死してなお、屍の忠誠は揺らがない
視界に映る赤。 赤だけが視界を覆い尽くす。消えない。拭えない。 流れない。 溶けない。 外れない。
「・・・・」
声が出せない。口の中を鉄の味が蹂躙する。それ以外の味がしない。
「・・・・ぁ」
体が動かない。感覚を感じない。痛みも暑さも寒さも何も感じない。
まるで、死んでしまったかのように。
ただただ赤が俺の全てを支配していく。侵食していく。気を緩めれば頭がおかしくなりそうな程に狂気的で綺麗な赤に--蝕まれていく。
『これは試練。他者の罪を経験する試練』
第一層でも聞いたような声が俺の耳に流れ込む。
『この層の名は『憎罪の間』。 憎しみにかられ罪に溺れ沈んだ人間達の憎罪が保管されし場。 そう--このように』
声がそう告げた瞬間、俺の目の前の地面に魔法陣が生み出される。その魔法陣は見たことがない。恐らく、未習得魔法か、この世界限定か、のどちらかだろう。
その魔法陣は徐々に広がっていき、その度に心臓が脈打つように音を鳴らす。やがて赤色から青へ、黄色へと色を変えていく。そして最後に魔法陣が黒に染まる。
『憎罪魔法【憎罪書庫】』
聞いたことの無い魔法だ。
黒く染まる魔法陣・・・それは声に反応するように妖しく輝き、本来の姿を顕す。
俺の前に現れたのは、黒塗りの書庫。一冊一冊が巨大だ。例えることも出来ないほどに巨大。その中の一冊が書庫から抜き取られ、俺の目の前にフワリと降りる。
その一冊の本のタイトルは--
【憎罪ノ少女】。
聞いたことの無いタイトルだ。あの声の話ではこのタイトルの登場人物は他者。そして、内容は憎悪と罪。何億何万の書物の中から、この本が選ばれたという事は俺に何かしら関係があるということだ。
『始めよう。 憎悪と罪に溺れた哀れな少女の救いなき物語を』
瞬間、俺の視界一面を眩い光が包んだ。
⑴
聖女園の大聖女の部屋。飾られている物はどれもが値段のつきようがない神聖な品ばかり。落としたり壊してしまうことがどれほど罪深い事なのかは割ってみないとわからない。いや、そもそも割ることさえ恐ろしてくてできない。普通であればそう思うだろう。
そんな神聖な品が置かれた神聖な場所。
そこは--既に神聖の場とは呼べなくなっていた。
壁中に走る赤黒い血と刀傷に破壊の跡。 台に置かれた神聖な品は粉々に砕け散り原型を留めていない。時折、鋼同士が擦れ合う耳障りな音や幾本の眩い光柱が天井を突きぬけ地面を抉り、紅黒い熱線が壁や地面を焦がす。
「--はあぁぁっ!!」
気合いの声と共に突き出される蒼い輝きを纏う細剣。 それを迎え撃つのは、掌。否、掌から生み出された炎風。
「甘い!」
細剣を突き出した体勢でロストは、強化魔法『蒼流ノ鎧』を発動する。すると、ロストの全身を蒼い輝きが包む。そして、炎風の中へ飛び込んだ。
その行為は自殺と同じ。炎風を生み出した白髪に燕尾服の男、エカンデルは嗤った。
「はははははははははは!! 馬鹿だろお前!なんで炎の中に飛び込むのかなぁ? 本当に人間ってのは愚かだよねえ!!というか、僕に勝てるとか思ってる時点でバカだろ!!君が僕に勝てるわけないじゃないか!夢じゃなく現実を見なきゃ! 人は本当にバカでクズでゴミばかりだよ!夢ばかり語っちゃってさ、現実をろくに直視できないんだから!」
エカンデルは更に炎風の威力を強める。
「声を聞かせてくれよ!悲鳴を!醜くて汚い耳障りな悲鳴をさ!さぁ! さぁ!!」
エカンデルが煽るように叫ぶと、
「アルデミラ細剣術〈蒼撃〉」
炎風の中からロストの声が聞こえた。それと共に、炎風が吹き飛んだ。そしてそこから現れたのは、先ほどよりも眩い蒼い輝きを全身に纏わせ細剣を突き出すロストの姿。どこにも火傷のあとはなく、怪我をした様子もない。
「な、なんでまだ生きてるんだよ!? 死ねよ!焦げて灰になれよ!僕は!僕は!僕は!!『堕ちた神王』!エカンデル・ターレスティン様だぞ!!お前みたいに屑が! 僕の許可無く生きるのはおかしいだろ!! クソ!クソ!クソォ!! こんなに腹が立ったのはお前で二人目だ!! あぁ!そうだ!思い出した!お前・・・あのクソ女に似てるなぁ?」
エカンデルはガリガリと頭を掻く。そして、底沼のような闇の瞳を妖しく光らせ、
「あぁ!名前を口にしようとするだけでも腸が煮えくり返りそうだ!あのクソ女・・・リレア・アーカルディア!!」
叫んだ。途端、大気が揺れ、〈蒼撃〉を発動したロストの身体が吹き飛んだ。ガラガラと壁が崩落し、ロストに降り注ぐ。
「--蒼を司る大精霊〈キュアノエイデス〉!!」
降り注ぐ瓦礫を睨み召喚術を唱える。それに伴い、ロストを守るように何も無い空中から水が溢れ出し、形を徐々に変えていく。
やがて--水は人型の少女となった。それもただの少女では無い。水色の髪から覗く二本の竜角と小さな口元から覗く竜牙。 先端が三又槍の形をした竜尾。 鋭い爪の生えた竜翼。 更に背後には幾体の水竜が控えている。
「んっ? んんー!」
その少女は先程まで寝ていたのか、瞼を擦りながら、大きく伸びをした。それだけで、ロストに降り注いでいた瓦礫が吹き飛んだ。
「は? なんでクソ神霊がいる!! 僕達が一匹残らず殺した筈だ!過去の屍がなんで蘇ってる!? 巫山戯るな! 僕が!殺した!お前を!骨を砕き、尾を引きちぎり、腹を割いて殺したはずだ! なんで、お前が生きてる! キュアノエイデス!!」
エカンデルは怒り任せに右腕を振るう。その度に風の刃が襲いかかるが、キュアノエイデスは気にもとめず眠たそうに欠伸をするだけだ。
「その態度!昔から変わっていない!僕に!『堕ちた神王』に対してのその態度!僕の事を存在しないみたいに扱うお前のその態度が僕は昔から嫌いだった!!僕は神だ! 神の使徒であるお前が!僕を無視していいわけが無い!!」
更にエカンデルは右腕を左右に強く振るう。その度に、風の刃が放たれていく。その刃は切断できるほどの殺傷力を持つ一撃だ。ただ、それは当たればの話だ。当たらなければ、なんてことは無い。
「ふあぁ〜!」
キュアノエイデスが再び欠伸をすると、背後に控えていた幾体の水竜がブレスを吐いた。そのブレスは風の刃を飲み込み、無力化する。見えない不可視の刃を的確に無力化した事に、エカンデルは怒りの感情を暴走させた。
「ふざけるな!!たかが使徒が調子にのるなよ!もう一度、腹を割いてやる!今度は甦らないようにズタズタにして肉片をのこらずあ燃やしてやるよ!」
何も無い空間にエカンデルは手を突き刺す。そして引き抜く。
「僕だけが持つことを許された堕神器。これでキュアノエイデス、お前を殺す!!」
空間から現れたのは1振りの長剣だ。エカンデルはその長剣を手に、ロストではなくキュアノエイデスに突撃した。
「惨たらしく死ね!キュアノエイデス!!」
長剣を振るう。しかし、
「・・・蒼氷壁」
その一言で、瞬時に蒼い氷壁がキュアノエイデスを包んだ。 それに伴い、長剣が弾かれる。否、刀身が砕け散った。
堕神器〈堕神王剣〉。 エカンデル・ターレスティンが持つことを許された堕神の剣。神から堕神した者にしか扱うことの出来ない対神用武器。この堕神器が有する効果は【神殺し】。 神に属する存在を抹殺することが出来る恐ろしい剣だ。
「はぁ!? んで、神殺しの剣が折られるのさ!? お前は神の使徒のはずだろう!使徒であれば神の血が流れているはずだ!!なのに・・・なんで!!」
神殺しの剣を折られ、意味がわからないと叫ぶエカンデルの疑問に答えたのは、キュアノエイデスではなくロストだ。
「ふふ。彼女は確かにかつては神の使徒として生きていた。でも今は精霊としてこの世に存在している。その理由があなたにわかるかしら?」
「・・・まさか。 いや、でも。あれは!!」
「答えがわかったみたいね。 そうよ、彼女は神から逸脱した存在へと変わった。魂も肉体もね」
その答えにエカンデルは呆然とする。
神から逸脱した存在に変わる方法。
それは禁術のひとつ。
決して許されない魔法の一つ。
その魔法は、三大禁魔法の一つ。
『神魂変移』。
【神の魂を別の存在へと移し替える】というもの。
ただし、移し替える器には神魂に適性がなければならない。適性がない器は心を破壊され、永遠に自分では動けない身体になる。逆に適性がある器であれば、本来の魂は神魂に喰らい尽くされ、本来の肉体も神魂の姿に変貌する。
贄となる存在にとってはどちらも最悪の選択肢だ。
片方を選べば肉体と魂は残るものの死んでいるのと変わらない生活を送ることになる。
逆にもう片方は、全てを失う。自分がこの世に存在していたという存在証明が失われる。
それほどまでに『神魂変移』は禁断の魔法なのだ。
「お前!その魔法を使用するという行為がどれほどの罪か分かってるいるのか!」
「ええ、知ってるわよ。だって、この魔法を最初に創り出したのは私の先祖様ですもの」
「は? 何言ってんだ、お前?」
「あぁ、そうえば名乗ってなかったわね。私は、サラテシア・ヴァルテ・エストナーレ。 改めてよろしくね、『堕ちた神王』さん」
ロストが本名を名乗ると、エカンデルの表情が怒りに歪んだ。 それは、リレアという少女や、キュアノエイデスよりも醜い異常なまでの怒りをあらわにしていた。
「お前!お前!お前!お前!お前!お前!お前!お前!お前!お前!お前!お前!お前!お前!お前!お前!お前!お前が!あの憎き血族の末裔だと!? 巫山戯るな! エストナーレ一族は僕を殺したクソ野郎共だ!神を殺すなんて死罪だ!罰当たりの一族め!」
「はァ?あなたが神? 面白い冗談ね。人間一人殺せないあなたが? クズに手こずってるあなたが?」
ロストはエカンデルを挑発する。その行為がどれほど愚かな事なのか分かっている。敵を更に怒らせるだけということを。
「あァ!あァ!君はどうしようもないほどの死にたがりみたいだね!いいよ!殺してやる!こっからは僕も出し惜しみせずに殺してやるよ!!」
エカンデルはそう叫ぶのと同時に、空間に再び手を突き刺す。そして、引き抜く。
「後悔させてやる。 僕に本気を出させたことを!!」
空間から引き抜いた紅いクリスタルを思い切り自身の胸に突き刺した。おびただしい血が噴き出し、エカンデルの身体が揺れる。
「・・・自殺?」
「ガァ・・・ヴァァァアアア!?」
苦鳴のような獣のような唸り声をあげるエカンデル。 その声はさらに大きくなり、それに伴い、エカンデルの身体が胸に突き刺さった紅いクリスタルを中心に紅く染まっていく。それは血ではない。刺青のように痣のようにエカンデルの身体を紅い線が伸びては分裂してを繰り返す。やがてその紅線が全身を回り尽くすと先程以上の紅い輝きが迸った。
そして--そこから現れたのは、
「くくく。清々しい気分だ!これが僕の真の姿!神である僕の姿! ひれ伏せ!人間!」
異形な姿をしたエカンデルだ。
両側頭部に生えた二本の魔角。背中を突き破る様に生えた漆黒の魔翼が四枚。両腕には禍々しい紅い刺青が走っている。また両手には、紅い長剣と黒い長剣が握られていた。妖しく輝く瞳から紅い炎が漏れ出ている。
それは到底、神とは呼べない生き物。天使や悪魔でもない。あれは、化け物。超がつくほどの化け物だ。
「・・・」
「無言か? さっきまでの生意気な言葉はどうした? 僕の恐ろしさに恐怖したのか?所詮は人間だ!僕は嗤ったりしないさ。仕方の無いことだからね。そんなお前に相応しい方法で殺してやぶベラっ!?」
エカンデルの身体が吹き飛ぶ。それをやってのけたのは、先程まで眠そうに欠伸をしていたキュアノエイデスだ。
「さっきからギャーギャーギャーギャーうるさい!こっちは眠たいの!それにその翼なに?すっごくダサい!! 後、見た目もキモイ!」
キュアノエイデスは暴言を浴びせる。八つ当たりでしないのだが、その事を咎める者は誰もいない。
「き、キモ・・・!? 調子に乗るのもいい加減にしろ!キュアノエイデス!!」
「うるっさい!!」
キュアノエイデスが幾体の水竜にブレスを吐くよう命じると、1秒もかからずに吐き出された。その数およそ10。
「その程度!!」
エカンデルは、堕神魔法『滅塵火焔』を放った。 その数およそ10。
水の息吹と黒く燃える火の光線が激突する。普通に考えれば、火は水に勝てない。だが、『滅塵火焔』はただの火ではない。この火に触れた全てを焼き尽くすほどの力を持っている。 現に、水の息吹は焔に喰らい尽くされている。
「くくく。その程度か!キュアノエイデス!!神から逸脱したのは失敗だったなぁ!!」
エカンデルは勝ち誇る。だが、そんなエカンデルにキュアノエイデスは笑みを浮かべた。
「そっちは本命じゃないよ、おバカさん♪」
「なにっ!?」
「喰らっちゃえ! 〈竜ノ顎〉!!」
キュアノエイデスが地面を軽く叩くと、エカンデルが踏みしめる大地が砕け、口を開いた水竜が現れた。
「く、くそっ! くそぉぉー!!絶対に殺してやる!お前だけは絶対に殺し--」
エカンデルの言葉を遮るように、水竜が喰らった。そして、咀嚼音が響き、エカンデルは二度目の死を迎えた。
「ふあぁ〜!また眠くなってきた。んじゃ、おやすみ〜」
キュアノエイデスは大きく欠伸をすると、召喚獣が住まう『異界』へと帰り始める。徐々に姿が消えていく中、それは突然起きた。
「がふぁっ!?」
ロストが血を吐く。消えかけていたキュアノエイデスは召喚者が血を吐いた事に驚き、再び姿を顕現させた。しかし、それが誤りだった。
完全に顕現し終わったキュアノエイデスの細い首を誰かが力強く握りしめた。そして、
「くくく、ははははは!! 油断したなぁ?キュアノエイデス!!」
嫌悪感を与える様な気味悪い笑い声が背後から聞こえてきた。しかもその声はもう死んだはずのエカンデルのもの。初めて、キュアノエイデスは動揺を顕にした。
「な、なんで生きてるの!? さっき、死んだはず・・・でしょ!!」
ギリギリと首を絞められ、呼吸が乱れていく。先ほどよりも力が増している気がする。魔力は自分の倍か同等になっている。
「くはぁ!今度は僕の番だ!キュアノエイデス!!」
エカンデルはそう告げると共に、キュアノエイデスを地面に叩きつけ、そして走る。引きずりながら。
ガッガッガッと地面を削りながら、駆けるエカンデル。 その度にキュアノエイデスの苦しそうな悲鳴が響く。
「ははははは!あははははは!!あァ!!最高だ!これだ!これを僕は聞きたかったんだ!雌豚の悲鳴を!クズ共の悲鳴をさ!!」
そう高笑いしながら、キュアノエイデスを上空へ放り投げ、
「堕神魔法〈塵雷轟炎〉」
手のひらを上空へ向け、詠唱した。途端、手の平から雷炎が放たれた。とてつもない殺傷能力を持つ一撃。例え、キュアノエイデスが水を司る存在でも関係はない。そういった属性の相性を容易く乗りこえた魔法、それが【堕神魔法】。
エカンデルの様に神から堕ちない限り使えない魔法。
〈塵雷轟炎〉は上空のキュアノエイデスを包んだ。苦鳴が響き渡る。その度に、エカンデルの笑い声は大きくなる。正に形勢逆転。
「その雷炎はお前を燃やし尽くすまで終わらない!抵抗すればするほど、長い時間苦しみに悶えることになるぞ!まぁ、僕はそっちの方が沢山悲鳴が聞こえていいんだけどねぇ!!」
エカンデルは、額に手を当て嗤う。 その時、キュアノエイデスを焼いていた〈塵雷轟炎〉が紫色の光弾によって凍りつく。その光弾により凍りついた〈塵雷轟炎〉が砕け散り、キラキラと紫氷が舞う。そして、その中にシスター服を纏った少女が火傷を負ったキュアノエイデスを抱えて立っていた。
「やれやれ、困りやがりますねぇ。私のコレクション如きがなにを偉そうにぺちゃくちゃぺちゃくちゃ喋ってんですかァ?私が与えたその力をさも自分の力みたいに語ってますけど、〈堕神魔法〉でしたっけ?あれ、生前のお前の魔力じゃァこんな威力出やがりませんからねェ?ていうかァ、屍ごときが一丁前に生者のように感情的になってんじゃねェよ」
色慾の魔神--システリア•グレンダは微かな苛立ちを浮かべながら、エカンデルを睥睨する。
「黙れ!淫売女が!!僕は屍になろうとお前にだけは絶対に忠誠しない!お前がこの世で1番嫌いな魔神だ!僕の主は昔も今もオルフェス様だけだ!分かったか! システリア・グレンダ!!」
エカンデルが怒声をあげると、先程まで不気味な笑みを顔に張り付けていたシステリアの表情が変貌する。否、表情だけではなく雰囲気も。
それは、狂気的な興奮。
「いいじゃねェですか!? あのババアに身体も心も虜にされちゃったから離したくないってことですかァ? あぁ!!そういうの最高でやがりますね!!普通なら怒る場面でしょうが、私はあのイカれたババアとは違って寛大なので怒らないであげやがりますよ。 だから、感謝の念を込めて私が貴方の身体も心も陵辱してやろうじゃねえーですか!!」
色慾の魔神--システリア•グレンダはそう言って、恍惚とした笑みを浮かべた。




