馬鹿王子、師を得る その十六
何本もの光の柱が眩いきらめきを放ち、それが消えた後には、不死人形は一体残っていなかった。
灰が風に吹き散らされていく。
「ば、ば、ば、馬鹿者! 父まで巻き込むつもりかぁ!」
茶色い髪の少女が膝を震わせながら叫ぶ。
「心配しなくても、ちゃんと巻き込まないように調整したわよ。やっぱりその方、あなたのお父上だったのね。――いえ、そんなことよりも!」
「そんなこととは何じゃ、そんなこととは!」
言い募る少女を華麗に無視し、先ほどの大魔法を放った人物――銀色の髪の美女が、まっすぐ僕に目を向けた。
「マルグリス様! 何故このようなところに!?」
「リエッタ……。いや、それはこちらが聞きたいんだが。どうして君がこんなところに?」
僕が尋ねると、リエッタは深々と頭を下げ、言った。
「申し訳ありません、マルグリス様! 父から聞きました。マルグリス様があのようなお振舞いをなさったのは、私たちを救うためだったのですね」
あー、さすがはユグノリア公と言うべきか。事情を見抜いたみたいだな。
僕は気まずい思いで頷いた。
「あの、レニーも。その、ありがとう」
いささか言い辛そうに、リエッタがレニーにも頭を下げる。
「……別に礼なんかいらないんだけどね。ちっ! そりゃあ、マグを追いかけて来るくらいの根性見せてみろよとは思ってたけどさぁ。いくら何でも早すぎない? もうちょっとでシャロ―フォードに着くところだったのに」
レニー、そんなことを考えていたのか。
普通に考えたら、たとえ真相を知ったとしても、公爵家令嬢のリエッタが僕を追いかけて来るなんてありえない――というのは、やはり僕が甘かったのだろうか。
今の僕は非常に微妙な立場だし、できることならこれ以上リエッタを巻き込みたくはないのだけれど。
「里帰り? すればいいじゃないの。何なら、私とマルグリス様もご一緒してもいいわよ。その後は、マルグリス様にはエリシオンに来ていただきますけれど」
はい!? ちょっと待ってくれ。
何で僕がエリシオンに行かなきゃならないんだ?
その思いは、レニーが代弁してくれた。
「何勝手に決めてるんだよ! マグはうちの両親に挨拶した後は、冒険者としてあたしと一緒にやっていくんだ。身分違いの恋ってやつだよ。諦めな、お・じょ・お・さ・ま♡」
「はあ!? ふざけないで、この泥棒猫!!」
「待て待て待て! 喧嘩はやめてくれ!」
僕は思わず二人の間に割って入った。
「マグ、あたしと一緒に冒険者になるんだろ? 唇まで奪っておきながら、リエッタが追いかけてきたら尻尾を振ってついて行くつもりかい?」
「く、く、く、唇!?」
ああ、駄目だ。収拾がつかない――。
そう思ったところへ、氷のような声が聞こえた。
「マグ、お前、レニーのことを恋人だと言っただろうが。――俺がこの世で一番嫌いなものは何だか知っているか?」
ちょっと、アルバートさん、目が怖いですよ。
「魔王のことはお嫌いだろうと思っていましたが、他にも何か?」
つとめて冷静を装って、そんな風に言ってみる。
「ああ、たしかにメディアーチェは大嫌いだがな。その次に嫌いなのは、二股三股かける女誑し野郎だ」
ちょっと私怨とか嫉妬とかが混じっているように思えるのですが……、などと口に出来るわけもない。
「いえその、これには事情が……」
「どんな事情だ。いや、そもそも、お前は何者なのだ? 王都の衛兵隊長とやらよりも立場が上らしいから、名門貴族のボンボンあたりかと推察はしていたのだが……」
「マルグリス様は、王家に連なるお方で、私の婚約者です。――初めまして、リエッタと申します。さる貴族の娘です。それ以上は詮索ご無用に願います」
旅装のリエッタが、ドレスを翻すかのような優雅な礼を取る。
アルバートさんも気を吞まれたようだ。
「あ、ああ。そうなのか。ならばなおのこと、二股は許されんだろう」
「マルグリス様が側室を持たれることにまでは、とやかく申し上げる気はありませんよ」
「誰が側室だよ、誰が」
「別にあなたに限ったことではありませんけれどね」
「ふっざけんな!」
ああ、また収拾がつかなくなってきた。
「えーっと、そちらの方がアルバートさんたちの娘さんなんですか?」
決して話を逸らそうとしたわけじゃないぞ。
「ああ、そうだ。――シュカ! この馬鹿たれ! 不死人形のことは何度も話して聞かせただろうが!」
アルバートさんはそう怒鳴ると、少女の背後に回り込み、両の拳をこめかみに当ててぐりぐりと捩じった。
「痛、痛、痛いぞ、父よ! 不死人形? さっきのがか? 馬鹿なことを言うでない。それは魔王が生きておった頃の話ではないのか?」
「俺だってそう思っていたさ! 何故今の時代に出現したのかは知らんがな!」
「不死人形?」
リエッタが首を傾げる。
「さっき君が滅ぼしたやつらのことだよ。人間の死体を元に作られ、肉体を傷つけても瞬くうちに再生し、切断でもしようものならそれぞれが再生し数を増やしてしまうという厄介極まりない代物だ」
「そうだったのですね。一体誰がそんなものを……」「お嬢様、こんなところにいらしたのですか!」
リエッタの言葉は、息を切らして駆けてきた女性の声に遮られた。
「ああ、ごめんなさいアンナ。シュカが夜中に外出するのを見かけたものだから」
「なんじゃ、それでついて来たのか? 儂は父の使い魔の蝙蝠を見かけたので、追いかけて来たのじゃが」
「そうだったんですね。――まさか、アルバートさんの娘さんに殺されかけるとは思いませんでしたけど」
レニーがぼそっと皮肉を口にする。
まあ、知らずにしたこととはいえ、さっきの状況は本当に危機一発だったからなぁ。
アンナとかいう若い女性は、おそらくリエッタの侍女なのだろう。
僕の顔を見知っていたのか、あるいは状況から察したのか、思わず跪きかけたが、アルバートさんたちの手前、大げさにするべきではないと判断したのだろう。軽く黙礼するにとどめた。
「すまん、馬鹿娘が迷惑をかけた。ほれ、お前も謝らんか」
「はあ? 何で儂が……、痛い痛い痛い! す、すまんかった。許せ」
「いえ、わざとしたわけではないのですし、お気になさらずに。それにしても――」
何故、リエッタがアルバートさんの娘さんと一緒にいるんだ? という疑問は、逆にリエッタの方も抱いたようだ。
「どうして、マルグリス様たちがシュカのお父上と?」
それは――、と答えようとすると、アルバートさんが遮った。
「積もる話もあるだろうが、そろそろ砦に戻るぞ。馬鹿娘の顔を早くジュジュに見せてやりたいしな」
それはそうだろうな。百年ぶりだと言っていたっけか。
「転移魔法でぴゅーっと、ってわけには……」
レニーが尋ねたが、アルバートさんは首を振った。
「無茶を言うな。俺が転移させることができるのは自分自身だけだ。他人を一緒に転移させられるのなら、お前たちから逃げる時に使っていたさ」
確かに。
けど、そうなると――。
「気付いたようだな。そうだ。他者を転移させるというのは、段違いに難易度が高い。つまり、さっきの人形が商館長の部屋に転移して現れたということは……」
やつらを操っていたのは、アルバートさんを上回るほどの魔法使いだということか?
「何じゃ? 父よ、いまだに自分以外を転移させられんのか? 百年会わぬうちにそのくらいは出来るようになったかと思っておったが」
「簡単に言うな。そういうお前はどうなんだ。うちにいた頃はまだ、転移魔法は習得していなかったはずだが」
「おう、任せろ! と言っても、準備を整えた上で自分自身を転移させられるだけじゃがな」
「いや、独学で身に着けたというならたいしたものだ」
なんだかんだで、アルバートさん娘さんに会えて嬉しそうだな。
それはともかく、皆で砦に向かうことにする。
と、その前に。
オーティス氏の不死人形が現れたせいで飛ばしそこねたラーブスに、あらためて現在の状況を書き記した手紙をくくりつけて、ケビンの許へ飛ばす。
これでヴェルノ商会を公然と調べることができるだろう。――といっても、ファルナ支店は壊滅状態だろうし、証拠や証言を得てヴェルノ伯にまで迫れるかどうかは、何とも言えないが。
砦に向かいながら、リエッタから事情を聞く。
アルバートさんの娘――シュカと知り合った経緯はわかったけど、まさかリエッタもヴェルノ商会の人身売買組織と関わり合っていたとは驚いた。
その情報が王都に伝わったのは、どうやらケビンたちが出立した後だったようだが。
後は治安局にがんばってもらおう。
「父が申しますには、現在の状況だとマルグリス様の御身に危険が迫る可能性が高いので、是非当家にお越しいただきたい、と」
「それはできない。僕が君の家の世話になっていることが知れ渡ったら、内戦になりかねない」
「父はそれも覚悟しているようです。もちろん、最悪の事態は回避したいと考えているはずですが」
いやいやいや。ユグノリア公、もっと冷静なお人だと思っていたのだけどな。
とはいえ、危うく謀殺されかけ、しかも、娘の結婚式を罠に使われかけたのだ。
彼が怒るのも無理はない、か。
悪いのは全面的に父上だ。
けれど――。
「君の父上のお気持ちはわかるが、やはりエリシオンに行くわけにはいかない」
僕がきっぱりと言い切っても、リエッタは引き下がらない。
「両家の争いを避けたいというマルグリス様のお気持ちは重々承知しております。けれど、それでもエリシオンには来ていただかなくてはなりません」
「マグは行かないって言ってるんだよ!」
「レニーは黙ってて!」
またしても二人が一触即発となり、アルバートさん父娘が肩をすくめる。
いや、困ったな。
そんな話をしているうちに、僕たちは砦に着いた。
中に入ると、アンジュ様は一足先に戻っていたようだ。
「シュカ!? この馬鹿娘、今までどこをほつき歩いていたんだい!」
娘の顔を見るなり、脳天に杖を叩き込む。
杖といっても、中身はカタナだ。
さぞ痛かろう。
「こちらがシュカのお母上、なんですか?」
リエッタが小声で尋ねる。
見た目は完全にお婆さんだからな。
困惑するのも無理はない。
「そうだよ。そして剣聖アンジュその人だ」
何故か自慢気に、レニーが言う。
「はい!? どういうことなの、それは!?」
あらためて事情を説明すると、リエッタは絶句した。