第8話 水魔退治
翌朝、カランはソラナムの美味い朝食に舌鼓を打ってから宿を出てクリサンセマムの手綱を操作し、街の外へ向けて馬車を動かそうとした。
その時、聞き覚えのある声が呼び止められた。
「待ってください」
馬車を止めると、御者台のところまで男がやってくる。
ダリアの村で別れた傭兵のジニアだった。
「やあ、君か、奇遇だね。こんなところで会うだなんて」
「それはこちらの台詞です。こんなところに来ているだなんて、もしかしてあなたも水魔を退治に?」
「いいや、気ままに馬車を動かして辿り着いたのがここだったんだ」
なるほどと、ジニアは頷いたときに荷台にいたソラナムの存在に気がついた。
キッと目線が鋭くなる。
「彼女は?」
「ああ、彼女はソラナムという名前で、旅をしているらしいんだ。馬車に乗せて、ここまで一緒に来たんだ。僕も行く当てはないからしばらく彼女でも乗せて行こうかなってね」
「一緒に……」
ジニアは訝し気にソラナムを見る。
ソラナムは、ジニアの顔を見て何かに気がついたように目を細めていた。
「へぇ……」
「貴様、どこの誰だ」
「さっきその人も言ったでしょう? ソラナム・ニグラム、旅をしている」
「生国を聞いている。ここウィステリアの者ではないだろう」
なるほど、ここウィステリアという国だったのかとカランは、ジニアの剣幕の中で一人のんびりとしていた。
「その通り。だからなに? 答える義理はないよ」
「それは正体を明かせない理由があるということか?」
「それも答える気はない」
「魔ではないだろうな」
「どう見える?」
「貴様……!」
ソラナムが挑発などするものだから、ジニアは目を吊り上げて、腰の剣の柄を握った手がぷるぷると震えている。
これ以上は刀傷沙汰になりそうだったので、流石のカランも仲裁に入ることにした。
「待った待った。往来で事件を起こすわけにはいかないだろう」
ジニアはカランの言葉で、どこにいるのか思い出したようで剣を抜こうとしたのを思いとどまってくれた。
それからもうソラナムと話しても埒が明かないと思ったのか、今度はカランの方に聞いて来る。
「彼女は何者ですか。本当に魔ではないと?」
「確認はしたよ。彼女は人間のはずだ。もしそれでも欺けるのならきっと彼女は魔王とかかもね」
「まさか、魔王ならこのような場所で大人しくしているはずがないでしょう」
「つまり魔王じゃないということだ。答えが出た。それにどちらにしても彼女は料理がとても美味しいんだ。それだけでも一緒にいてもいいと思えるよ」
カランの言葉にジニアは信じられないという視線を向けるが、れっきとした本心なのだから仕方ない。
「ああ、わかった」
その時、不意にソラナムが声を上げる。
「何だか見覚えがあるなと思ったらキミ、傭兵神ハーゲアナに似ているんだ」
ソラナムがそういったので思わずカランもジニアの顔をよく見てしまった。
出会った時は騒がしかったし、馬車に乗っていた時はほとんど背中しか見ていない。彼を真正面から見たのも夜で、顔の細部までは見れなかった。
昼間に見て見れば、確かにジニアは、かつてともに魔王を討伐した傭兵ハーゲアナと鋭い目元などが良く似ているように思えた。
話をすれば、そのものが寄ってくるというが、ハーゲアナの話をした途端に似た人が寄ってくるとは、過去の教訓話も馬鹿にはできないと学びを得たカランは思わずうんうんと頷いてしまった。
「だからどうした。似ていることに問題があるか? むしろ似ているおかげで、より大きな加護を得られている」
「いいや、何も問題はない。実に頼もしいと思っただけだよ。キミがいるなら、運河の水魔なんて容易く倒してしまえるだろうからね」
「フン、当然だ」
腕を組んで誇るジニアを尻目に、ソラナムはカランへと耳打ちする。
「ねえ、予定を変更して彼の水魔退治を見学していこう」
「危険じゃないかな?」
「彼がいれば問題ないし、わたしは何かあってもどうにかできる。先を急ぐ旅でもないし、こんな機会他にないからね」
カランとしては関わり合いに成る理由はないため、どちらでも良かった。
ただ、昔だったらこんな気楽に水魔退治へ出るなんてことはなかっただろうということだけは確かだった。
(まあ、乗り掛かった舟だ。それにお金もないし、彼女についていく方が良いか)
これはダメ人間なのでは? と一瞬思いつきかけたが、ソラナムに引っ張られて船着き場へと向かうことで自覚するのは避けられた。
「それで、これからどうするんだい?」
「船に乗ります。行って、倒す。それで十分です」
「昨日、傭兵の一団が船で向かって戻ってきていないのにかい?」
「ソラナムはよく見ているなぁ。だそうだけど、ジニアは一人で大丈夫なのか?」
「そこの女が邪魔にならなければ余裕です」
「わたしだけでいいのかい?」
「問題ないでしょう」
ジニアに言われたのでカランも頷く。
「ああ、問題ないよ、僕も自分の身を守る程度はできる」
水魔程度ならば、今の状態でもどうとでもなる。
それ以上が出てきたら、その時に考えると保留してカランたちは小舟に乗って運河へと漕ぎ出していく。
水魔の出る水域に小舟で行くのは自殺行為だと船着き場の人らに止められたが、ジニアのひと睨みで散っていった。
しばらく川を下っていると、急に雲が出て来て周囲が暗くなる。何らかの領域へ足を踏み入れた証拠だった。
そして、小舟が何をしても動かなくなる。
「来たようです。とりあえず、これを持っていてください」
ジニアがカランへ短刀を投げ渡す。
「ありがとう」
投げ渡された短刀は持つだけで業物であるとわかった。纏っている空気が違う。
こんなものを貸してくれるだなんて、ジニアは気前がいいとカランは笑顔になる。
刀身は鏡のように磨き上げられていて、カランの顔が映っていた。
(久しぶりに自分の顔をよく見たな。まったく、酷い顔だ)
そんなことを思っている間に、視界が反転した。
船が横転したと気がついた瞬間には、まるで黒く色付いたかのような水の中にいた。どこをみてもなにも見えず、浮上しようにも水面がわからない。
このままでは溺れてしまうだろう。
ジニアの行動は素早い。即座に水中呼吸と水中光源の魔導を並列起動する。
術式光輪が輝くと同時に、カランたちは水中でも呼吸できるようになり、ある程度の範囲を照らす光源を得た。
続いて水中会話の魔導も起動される。よどみない魔導の発動にカランは感心する。
「ジニアは凄いな。三重魔導起動だなんて」
「傭兵です。これくらいできます」
「ソラアムは大丈夫かい?」
カランがソラナムの様子をうかがうと、思わず息が止まるかと思った。
彼女はまるで水の精のようであった。髪や衣服の裾を翼のように広げて、わずかな光源のおかげで星の海に浮いていてとても幻想的だった。
ソラナム自身もどうやらこの状況に苦を感じているわけではなく、むしろ楽しそうにしていた。
「はは。これは凄い。水中で呼吸できて会話もできる。いいね」
「大丈夫そうで何よりだよ。でも、油断はできない。ここは領域の中だ」
カランの言葉に導かれたように、青白い肌をした人が現れる。その皮膚には鱗のようなものが生えていたり、指の間に水かきのようなものが見える
「水魔だ」
兵士級の水魔だ。しかし、兵士級の水魔ではこの量な領域を作ることはできない。
「どこかに親玉がいるはず」
ジニアが周囲を見渡す中、ソラナムはクスクスと笑いながら彼に言う。
「でも、その前にこいつらを何とかしないと探すこともできなさそうだね。この数でも何とかできるのかな?」
水魔の数は多い。
カランですら、よくもまあこれだけ集まったものだと感心するほどで、三人の周囲を完全に取り囲まれてしまっている。
これをこの人数でどうにかするのは、常識的に考えれば非常に難しい。
だが、ジニアは鷹揚に頷き、腰の剣を抜いた。
「問題ない」
赤白い剣光と共に灼熱の剣気が渦を巻くようにジニアを中心に広がっていく。
水の中というその剣が持つ火の気と相性が悪い水気の道が空間だというのに、一切の減退を感じさせない高い魔力に空間に満ちている水が泡立つ。
使用者の魔力を一切逃がさないところから、剣の柄には地中深く始祖龍の血液たる星銀によって鋳造されているだろうとカランは推測する。
さらに暖気を纏う剣身には、隕鉄が使用されており妖しくも陽の気をもって輝くさまはまさしく聖剣と言えた。
「燃やしつくせ、はああああ!」
裂帛の気合いと共に聖剣が振るわれる。
ただそれだけで、莫大な熱量の炎が水の中に竜巻となって現出した。その炎はカランとソラナムには一切の痛痒も与えず、周囲の水魔だけを燃やし尽くす。
剣の力だけでなく、ジニア本人の魔力制御もかなり高いことが伺えた。
その事実に、ソラナムは感心したように口笛を吹いた。
「やるね。でも、それあと何発撃てるのかな?」
「何?」
「見て」
ソラナムに指示されて周囲を見渡せば、先ほど焼き尽くしたのと同じ数の水魔が再び集まってきているようであった。
「たくさん集まって来た。さっきのもう一度やっても、たぶんまた出て来るね」
「僕もその意見には賛成だ。このままここで戦い続けても消耗するだけだろうね」
「だったら、どうします」
再び襲ってきた水魔をジニアが打ち倒している間に、カランは少し考えてから提案する。
「深く潜ってみるのはどうかな」
カランたちは水魔に取り囲まれているが、水魔がいない場所がある。
それは下だ。水底へ続くであろう領域だけが、ぽっかりと暗い穴をあけている。
「ドラゴンの子供を得るためには、ドラゴンの巣へ飛び込まなければならない、だ。たぶん僕らを招きたいんだろう」
「いいね、もっと深く潜ってみよう。水底の散歩だなんてとても楽しみだ」
「ソラナム、遊びじゃないんだよ。もっと真剣に」
「わたしはこれでも真剣。カランは?」
「僕もだ」
「それじゃあ何も問題はないね。行こう、何があるか楽しみだ」
ソラナムはカランの手を掴んで下へ下へと潜っていく。ジニアも一歩遅れて、それに続く。
すると不思議なことに水魔の大群は追ってこなくなった。役目を果たしたかのように上の方に漂っている。
「あなたの言う通りになった」
「そうだね、でも油断しないで。危険はまだ去ったわけじゃないんだから」
注意深く潜っていく。辺りは、ジニアの出した光源があるものの暗い闇が広がっていて、自分たちが本当に進んでいるのかどうかもわからなくなってくるほどだった。
感覚を頼りにするならば、もう相当の深さに到達していることになる。
それでも終わりが見えないということは相当の力量を持った存在がこの奥底にいるということだろう。
そして、この潜航は唐突に不意に終わりを告げる。
何かの幕を破ったかのように、壁を抜けた途端にカランたちの肉体は落下を開始した。




