第4話 ソラナム
カランが花嫁衣装と馬車を拝借して、山道を適当に出発してしばらく。
ダリアを眺めることができる丘の上で休むことにした。
道中、馬がカランの言うことを聞かず戻ろうとしたり、立ち止まったりしていたおかげでまったく進まなかったのだ。
「はぁ、今日は色々なことがあったな」
馬を木に繋いで自分は馬車に寝転がる。
馬は新しい主人のカランには目もくれず、草を食んで満足したら勝手に眠っていた。
「やれやれ、気ままだな。まあ、それも良いか。僕には生きる目的も意味も、意義もないのだから」
そう呟いて目を閉じようとした時、思わず聞こえて来た言葉に跳び起きた。
「なら、わたしの為に生きればいい」
「――っ!」
飛び起きたカランの視界に飛び込んできたのは、真円を描く月を背に、馬車の縁に腰掛けた少女だった。
濡れ羽色の髪の毛が風になびいて、月明かりを浴び輝く粒子を放っているかのように幻想的でカランの視線を奪う。
首元に何かの毛皮が使われているらしい白の法衣に飾り気はなかったが、それが逆に彼女の女神のような美貌を引き立たせていた。
紅玉のような瞳には深い知性と底知れなさが宿っていてさながら、月夜の女神と言ったところだろう。
一枚の芸術的絵画にして遺すべき光景を前にしてカランは思わず見とれてしまっていた。
「君は……?」
思わず口にした言葉に、少女はにこりと笑って答えた。
「わたし? ソラナム・ニグラムで良いよ。あなたは?」
不思議な響きの名前だった。このあたりの人ではないのだろうか。
「僕は、カラン。ただのカランだ」
「へぇ、勇者と同じ名前だ」
「君も知っているのか。君で二人目だよ」
「暇だからずーっと勉強してる、歴史のね。それより、誰が一番なのかな?」
そう言いながらソラナムはにこにことしながら馬車の縁から、馬車の中へと降りてくる。
わずかにカランを見上げながら、淑やかに座ってみせる。
その動作は気品すら感じさせるほどで、無許可で他人の馬車に入り込んで来た無礼さなどはまったく抱かせなかった。
それどころか吐息がかかるほどの距離に近づいて来る。
カランは、わずかに身体を離し会話を続ける。
「知り合ったばかりの傭兵だよ」
「ふーん、そうなんだ」
(おや?)
何やらいじけた雰囲気にカランは困惑する。
(自分以外が知っていて、拗ねているのかな?)
可愛いところもあるじゃないかと思ったカランは空気を換えるように問いかけた。
「歴史の勉強をして勇者の事を知っていると言っていたけれど、他にどんなことを知っているんだい?」
ソラナムの拗ねた雰囲気は霧散し、今度は得意げに笑みを作る。
「そうだね、勇者カランは勇者になる前は無能だったとか。やらなくてもいい邪竜退治を婚約者の為にやったとか。精霊の村を救ったはいいけれど、仲間にこっぴどく怒られたとか」
「はは、良く知っているね」
すべてカランがやったことだ、よく覚えている。
「神になれるっていうのに、ならなかったってことも知ってる」
「凄いな、それを知っている人はほとんどいないのに」
「あなたも知ってる」
カランはあいまいに笑っておいた。まさか当事者とは言えまい。
かつて魔王を討伐した功績により、勇者一行のカルマ天秤は大きく神の側に傾いた。これによりカランたちは神に成る権利を得たのだ。
三人の仲間たちは皆、神になり天界へと移った。
カランだけは神に成らず中天地へ残り、勇者としてアストラガルス王国を守ることにしたのだ。
神に成らなかった理由は、件の婚約者のこともあったし、神に成ると中天地の出来事への手出しができなくなるからだ。
当時のカランは、それを厭うて神に成らなかった。
現在のカランからすればなんて愚かだと思わずにはいられない。
「神に成らなかった勇者は愚かだ、大きな力を持つ者はそれが他人にどんな風に見えるのかもっとよく考えるべきだったと思うよ」
ならば神に成ればいいと思うかもしれないが、今のカランはもう神に成る権利は失っている。
もう二度と神に成る権利を得ることはできないだろう。
ソラナムが風に吹かれた髪を押さえながら言った。
「そうかな? でも、そのおかげでたくさんの人を救ったよ」
「ソラナム、頭のいい君ならわかっていると思うけれど、勇者はそれ以上にたくさん人を殺したんだよ」
「戦争だったんだし、仕方ないと思うけれどね」
「そうだとしても、やったという事実は消えないよ」
カランはそう言ってから、いけない、いけないと頭を振る。
空気が暗くなりすぎだ。
いくら自分の思い出したくない過去の話がでたからと言って、暗く沈んでいるわけにはいかない。
「それにしても君は、本当に良く知っているね」
「大抵のことはね。なんでも聞いてみて、答えてみせるから」
大言壮語ではない、本当に色々と知っているという泰然とした雰囲気が漂っていた。
カランは姿勢を正してしばらく考えてから、これは良い機会だと久遠血河について聞いてみることにした。
「久遠血河のカメリア・イモーテルについては、何か知っているかい?」
問いかけと同時に風が吹き抜ける。
ソラナムはどこか嬉しそうに目を細めた。
「もちろん、知っているよ。魔の中でも最上位の魔王。最悪最凶だなんていわれているね」
「どうして久遠血河なんて呼ばれているんだい?」
もったいつけるようにソラナムは身を乗り出す。
「知りたい?」
「知りたい」
そうカランが言えば、ソラナムは得意になって答えを朗々と語ってみせる。
「簡単だよ。彼女がある神を滅ぼした時、あまりにも多くの血が流れて大きな血の河ができたんだ。それがいつまでたっても消えないものだから、久遠血河なんて名前を得たんだよ」
「彼女? 久遠血河の魔王は女なのか?」
「さあ、どうだろう。女の姿で現れるというのが多いけれど、魔の姿かたちなんて気にするだけ無駄だよ」
魔の姿は、転成前の姿になることが多いが、力の強いものはいくつもの仮面を持ち、あらゆる姿になることができる。
だから、色々な姿で伝わるし、その姿形を想像することは無意味だ。
「でも、好みはある。女の姿になるということは、正体は女なのかも」
ソラナムの言葉にカランも頷く。
「確かに。そうだとするなら、きっと君のような女の子かもしれない」
「どうして?」
すっとソラナムの赤い瞳がカランの目の前に現れた。
間近に近づかれると、ソラナムという少女の美しさは、中天大姫にも劣らないほどということがわかる。
しかし、どこか研ぎ澄まされた剣を思わせ、そのまま視線を向け続けることができないほどであった。
少し見つめ合っただけで、カランはその雰囲気に圧倒され、両手で牽制しながら、こほんと咳ばらいをすることになった。
「理由はない。もしかしたら、そうなのかもと漠然と思っただけだよ」
「本当に?」
もちろんだ、と続ける。
「それに魔王の姿を想像することなんて無意味なことだ。君が言ったことだよ。そんなことより次は君のことが知りたいな」
「わたしに興味がある?」
「君は賢くて、何より美しい。女神かと思ったほどだ。そんな子が夜中に他人の馬車に入り込んでくるのは普通じゃない。興味を抱くものだろう?」
ソラナムは首をかしげる。
「疑っているの?」
「いや、そこまでは。どちらかといえば――」
言いかけて、不意に彼女の首元の白いものが動いたのを見てカランは警戒して口を閉じる。
法衣の意匠かマフラーかと思っていたが、それは生き物であった。
それも逃げたガウラだ。
「ああ、この子? どこからか逃げて来たらしくてね。エサをあげたら懐いた。夜だし冷えるからマフラーになってもらってたってわけ」
「なるほど、確かに温かそうだ」
ガウラは一度伸びをしたかったらしく、彼女の膝上で伸びをした後は再び起伏に激しい彼女の身体をよじ登って首元で丸くなった。
なるほど確かに、貴族の子女らが欲しがるというのもうなずけるというものだ。
ただおかげでカランは、ソラナムの疑っているという問いに対して言葉を続ける機会と拍子を外されてしまった。
仕方ないと肩をすくめて、カランは寝転がる。
「もう寝よう」
そうしてから、そういえば彼女とは出会ったばかりだし、結婚もしていない男女が寝床を共にして良いものかと思った。
ちらりと彼女を確認すれば、視線に気がついたのか何を考えているのか読めない笑みを向けてくる。
「寝るの? わたし、悪人かもよ?」
「悪人は自分からそうは言わないさ。それに僕は盗まれて困るものは何も持っていない。お金だってないんだ」
「捕まえて売っちゃうかも」
「それならなおさら、僕が寝てから出てくればいい。こうやって会話する必要はないだろう?」
くすりとソラナムは頬杖をついて笑う。
「もしかしたら、教養を見ているのかも」
「それは捕まえた後でもできる。今やることじゃないよ。だから、君は少なくとも僕を狙って現れたわけじゃない。何か理由があるはず。でも、悪意は感じないからもういいかなって」
これで何かされたところでカランを害すほどのことにはならないだろう。
カランがどうかなったところで悲しむ者は、既にこの時代にはいないのだ。
ソラナムもまた、横になりながら自らの事情を話す。
「簡単に言えば、探し物中で大陸を回ってる」
「それは大変だ、探し物って?」
手伝う気などはまるでないが、このような少女が大陸中を探すほどの探し物というのは非常に気になる。
「秘密。取られたら困るもの」
「取らない、と言っても君は教えてくれなさそうだ。もう寝るよ。これは僕の馬車だから、ここで寝る。君は好きなところで寝なさい」
「もう横になってる」
ソラナムは、まるで自分の方がこの馬車の持ち主のようにくつろいでいた。
正式にはカランも持ち主とは言えないから、どっちもどっちだ。
カランはしばらくソラナムが何かしないかと目を閉じたまま気を向けていた。
それどころかひそかに今の自分でも使える魔導を駆使して、彼女の正体を暴こうとして見た。
(魔導に反応はない。なまっているとは言え、災禍の魔王すら見つけ出す探知の魔導なんだ、見間違えることはない)
魔特有の気配もない。彼女の寝姿を観察し、どこかに綻びでもないか調べてみる。
少なくとも見えている範囲には一切のほころびはない。
(考えすぎかな。ここまで完璧だとすると魔王くらいしか思いつかないけれど……まあ良いか)
色々と考えたが、自分には何の関係もない。
魔王だったとして討伐する義務も義理も意義もない。魔王側にだってないだろう。
頭を振って今先ほどまで浮かんでいたすべての考えを捨て去って、カランは目を閉じてエムることにした。




