マリーという少女
マリーは自身を不幸だと思ったことはない。
けれどマリーに集まる視線はいつだって憐れみと、不快さと、好奇心が詰まっている。
それらに悲しみはないけれど不便さを感じたマリーは、人里離れた森の中の小さな家で、日々のびのびと過ごしている。
※
コツコツと優しく窓を叩く音に、マリーは薄く瞼を開いた。
カーテンの隙間から溢れ光る朝日に照らされたそのエメラルド色の瞳は眩く輝いている。
「ふわぁ……もう朝……」
もうひと眠りしたいところだけれど、窓から響く音はいまだに続いている。
『おはようマリー。ほら、マシューの使いが首を長くして待ってるわ』
『……もっと遅くくればいいのに』
「おはようございます。エバ、イブ。――はぁい、今窓を開けますよっと」
かたん、と窓を開けると待ってましたと言わんばかりに白い鳥が部屋へと飛び込んできた。
その右足には手紙が括り付けられている。
「マシュー様も毎朝ご丁寧に……忙しいご身分なんだから。このお手紙を書いてくださる時間の少しでも睡眠に充てて欲しいです」
『それは同意ね。マシューは昔から頑張りすぎる気質があるから』
エバの言葉にうんうんと頷きながらマリーは右足から外した手紙をぱらりと開く。
“おはようマリー、体に変化はないかな?
僕は今から寝ます。
良い一日を。
次の休みの日に尋ねに行きます”
「…………」
この手紙を書いたのは明け方のはずだ。
それなのに今から寝るとは。
マリーははあっと大きなため息を落とした後、紙とペンを取った。
“疲労困憊のマシュー様。
私は何一つ困ることなく元気に過ごしております。
次のお休みが取れたのならば是非、休息を。
気休めかもしれませんが、先日作った茶葉をお付けしておきます”
マリーは手紙と共に小さめの瓶に入れた茶葉を白い鳥の左足に付ける。
「少し重いかもしれないけれど、ごめんなさい。マシュー様が起きられたくらいに届けてくださる?」
白い鳥の頭を優しくひと撫ですると、ぴいっと返事をして元気よく飛び立っていった。
『……マリーは優しすぎる。あいつは一度ぶっ倒れて痛い目を見ないと反省しないよ』
「あら、おはようございます、アーシュ。けれど残念、倒れても痛い目だと気づかないって前にエバが言っていました」
『阿呆じゃないか』
『アーシュ!恩人にその言葉はいけない!おはよう、みんな!』
「おはようございます、グレン」
『おはよぉ……みんな早いねぇ』
「おはようございます、ジェシカ――さ、身支度を整えて朝食にしましょう」
森に生きるマリーの平和な一日はこうして始まる。
※
今から10年前。
とある屋敷で悲惨な事件が起きた。
その屋敷にいた殆どが、犠牲となった。
後ほど発表された生存者はたった、6名。
―――その日、屋敷では夜会が開かれており、少なくとも使用人含め80名ほどの人間がいたとされている。
客人の中には子供も多く居た。
マシュー・サンチェスも招待されている貴族の一人だった。
婚約者と共に訪れるはずだったそこに――しかし彼は学業の関係で到着が遅れてしまい―――それが別れ道だった。
彼は今でも忘れない。
その惨憺なる有様は、とても人の世だと思えなかった。
多くの騎士や、警ら隊が走り回る屋敷の中に頼み込んで入れてもらった彼は、そのむせかえる様な煙や血の匂いにえずきながらも、婚約者の名を呼びながら進み続けた。
広間に近づくほどに増える横たわった人々に生の気配はなく。
「ダメだ!広間は……」
「耐性のあるもの以外は中に入れるな」
「身元確認をどうやって―――」
「おい!中庭に子供達が集まっていたらしい!何人か着いてきてくれ!」
その言葉に、マシューは我先に走り出した。
何度か訪れたことのあるその屋敷の中庭など、誰に場所を聞かずとも向かうことができたから。
どうか、どうか生きていて欲しいと願うたった一人を心に思い浮かべながら。
「あ、君!ここより先は――」
「婚約者がいるかもしれないんです」
マシューを止めようと身を乗り出した騎士はその一言にそっと後ろに下がった。
「……期待は、しない方がいい」
「…………」
忠告に、返事を返す余裕もなくマシューは震える足を前へと進める。
「………っう」
中庭の、ガゼボがあったその辺り。
何人の、何人の子供がいたのだろう。
それさえ分からない程に、原型を留めていない人だったものがそこらに散らばっていた。
赤黒く染まった芝生に、点々と落ちているそれが人だったと、子供であったとマシューは信じたくなかった。
「どうして、こんな……っ」
一度、マシューは盛大に嘔吐した。
胃にあった全てを、吐き出した。
何人もの騎士が居たが、それを咎める者は無く。
血溜まりの中で、己が婚約者の特徴を残した右腕を拾い上げた時、彼は自分が地獄に来たのだと、そう思った。
「―――っ」
そんな彼の耳が、風に溶けてしまいそうなほどの小さな声を拾ったのは奇跡であっただろう。
ふらふらと、婚約者の右腕を大事に抱えながらマシューはその音を辿った。
「――……ぁ」
辿り着いたのは、一人の少女だった。
血溜まりの中に、横たわる少女。
少女の四肢は無く、その顔を見れば左目辺りも潰れてしまっていたが―――微かに動くその胸は、確かに生きている証だった。
「あ、あああ!せ、せい、生存者!!生存者が居ます!!」
マシューのか細い悲鳴の様な声に騎士たちが一斉に集まってきた。
けれど、少女のその有り様を見て。
「長くは持たないだろう――楽に、してやった方が良いのでは」
「……っ苦しませるのは酷かもしれませんね……」
誰もがその命を、諦めようとしていた。
―――ただ一人、マシューを除いて。
腕に抱く右腕を見る。
綺麗に、残った彼女の証。
その綺麗な指先が、マシューに語りかけている気がした。
少女に止血魔法を掛ける。
「……形が、形が残っている左腕と、両足――できれば少女と近しい体型のものを」
ぶつぶつと呟きながらマシューは地獄の中を歩き回り、その様子に騎士達は悲しみのあまりおかしくなってしまったのだろうと思った、が。
――暫くしてマシューは見つけられた体の一部を持って微かに呼吸を続ける少女に近寄った。
そうして最後に、少女のすぐそばに落ちていた少年の頭部に何ごとか囁くと、左目を抜き取った。
マシュー・サンチェス、当時15歳。
後に医療魔法の天才と呼ばれる彼が人生で初めて行った手術魔法。
それによって助けられた少女。
それがマリーだ。




