第三十九話 命の恩人
はてさて、取引の結果はどうだったのでしょう!
長篠の戦いから戻った羽柴秀吉は帰還初日まで妻であるおねねさまが城主代理として仕事をしてくれていたが、翌日以降おねねさまは仕事の大半を秀吉に押し付け、今となっては完全にお任せ状態だ。
最初の数日はそれでも戦で長浜を留守にしていた一月の間ずっと任せていたので休ませようという気持ちもこめてそれを見逃していたようだったが。
「七日以上顔も見せぬとは何事じゃ!?」
「また女のところにでも行かれたのですか? 秀吉様」
「平馬! お主までわしをそのような扱いに……」
「いや、ならない方がおかしいかと」
秀吉は七日以上、仕事中はおろか夜も寧々子に会っていないので不満が爆発しそうであった。
「というか、佐吉もどうしたんじゃ。一昨日くらいから平馬に仕事全部押し付けて……まさかあの噂は本当じゃったのか」
「噂というと、おねねさまの浮気相手が三吉ではないかというあの?」
「そうじゃ! わしがねねに痛い目を見せられる前にあったあの噂。あんなことまでしたからねねにそういう気持ちはないと思っていたのじゃが、あの二人は顔を合わせて以降すいぶん親しいじゃないか……」
まぁ、三吉とおねねさまは中身が未来人だからなぁ。
事情を知っている身としては多分違うと分かるが、確かに全く知らぬ人間からすればそう見て取られてもおかしくはないだろう。
しかも仮にも結婚済のご婦人が若き男と頻繁に会っていたり姿を消していたら尚更だろう。
今度、三吉に一言注意しておくか。
「しかし秀吉様は戦の最中であること関係なくおねねさまに甘えて仕事をさぼりすぎかと思われます。ここらで数年分の仕事をしないとそれこそ見捨てられて家が潰れてしまうかもしれませんよ」
「平馬……お主もわしに辛辣すぎんか? まぁ、確かに頼りすぎている自覚はある……普通の妻以上の働きをしてくれておるし、もはやわしの家臣たちも時々ねねの命令を優先して聞いておる気がするしな」
「それは虎之助殿と市松殿のお二人だけでは」
「今ここに居ない時点で佐吉もじゃ。それに、領内にいる間は他の者もそうな気がする」
言いながらどんどん落ち込んでいく主を俺はため息をつきながら慰めた。
僕は寧々子殿が訪れた日から自宅療養としてずっと自分の家に引きこもっていた。
一応翌日秀吉様の元へ参じようとしたのだが、どこかへ出向く様子であった寧々子殿と佐吉殿が待ち構えており、自宅療養を命じられた。
息子の相手をするだけでも大変である妻に自分のことまで面倒を見させるわけにはいかないと妻にはもうしばらく実家にいるように使いは出しておいた。
おかげで一人の時間ができ、読書にふける日々だ。
「暇とは、いいものですねぇ」
用意していたお茶に口をつけ、茶菓子をほおばる。
素晴らしい休日だ。
そう、休日を堪能していたところに側に置いていたワープの媒体である羅針盤が光る。
すると上空から二つの影が落下してきた。
影の一つは手慣れたように宙で受け身の姿勢へと変え、もう一つの影を姫を抱きかかえるような形で受け止めて半兵衛がいる屋敷の庭へ着地した。
庭にひと際大きな風が舞い上がる。
「――わーぷにもずいぶん慣れましたね」
「おかげさまでね」
大の男一人を姫のように抱きかかえながらニヤリと自信満々に笑みを浮かべる主の嫁の姿に、そういうことを軽々やってしまうから筋肉がつくのだと思う、という言葉を飲み込んで優しく微笑む。
「どこかへお出かけだったのですか?」
「家康様の元までちょっとね」
寧々子殿は言いながら佐吉殿を下ろして懐をガサゴソと探りながらこちらへ歩み寄ってきた。
「はい。これ」
「なんです? これは」
「薬よ」
ポン、と僕の手のひらに乗せられた壺。
薬であると言われたそれに、一瞬ポカンとするものの数日前のことを思い出して一瞬目が輝く。
「それって……」
「家康様と取引したわ。あなただけに使うもので、同じ病の人がいても誰にも使ってはダメよ」
「取引? 大丈夫なのですか、それ」
「ええ」
ニコ、と完璧な笑顔を見せる。
隙の無い、何も言わせるつもりのない笑顔。
何も知らぬ者ならばそれで安心するのかもしれないが、僕の直感が警鐘を鳴らしていた。
「……いくらだったんです? これ」
「……決して安くないから、あなたにしか使わない。それを二か月間、ここで療養しながら飲みなさい。これは命令です」
命令をつけて僕に療養させてしかも僕にしか使わずない。さらに正確な価格を濁す。
ああ、きっと僕のために何か取引をしたに違いない。
でもそれを追求されたくないということは、寧々子殿にとって不利な内容だったのだろう。
そこまでして、僕を。
「――――ありがとう、ございます」
それしか言葉が出なかった。
きっと僕が強く追求すれば彼女は詳細を吐くだろう。
でもここまでかたくなに語るつもりがないということは、未来を知る彼女にとってそれだけ大きな取引をしたに違いない。
同時にそれだけのことをする価値が僕にあるとも読みとれる。
自分にどれだけの価値があるのかも、後世でどんなふうに自分のことが伝わっているかも今生きている自分には分からない。
さらには本来の死期から延命させたことでこの先なにかよからぬ運命になる可能性さえあるのだ。
そこまで考えているのか、果たして分からないがそれでも今ここで彼女は僕にとって命の恩人となった。
僕は受け取った薬が入った壺を胸に寄せ、顔を伏せながら大事そうにそれを己で包み込む。
頬に何かが伝うのを肌で感じながら、僕はもう一度「ありがとうございます」と声にならぬ声を発した。
読了ありがとうございます。
ブクマ・pt感謝です! 引き続きよろしくお願いいたします。
明日はお休みで、火曜更新となります!




