受けた後、彼はすぐに行動を開始した。
目星をつけていたセリアンスロープ数人から、ブルラーグの情報をまず手に入れる。
すなおに喋らないセリアンスロープばかりであったので、話したくなるように、いくらかラトは手伝いをしてあげた。
無駄な手間をかけさせるセリアンスロープに、彼のため息は多くなりばかりである。
二人のセリアンスロープには手を出すな、という条件を主人にだされたが、情報収集に特に問題はなかった。
――この辺りのはずだが……。
胸中で呟き、ラトは崖下に降下する。
崖に降りると、ラトは迷いなく歩きだした。
小さな川を背にして、むき出しの岩肌に足をとられることもなく、彼は優雅に歩を進める。
「セリアンスロープの体力というのは、なかなか侮れないようですね」
ラトの視線の先に、セリアンスロープが倒れていた。
裂傷があり、足は関節が逆方向に曲がっている。
血こそとまっていたが、浅くない傷も負っているようだ。
身体をよく調べれば、損傷個所はもっと増えるだろう。
生命力は、ほとんど感じられない。
ラトが指を鳴らした。
いくらかの時間が過ぎ、空から翼のはためく音がおりてくる。
獅子に似た胴体に翼をもつ獣が、ラトの傍に控えた。
鋭い牙と全身をおおう白く長い毛をもち、二メートルを超す体躯をしている、獅翼という呼ばれる猛獣である。
「あなたが運びなさい」
ラトは、セリアンスロープの身体を無造作に持ち上げると、獅翼の背に乗せた。
セリアンスロープは獅翼の背で「くの字」になっており、安定しているとは言い難い格好ではあるが、ラトは調整するようなことはせずに、すぐに飛び立った。
獅翼も翼をはばたかせ、後に続く。
獅翼が遅れても気にかけることなく、高速でしばらく飛びつづけると、集落が、ラトの視界に入ってきた。
生活のための煙が幾本も空に伸びている。
セリアンスロープの姿が遠目からでも確認できた。
ビラである。
ラトは急速降下し、音もなく着地した。
セリアンスロープたちには、どこからともなく突然人間が姿を現した、と感じたことだろう。
事実反応は遅れて、数秒の時間の経過の後に、ちょっとした騒ぎとなった。
シンプルすぎるデザインと異質な材質で創られた、ラトの制服姿も、見慣れていない彼らにしてみれば混乱を増長させた原因であったかもしれない。
「長を連れてきなさい」
ラトは静かに命じた。
さして大きくもない声は、だがその場にいるセリアンスロープ全員の耳に届いた。
不思議と反発の声は起こらず、一人のセリアンスロープが一際目立つ家に向かって走りだした。
ラトはわざと、自らの力を周囲へともらしていた。
冷気が地面に流れるように、ラトを中心に竜王の気配がひろがり、セリアンスロープたちは、足下から怖気ある空気を感じとり、無意識の内に逆らう気をなくしていたのである。
中背ではあるが威厳のあるセリアンスロープが、数人の供を連れて侵入者に向かって歩いてくる。
少なくとも、表面上恐れている様子はまったく見られない。
ビラの長ムグルーグである。
一定の距離を置いて、ムグルーグは、ラトの前に立った。
「魔族が何の用だ? おまえの望む物など、この地にはない。去れ」
「愚者の智と雄というのは、これほど哀れなものですか」
失礼な物言いに対し、ムグルーグは反論する――いや、反論しようと口を開いたところで、彼の動きは止まった。
竜王の気配が、物理的な圧迫感を持って長の動きを封じたのだ。影響が及んだのは彼だけでない。その場にいる全員の動きが止まっていた。
「あなた方にも理解できるようにしてあげましょう」
ラトが視線を投じると、視線の先にいたセリアンスロープたちが、竜王の視線に道を譲ったかのように左右に吹っ飛んだ。
「何をっ――」
口を開いたままムグルーグは動きを停止した。
デモンストレーションとも言うべき、ラトの行為はまだ終わっていない。
いや、始まってさえいなかったのだ。
ラトの眼前に光球が出現し、森へ向かって光が直進する。
進行方向にあった家を破壊し、その背後にある森をも破壊して、光は突き進んだ。
そして、辺りが白光に支配される。
三〇〇メートルほど進んだ後に、光は爆発し、村に轟音が鳴りひびいた。
森の風景が一瞬にして変貌した。
「ああ、あの家には誰もいません。今のところ、犠牲者は出していませんよ」
ラトは悠然と、ビラの長に向きなおる。
「この地のことは、主人より私に裁量を任されています。あなた方は私に従いますか? それとも逆らいますか?」
冷然としたラトの微笑は、少なくとも正義の味方の見せるそれではなかった。
「ああ、それともう一つ。私は魔族などではありません。私は平和主義者なので、一度は許しますが、もう一度口にするのなら、次の長を決めてからにしてもらえますか? 面倒事は少ない方が良いですからね」
空から獅翼がラトの傍に降りたった。
セリアンスロープにとっても獅翼は珍しい猛獣ではあったのだが、反応する者は一人もいない。
珍しい生き物に注意が向かないほど、彼らは衝撃を受けていたのである。
目の前で起こった出来事は、彼らの常識の範疇を軽く突き破っていた。
理解すること、認めることは、隔絶した存在を受けいれることであり、それは、彼らが意思の自由を奪われたことを実証することに他ならない。
ラトは、冷静にセリアンスロープを観察した。
彼の主人は、どうやら今回の出来事の黒幕を見極めて処置をするつもりでいるらしいが、ラトにその気はない。
面倒事は、死にかけのセリアンスロープの救助だけで充分である。
セリアンスロープたちにどのような勢力があり、たとえ争っていようといっさい興味はない。
それは、ラトの行動に何ら影響を及ぼすものではなかった。
セリアンスロープが何をやろうと自由だ。
だが、竜王の言葉に対してセリアンスロープは従わなければならない。
それだけである。
この後ビラは、ラトに降伏した。
ラトは、詳細をいっさい省いて、うまくいったという結果のみを、坂棟に念話で伝えた。
「生きていたのか。一週間以上たつはずだけど、たいしたもんだな」
「そうですね。セリアンスロープの体力は侮れません」
「だな。それにしても、さすが、ラトだ。誰かだったら大破壊が行われて、セリアンスロープに負傷者が出ていただろう」
「たいしたことではありません」
「そうか、こっちもすぐに終わらせるから、そこで待機していてくれ」
「わかりました」
大破壊は行われていたのだが、坂棟は知るよしもなかった。
ラトも報告しなかった。
わざと、というよりも、彼は、自らの所業を大破壊だとは認識していなかったからである。
また、ハルであったなら自分のようにスマートに処理できなかっただろう、と、ラト自身も自負している。
無駄な報告は必要なく、正当な評価が下された。
何の問題があるだろうか。
ラトは振り返った。
そこには、ビラ在住のセリアンスロープが全員整列していた。
隊列に乱れがあることに、ラトは不快の吐息を小さくもらす。
これから彼は、セリアンスロープのことについて、いろいろと調べるつもりであった。
これもまた、主人の命令の許容範囲内である。
何しろ、主人にとって役立つ情報が見つかるに決まっているからだ。
ラトは、主人が情報に重きを置いていることを、彼自身がそうであるが故に、よく知っていた。
「さて、まずはどの程度の力があるのか、見せてもらいましょう」
ラトの微笑み――それは、ビラの住人にとって、恐怖でしかなかっただろう。
わけのわからないままに、ビラのセリアンスロープたちは、美貌の来訪者によって制圧されたのだった。




