第22話 険しきは女の道
ちょっと長め。
お茶会が自己紹介だけで終わるなんてことはもちろんなく、その後も魔法の話やこの世界での流行など大神官選出とは全然関係のない話で盛り上がった。
ちなみに、話を振られてから止められるまでずっと魔法について語り続けていたのはソフィアだ。そこまではお茶会が始まる前から予想していた通りだったのだが、意外にも彼女の魔法話に付き合える相手が一人いた。
ヘザーは魔法についての造詣が深いようでとても熱心にソフィアの話に耳を傾け、時には質問までしていた。ソフィアの魔法話についていけているひとを見たのは初めてかもしれない。アビゲイルが呼び寄せたという魔法研究者たちはさすがに議論ができる程度の知識を持ち合わせているようだが、ソフィア自身が持ち前の人見知りを発揮して思うようには話せていないと聞いている。千歳も魔法に興味がないとは言わないが、ソフィアが話しているのはかなり専門的な話だ。一朝一夕で理解できるものではない。
きっとこのことを知っていたからアビゲイルはヘザーをこのお茶会に誘ったのだろう。ソフィアのために。
魔法の話は置いておいて、こういう場で必ずといっていいほど話題に上がる“あの話”が今千歳の目の前で今日一番の盛り上がりを見せている。
元の世界でも同級生と話すときはそういう話題になることも多かったし、現代日本の女子高生も異世界の女性神官も実はたいして差がない存在なのかもしれない。
「イーディスは恋人といつ結婚するの?」
「は!? け、けけけけ、結婚!?」
「あら、付き合っているんでしょう? あのダナさんの孫と。名前はアレシュ……だったかしら」
「どうしてそれを……あ、いえ。恋人同士でも誰もが結婚するわけではありませんし」
「それ、彼氏に言ったら泣くんじゃない?」
そう、恋バナだ。
「イーディスったら、結婚してやる気のない男と付き合ってるの? あなたも意外とやるわねえ」
「そ、そういうわけでは……」
恋バナの標的になっているのは専らイーディスだが、やはりというか何というか、彼女はそういう話題が得意ではないらしい。お茶会が始まったときのきりっとした表情は見事に崩れ、上司や同僚からのからかい含みの言葉にひたすら戸惑いの声を上げている。
何気なくソフィアに視線を向けると、きらきらとした目でイーディスたちの話を聞いていた。実は彼女が恋バナにどういう反応をするのか読めなかったのだが、意外とこういう話も好きらしい。グラウクスを交えた三人ときはもちろん、二人で話すときも恋愛関係の話は出なかったので知らなかった。
そして、千歳はと言えば。
(こんなにたじたじのイーディスなんて他では見られないかも)
完全に他人事である。
自分に話が振られるのは嫌だとできるだけ存在感を消しつつ、美味しいお茶とお菓子に舌鼓を打っていた。見慣れないものも多いが、味は一級品なので気にしない。この二週間ちょっとですっかり異世界料理に鳴らされてしまった。……舌ではなく目が。
(あ、このマドレーヌ美味しい)
時折ちらちらと感じる助けを求める視線は無視して、次にラングドシャっぽいお菓子を頬張る。チョコレートではなく鮮やかな黄緑色のクリームが挟まれていて、抹茶はなさそうだからピスタチオかとあたりをつけて齧った千歳は久しぶりに異世界文化の強襲を受けた。
「……っ」
めちゃくちゃ酸っぱい。かなり酸味が強く、しかも独特の風味がある。そういう味の果実かハーブでも入っているのだろう。この癖のある味を好むひともいるのだろうが、千歳の舌には合わなかった。だって本当に酸っぱい。
もしかして、これは友人からのSOSを無視した罰か何かなのだろうか。
思わず顔を顰めると、たまたま見ていたらしいアビゲイルが笑っているのが目に入った。同じものを手に取っていたソフィアは千歳の表情を見て味を察したようでそっと元の場所に返している。その後すぐに保護者に見咎められ、口に押し込まれていたけれど。
(ああ……ソフィアさん、酸っぱいもの苦手なのに。ご愁傷様です)
とても酸っぱいお菓子を涙目で咀嚼しているソフィアに心のなかで手を合わせる。タイミングが悪いと言うか、いつも絶妙に不運なひとだ。程よい甘さで美味しかったマドレーヌをあげよう。
「もしかして、結婚をご家族に反対されているのでしょうか? イーディス、時には親に反抗することも大事でしてよ」
ヘザーが身を乗り出し、ぎゅっとイーディスの手を握る。
からかっているのだろうという千歳の意に反し、彼女の目は真剣だ。とても真剣な目で“わたくし、協力は惜しみませんわ”と今にも駆け落ちの算段を始めそうな空気を醸し出している。このままではイーディスとアレシュが手に手をとって意味のない駆け落ちをさせられる羽目になりそうだ。
「いえ、アレシュとは幼馴染みですし、お互いに昔から付き合いのある家ですから反対されることはないと思います」
「じゃ、やっぱり結婚するの?」
今度はジェマが喜々として身を乗り出した。仲人的なものでもやりたいのだろうか。
「なんでそうなるんですか!?」
それにしても、イーディスもアレシュも年齢は千歳より一つ下だったはずだが、結婚という単語が出てくる辺りさすが異世界といった感じだ。千歳からすると十六歳で結婚は早い気がする。
「こら、二人とも。イーディスばかりからかっちゃ可哀想でしょう?」
そう言ってヘザーとジェマを窘めたアビゲイルの姿は、からかわれていた――片方は本気だったように思えるけれど――イーディスにとって救いの女神のように見えたことだろう。
しかし、千歳は女神のように慈悲深いアビゲイルの笑みになぜか嫌な予感がした。
(私は空気。私は空気)
千歳に便利なWEB検索のような機能が搭載されていても存在感の消し方まではわからない。望まない話題を回避する方法がないでもないが、おそらく実行したらお茶会を台無しにする類のものだ。できるならやりたくない。適度にお茶会を盛り上げつつ、返答に困る話題が回ってこないのが一番いいのだけれど。
――不可能。
役に立たない能力が何かを告げている。
それが最後通牒だと思いたくない千歳は空気になる努力を続けてみた。
(私は酸素。私は窒素)
地球温暖化を考えると二酸化炭素にはなりたくない。千歳は地球に優しいタイプなのだ。ここは地球ではないが。
そうこうしている間に時は進み、千歳の馬鹿馬鹿しい思考にも終止符が打たれる。
「ところで、チトセ。あなたはどうなの?」
どう頑張っても気体にはなれず、人間の限界を超えられなかった千歳に無情な一言がかかった。
こうなることはわかっていたが、どうしてソフィアでなく千歳なのか。助けを求めて周囲を見回しても、ソフィアは目を合わせてくれないし、イーディスはさっきの誰かさんのように澄まし顔でお茶を飲んでいる。
「実はあなたがある男性と親しくしているって聞いているのだけど」
「えっと、どなたのことでしょうか。私が男のひとで一番よく話してるのはグラウクスさんだと思いますけど」
悪あがきのようにしらばっくれてみる。言っている内容も嘘ではないし。
「あら、おかしいわね。私が聞いた話だと神殿騎士の――」
「あのひとは、そういうのじゃないですね」
アビゲイルの言葉を遮るような形で強く否定した。
噂になっている――というより、噂を流されていることは知っていたが、恋や愛というものを鼻で笑いそうな男との仲を疑われるのがこんなに苦痛だとは思わなかった。いいところなんて一時間考えても顔の一つくらいしか浮かばなそうだが、腹の立つところを挙げれば両手の指では足りそうにない。千歳にとって彼はそういう相手だ。
そういったことをオブラートに包んで伝えてみると、アビゲイルの目が丸くなった。驚くようなことだろうか。彼の側近なら“そうでしょうね”と納得してくれそうだが。同意はしてくれないあたりあの二人は主従揃って性質が悪い。
「苦手なの?」
「うーん……苦手なわけではないですけど」
嫌いというほど悪感情を持っているわけではない。そして、苦手と言ってしまうのは悔しい。
この感情を、なんと言い表わせばいいのか。少しの間、考え込んでから口を開く。
「あのひとについて言うなら――ぎゃふんと言わせてやりたい相手、ですかね」
その後、千歳は妖艶な美女の大笑いなんて珍しいものを目撃することになった。美人でも時には腹を抱えて笑うこともあるらしい。
◇◇◇
アビゲイルの笑いが収まるまでしばらくかかった。彼女は意外と笑い上戸なのかもしれない。
笑いが落ち着くとアビゲイルはソフィアにも話の矛先を向けたが、元の世界でも今現在も好きな相手も気になるひともいなかったらしい彼女からはたいした話が出ず、惜しまれつつも恋バナは一旦終了となった。惜しんでいたのはジェマとヘザーで、千歳はむしろホッとしていた。イーディスもそうだろう。ソフィアはちょっとだけ残念そうにしていたので、もっと話したかったのかもしれない。……いや、アビゲイルに"つまらないわね”と一刀両断されたことに落ち込んでいたのかも。
「私には夫がいるの」
アビゲイルが穏やかな表情で話し出す。
イーディスたちの顔が強張り、この場の空気が変わっていくのを感じた。彼女たちの雰囲気からして、この話は明るい話ではないのだろう。
「――いえ、正確にはいた、ね」
故人のことを話すとき、ひとは空を見る。そこにまるで過去を見るかのように。
「夫も神官で、この神殿で副神官長を務めていたわ。一回り年上の父親が決めた相手だったけど、仲は良かったの。出会ったばかりの頃は情けない男だと思ってたけど実際にはそうでもなくて……私を叱るのなんて彼くらいのものだった」
彼女はそっと色づいた指先に目を落とした。淡い紫が今日も彼女を飾っている。
その色を彼女に贈ったのが誰かなんて訊かないでもわかることだ。千歳が"綺麗な色”だと褒めたときの彼女の笑顔を引き出したのはもうこの世にいないひとだとは何となく気づいていたけれど、彼女が結婚していて夫を亡くしているとまでは思っていなかった。
死はいつでも近くにある。召喚された日に疫病が流行ってたくさんのひとが亡くなったと聞いたのに千歳はそれすら忘れていた。
「亡くなった理由は例の疫病でしょうか?」
静かに、静かに問うた。彼女の心を波立たせないように。
「いいえ」
否定とともに顔を上げたアビゲイルの瞳の強さに射抜かれる。
「私の夫は殺されたのよ。あのジジイ……先代の大神官にね」
アビゲイルの夫と、その夫が支持していた神官長は先代大神官と対立していたと言う。その対立の末に消されたと話す彼女の瞳は怒りに燃えていた。どこか悲しい怒りだ。その怒りの向かう先がもう亡くなっていると知っているからだろうか。
以前、神殿を案内をしてもらったときのアレシュの言葉を思い返す。彼曰く“嫌なやつ”らしい先代大神官とは、いったいどんな人物だったのだろう。非情だったのか、悪辣だったのか。
あのとき、アレシュが何か重要なことを言いかけたのをイーディスが止めた。あの続きを今なら教えてもらえるだろうか。イーディスたちが教えてくれなくても訊けば答えてくれそうな相手に心当たりはあるけれど、所詮異邦人でしかない千歳が立ち入っていいことなのか。
(明かす勇気もないくせに)
千歳に道案内をする気はなくて。相手が道を尋ねてこないからと道に迷っていることを知りながら放置しているのに、どうして道に迷っているのかなんて性格の悪い問いを向ける。そんな卑怯な勇気だけは持っている。
「先代の大神官ってどんなひとだったんですか?」
「あれは人間のクズよ。あんなのが神殿だけじゃなくて城にもいたのが、さらに始末に負えなかった」
「アビー」
吐き捨てるように言い切ったアビゲイルに、ジェマが言い過ぎだとばかりに声をかけた。その声にも苦いものが含まれていて、止めたジェマもアビゲイルと同じように思っていると知れる。
(アビゲイルさんたちの言葉を信じるなら……先代の大神官は悪人だった)
この国を襲った疫病により多くの命が失われたと聞いた。疫病の前には地位や身分など何の意味もなく、先代の大神官や国王の命すらも奪っていったと。
――悪は裁かれ、間違った道はあるべき道へと正される。
頭を振って浮かんだそれを振り払う。馬鹿な考えだ。悪人だけを殺す病などこの世にあるわけがない。あったとしたら、それはもう疫病とか言われるものじゃない。
「ねえ、チトセ」
「……はい」
考え込んでいたせいで返事まで少し間が空いてしまった。
しかし、アビゲイルには気にならなかったらしく、彼女はそのまま話を続ける。
「私は大神官になるわ。あのどうしようもない男たちに無茶苦茶にされたこの国を立て直すために」
決意の滲む一言が千歳の胸を打つ。
「先代の大神官が死んでもあれのやったことはなくならないし、疫病で亡くなった命はもどってこない――だからこそ、幸せになってほしいの。幸せにしてあげたいの、私の手で。この国の民も……私の娘も」
(……子ども、いるんだ)
夫を亡くし、女手一つで娘を育てているのか。
家族を想って目を伏せるアビゲイルに母の面影を見た。全然顔も年も違うのに。世界すらも違っている。それなのに、どうしてかアビゲイルに重なるように母の顔が浮かんで消えない。
(ああ、アビゲイルさんは――このひとは……)
「ねえ、チトセ」
「はい」
「この話をソフィアだけじゃなくあなたにもした理由、わかるかしら?」
駒を取り込もうとしている。
「……いいえ」
「あら、そうなの。なぜかしら、あなたならわかってると思ってたわ」
「買いかぶりすぎですね、きっと」
「そうかしら。でも……そうね。わからないというなら教えてあげる。私はね、あなたに味方になってほしいのよ」
アビゲイルの目はまっすぐ千歳だけを見ていて、その強さに押され思わず頷いてしまいそうになった。
あまりの強さに跳ね返すことなんてできそうにないから、少しだけ目を伏せて首を横に振る。
「ひどいわね。もう少し考えてから振ってくれてもいいのに」
拗ねるような口調で責められた。
「考えても答えは変わらないので」
「どうして? ミランに思い入れでもできた?」
「ミランさんたちにはよくしてもらっていますけど、正直、あのひとたちの味方って思ったことないんです。成り行きで、立場的にはそうなるのかもしれませんけど」
一旦、そこで言葉を切る。
どのタイミングで何を言えばいいのか、何が“正解”なのか、千歳はそれを知っていた。
「変かもしれませんけど……私、誰の敵にもなりたくないんです」
「私に味方したらミランの敵になるってこと?」
「ミランさんだけでなくイリクリニス神官長の敵にもなっちゃうんじゃないでしょうか」
「でも、私の味方にならないなら私の敵ではなくて?」
「アビゲイルさんは私を敵だと思っているんですか?」
異世界人は曖昧でいることを許されている。
それを許しているのは三人の神官長たちで、彼女はその三人のなかでもとくに情の強いひとだ。故郷から引き離して、異世界の権力闘争なんてものに巻き込んで、そんな相手を敵視できるひとではない。そう、千歳は彼女が異世界人に罪悪感を抱いていることを知っている。そして、旗幟を鮮明にしない限りは今のスタンスを保とうと考えていることも。
「………………」
沈黙がその場を支配して、何か間違えたかと千歳が焦りを感じ始めた頃、ようやくアビゲイルからの反応が返ってきた。深い深い溜め息として。
「残念だけど諦めるわ」
諦めを口にしつつも向けられる眼差しは温かい。まるで千歳の言い分を受け入れてくれたことを示しているようだった。
「すみません」
つい、癖のように謝ってしまう。
「いいのよ。仕方のないことだわ。でも……」
アビゲイルは躊躇うように言葉を切った。
「私が召喚した異世界人がソフィアで良かったと思っていたし、今もそれは変わらないのだけれど……チトセ・チズ。あなたも、私の召喚した異世界人だったら良かったのにと思っちゃったのよね」
「えーと……光栄です?」
過分な言葉になんて応えていいのかわからなくて、へらりと笑ってみた。
何やらヘザーの視線を強く感じる。そういえば、彼女はアビゲイルに憧れているのだったか。どうやら羨ましがられているようだ。
「ところで、チトセは召喚された異世界人として何の力を持っているか、もう見当くらいついている?」
不意打ちで、天気を聞くくらいの気軽さで投げかけられた問いかけに一瞬身体が強張りそうになったが、意識して力を抜く。こういうときに緊張を見せたら駄目だ。あくまで自然体でいなくては。
「わかりません。本当になんなんでしょうね、いったい。そろそろ周りのひとの視線が痛いのでなんでもいいから見つかってほしいんですけど」
偽りが口から漏れていく。
重ね続けた嘘はいつかバレる日が来るのだろうか。隠し通せると思っていないのに、明かすことができないのは千歳が愚かだからか。
―――真実が白日のもとに晒される日を千歳は怯えながら待っている。




