退場したはずの世界に、なぜか呼び戻されました
「……なんで?」
通称、移動要塞と呼ばれている戦闘艦シルバスタ。ここはあたしのよく知る艦の甲板だ。
ぼうぜんとあたりを見回すと、そこには懐かしい面々の顔があった。
この艦の副官であるカタリナ中尉、やんちゃで突拍子もないことをするのに憎めないスヴェンさん、優しいけれど真面目なハロルドさん、いつも悪巧みをしては副官に怒られているロニーさん、小柄で可愛らしい艦内のマスコットのような存在のミレーヌ。同じく艦内のアイドル的存在のレオナ、スヴェンさんに片思いをしているドロシーに、その姉のモリーとテレーズ。
そして眼前には、愛しくて――だが、もう二度と会いたくなかったマツモトさん。
「なんで……あたしはここにいるの?」
それは誰かに問いかけたものではなかった。彼らにたずねたところで、答えられるはずがないことはわかっていた。
「あたしは、ここにいるはずがないのに……! どうしてここにいるの!? どうして!?
あのひとたちはどうなったの!? ダメだったの!?
ああ、どうしよう……! どうしたらいいの……!?」
パニックになったあたしはその場に崩れおち、マツモトさんに意識を落とされるまで錯乱していた――らしい。
目が覚めると白い天井が見えた。何度か見たことがある、医務室だ。
あたしは身を起こすと、すぐにベッドの上で正座をして頭を下げた。
「お騒がせして申し訳ありませんでした」
土下座というやつである。
「……顔をあげて。お名前を伺っても?」
「はい……イツミです」
カタリナ中尉の声にあたしは顔を上げた。介抱してくれていたらしいマツモトさんとカタリナ中尉はあたしの様子に困惑して顔を見合わせている。
(この二人が一緒に居るのは珍しいな)
だが、過去に二人が行動を共にすることが少なかったのは自分のせいだ。胸の痛みを表に出さないようにしながらカタリナ中尉を見つめた。
「オレはマツモト。パイロットだ」
「私はカタリナ。階級は中尉、この艦の副官をしているわ」
「よろしくお願いします」
自己紹介をしてくれる二人に返事をしながらあたしは胸を押さえた。二人の中にあたしの記憶はかけらも存在していない。あたしはみんなのことを覚えていても、二人はあたしを知らないのだ。二人だけでなく、みんなも。
ということは、あたしは奇跡を起こせたということなのだろうか? ではなぜ、あたしはここにいるんだろう。
「それで……どうしてあたしは、ここにいるんでしょう?」
あたしの問いにマツモトさんが気まずそうな顔をしたので首をかしげた。
「あの?」
「あー……女の子がほしいって願いを、ちょっと」
「馬鹿なのよ、この男は。女好きでどうしようもない男なの。
ごめんなさいね。突然知らない場所に呼び出されて驚いたでしょう? なんだったらあなたの自宅まできちんと送り届けますから」
「え……いえ、大丈夫です。あたしには帰るところとか、ないので」
迷った末にそう答えると、二人がそれぞれ気まずそうな顔をした。
「それで、あの……ご迷惑じゃなければ、雇ってもらったりできますですか? 履歴書とかちゃんと書きますので。
無理そうなら近くの人里で降ろしてもらえれば大丈夫ですし」
「……艦長に交渉してみるわ。とりあえず、今日は休んでね」
カタリナ中尉は考え込みながらうなずいた。
「おーい、マツモト! どうだった?」
「おう」
医務室を出ると、待ち構えていたらしいスヴェンがマツモトに手を振って近づいてくる。ドロシーもスヴェンの隣に並んで歩いていた。
「たぶん、体調は問題なさそうだ」
「お前がいきなり首締め出すからびっくりしたよ。女の子になにしてるんだ」
「……いや、あのままだと自傷とかはじめかねない錯乱っぷりだったから、つい頸動脈を」
「お前はやることがいちいち乱暴だ。ロニーが医務室へ鎮静剤を取りに走っていたところだったのに」
「あ……そうだったか。悪い」
ドロシーにぎろっとにらまれて、マツモトは肩を縮めた。彼女の言うとおり、とっさとは言え女性に手をあげたことをマツモトは後悔していた。
「まあまあ、マツモトもこういうことには慣れてないからパニックになっちまったんだよ。俺だって何もできなかったし、許してくれよ」
「別に私は怒ってません」
スヴェンに言われてドロシーがむすっと黙り込んだ。それに苦笑してからスヴェンはマツモトをちらっと見る。にやにやと笑っていた。
「それで?」
「なんだよ」
「決まってるだろー! 可愛い子じゃん、口説けそうか? 押し倒せそうか?」
うきうきと言うスヴェンにドロシーの目が鋭くなる。スヴェンが隙あらば口説きに行くことが予想できたのだろう。
ドロシーの様子を見てスヴェンに爆発しろ、とマツモトはつぶやいた。
「で?」
「あー、どうだろうな」
「なんだ? 話したんだろ?」
「いや全然。自己紹介してカタリナ中尉と話して終わりだ」
「なーんだ」
スヴェンがあからさまにがっかりしたが、ドロシーが眉を寄せた。
「暴行を加えられて気絶していた一般人がやっと目を覚ましたってときに、質問攻めなんてカタリナ中尉がさせるわけがないでしょう。
しかしめずらしく空気を読んだな、マツモト」
「ん?」
「いつものお前なら、病み上がりだろうがなんだろうが口説き始めそうなものだけどな」
ドロシーの言葉にマツモトは一瞬言葉につまり、すぐににやっと笑った。
「そんなことないぜ。あそこで寝てたのがドロシーちゃんだとしても、オレは病み上がりの女の子に無体を働く気なんてないぜ」
「……そう言いながらスカートをめくるやつに説得力があるかッ!」
「タイトスカートってやつだとそよ風のいたずらってやつがなくてつまらないよなあ」
「何言ってるんだマツモト! タイトスカートは履いてるのに尻の形が丸わかりの素晴らしい着衣だろ!」
「それもそうか!」
「お前ら本当に! 最ッ低! なんだから!」
「わはははははははは!」
ドロシーの平手を頬に受けたマツモトがその場を逃げ出した。ドロシーはそれを追いかけることなく、スヴェンを振り仰いだ。
「……頸動脈を絞めたことをちゃんと彼女に謝ったのか聞きそびれました」
「マツモトのことだぜ、そのあたりは絶対大丈夫だって。
それよか、あんなに必死に術式を使ったのに、なんか消極的だな」
「マツモトが彼女に粗相していないなら、あとはどうでもいいですよ。
それはそうと」
ドロシーは体ごと振り向いてスヴェンと向かい合う。
「スヴェンさんは私のお尻がお好みですか」
「え、いやもうちょっと肉付きの良い方が……」
スヴェンが冷や汗を流しはじめる。
「私のお尻を触りたいと思って見ていたわけではないんですか」
「ない! そういう目では見てないからッ!」
言ってその場からスヴェンが逃げ出した。ドロシーは追いかけるのをあきらめてため息をつく。そして自分の下半身を見下ろした。
「もうちょっとお尻にお肉……どうやってつければいいのかしら」
休んでいいと言ってもらったけど、特に体調が悪いわけじゃない。それよりも確かめたいことがある。
あたしはそっと医務室を抜け出して艦を下りる。彼らは初めてだと思っているだろうが、あたしにとっては何年も慣れ親しんだ艦だ。出口の場所も、認証がなくても出入りできる場所もよく知っている。
(なにしろ、元スパイだものね……)
この艦の通路や通風口、作業員用の出入口、あらゆる場所を網羅している。大きな艦だからすべてを覚えることはできなかったが、いくつかはきちんと把握できている。
外部確認用の小窓から外をのぞくと、予想通り艦は一時的に停止していた。おそらく補給のために町に停泊中なのだ。こうなると、普段ならば発艦するのは夕暮れか夜だ。
「すぐに戻ってくれば大丈夫だよね……」
あたしはつぶやいて、艦から飛び降りる。三メートルほどの高さから飛び降りることになったため受け身を取ったものの膝がしびれた。しばらくその場でうずくまって耐えて、すぐに町へ下りる。
目指したのは図書館だ。見たところ大きな町だ、こういうところの図書館は調べ物のために回線が自由に使えるようになっている。
予想通り、図書館には自由に使用可能な端末があった。あたしは一番奥まった場所の端末を確保すると、検索をかける。まずは、グランセルのサイトへとぶ。
(あいつが生きてたら……)
あたしの目論見は失敗だったことになる。だが、幸いにして役員図の中にあたしの敵――ロベルトの名前はない。
そのことにほっとして、次の目的へうつる。この世界で、あたしが暗記している識別番号でログインできるかわからないが――
端末を操作する手が震える。これでログインできなかったら、直に確かめに行くしかない。
「入れた……」
ログインしたのは、国民一人ごとに割り振られる識別番号から入るマイページだ。税や健康保険に年金、そういったものをここで一元管理している。
あたしは父の識別番号を入れてログインしていた。かつては、これを使って家族全員の無事を確認していたのだ――
(生きてる……)
父は健在だった。続いて母、姉と識別番号を入れて全員の無事を確認する。在住地も変わらない。
もう大丈夫だ。彼らは大丈夫だ。一番恐れていた事態は去った。あとは、この戦争を終わらせるために全力を尽くせばいいだけだ。
家族のものとはいえ、まがりなりにも不正アクセスである。長く見ているのは危険だからすぐに端末は閉じて履歴などは消したが、安心のしすぎで力が抜けた。座っていた椅子からずり落ちながら、息を吐いた。
涙があふれそうになるのをぐっとこらえて、勢いをつけて立ち上がり、ふたたび椅子に腰掛けて端末に手を伸ばす。今度入れるのは自分の識別番号だ。
――ログインエラー
「やっぱり、ないか……」
あたしの存在はこの世界から消え去っているということだ。わかっていたことだけど、やっぱり落ち込む。
「なにがないんだ?」
「ひっ」
悲鳴を上げそうになったところだったが、すかさず口をふさがれた。力ずくで押さえられたわけではない。おそらく、ここが図書館だからこその配慮だ。
(これでも元スパイなのに……)
後ろに人がいることにまったく気づかなかった。そのことに愕然としながら、そっと振り向いた。
顔を動かしたときに、あっさりと口元にあった手は離れていく。
「マツモトさん……」
「よう」
さすが元傭兵というべきなのか。一般人から即席スパイになったあたしとは格が違うんだろう。
「なにしてた?」
その笑顔を見て思わず肩がはねた。かつて見慣れたマツモトさんの笑顔だ。
――疑われていたときに、こういう表情で見つめられ続けていた。
「え、その……自分の識別番号を入れてみたんですが、やっぱりなくて」
あの笑顔がゆるんですっと真顔になっている。
「その前は? 何してた?」
「家族の無事を、確認してました……」
正直に答えた。すでにこの世界であたしと家族の縁はひとつも残っていない。だから正直に言っても嘘をついてもこの世界ではあたしの言葉は虚言になる。
「……家族がいるのか?」
「家族が『いた』んです。今はもういません。
あ、でも無事は確認できたのでご安心ください」
「どういうことだ……?」
マツモトさんが困惑の表情でこちらを見ていたが、なんと説明したらいいのかわからないので少し迷った。
「説明する前に、シルバスタに戻りましょう。たぶん、時間がかかるので」
あたしは端末を閉じると立ち上がると、マツモトさんは無言でついてきた。
「あの、どうしてあたしが抜け出したことがわかったんですか?」
「カタリナ中尉に休めと言われたときにうなずかなかったからだ。あんた、自分が思ってるより正直だ」
「正直?」
「あんた、罪悪感が顔に出る」
その言葉に息が詰まった。
(普通にしていたつもりだった、のに)
今はもうスパイではない。スパイなどしなくてもいい。
でもどうあがいても、あたしはマツモトさんに疑われ続けることになりそうだ。
これ以上先を書くことがたぶんないので、ここで完結表示にします。
いつか書けたら良いなあと願いつつ。
ありがとうございました。