馬鹿王子、師を得る その十四
「『不死人形』? それってまさか……」
僕が問いかけると、アルバートさんは憤りと困惑が混じった声で、
「ああ、そうだ。魔王メディアーチェが人間の死体を弄んで作った悪趣味極まりない操り人形。今の時代に存在するはずがない代物だ」
夜を統べるものが魔王の走狗だと誤解されることになった原因ってやつか。
本当に、何故そんなものが今ここに?
と、そんなことを考えている場合じゃないな。
男たちの一人が、手にした剣を振りかざしてこちらに向かってくる。
動きは凡庸。見た目のとおり町の破落戸レベルだ。
僕があっさり斬り捨てようとすると、そこでアルバートさんの厳しい声が飛んで来た。
「真気を込めろ!」
えっ? 戸惑いながらも、僕は慌てて剣先にまで真気を巡らせ、男の左肩口から右脇腹まで斬り下げた。
傷口の部分から、男の肉体はボロボロと灰になって崩れていく。
が、それでも男は動きを止めず、よたよたしながらも、剣をかざしたままなおも向かってくる。
「浅い! もう一太刀だ! もっと真気を込めて!」
アルバートさんに叱責され、僕はさらに真気を巡らせて、男の首を刎ね飛ばした。
亡骸は灰になり、完全に崩れ去っていく。
一方レニーは、全裸の男に対して氷牙箭を放っていた。
蝎尾獅子すら一撃で倒す氷の矢。
しかし男は、その直撃を胸に受けて、動きこそ止まったものの、平然としている。
対象物を凍り付かせるはずの魔法は、氷の矢から広がっていくことはなく、しゅうしゅうと黒い煙を立てながら押し止められている。
そして、男は胸に刺さった氷の矢を自分で押し込み、無理矢理貫通させてしまった。
男の背後に氷の矢が落ちて、ぽっかり開いた穴はたちまち塞がっていく。
「ちょっ! 一体何なの、こいつら!?」
悲鳴じみた声を上げるレニーに、アルバートさんが答える。
「不死人形には普通の魔法は通用しない。闇の魔力に吸収されてしまう。たとえ、レニーほどの魔力をもってしてもな。そして、こいつらの最も質の悪い点は、馬鹿げたと言うしかない再生能力だ。どんな傷を与えようともすぐに再生するし、体の一部を切り落としでもしようものなら、指の一本からでも再生して数を増やしてしまう」
夜を統べるものだって、相当な自己治癒能力は持っているはずなんだけどな。
その彼が「馬鹿げた」というくらいだから、推して知るべし。
それじゃあ、この全裸の個体は、商会の守衛あるいは用心棒との戦闘で切り落とされた肉体の一部から再生したってことか。
さすがに服までは再生できないだろうからな。
「真気を込めれば、その再生を阻止できるってことですか?」
「ああ、そうだ。こいつらを倒すには、真気を叩き込むか、光魔法で滅し去るしかない。あと、下級死霊なみに日光に弱いという弱点もあるにはあるのだが。……だから、俺にはこいつらを倒す手段がない。すまんがお前たちで何とかしてくれ」
はい? 苦渋に満ちたアルバートさんの言葉に、僕は思わず反論した。
「いや、光魔法はともかく、真気は……」
「真気というのは」
僕の言葉を遮って、アルバートさんが言う。
「真気というのは、生命の力そのもの。限りある命を持つ者にしか扱えぬ力だ。俺には使えん」
アルバートさんの声がかすかに曇ったように感じられたのは、自分が使えないことに対する口惜しさではなく、“命限りある存在”に思いを巡らせたからだろうか。
アンジュ様が夜を統べるものの眷属になってもなお真気を扱える、というのはつまりそういうことなのだろう。
とにかく、アルバートさんが戦力外というのは厳しすぎるが、僕たちで何とかするしかないな。
レニーは、氷牙箭を平然と受け切った全裸の男に対し、今度は光魔法の降魔光槍を食らわせた。
直撃した胸を中心に、肉体が灰になって崩れていく。
が、下半身だけになっても歩みは止まらず、レニーに向かって来る。
「ひいっ!」
悲鳴を上げるレニー。
アルバートさんが駆け寄って、下半身を蹴り飛ばす。
「おい! 手加減している場合じゃないだろう!」
「手加減なんてしてません! あたし、光魔法は苦手なんです!」
顔を真っ赤にして、レニーが反論する。
アルバートさんは気まずそうに、
「そ、そうなのか。いや、確かに、光魔法の資質は他の魔法のそれとは別物だという話は聞いたことがあるが。ジュジュがよく言っていたな。ロレインも光魔法に関してだけは凡庸で、ユグノリアの足元にも及ばなかった、と」
そりゃあ、ロレイン様が光魔法まで得意だったら、ユグノリア様の出る幕はなかった……、いや、ユグノリア様も光魔法に関しては不世出の天才だったのだから、十分に活躍の場はあった、のかな?
「こんな時にリエッタが……」
そう言いかけて、レニーは口を噤んだ。
確かに、“聖女の後継”がこの場にいてくれたらどれほど心強いことか。でも、それは言っても詮無いことだ。
同様に、アンジュ様がいてくださったら、というのも言いっこ無しだ。
この場は僕とレニーの二人で何とかするしかない。
もう一体の全裸個体が、おそらく商会側の人間から奪ったのであろう剣で突きを仕掛けてくる。
難なくかわしつつ、剣に真気を込めて脳天から腹のあたりまで斬り下げる。
その状態でもなおこちらに向かって来るが、切断面からぼろぼろと灰になって崩れていき、五歩ほど歩いたところで完全に灰と化した。
その間に、レニーは四体目の腰のあたりに降魔光槍を直撃させていた。
胸から膝のあたりまでを消滅させられ、上半身が地に落ちる。
なおも腕で這いずりながら近寄ってくるのに顔を引き攣らせながらも、レニーは呪文を唱え、不死人形の顔面にもう一発降魔光槍を叩き込んだ。
よし残るはあと一体、と思ってそちらを睨みつけると、そいつは恐怖を感じているのか、剣を構えつつも完全に腰が引けていた。
まさか、人間だった時の意識や感情が残っているのか?
「こいつらはただの死体だ。素材によって好戦的だったり臆病だったりと多少の差はあるようだが、人間としての意識は残っちゃいない。救ってやる方法はただ一つ。これ以上亡骸を冒涜されぬよう、一時でも早く滅ぼしてやることのみだ」
僕の躊躇いを見抜いたのだろう。アルバートさんの叱責が飛んできた。
迷いを振り捨てて、人形を左肩から右脇腹まで斬り下げ、灰に変える。
どうにか五体全部片付けて、僕は商会の人間たちの死体に歩み寄った。
どれもひどい状態だな。
剣でずたずたに斬られている。
不死人形の残虐性、というよりも、技量が足りていないものだから一撃で致命傷を与えることができず、何度も斬りつけたようだ。
「念のためにお聞きしますが、アルバートさん、この人たちを生き返らせることは……」
「無茶を言うな。俺が魂を呼び戻してやれるのは、死後せいぜい5分から10分程度だ。それに、死体もこう損傷が激しくてはな。単純な傷なら、致命的なものであっても修復はしてやれるのだが……」
やはりそうか。気の毒だが仕方ないな。
レニーも痛ましげな表情を浮かべていたが、雰囲気を変えようとしたのか、アルバートさんに話しかける。
「それにしても、不死人形って本当に質が悪いですね。戦闘力がそう高くないのは救いですけど」
するとアルバートさんは、苦いものを噛みしめるような声で言った。
「……不死人形の能力は、素材にされた人間の能力に依拠する。さっきのは、見た目のとおり町のチンピラか何かだったのだろう」
「えっ、じゃあ、一流の戦士や魔道士の死体が使われたら……」
「その戦闘力をほぼ引き継いだ人形が出来上がる、というわけだ。……おっと、こいつは可能性がありそうだな」
アルバートさんは話をしながら死体の一つの側にしゃがみ込み、手をかざした。
二十代くらいの女性の死体。商会の掃除婦のようだ。
たしかに、首筋の咬傷以外には目立った外傷はないな。ひょっとして、惨劇を目撃したショックで気を失ったところを、人形に咬み殺されたのだろうか。
アルバートさんが蘇生を試みている間に、僕はケビンに宛てた手紙をしたためた。
商館の現在の状況と、人ならざるものが関わっているらしいからくれぐれも気を付けるように、といったことなどを、簡潔に書き留める。
ラーブスを懐から取り出して、手紙をくくりつけようとしたところで、アルバートさんが声を掛けてきた。
「王都の衛兵隊長とやらに知らせるのか? なら、情報を追加だ。蝙蝠たちに館内を探らせたら、何人か部屋に立て籠って震えているやつらがいた」
え、生存者がいるのか。それはよかった。
「う、うーん」
掃除婦が息を吹き返す。
蘇生が上手く行ったようだな。
しかし――
「ひ、ひぃっ!」
アルバートさんの口元の牙に気付いたのか、悲鳴を上げて後ずさる。
「ちょっ、失礼だよ。命の恩人に対して!」
憤慨するレニーを右手で制し、アルバートさんは女性の目をじっと見つめる。
魅了を掛けているのか。
女性は落ち着きを取り戻し、ふらふらと立ち上がって、アルバートさんが指さすままに、玄関の方へと歩き出した。
「商会の悪行に関して、たいした情報を持っているとは思えんが、一応衛兵に保護してもらうとしよう。――そんな目で見るな。人間を思い通りに操るために濫用したりはしていないぞ」
「わかっています」
一瞬、警戒心を起こしてしまったが、彼の人となりは十分理解しているつもりだ。
それに、僕自身もさることながら、レニーが何らかの魔法を仕掛けられたことに対して全く気付かず無抵抗であるはずがないから、こっそり魔法で心理操作されている、なんて心配はしなくていいだろう。
「こんなことができるのなら、家に踏み込まれた時、魅了を掛けて追い返せばよかったんじゃ……」
レニーがぼそっと呟く。
アルバートさんは鼻白んで、
「魅了を掛けるには、相手の目をじっくり覗き込む必要があるのだ。何人もの相手に取り囲まれた状況で使えるような便利な術じゃない」
ああ、なるほど。
「……と、そんな暢気な話をしている場合じゃないぞ。使い魔が一匹やられた。一体だけのようだが、多分そいつが本命だ」
「えっ、不死人形がまだいるんですか? それも、さっきのみたいな雑魚じゃないと?」
「ああ。どうやら魔法も使えるようだ……。来たぞ!」
警告とほぼ同時に、炎の奔流が降り注いだ。
火炎瀑布――。対象物とその周辺まで炎で飲み込む火炎魔法の大技の一つだ。
「「魔法障壁!」」
僕とレニーが声を揃えるようにして防御魔法を発動する。
アルバートさんはといえば、無言のまま漆黒の魔法の盾を展開していた。
詠唱も、発動句すらも必要ない、というのは本当に便利だな。
怒涛の炎を防ぎ切り、周りに引火した火もレニーが鎮火魔法で消し止める。
ロビー正面の階段の上を見上げると、魔法を放ったやつが姿を現した。
長さ2m強ほどの斧槍を携え、若白髪交じりの茶色い長髪を無造作に束ねた、三十歳前後くらいの偉丈夫。その三白眼は異様に虚ろで、口元には鋭い牙がのぞいている。
その男の顔を見て、レニーが叫んだ。
「オーティスさん!?」
えっ? オーティスというと、行方がわからなくなっていたっていうあの――。
「知り合いか?」
「知り合いっていうほどの間柄じゃありませんけど、王都でも一、二を争うと言われていた腕利き冒険者です」
「そうか。そいつは厄介だな。……さっきも言ったが――」
「わかっています。救ってあげるには一時でも早く滅ぼすのみ、でしょ?」
気遣わし気な眼差しを向けるアルバートさんに、レニーは沈痛な表情を浮かべながらも、きっぱりと言い切った。