閑話 さあどうかしら?
「リク!!」
「ハンナ!」
二階の部屋からから聞こえる声に私達夫婦は顔を見合せて微笑む。
「上手くいったみたいね」
「そうみたいだな」
夫も嬉しそうだ。
彼もリク君を昔から気に入っていたから気持ちは分かる。
「全く、ハンナったら奥手なんだから」
「それがハンナの良いところでもあるだろ」
「そうね」
ハンナは母親の私が言うのも変だが、昔から綺麗だと思う。
髪や体型は私似で、顔の彫りは日本人の血が強く、夫に似ていた。
「どこまでが計算だったんだ?」
トーストにピーナッツバターを塗りながら夫が聞いた。
「何が?」
「リクの事だよ、ずっと彼がハンナの恋人になればと考えていたんだろ?」
「どうかしら?」
夫の質問はその通りだけど、あっさり認めたく無い。
素直になれないのは昔からだ。
それでも幸せになれたのは夫と結婚したからなのは間違いない。
「相変わらずだな」
「お互い様でしょ」
素直じゃないのは夫も同じ。
こんな二人が結婚出来た理由、それは私達を結びつけてくれた恩人が居たからなのだ。
「リュウジに会いたくなったな、メールや電話じゃなく、直接伝えたいよ」
「そうね、私もイクコに会いたいわ」
リュウジとイクコ。
それは私達夫婦の大学時代の同級生で恩人、山崎隆二と郁子夫妻。
つまりリク君の両親だ。
「少しは恩返し出来たかな?」
「それは大丈夫よ、話を聞いた時はビックリしたけど」
半年前、夫の元に届いた一通のメール。
日本に暮らすリュウジからだった。
[すまないリック、折り入って相談したい事がある...]
夫はそのメールにただならぬ物を感じた。
直ぐに電話をリュウジに入れリク君に起きた事態を知った。
「リクが大変な事になってるんだ」
リュウジから話を聞いた夫は直ぐ職場に居る私の携帯に事態を伝えた。
余りのショックにその日の授業は散々だった。
仕事が終わり、私はイクコの携帯に連絡をした。
『どうして私に相談しないの!!』
『だって貴女に心配を掛けたく無かったから...』
イクコの声は暗く、私の知る天真爛漫な彼女の物では無かった。
その後私達は頻繁に連絡を取り合い、自宅に引きこもっていたリク君をこのカナダにホームステイさせる事となったのだ。
「しかしハンナがあんなにリクと仲良くなるとはな」
「あら、私はハンナなら間違いなく恋に落ちると思ったわ」
「そうか?ハンナにボーイフレンドは何人か居たけど、直ぐに別れてたから恋愛に興味が無いかと思ってたよ」
「ハンナのあれは本当の恋愛じゃなかったの、周りに流されて恋してるつもりだっただけ。
だから長続きしなかったの」
「そんな物か?」
「だって私の娘ですから」
「そうだな」
夫は笑顔で私を見る。
私もそうだった。
沢山の恋愛を繰り返したが、満たされないままだった。
結局は全ての恋は上手く行かず、違う世界に嵌まった。
「スーザンやジャニスまで巻き込んだのは?」
夫が話を変えた。
あの二人の事も心配してたからね。
「巻き込むなんて、ただ見ていられなかったのよ」
両親の不仲に悩んでいたジャニス。
家に帰りたがらず、私達の家に頻繁に泊まっていた。
彼女の両親はお金だけを渡し、自由にさせていたが、逆にジャニスは孤独を深めてしまった。
愛情に飢えたジャニスは沢山の男と付き合っていた様だが、そんな物で心は埋められたりしない。
そんなジャニスを心配したハンナは自分の趣味に彼女を誘った。
結果、ジャニスの行動は収まったのだ。
スーザンもだ。
現在一緒に暮らしている彼女の父親は実の父では無い。
母親の浮気が原因で実の父は母親とスーザンを捨てた。
それでも奔放に恋を楽しむ母親にスーザンは悩んでいた。
『自分にも母親と同じ血が流れている。
本当の恋は出来ない』
そう思い込んだスーザンは中学を出た頃には沢山の男と行為を楽しむ様になっていたそうだ。
まるで自分の心を壊す事を望んでいる様に。
そんなスーザンと高校で出会ったハンナは彼女を心配し、自分の趣味に彼女を誘った。
スーザンとセックスの時間を取られた男達はハンナもろとも襲おうとしたらしいが...
何度も警察に行ったわ。
全くあの娘はカラテ道場の人達まで駆り出して....お陰で町は安全になったけど。
「あの子達はリクを忘れないぞ?」
「そうかもね、でもあのままじゃ彼女達を待っているのは破滅だったでしょ?
だから必要な経験だったのよ、失恋もね」
「ハンナは恨まれたりしないか?」
「大丈夫、ジャニスとスーザンも分かってる筈よ。
それにリク君はいつまでもここに居られないと分かってるし」
「今年には帰ってしまうんだな...」
夫は寂しそうにコーヒーを口にする。
本当は息子が欲しかったんだ、言わないけど知ってるよ。
ハンナを産んだ後、私は女性の病気に掛かり、子供を望めない身体になった。
仕方ない、それも運命だ。
「リク君を息子にしちゃえば?」
「お...おい、なんて事をリクはリュウジの大切な息子だぞ?」
夫はコーヒーを噴き出しそうになりながら笑う。
「養子じゃないよ、分かってるでしょ?」
「...ハンナをか?」
「あの子は本気よ」
「まさか...まだ何も無いだろ?」
「今日まではね、先はこれからよ」
「...リュウジと直接話をしないとな」
夫の目に強い力が宿る。
私の大好きな目。
日本の大学に留学していた私が恋に落ちた貴方の目....
「3月の春休みに、一緒に行きましょ?」
「良いのか、そんなに休みは長く無いだろ?」
確かに学校の春休みは一週間程しかない。
日本に行ったら休みは全部無くなる。
「イクコにも会いたいし、お義父さんのお墓参りも兼ねてね」
「リクの事も話し合わないとな、こっちに残ってくれたら良いんだけど」
本音を洩らす気持ちは分かるよ。
その前にリク君の高校や、進路の事、決めないといけない事が山程ある。
「ヤマサキさんの意向もあるでしょ、私達だけじゃ決められないわ」
「そうだな、元気になったリクを見たら考えが変わるかもしれんな」
まだ何も話して無いのに、イクコがビックリするわね。
「そろそろ行くよ」
夫は静かに立ち上がる。
時計は7時30分を指していた。
「私もそろそろ二人を呼んで来るわ」
「邪魔しないようにな」
玄関で夫が釘を刺す。
何で分かったの?
「そこまで邪魔しないわよ」
「どうだか」
夫はニヤッと笑いながら家を後にする。
扉が閉まったのを確認してから、私は足音を忍ばせながら階段を上がった。
「さて...」
リク君の部屋から聞こえる小さな声、まだハンナはリク君と一緒に居るのか。
やるわね、わが娘。
「ハンナ!リク!朝食の用意が出来たわよ!!」
「ちょっとママ!?」
「あ?え?」
部屋の中から二人の慌てた声が聞こえる。
ちょっとやり過ぎたかしら?
でもドアを開けなかっただけマシでしょ。
「あのリクを起こそうと」
「え、ええ僕寝過ごしたみたいで」
ドアを開けた二人がなんだか苦しい言い訳してる。
寝過ごした人がちゃんと着替えてる筈ないでしょ。
それに、
「ハンナ、髪が乱れてるわよ」
「あ?え?」
慌てて髪を押さえるハンナだけど、服に乱れは無い。
そこは自制したか。
「リク君、口紅」
リク君の唇に口紅が着いていた。
ハンナ、もっとお化粧の練習しなさい、付けすぎるからこうなるのよ。
「嘘、待って下さい、これは...」
顔一杯に汗を掻きながらリク君が何か言ってる。
ハンナは...あらら固まっちゃったか。
本当にウブね。
「...おめでとうハンナ、リク」
そっと二人の背中に手を当てた。