4-1
シーラは夜が好きだ。
冬の日の夜が特に好きだ。
この王国最北の地ミルフォーゼに生まれてよかったと思うのは、ほぼ毎日冬の夜が来ることだ。
温かくて肌触りの良い室内着を着て、オレンジに燃える暖炉の火の傍で窓の外にちらつく牡丹雪を見るのは幸せだ。
布団の上で毛布を頭から被って、シンシンと音のするような白雪を鑑賞するのもいい。
白湯を飲みながら窓の外を舞う粉雪を目で追うのも捨てがたい。
結婚してブルーナーの家に来てからも、シーラは雪の夜が好きなままだった。
不思議だ。シーラは一人だけで夜を過ごすのが好きだったはずなのに。
一人でゆっくり過ごす時間が無くなったのに、あった頃に戻りたいとは驚くほど思わなかった。
ポン
と隣にいるテオドールがワインボトルの栓を抜いた。
彼の足元にまとわりついていた雪山猫のシロが一瞬だけ身を縮める。
飽きのこない幾つもの夜の中でも、今晩はまた一味違う。
今日の晩は、バタバタしていて少しの間おあずけになっていたワインを開けたのだ。
先日買った、王国の南の地方で期間限定で生産される高価なワイン、塩葡萄のワインだ。
「理不尽なことに俺は明日も仕事に行かねばならん。だから今夜は少しだけだぞ」
ブツブツ言いながら、テオドールはシーラのグラスにワインを注いでくれた。
「はい。今日は少しにして、休みの日にたくさん飲みましょう」
シーラはお礼を言いながらグラスを持ち上げる。
グラスの口に鼻を近づけたら、良い香りがふわりと立ち上ってきた。
日に当てて乾かした深い塩葡萄の匂い。
シーラ好みの、少ししょっぱそうなワインの匂い。
テオドールが転がすようにグラスを回して、ワインを少し口に含む。
そして悪くない、という風に瞬きした。
シーラは塩葡萄のワインを今まで飲んだことがなかったので、去年より美味しいなどと言ってテオドールと話を合わせることはできなかったが、飲んでみて確かにおいしいと思った。
日差しと青空が綺麗な南の地方で、海風に当たりながら育つ塩葡萄の畑が目の前に広がるようだ。
えんじ色のワインをコクリと一口飲みこんでから、シーラはテオドールに美味しいですねと話しかけた。
ソファの右側に座っているテオドールはそうだなと頷いた。
二人はいつものように適度な間隔を開けて大きなソファに座っている。
いつもなら二人の間にシロが居座って撫でろと喉を鳴らすのだが、今日のシロは絨毯の上にいる。
シーラはソファの上で、テオドールに少し近寄ってみた。
「なんだ」
テオドールはチラリと横目でシーラを見た。
一瞥しただけで逃げはしなかったので、シーラは細心の注意を払って彼にもう少し近づいてみる。
「…寒いのか」
「ふむ。そうですね、寒いです」
別に寒くはないが頷いてみる。
寒いと言ったら少しばかり近くても仕方ないと言ってくれる気がしたのだ。
「フン。部屋の中でも寒いとは情けない奴だ。この街で育って今まで凍え死ななかったのが奇跡だな」
面倒臭そうな顔を作ったテオドールは自身が被っている大きくて分厚いブランケットを半分、バサリと乱暴にシーラの上に被せた。
長い毛が柔らかい焦げ茶色のブランケットだ。
シーラがそのブランケットに包まれたのを確認したテオドールは、少しだけシーラの方に寄ってきた。
いや。
少しだけだとシーラは思ったが、テオドールはシーラが動けばその肩が腕に触れるくらいの近さにいる。
そしてシーラが動いたので、肩と腕がモコモコの室内着とブランケットを隔ててひっついた。
思いがけない近さだ。
「……家で凍死者を出したらブルーナーの家の名に傷がつくだろ」
乱暴に言ったテオドールの様子をそっと窺うと、彼は手の甲で赤い頬を押えていた。
案の定、目が合うと少し怒ったような顔で逸らされた。
自分でここまで寄って来たくせに、とシーラは目を細める。
体が触れる近さで座るのは、これで二度目だろうか。
以前、後ろから毛布と共に被さられたことが一度ある。
その時のテオドールは後ろにいたのでシーラは変に緊張したが、今日のように密着して隣にいるのも少し困る。
触れている肩がくすぐったいし、普段こんなに近くで見ることがない彼のうなじも首筋もすぐ目の前にあるので、とても変な感じがするのだ。
シーラは、テオドールがいつもやるようにブランケットに首を埋めた。
ブランケットの下で足を抱えて座り込む。
「ワイン、美味しいですね」
「……しつこい奴だな。それにはさっきも返事してやっただろ」
沈黙したら緊張していると思われるので口を開いたら、シーラは同じことを繰り返し言ってしまったようだった。
いつもはこんなヘマはしないのだが。
…それもこれも、この隣の人がソワソワしている所為ですよね。
別に見た目より腕が固いとか肩がしっかりしているとか感じたからドキッとした訳でもないですし、と不服そうに眉を顰めたシーラは思った。
会話を続けるのは止めて、シーラはそのままワインを飲むことにした。
テオドールは傾いたグラスから零れそうになっていたワインを飲んで唇を濡らしている。
ワインを飲みながら、ソファの上に伸びて寝そべるシロをガシガシ撫でているうちに、シーラのグラスが空になった。
シーラがもう一杯だけとボトルに手を伸ばすと、それに気づいたテオドールがシーラよりも長い腕を使ってボトルを取って、ワインを注ぎ足してくれる。
ボトルを支えている彼の手も、ひねられた体も近い。揺れる黒髪も鼻先をかすめそうになる。
「お前は、このワインが気に入ったのか」
「そうですね、気に入ったようです」
シーラは注がれたワインのお礼を言いながら、おざなりに頷いた。
「フン。もう今年の分は売り切れただろうから、また来年買ってやる」
「じゃあ、来年まではここにいます」
シーラが咄嗟に少し意地悪な返事を返したのは冗談7割、緊張隠し3割だ。
もしかしたら、同じ台詞を繰り返し言ったことを指摘されて恥ずかしかったその八つ当たりも含まれるかもしれない。
「……再来年も買ってやる」
「じゃあ再来年まで一緒にいます」
「再再来年も買ってやってもいい」
「じゃあ再再来年も一緒にいるしかないですね」
「……こんな安物のワイン、惰性でずっと買ってやらんこともないが」
意地になっているのを頑張って押し込めたようなテオドールの横顔に、シーラは思わず眉を下げた。
仕方ないな、とシーラは笑う。意地悪をしてやろうという気はもうどこかへ行ってしまった。
「じゃあずっとここにいます」
「フン……酒があれば満足か。安い女だな、お前は」
「はい、とっても経済的です」
もう結婚してしまったのだから離婚しない限りずっと一緒なのだが、シーラの言葉を聞いた彼は心なしか安心したようだった。
染まった頬を誤魔化すように頬杖をついている。
彼は、シーラのずっと一緒にいるという言葉がそんなに聞きたかったのだろうか。
変なところで強情で変なところに変なこだわりがあるので、彼が考えていることはよく分かるようで分からない。
分からないが、嫌だとは全然思わない。
不思議だ。
右側にいるテオドールとは反対側にある窓にツイッと顔を向けたシーラは、窓の外に降る細かい雪を観察することにした。
隣の人に少しもたれながら鑑賞する細雪もなかなか悪くないだろう。
「お前、眠いのか?ここで寝るなよ、後処理が面倒だからな」
暗闇で雪が淡く発光しているのをシーラがぼんやり眺めていたら、頭の後ろでテオドールの声がした。
シーラが暫く喋らないまま動かなかったので、寝てしまったのではないかと心配になったらしい。
「まだ早いですし大丈夫です。でも、何か話していましょう」
テオドールが頷いたので、シーラは何を話そうかウーンと考えて久しぶりにテオドールの仕事について聞くことにした。
「そういえば、最近は国境付近に魔物が少ないと聞きましたが……」
ブックマークして読んでくださって、評価もくださってありがとうございます(*´ω`*)
感想も誤字報告も全てとても有り難いです!