第9話 すでに道は決まっていて
神官長たちは真剣な眼差しを千歳に向けている。この分だと、これから口にする提案をまったく取り合ってもらえないということはなさそうだ。
この場にいる皆が千歳の言葉を待っている。そう思うと否が応でも緊張が高まっていく。
静まり返った室内にごくりと唾を飲み込む音が響いた気がした。緊張で張りついた喉をどうにかこじ開けて言葉を紡ぐ。
「召喚した人間の優劣で大神官を決めるのはどうでしょう? より優秀な異世界人を召喚した神官長が優秀、ということで」
千歳の提案に三人の神官長は考え込むような様子を見せた。一考する価値はあるということだろう。
神官長たちの反応とは別に、グラウクスなどは不快そうな顔をしている。千歳の言い方に引っ掛かりを覚えたのかもしれない。召喚された側である彼にとっては面白い言い様ではなかっただろう。それはソフィアにとっても同じはずだが、彼女は自信なさげに俯くだけだった。
「人間の優劣なんてどうやって決めるんです? 剣を取って戦え、とでも?」
少し嫌味っぽく、グラウクスがそう言った。同じ召喚被害者である千歳に親近感こそあるものの、言わずにはいられなかったようだ。
「貧相な形の男と小娘二人を戦わせても余興にもなるまい」
千歳が答える前に、イリクリニスがグラウクスを馬鹿にするように笑った。……なんでわざわざ絡むんだろう、このひと。
「確かにそうね。それについて、何か考えあるの?」
アビゲイルの問いかけに頷いて、千歳は頭に浮かぶままに答える。
「オルドさんに聞いたんですけど、この国には女神の伝説があるんですよね? 確か、異世界から来た女神はその類い稀なる知識で王国を繁栄へと導いた……とか」
神官長たちはもちろん知っていたらしく、確認するように千歳が視線を向けると三人とも頷いてくれた。
ソフィアは知っているようだったが、グラウクスは聞いていなかったらしく、エスパンタリオから説明を受ける。召喚されてからずっとイリクリニスと言い合っていたのだろうと思う。完全に千歳の憶測だが、彼だけ知らないのはそのせいだろう。
エスパンタリオの説明が終わるのを待って続きを口にする。
「その伝説になぞらえて、この国に貢献したひと、もしくは貢献できる能力のあるひとが優秀ってことで良いかなと。伝説の女神のように知識を活かすのも良いし、ソフィアさんみたいに魔法が使えるならそれを使っても良いですよね。グラウクスさんなら政治とかに関してアドバイスできるかもしれませんし……とか言って、残念なことに私は何にもできないんですけど」
千歳の案を聞いてしばらく考え込んでいたが、周りからちらほらと同意の声が聞こえてきた。他の神官たちの声だ。あまり意識しないようにしていたが、ここには神官長の三人以外にもたくさんの神官がいるのだったと今さらながらに思い出す。
「いいんじゃない? “国に貢献”なんて具体的じゃないけれど、その分、私たちがどうとでもできるし……ね」
「異世界人の能力云々というよりはこちらの使い様というわけか。それなら悪くはないな」
「神殿の教義にのっとった素晴らしい提案だと思います。判定の方法や期間については話し合う必要がありそうですが、方向としてはそのように」
「そうだな。では、召喚の儀の結果報告を首を長くして待っているだろう王宮の連中も交えて一刻後に――」
どんどん話を進めていってしまう三人に焦りつつ、それでもそれを表情に出さないように努めながら千歳は声を上げた。
「ちょっと、いいですか?」
「? チトセ?」
「この提案を受け入れてくれるってことは、異世界人を伝説の女神に近いものとして扱ってくれるってことですよね?」
ここが正念場だと、緊張を押し殺して畳みかけるように言葉を紡いでいく。
「神殿は神に準ずる者として異世界人を扱うと、そう思っていいでしょうか」
精一杯虚勢を張る千歳の言葉に、アビゲイルは驚いたように目を見開き、イリクリニスは“ほう”と興味深げに呟いて、エスパンタリオは“もちろん、そのつもりです”とふわりと笑って頷いた。
「確かに、貴様の案を受け入れるなら、それはそれは丁重に扱わねばならんだろうな。それで、貴様は私たちに何を望んでいる? 神と名乗って傲慢に振舞いたいだけか?」
「神様だなんて言うつもりはありません。私は召喚した異世界人の優劣で大神官を決めればいいと提案しただけです。ただ、異世界から召喚した人間を尊重する気があるのなら、私たちがこの国の抱える問題の解決に協力する代わりに衣食住の保証と帰還方法の研究をお願いしたい……というのは我儘ですか?」
異世界人を保護するという話はすでに出ていた。だが、千歳はその確約がほしい。いや、正しくは、今この場でそれを求めることが必要だと――それが正解だと知っている。
きっと、正解のままには行動できていないだろう。意思に反した強気な発言はわずかに震えていて、腰も引けている。視線だけは逸らさないように努めているが、だからこそ千歳の緊張も脅えも見え見えのはずだ。
それなのに。
(……私が私じゃないみたい)
身体は震えていて心は脅えきっているのに、頭の中はどこまでも澄んでいた。
千歳が望まずとも、正解は正しい方へと導いていく。いくつもある道からたった一つが選ばれる。選んでいるのは千歳じゃない。はじめから、それしか道はなかったというようにすべてが決まっていく。千歳はすでに決まった道をただ進んでいるだけだ。それには、自分が自分でなくなっていくような感覚すら覚える。
もし神というものがいて、それが千歳にこんな能力を授けたのだとしたら、きっとそれこそが間違いだ。
「我儘などではありませんよ。召喚された側として、その要求は当然のことです」
グラウクスの言葉で千歳は我に返った。
まずい。彼が口を挟むのは良くない。そう思って、慌ててグラウクスから神官長たちへと視線を移す。
「エスパンタリオ神官長、イリクリニス神官長、グリフィス神官長。私の提案を……お願いを聞き入れてはくれませんか?」
その問いの答えを、千歳はすでに知っていた。
◇◇◇
千歳の案が通った後、イリクリニスに何ができるか問われたグラウクスはやや不満そうに――言い方が癇に障ったらしい――しながらも文官としての知識や事務能力を挙げた。イリクリニスが鼻で笑ったせいでまた舌戦に発展しそうだったが、たまたま口を出した千歳により異常なほどに身体能力が強化されていることがわかって場が騒然とした。
思いきり剣で斬られてもかすり傷しか負わず、頑丈そうな柱を片手で破壊するほどの怪力を持ち、どれだけ走り回ろうと息切れ一つしない。
まさに怪物並みだ。グラウクスには何か――本人すら知らない能力があると知っていた千歳でさえ驚くほどで、あまりの凄まじさにから笑いが漏れる。
グラウクスが言うには、元の世界ではこんな力はなかったらしい。発覚したときは本人が一番驚いていたのでその言葉を疑うものはいなかった。この世界に来てから頭痛や胃痛、肩こり、その他諸々がなくなったと言うが、グラウクスが自覚する変化はそのくらいのようだ。……異常な力の方も気になるが、彼が元いた世界の過酷さが気になるのは千歳だけだろうか。ブラック企業で働いているサラリーマンみたいだ。
神官長たちによれば、グラウクスの力は召喚魔法による能力付与の一種だろうとのことだが、そうなると次に目を向けられるのは千歳とソフィアである。期待の目がプレッシャーを与えてきて、グラウクスではないが胃が痛い。ソフィアの方は顔が真っ青だった。
「…………」
「ソフィアさん、大丈夫ですか?」
俯いて肩を震わせるソフィアの近くに立ち、安心させるように背を撫でる。
周りの視線を遮ろうとしたが、千歳一人ではどうにもならない。なにせ、神官たちは遠巻きにだが周囲をぐるりと囲っているのだ。それでも、千歳が前に立ったことで幾分かマシになったのか、しばらくしてからソフィアは顔を上げた。
「……だ、大丈夫、です」
大丈夫とは思えない声だ。無理をしているとわかる分、逆に心配になる。
「わ、私は……その、申し訳ないのですが、たいした力もない落ちこぼれの魔女で……お祖母様の、大魔女ズィナミア・バド・ストレーガの孫のくせに魔力の少ない出来損ないで……っ」
それ以上は言葉にならず、ソフィアははくはくと苦しそうに息を吐き出すだけだった。
必死に自分は落ちこぼれだと言い募る姿が悲しい。彼女がいた世界を知らずとも、昔から誰かに言われ続けてきたのだろうとわかる言葉の数々は口に出した本人を傷つけているとわかる。
「貴様……確か、ソフィア・ストレーガと言ったな」
何と声をかけていいかわからず立ち尽くす千歳の代わりに口を開いたのはイリクリニスだった。
「元の世界ではどうだったか知らんが、私には貴様の魔力が少ないようには見えない」
「っ、……え?」
思いがけない言葉を聞いたというようにソフィアの目が見開かれる。彼女が咄嗟に向けた視線がイリクリニスと絡むのを見て、千歳はソフィアが誰かと目を合わせるのは初めてではないだろうかと思った。ソフィアは他人の視線が怖いのだろう。少なくとも、千歳がソフィアに会ってから彼女が誰の顔を真っ直ぐに見たのはこれが初めてだ。
「カミロの言う通りですね。私にもあなたに力がないようには見えない。あなたが魔力の少ない落ちこぼれだというなら、この国でも指折りの魔法使いであるカミロはこれから魔法使いを名乗れないでしょう」
「ミラン……それを言うなら貴様も同じだろうが。私たちが魔法使いを名乗れないと言うなら、ストレーガの世界の大魔女とやらからすれば、アビゲイルの使う魔法などは児戯に等しいだろうな」
「私を引き合いに出さないでくれる?」
どうやら、エスパンタリオとイリクリニスはアビゲイルよりも魔法が得意らしい。てっきり同じくらいだと思っていた。それでも、アビゲイルも召喚魔法を成功させたことから考えて、二人に比べると少し劣るといったところだろう。
「そんなはずありません……っ!」
神官長たちの軽口を封じるように、ソフィアの声が大広間に響いた。
さっきまでは目を白黒させていたが、やっとイリクリニスの言葉が頭に浸み込んだのだろう。理解すると同時に否定の言葉が口をついて出てしまったようだ。
「私は落ちこぼれです。出来損ないの魔女なんです! 偉大なお祖母様の血を継ぎながら低位しか得られない……っ、ストレーガの汚点なんです!!」
(苦しい。痛い。……胸が、痛い)
ソフィアの悲痛な叫びは千歳の胸を痛ませるには十分だった。初対面の相手なのに、こんなに感情移入してしまうのは不思議としか言えない。
なぜか、と自分のなかにある何かに尋ねてそれを知る。ソフィアから溢れ出した魔力のせいで彼女の感情が伝播しているらしい。魔力なんて言われても納得はできないが、千歳が納得できずとも答えは“それ”でしかない。自分の能力なのだからもっとわかりやすく説明してほしいと思わないでもないが、それは高望みというものだろう。
どうしても詳細を知りたいというわけでもない千歳はそこで思考を切った。
「貴様が何を言おうと、ここには貴様のいた世界を知る者はいない。そのように言い立てられても騒がしいだけだ。――異世界の基準は知らんが、この世界の人間からすれば貴様の魔力は多い。私がこう言ってもまだ否定を続けるか?」
イリクリニスの言葉にソフィアは沈黙を返す。
先程までの興奮が少しは冷めたようだが、イリクリニスに対して萎縮していないところを見るとすっかり元通りとまではいないらしい。イリクリニスの威圧的な態度もどうかと思うが、正直ソフィアの気弱さは話が進まなくて困る。少しくらい感情が高ぶっている方がいいと言うのも不思議な話だ。
ソフィアに口を開く様子がないことを確認し、イリクリニスは言葉を続ける。
「無様に己の弱味をさらす前にこの場にいる者の魔力を視ろ。自分も含めてな。魔法を扱うというならそれくらい可能だろう」
彼の助言――たぶん、助言だろう。かなり偉そうだし言い方は悪いが――を受けて、ソフィアは辺りを見回した。遠くを見ているようで視線が合わない。千歳にはわからないが、イリクリニスの言葉通りに魔力を視ているのだろう。
「……っ!?」
最後に自分の手のひらに目を落として、ソフィアは息を飲んだ。
「増え、てる……?」
呆然とした呟きは千歳のもとまで届いた。
グラウクスが異常なほどの身体能力を手に入れたようにソフィアも召喚を通して何かを手に入れたのだと考えると、彼女の言葉からそれが魔力であることは明白だ。少なかった魔力が増えてどう思っているかは本人にしかわからないが、素直に喜べるものではないらしい。自分の魔力を確認したソフィアの表情は複雑そうだった。
「魔力の少ない落ちこぼれ、か。これまではともかく今の貴様はそうは見えないが……それでも己を卑下するのか?」
“誰も貴様のことをを知らないこの世界で”と付け加える。
「……いいえ。いいえ、今このときの私は落ちこぼれではありません。私の世界は魔法が発達していました。この世界の魔法を詳しく知っているわけではありませんが、私の思う通りなら元いた世界の方が魔法は進んでいるでしょう。その魔法に関する知識と実践するだけの魔力――私がこの世界で誇れるのはそれくらいです」
自信満々とは言わないものの少しだけ誇らしげに、けれど最後はちょっぴり自信なさげにソフィアはそう言った。
続く言葉を聞いていると、やはり以前より魔力が増しているらしい。それもかなり。
グラウクスは身体能力の向上。ソフィアは魔力の増加。ならば千歳は……と、そう考えたのは千歳だけではなかった。
期待するような視線が千歳の身に突き刺さる。そういった目を向けてくるのはエスパンタリオの後ろに控えている神官たちが主だ。彼らはエスパンタリオ派なのだろう。異世界人の能力が神官長の進退に関わるのだから、こうして凝視されるのも仕方がない。……期待が重いけど。
「あー、ええっと……」
何となく気づいてはいた。自分の能力が増していることに。
きっと神官長たちの言う召喚魔法による能力付与の一種が、千歳には生まれ持った能力の増幅として現れているのだろう。ソフィアの事情を聞いて、能力を使うまでもなく確信した。
これまでの流れから考えるに、召喚した本人である神官長にも異世界人の能力はわからないようだ。そのことにどうしようもなく安堵してしまう。
――能力のことを話す。
それが正解。目の前に広がるいくつもの道のなかで最も正しい道。
「たぶん、私にはすごい能力とかないと思います。……なんか期待させてしまったみたいですみません」
そう言ってから、エスパンタリオに向き直り頭を下げた。
千歳に能力がなくて一番不利益を被るのは彼だ。申し訳なさ全開でひたすら謝る。そして、心の中で誰にともなく謝罪した。
――――どうやっても正解を選べない臆病な自分を許してほしい、と。




