第114話:理論の外側
応用課程・第七演算室。
壁一面に並ぶ魔導投影板に、複数の数式と波形が映し出されていた。
淡い光の粒子が線となり、歪みとなり、また消える。
「本日の実習課題だ」
講師が淡々と言った。
「各班に配布するのは、律異変発生地点の残滓データ。
解析し、既存理論で説明可能かを検証せよ」
ざわ、と空気が揺れる。
律異変。
それだけで、教室の温度が一段下がったように感じられた。
アランは、無言で投影板を見つめる。
数値、振幅、魔力密度――どれも見覚えのある項目だ。
だが。
(……おかしい)
光属性反応の基準値には、確かに近い数値を示している。
しかし、収束の仕方が理論と一致しない。
「これ、光の減衰率が合わないわね」
隣で、リリアが眉をひそめた。
「理論値より、歪みが“遅れて”出てる。
普通なら、先に崩れるはずなのに……」
研究班の一人が、首をかしげる。
「闇属性反応じゃないのか?
いや……でも、闇特有の侵食パターンとも違う」
その言葉に、教室の視線が一瞬だけ集まった。
アランは、内心で小さく引っかかる。
(闇属性……?)
闇は、何に作用するのか分からない。
どう歪ませ、どこへ向かう力なのか――
理論として説明できない。
それなのに。
(“反応”って、どういう意味だ)
講師が、静かに首を振った。
「断定不可だ。
闇属性反応と記録された事例は、過去にも存在するが――」
投影板に、古い観測記録の一部が表示される。
そこに並ぶのは、乱れた数値と、意味を持たない振幅。
「当時も、作用は解明されていない。
ただ、通常の属性分類から外れた乱れが観測されたため、
便宜上“闇属性反応”と記録されただけだ」
教室に、わずかなざわめきが走る。
「つまり……」
誰かが言いかける。
「名前は付いているが、
中身は分かっていない、ということですね」
「その通りだ」
講師は即答した。
「だからこそ、これは――
どの記録とも一致しない」
アランの指が、無意識に止まる。
(一致しない)
光でもない。
闇とも言い切れない。
研究班の誰かが、小さく息を呑む。
「理論の外、ってことか?」
「ええ」
リリアは、ゆっくりとうなずいた。
「魔法は理論で再現できるもの。
でも、これは……再現されていない」
アランの胸に、微かな違和感が走る。
山脈で見た律の歪み。
溜まり、噴き出し、名を持たぬまま暴れた存在。
(誰かが……集めていたとしたら?)
光導槍の感触が、脳裏をよぎる。
拒まれなかった。
だが、導かれもしなかった。
「アラン?」
リリアの声に、我に返る。
「どう思う?」
アランは、少しだけ考えてから答えた。
「……敵意は、感じない」
周囲が、わずかにざわつく。
「でも」
アランは続ける。
「理解できないものは、
放っておくといつか歪む」
講師が、その言葉を拾った。
「良い視点だ。
帝国が律を管理しようとする理由でもある」
一瞬だけ、空気が張りつめた。
管理。
制御。
説明可能であること。
(説明できないから、排除された)
ふと、アランの脳裏に、
水晶に手を置いたあの少年の姿が重なる。
――珍しいだけで価値があるか。
誰かが、そう切り捨てた。
(もし、理論から零れ落ちたものが……
それでも、存在しているとしたら)
アランは、投影板を見つめ続けた。
そこに映るのは、
光でも闇でもない、名を持たぬ痕跡。
だが確かに――
誰かの“手”が触れた痕だった。
謎は、まだ形を持たない。
けれど、
理論の外側に何かがあるという事実だけが、
静かに、確かな輪郭を帯び始めていた。




