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最善の導  作者: 雨柚
第一章 三人の神官長と三人の異世界人
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第10話 道の途中でひと休み

 今回は短めです。

 用意された客室のベッドに腰かけ、大きく息を吐き出す。

 この世界に来てやっとひと息吐けた気がした。


 大広間での一件の後、千歳は元の世界の自分の部屋の二倍はありそうなこの部屋に案内された。

 案内してくれたのはオルドジフだ。彼はエスパンタリオ付きの副神官長らしい。神殿の組織形態はわからないが、偉いひとなのだろう。オルドジフは千歳をここまで案内すると申し訳なさそうに、けれど忙しそうに去っていった。


 そこで千歳はオルドジフに世話係として紹介されたお婆さん神官に目を向ける。


「なんだい?」


 異世界人の世話係として千歳とともにこの部屋に残された老女――ダナは不機嫌そうな声で尋ねた。

 千歳は視線を向けただけで声をかけていない。ダナはこちらに背を向けたままなのに、なぜ千歳が見ていることに気づいたのだろう。後ろに目でもついているのだろうか。


 今、ダナはテーブルの上の食器――千歳がさっき終えた夕食の片付けをしてくれているが、千歳の相手をしてくれる気はないらしい。突っぱねるような口調とテキパキと動く様子からそれがわかった。

 悪いひとではないと思うのだが、このダナ・フメラというお婆さんは無愛想でどうにも取っ付きにくい。


「いえ……あの、何かお手伝いしましょうか?」

「フン」


 千歳の手はいらないということだろう。

 鼻を鳴らして答えるダナに千歳は思わず苦笑いを浮かべた。


「でも、ダナさんは足が……えっと、不自由でしょう? 自分が使った食器を返しに行くくらいなら私にもできると思いますし……」

「あんた、厨房の場所がわかるのかい。ここに来たばっかりのくせにすごいね。知らなかったよ」


 もちろん、千歳に厨房の場所などわかるはずもなく。


「すみません……ダナさんにお任せします」


 残念に思いつつも引き下がる。

 何でも“してもらうだけ”というのは落ち着かないものだが、あまり言っては逆に迷惑だろう。……本当は能力を使えば厨房まで行けるだろうけど、千歳はそれを誰にも明かす気はない。


「じゃ、じゃあ、テーブルの片付けだけでも……っ」

「もう終わったよ」


 お年寄りを働かせて自分だけ暢気に座っているなんて、天国にいる母親に知れたら叱られるだけでは済まない。せめて片付けくらいはと申し出てみたが、すげなく返されて撃沈した。


 躊躇っていないでもっと早く手伝いたいと言えば良かったと後悔していると、そんな千歳が面白かったのかわずかにダナの顔に笑みが浮かぶ。笑顔といっても、ニヤリとした意地の悪そうなものだったが。

 さっき気づいたことだが、この愛想が悪くて少々ひとが悪いお婆さんはこういうやり取りが好きらしい。実際、若者をからかうのは年寄りの特権だと言っていた。


 ちなみに、ダナに“お婆さん”は禁句だ。

 なぜかはわからないが、きっとそう呼びかけたら怒るのだろう。年を重ねてもお婆さん扱いを嫌がる女性がいるというのは聞かない話ではない。知らずに呼びかけていたら……と考えると、今だけは素直にこの能力があって良かったと思う。


「ありがとうございます、ダナさん。……次はお手伝いさせてくださいね」

「考えとくよ」


 千歳はこの気難しい老女が嫌いではない。

 自分をしっかり持っていて、お世辞にも愛想がいいとは言えないが、素っ気ないように見えてひとを気遣う心を持っている。手伝わせなかったのは、それがダナの役目だということもあるが、この世界に来たばかりで疲れているだろう千歳を気遣ってのことだろう。

 能力なんて使わなくても、ダナが口が悪いだけで温かいひとだということはわかる。


「明日……」

「ん? 明日がどうしたって?」


 ダナはちょっとせっかちな性格らしい。


(まあ、見るからにそんな感じだよね)


 少し失礼なことを考えてしまった。しかし、ダナらしいというのは確かだ。

 先を急かすようなダナに苦笑しつつ、千歳は口を開く。


「明日、神殿を案内してくれるんですよね?」

「ああ、そのことかい。何度も言わなくたって覚えてるよ。あたしはまだ呆けてないからね」


 “何度も”と言うが、千歳がこのことを口にしたのはまだ二回目だ。

 だが、そう言ったら何倍にもなって返ってきそうなので口には出さなかった。自分でも賢明な判断だと思う。


「神殿の中を歩き回ることになると足が辛くないですか?」

「あんた、あたしに案内させる気だったのかい? こんな年寄りに。気遣いの足りない子だねえ」

「ええー……」

「案内するのはあたしの孫息子さ。カラシュ副神官長にそう頼まれてるからね」


(カラシュ副神官長って誰だろ? ……ああっ、オルドさんか!)


 この一日だけでどれだけのひとと出会ったのか。

 それを思えば少しくらい家名を忘れていても仕方ない、と言い訳してみる。


「アレシュくん、でしたっけ。お孫さん」


 ダナの孫はこの神殿に務めているらしい。

 ちなみに、ダナも彼女の孫もエスパンタリオ派だ。誰かから聞いたわけではないが、おそらくそうだろう。ダナがあの(・・)エスパンタリオをどう思っているかは少し気になるところだ。彼に対してもこんなふうに無愛想なのだろうか。……イリクリニス辺りとは相性が悪そうだ。


「アレシュ・アレクサ。嫁いでいった娘の子どもさ」

「十六歳だったら、私より一つ下ですね。話合うかなあ……?」


 その呟きを拾ったダナは困った子どもを見るような顔で千歳を見た。


「大丈夫さ。アレシュはあたしに似ず、愛想がいいからね」


(あ、自覚あったんだ)


 いや、まあ、自覚してあの愛想の悪さというならそれはそれで問題かもしれない。


「今日も明日も明後日も――あんたなら大丈夫。不安ならさっさと寝ちまいな」


 ふわりとした感触が千歳の頭を撫でた。

 頭を撫でてもらうなんていくつ以来だろう。亡くなった母に頭を撫でてもらったことはおぼろげな記憶の中にしかない。スキンシップの多いひとでもなかったから、おそらくかなり幼い頃のことだ。

 頭を撫でる仕草が堂に入っているダナに比べれば、母の撫で方は危なげだった。手つきが拙いというか、子どもとの接し方が上手くないひとだったのだ、千歳の母親は。それでも、子どもの頃の千歳は母に頭を撫でてもらうのが好きだった。母の他に千歳の頭を撫でるひとはいなかったから。




 自分でも自覚していなかった千歳の不安を溶かして郷愁を思い起こさせたひとは、片付けを終えると“子どもはさっさと寝な”と言って背を向けた。

 ふと窓に目を向けると外は真っ暗だ。

 今が何時かはわからないが、もう休む頃合いなのだろう。


「おやすみなさい」


 部屋を出ていく背にそう声をかけて、千歳はベッドに潜り込む。眠気はなかったが、思っていた以上に身体は疲れていたようで、力を抜くとぐったりとシーツに沈み込んだ。


 千歳はダナみたいなひとに弱いらしい。

 知っていてダナを世話係に選んだのだとしたら、これほど恐ろしいこともないが、それはないだろうと思う。千歳にしても今気づいたばかりだし。

 きっと、千歳は母性だとか父性だとかそういうものを感じさせる相手に弱いのだ――マザコンだから。



   ◇◇◇



 疲れているはずなのに眠れない。

 つらつらと取り留めのない考えごとをしていると頭痛がぶり返してくるのが困った話だ。


「寝れない」


 口に出してしまうとさらに睡魔が遠ざかった。

 しまった、と思いつつベッドの上を転がる。自室のベッドよりも寝心地はいい。ここがホテルだったら結構な値段がしそうだ。せっかくだし早く寝ようと声をかけてみても、千歳の眠気はいずこかへ出掛けたまま帰ってこない。

 本格的に眠れなくなってきた。声に出すまでは少しは眠れそうだったのにと、己の行動を悔やむが後の祭りだ。


(どうすれば寝れる?)


 千歳の内にあるはずの力に尋ねた。時として、この能力はWEB検索より便利だ。

 答えが頭に浮かぶのと同時に、千歳の能力を嫌ったひとの顔が浮かんできて心に影を落とす。


 ――外に出る。


(いやいや、私は寝たいんだって)


 思わず、自分の能力に突っ込みを入れた。

 早く寝てしまいたいのに外に出てどうする。


 千歳は思ったような答えが出なかったことに溜め息を吐き、他にすることもないのでまた思考に没頭した。外に出るよりはベッドに横になっている方が眠れるだろう。


「あー……帰りたい」


 帰りたい。

 考えれば考えるほど、その思いが脳内を占拠していく。

 慌ただしかった一日が終わり、独りになった途端に寂しさや不安に襲われるなんてありがちな話だ。ありがちな話だが、千歳は普通の高校生の精神しか持たないのだから仕方ない。


 母がおらず、大嫌いな叔母がいる家。

 思い出の品はほとんど処分されてしまったけれど、それでも――家に帰りたい。

 狭苦しい部屋で母の帰りを待つことはもうできないから、せめて母の遺影と遺骨が待つ家に帰りたい。


 友人たちにも会いたい。

 異世界に行っていたんだと語ったら、彼女たちはどんな顔をするだろうか。きっと雲雀は笑うはずだ。綾乃は熱があるんじゃないかと心配して、満留は“マジで!?”と目を輝かせて、涼華は呆れ顔でスルー。でも、最後にはみんな笑うだろう。笑い上戸の雲雀につられて。それがいつもの千歳たちだった。


(帰れる? ……私はあの日常に戻れる?)


 ――帰れない。戻れない。


 目の前にはいく筋もの道があるのに、戻る道だけはない。それが千歳の知る“正解”だ。

 もう元の世界には帰れないのだともっと早くから能力でわかっていたのに、それでも何度も確認してしまう千歳はきっと諦めが悪くてとてつもなく馬鹿なんだろう。今さら、異世界に来た実感が湧いてくるなんて。


 気分が沈んでいく。

 沈む先に底はない。夜闇に塗りつぶされた心は不安でいっぱいで、頼みの綱の能力に告げられた絶望を受け入れる隙間を失っている。


 泣いて、嘆き悲しんで、全部流してしまえたらもう少しマシなのかもしれない。

 でも、愚かな千歳はまだ現実を受け入れられていないから、時間をおかなければ泣くことすらできない。

 明日か、明後日か。それとももっと先の未来か。千歳が泣いてしまう前にこの夢が醒めたらいい。叶わないと知りつつ、そう願った。


 ――外に出る。


(空気読んでよ)


 ぐるぐると色んなものが頭を巡るなかで、千歳がはっきりと認識できたのは“外に出る”という答えだけだ。この能力はどれだけ千歳を外に出したいんだと心の中でぼやきつつ、思いきってベッドから身を起こした。


 床に足を下ろすと、千歳が辿るべき道が見えてくる。辿った道の先に何があるのかも知らず、そっと部屋の扉を開けた。外に出ると決めた以上、迷いはない。

 部屋の前に誰かいるかとも思ったが、人気のない廊下はひどく静かだ。



 ――――召喚によって増したらしいこの能力は千歳をどうしたいのだろうかと、ふとそんなことを考えた。





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