第9.5話 とある腹心の予感
《 ユージィン視点 》
ユージィン・スウィフトはヴァルト・エルヴァスティの側近だ。
彼らはここ、アルカ神殿に所属する神殿騎士であり、本来ならば二人の間に上下関係は存在しない。だが、ユージィンは自らをヴァルトの側近だと思っている。それは彼の主であるヴァルトも他の神殿騎士も、彼らを知るこの国の人間ならば同じ認識だろう。
ヴァルトに仕える者がいることも、彼を主君として崇めもっと上へと押し上げようとする勢力があることも当たり前のことだった。もともと、ヴァルト・エルヴァスティが神殿騎士なんてものになっていることの方がおかしいのだ。血筋も能力も申し分ない。ヴァルトが望めば、至上の位も大神官の地位も得られるだろう。三人の神官長たちが大神官位を争えるのはヴァルトがそれに興味を示していないからに他ならない。
ヴァルトが三人のうちの誰かの側につけば、大神官はすぐにでも決まる。
それをわかっていて放置しているユージィンの主は本当に性格が悪い。ヴァルトは外野が口を挟むまいとしているわけでも、大神官たる人物を選びかねているわけでもなく、ただ面白がっているだけだとユージィンは知っている。
だからこそ、不思議だった――ヴァルトがこの場にいることが。
さして興味のないはずの大神官位争いの真っ直中。三人の神官長と各派閥の神官たちと、召喚された異世界人の入り乱れるこの場に。
常ならば、ユージィンや他の配下に報告させて終わりだろう。なのになぜ、今回に限って彼はこの場にいることを望んだのか。
(自分の目で確かめたかったんでしょうか……?)
そう思うが、どうもしっくりこない。
ヴァルトは物事の渦中に巻き込まれるのを嫌っている。彼の性格上、巻き込まれかねない場所に赴くのはおかしいのだ。
「ヴァルト様……何か、気になることでも?」
ユージィンは思いきって聞いてみた。尋ねたとて、素直に答えてくれる相手ではないことはわかっていたが。
尋ねた相手はいつになく楽しそうな様子で。それが神官長たちが揉めているのを見て面白がっているからだとわかってしまい、真面目なユージィンは顔を顰める。国の一大事とも言える問題を前に悪趣味だ。そう思ったものの、ヴァルトに何を言っても無駄だととっくに承知している彼はそれについては触れなかった。
「いや? ……ただ、面白いとは思ったがな」
何が、とも言わずヴァルトは口の端を吊り上げた。
ヴァルトとユージィンが立っているのは大広間の入り口の辺りだ。神官長たちのいる中心からは離れているが、魔法を使えば彼らが揉める様子を見聞きするのは容易い。
三人の神官長たちは相変わらず険悪な仲のようだ。誰も一歩も譲らないうえに、今回のことでますます揉めるだろうと考えていたが、現実は予想に違わなかった。ただ唯一、ユージィンを心底驚かせたのは、騒然とする場を収めたのが召喚された少女だということ。腕を組み壁にもたれてつまらなそうにしていたヴァルトの表情が変わったのも彼女が話し出してからだった。
「期待していなかった人間が思いがけない行動を起こす……これから先が楽しみだ」
ヴァルトの言葉が誰を差しているかわからないと言うほどユージィンの頭は鈍くない。
しかし、自分にはそこまで印象に残らなかった異世界の少女の何が彼の興味を引いたのかはわからなかった。ユージィンの目には少し変わった格好をしているだけで普通の少女としか映らなかった彼女は、ヴァルトの目にはどう映っているのだろう。
ユージィンはヴァルトがいつになく興味深げな視線を向けていることに気づいて、思わず少女に同情した。大広間までの道案内で関わっただけだが、短時間でこの厄介な男に目をつけられるなんてと気の毒に思う。主君に対して思うことでもないが、ユージィンから見ればヴァルトは厄介としか言い様がないというのが事実だ。
(チトセさんには申し訳ないですが、私が口を出すようなことでもありませんし……ヴァルト様が興味を示してくださるのは私たちにとっても悪いことではないですからね。もっとも、興味を持ってくださるなら大神官位の方に持っていただきたいものですが)
主につられるように、ユージィンも輪の中心に目を向ける。
ついでに、ヴァルトの視線の先にいる少女を恍惚とした顔で見ているエスパンタリオに気づいてしまい、ユージィンはげんなりといった顔で溜め息を吐いた。見たくもないものを見てしまった気分だ。
「異なる世界に呼び出されただけでなく、神殿でもとくに面倒なお二方に目をつけられるなんて彼女もたいへんですね」
ユージィンが何気なく口にした言葉を耳にして、今度はヴァルトが顔を顰めた。
「あれと同列に語られるのはさすがに不快だ」
そう言って身を翻したヴァルトに続き、ユージィンは大広間を後にする。
話はまとまったようだし、これ以上見るべきものはないだろう。いつまでもこの場にいて神官長たちに見咎められても困る。ヴァルトの姿を目にした神官は少なくないだろうが、この場で神官長たちに気づかれれば面倒なことになるのは必至。
それがわかっていたから、ユージィンは尋ねることもせずヴァルトに続いた。
「……?」
ユージィンは首を傾げる。
大広間の扉を通る寸前、ふいにヴァルトが振り返ったのだ。彼が何を求めて振り返ったのか、それは本人にしかわからない。まだひと波乱ありそうな大広間に未練があったわけではないだろう。何が起こるか気になるわけでもあるまい。本当に気になったのならヴァルトはこの場に残ることを選択するはずだ。
滅多に振り返ることのない紫の双眸に映ったものを、ユージィンは知らない。
――――普段の彼ならばまずしないその行動に、この国の命運とも呼べるような何か大きなものが動き出す予感がした。