第7話 昔話
カランは注がれた酒を見ながら、遠い過去を思い起こすように話し始めた。
勇者カランとその仲間であった傭兵ハーゲアナは、とある交易都市で噂を聞いた――と語り始めた。
ソラナムはどんな噂か、と相槌を打つ。
「どんな噂?」
「今のランタナと同じく、水魔が出たって噂だね。確か……ある場所に船を進めると船はまるで陸地にあがってしまったかのように動かなくなってしまうってね」
しかも、貴賤の区別もなくあらゆる船はそこで停まってしまい、立ち往生してしまう。
船員たちは船を捨てて泳いで川岸まで行くしか術がなくなってしまうのである。
時の領主は、盗賊など人為的な仕業ではないかと勘繰った。
「確かに、水魔にしてはおかしいからね。人の手のものであると言った方が納得できる」
「船を沈めず、ただ船を停めるだけだからね。丁度船を停めて進まないようにする投錨の魔導を使えば、簡単だ」
アストラガルス王国の魔導修学率は高く、農民であろうとも農耕の魔導が使えた。
投錨の魔導も船乗りの間では普遍的で、盗賊が使えてもおかしくはない。
ただ不可思議なことに、船はずっと放置されていて、金品が盗まれたということもなかった。
「おかげで、運河は通行不能。それでも実害がほとんどないから、領主もお手上げでね」
「人が死ぬわけでもない、ただ船が停まるだけ。金品の強奪もない。興味深いね」
ソラナムの言葉は、心から本当に興味深いと思っているらしく跳ね踊っていた。
「そうだね。今思えばそうだ」
ただ当時のカランは、そのことに特に疑問は持つこともなく、彼に同行していたハーゲアナの方も特別それを気にしてはいなかった。
困っている人がいた、というのが重要で魔王討伐も大事であったが、すぐに寄り道をしてこれを解決しようとカランは意気揚々と船頭に話をつけて、水魔討伐に繰り出したわけだ。
「はは。それで船を出して、本当に船が停まったんだ。それで? どんな水魔だったの?」
「答えから言ってしまえば水魔じゃなかった」
船は確かに停まって動かなくなってしまった。
魔導でも、カランの膂力を使っても船は一切動かなかった。
そこからいくらか待っても、何も起きる気配がなかったから仕方ないと先人たちに習って、泳いで川岸に戻ろうかと水底をハーゲアナがカランの代わりに除いたとき、聞いた話とは違うことが起きたのだ。
水が渦巻いて、そこから一人の女性が現れたのである。
そのように水の中から現れるのは、水魔というのが通例だ。
だから、カランも傭兵のハーゲアナもともに腰に佩いていた剣を抜いて戦気を滾らせ、いつでも斬りかかれるように備えた。
暴風のように一触即発の空気が荒れ狂う中、女はただ微笑んでハーゲアナを指さして言った。
「妾はオマエが気に入った。オマエ、我が婿となれ」
そう記憶の中にある言葉をカランがそれっぽく真似して行ってやると、ツボに入ったのかソラナムが声を上げて大笑いした。
「はははは。良いね、面白い」
それは突然の求婚が面白かったのか、それともカランの言い方が面白かったのか定かではないし、カランとしては闇に葬りたいと思ったので追求せず、粛々と続きを話すことにした。
「その告白に僕たちは驚いてしまってね」
「そりゃそうだ。いきなりそんなのが出てきたらわたしだって驚く」
そういうソラナムは泰然とした雰囲気があるから、きっとそんな事態になっても驚かずに対応するに違いないとカランは思った。
「それで? あなたはどうしたの?」
「どうもこうも、求婚だったからね。僕は剣をしまって船の上で横になったよ。求婚されたのは友人だった、なら僕が手を出すわけにはいかないだろう」
出て来た女からは邪気は感じられなかった。何より、彼女は真摯であったのだ。
真摯にハーゲアナへと求婚した。
それに対して傭兵ハーゲアナという男は生真面目が過ぎる男で、求婚の答えを返す寄りもこの事件の犯人が彼女かを確認することを優先した。
「船を停めていたのは、あなたか?」
「如何にも」
「何故?」
「妾は水より陸にあがれぬ身、良く男を見るなら船を停め、船から水底を覗かせるか、泳がせるのが手っ取り早い」
だから、女は船を停めていたのだという。
事情打を聞いて事件は解決だと、傭兵ハーゲアナは考えた。この女にやめるように言えば良いと思ったのだ。
これに反対したのは、カランだった。
「せっかくの求婚なんだ。しっかりと考えて返事をしなければならない。君は彼女に恥をかかせるのか?」
女の言葉に応じず、うやむやにするのは彼女に対して恥をかかせるということだとカランは主張したのである。
カランのこのような行動はよくあることで、まだ旅の仲間になったばかりのハーゲアナも良く知っていた。
お人好しと称される部類の人間である勇者は、ことあるごとに他人の厄介事に首を突っ込んでは事態を大きくする。
厄介なのはそれできっちりと解決してくるというので、誰も注意出来ないのだ。
今回もその類だ。それも色恋。誰かが誰かに思いを伝えるだとか、思いを成就させるだとかにカランという人間は酷く弱いのである。
「いや、しかし、オレたちは魔王討伐の旅の途中です。求婚を受けるわけにはいかないでしょう」
そうハーゲアナは言った。
このまま足止めを喰らうわけにもいかない。ハーゲアナとしても旅の仲間に加わったのに、すぐに抜けるようなことはできないのだと。
そもそも水の中から出て来た、見ず知らずの女の求婚に答えられるわけがないのである。
「それなら互いを知るところからだな」
それでも当時のカランは止まらなかった。今のカランからすれば非常に目を覆いたくなることばかりだ。
「君はいったい何者かな?」
まったく融通の利かないハーゲアナの代わりにそう聞いて、まずは彼女の正体を知ろうとした。
「誰だったんだい?」
ソラナムは予想できているのに聞いた。様式美という奴だ。
「もちろん、最初に言った通り神だったんだよ」
「神が川で婿探しとはね」
心底おかしいという風にソラナムは肩を震わせる。
「ああ、今なら僕もそう思うよ。でも当時の僕は、若くてとにかくこの人の恋を応援しようだなんて思っていてね」
「それで応援してやったんだ」
「はは。そうなんだ」
「それでうまくいったの?」
「いいや、それが全然」
カランが言った通り、彼は当時、その神の求婚を成就させようと東奔西走した。
見事に、やればやるほど大変なことになって傭兵ハーゲアナがその火消しに奔走する羽目になった。
最終的に、魔王討伐まで待つということにして、神を一度水底へ引っ込ませることに成功した。
「そのせいか、僕の友人は船に乗る時、仮面をかぶるようになってね」
傭兵ハーゲアナが神に成ったおかげで、それは今やすべての傭兵の共通認識になっている。
傭兵は船で水の上に出るときは、仮面をかぶる。
そうしなければ、水の神に求婚されて大変なことになるぞ、という昔から続く傭兵の伝統になったわけだ。
その始まりこそカランが語ったエピソードである。昔はよく伝わっていた話だが、今ではほとんど知られていないか、かなり違う話になっているにちがいないだろう。
「なるほど、面白い話だった。もしかしたら、今回の事件も神がいたりしてね」
「それはないんじゃないかな。神なら船を沈めたりはしないだろう。そんなことをしたら天界から、その神を討伐に別の神が来たりしてもっと大事になっていると思うよ」
「確かに、あなたの言う通りだ。あんまり話が似ていたから。ついね」
「僕も似ているとは思うから話したんだけどね。じゃあ、次はまた君かな?」
「そうしたいところだけれど、もうお酒がない」
カランが次はソラナムに杯を戻そうと徳利を傾けたが酒はでてくることはなかった。
「君、一人で飲んだな? 僕も飲みたかったのに」
「美味しくって、つい」
「ズルい子だ」
ソラナムはいたずらっ子のような笑いをカランに向けた。
そんな表情をされるとカランは怒る気にはなれない。そもそもお酒程度で怒る気はなく、冗談のようなものだ。
ちょうど食事も終えた。満腹だし、そろそろ部屋に戻って休むのが良いだろう。
片づけは宿の主人がやってくれるということでそれぞれの部屋に引っ込む。
「それじゃあ、また明日」
「うん。明日はどうする? まだこの街に滞在するのかい?」
寝る前にカランはソラナムに予定を聞くことにした。
「どうせ船は出ない。なら陸路でゆっくり行こうかな。あなたの馬車に乗せてもらえるなら楽だしね」
「僕としては構わない。君の料理はとても美味しかった。次もお願いできるのなら、馬車くらいなら乗せるさ」
「なら、明日出発しよう。ここは物々しいからね」
「わかった」
カランは部屋の扉を閉めて、ベッドをちらりと見てから窓際の椅子に座って川を眺める。
夜風が、カランの頬を撫でた。
「…………」
黒々とした川には天上の星々が輝いている。
「僕にはもう助けたい人も、助ける理由もない。なら、僕は何をしているんだろうか」
そう呟いた言葉はどこか自分に言い聞かせているようでもあった。




