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二人の幽霊

 神社の草むらから、亜留は何とか足を出して神社に向かおうとする。

 が、目に見えるだけでも恐ろしい数の霊体を前にして、亜留の足はなかなか動かない。

 加えて、その霊感による寒気が、亜留の動きを止める。

「まったく、アルよ、これくらいでビビってたら、この先どうするのだ。さっさと行かんか」

 隣で手を腰にやっているリラが、亜留に言った。

「しかしこれ、なかなかきついな。街じゃこんなのいなかったのに」

 草むらから神社の広場へ、一歩ずつ足を進める。しかし、霊体である黒い影が通り過ぎるたびに、ぶつからないとわかっていても思わず体を逸らしてしまう。

 その様子を見て、明は亜留の方へ近づいて言った。

「まさか、……いるのか?」

「ああ、数は二十、いや三十? 黒い影がたくさん。いや、黒って言っても、灰色に近いやつは、真っ白のやつもいるけど」

 両手を交差させて震えながら、亜留は何とか神社の前に足を進めた。

「ああ、霊体にも新しい霊体と古い霊体があるからな。黒い影は、比較的新しくて霊的エネルギーが高いから、黒く見える。白いのは、もう消滅寸前の霊体だな」

「僕は、霊体は沙織やリラみたいな、はっきりとした姿のものばかりだと思ってたから、ちょっとびっくりしたな。それに、声も全然聞こえないし」

「何を言っておる。人間の姿に見えるのは、よほどこの世界に未練があるとか、そういったよほどの理由がなければ霊体にとって意味をなさないものなのだぞ。人間の形を維持するにも、声を聴かせるにも、かなりの量の霊的エネルギーが必要だからな。それこそ、人間に憑依し続けなければ、そんなエネルギーはまかなえぬ」

「つまり、リラには未練があると」

「え、そ、それは……」

 口ごもるリラを見て、亜留と明は顔を合わせた。

「わ、私のことは今はいいではないか。それよりも、サオリを探さねばな」

 リラは慌てて、周囲をきょろきょろと見回し始めた。

 しかし、神社にあるのは森と草むら、そして霊体くらいだった。

「ここらへんにいないことぐらい、見たらわかるだろう」

「亜留、俺にはわからないんだが」

 明も一応見渡してみるが、リラ以外の霊体は見えていない。

「ふむ、そうじゃった。しかし、ここにいないとなると、また一からリサーチせねばならんな。どこかに知り合いの霊体がいればいいのだが……」

 そう言ってリラが森の中を徘徊していると、途中で動きを止めた。かと思うと、突然大きく口を開けて「おーい、こっちじゃ」と叫び始めた。

「リラ、どうしたんだ?」

 亜留がリラの元に駆け寄ろうとするが、それよりも早くリラがこちらに戻ってきた。

「ちょうど知り合いの幽霊がいたわい。ほれ」

 リラが指さした方向を見ると、青いシャツにピンクのロングスカートを穿いた、リラと同年代くらいの女の子が立っていた。

 もちろん、リラと同様霊体で、体が空けて森の景色が見えていた。

「この子は、留沢亜里沙(るさわありさ)という、私とほとんど同じ時期に霊体になった子だ。私はルーシャと呼んでいる」

「ルーシャって、中二病かよ」

 見た目は完璧に日本人なのに、何故そんな外国人っぽい呼び方なのか、亜留には理解しがたかった。

「何を言うか。ならば受験勉強に追われて、いろいろと欲求不満となっているアルは差し詰め高三(こうざん)病じゃ」

「何で空気が薄そうな病気なんだよ」

 リラの訳が分からない新症状に、亜留はため息をついた。

「え、リラ、亜留、今そこに誰かいるのか? 見えないからわからないのだが」

 二人のやり取りの途中で明が間に割って入った。

「ふむ、さすがにアキラに見えないのは都合悪いな。ルーシャ、アキラにも見えるように可視化してくれないか?」

 リラがそういうと、ルーシャは黙ってコクリと頷いた。

「え、可視化って?」

 明がリラに尋ねた。

「見えるようにする、ということだ」

「そんなことができるのか?」

「もちろん。人間の目には可視領域がある、というのは説明したと思うのだが、その可視領域というのは赤外から紫外までの範囲で個人差があるのだ。紫外領域は、年を取るにつれてだんだん見えにくくなっていくといわれておる。だから、子供の頃には霊体が見えている場合がよくあるのだ」

「つまり、年をとったら幽霊も見えなくなるのか?」

「まあそんなところだ。その霊的エネルギーというのは、実は霊体によってはコントロールすることができるのだ。特に、私みたいな未練があったり、生き延びたいという思いが強い霊体は幅広くコントロールができる。大抵は霊体のエネルギーは紫外領域で、普通の人間には見えないエネルギー領域にあるのだが、それを赤外方向にシフト、つまり、人間がぎりぎり見えるくらいの可視領域に霊的エネルギーを下げることで、普段見えない人間にも私たちの姿を見せることができるのだ」

 一気に説明するリラを見て、明はぽかんとしているだけだった。

「えっと、とりあえず見えるようにはなるんだな」

「そうだ。というか、もう見えているはずだが?」

「え?」

 そういわれて明がリラの隣に視線を移すと、目の前にいた少女、ルーシャに驚いて危うく尻もちをつくところだった。

「そう驚くこともないだろう。私とて幽霊なのだし」

「い、いや、そういわれてもだな、俺は亜留やリラみたいに慣れていないのだぞ」

「まったく、これじゃ先が思いやられるぞ。昔はもっと頼りがいがあった男だったのにな」

 明の驚きように、リラは手を広げてあきれる。

「それよりも、この子に聞いてみよう。沙織のことを知らないか」

 亜留は直接ルーシャに話そうと思ったが、ルーシャがリラの後ろに隠れてしまったので、リラに提案した。

「うむ、そうだな。……って、ルーシャ、何故私の後ろに隠れる? 大丈夫だ、アルはスケベで変態だが、私たちにはいたずら出来ぬ」

 リラがなだめると、ルーシャはゆっくりとリラの後ろから出てきた。

「何故僕がスケベで変態になるのか、そしてその説得で納得されるのかわからんが、とにかく、その、ルーシャに聞いてみてくれ。僕じゃどうも話が通じそうにないから」

「そうだの、お前が話しかけては、ルーシャが驚いてしまう」

 煮え切らない思いの亜留をよそに、リラは警戒しているルーシャに話をすることにした。


「ルーシャよ、ここらへんで、高校生くらいの、白いワンピースを着たショートカットの女の霊体を見なかったか? 私たちと同じで、はっきりと人間の姿をした霊体なのだが」

 リラがルーシャに尋ねると、ルーシャは首をかしげて数秒考えた後、「あっ」と声を上げた。

「何か知ってるのか?」

 ここぞとばかりに亜留が体を乗り出すがルーシャは怖がってリラの後ろにひこんでしまった。

「コラ、怖がらせてどうする。ロリコンなのはいいが実害を出すな」

「ロリコンじゃないし実害も出してないぞ」

「怖がらせるのは十分実害だ。まったく、幽霊にまで手を出そうとするとは、重度の高三病だな」

「だから別に酸欠になったりはしてないって」

 お互いに指さしながら言い合う亜留とリラ。リラの後ろに隠れてしまっているルーシャ。それを見て、明は立ち上がってリラの前に向かった。

「おいおい、こんなところで言い争ってても話が進まないぞ」

「そうだ、アルよ、こんなところでセクハラしている場合ではないではないか」

 明に言われ、何故かそれをリラは亜留に返す。

「何もセクハラなんて……まあいいや、で、ルーシャは何か知ってるのか?」

 亜留がそういうと、ルーシャは顔だけリラの後ろから出して様子をうかがった。

「……神社」

 ぽつりと、どこからか声が聞こえた。

「む、ルーシャ、今何と?」

鱈瀬(たらぜ)神社に、向かってた」

 リラが尋ねると、ルーシャはすっと目の前に姿を現した。

「鱈瀬神社って、あの恋愛成就で有名な?」

「確かに、沙織はよくあの神社行ってたみたいだけど」

「なら、可能性はあるんじゃないか?」

 明は「きっとそこだ」と息巻いたが、リラは乗り気の顔を見せない。

「アキラよ。確かにあそこは若い女性には人気だが、霊体にはひどく嫌われておるぞ?」

「嫌われてる? どうしてだ?」

「ふむ、アキラはあまり縁がなかったか。アルはサオリと何回か行ったことがあるのだろう?」

 首をひねる明をよそに、リラは亜留の方へ視線を移した。

「鱈瀬神社って言ったら、結構大きな神社なんだよな。それで、神主さんが参拝客に取り憑いた悪霊のおはらいをしてくれるので有名で……あっ」

 亜留は何かに気が付いたように声を上げた。

「そうじゃ。あそこは神主の霊力が高くてな、しょっちゅう霊を成仏させておるのだ。だから、霊体は近寄ろうとせんのだ」

「でも、成仏させるのは悪霊だけじゃないのか?」

「何が悪霊で何が悪霊じゃないかなんぞ、人間の裁量一つだ。現に、守護霊を成仏させられたという話もあるからな」

「だったら……」

 近くの霊体を感じる寒気と、嫌な予感を感じ取ってしまった悪寒のせいで、亜留の体感温度が一気に下がる。


「もしサオリが鱈瀬神社に行っているとなると、早めに行かなければまずいかもな」


 リラの言葉に合わせるように、秋の涼やかな風が神社を吹き抜けていく。

 それに呼応するように、あたかもスーパーの中の人ごみのように、霊体の黒い影が騒いでいる気がした。

「しかし、その神社の神主って、参拝客のおはらいしかしないんじゃないのか?」

 止まりかけた時間を戻すように、明が口を開いた。

「さっきも言ったが、あの神主はやたら霊感が高いのだ。霊体がそばにいて妙な感じがすれば、すぐにそこにいた霊体は成仏させられてしまうぞ」

「だったら、今からでもすぐに」

 リラの話を聞いて明は慌てて戻ろうとする。

「慌てるな、アキラ。サオリはそこらの霊体と違うのだ。サオリとて、それくらいは知っておるはずだから、そう簡単に神主に捕まりはせんだろう」

 そういってリラが制止すると、明は足を止めた。

「それで、ルーシャ。その霊体は、いつごろ鱈瀬神社に向かって行ったのだ?」

 リラがルーシャに尋ねるとルーシャは「うーん」としばらく考えた後、

「ほとんど、毎日。一度ここに寄って、それから鱈瀬神社に行った」

「毎日? 一体何をしに行ってるのだ?」

「詳しくは、わからない」

 ルーシャが首を振りながら答えると、リラは腕を組んで考え込んだ。

「とにかく、そこに天川がいる可能性が高いんだろ? なら、まずは行ってみようぜ」

 そういうと、明は持ってきたリュックサックを背負って帰る準備をした。

「いや、あそこの社務所は結構早い時間に受付を終了してたはずだ。今から帰って鱈瀬神社に向かったら、ちょっと間に合いそうにないぞ」

 明が戻ろうとするのを、亜留は止めた。

「そうだな。明日の朝でも間に合うだろう。それまでに、私もいろいろこの辺を調べてみるとしよう」

「リラ一人で大丈夫か?」

「ん、まあ、ルーシャもいることだしな。アルは鱈瀬神社のことでも調べておいてくれ」

 そういうと、リラはルーシャとともにどこかに行ってしまった。


「と、いうことでまた明日だな。確か社務所が開くのが午前十時だから、九時くらいにセンタータウンのバス停でどうだ?」

 神社からの帰り道、亜留は明の後ろについて歩きながら言った。

「九時か。俺は大丈夫だが、亜留は起きれるのか?」

「僕は意外と休みの日も早起きだよ。本当はもう少し早く出たいんだけど、さすがに社務所が開いてないんじゃね」

 まだ昼間のはずなのに、薄暗い森の中。しかし、来た時の道をたどるだけで済んだため、行きよりも体感的な歩く時間は早く感じる。

「早く、沙織を探さないと。長い間僕の体から離れてたんだから、もしかしたらどこかで衰弱してるかもしれない」

 亜留はそうつぶやくと、明を追い抜いて先に行ってしまった。

「亜留は冷静なんだかどうだかわからんな」

 一瞬立ち止ってしまった明だったが、すぐに亜留に追いつく。目の前に、最初に昇った階段が見えた


 

 夕食後、亜留はインターネットで鱈瀬神社について調べることにした。

「鱈瀬神社……か。何回か行ったんだけどな」

 ブラウザに映る、神社の映像と、アクセス方法や建物の紹介文。

 ほかの神社と比べても、書いてあることは大差がない。

 唯一目を引くのが、「憑いている悪霊のお祓いします」という文章。

 恋愛成就で有名だが、このお祓い依頼もかなり多いようだ。

 公式ホームページでの情報はあまり得られなかったが、一方でこのお祓いに関しては、賛否両論があるようだ。

 お祓いをして体調がよくなったり、勉強がはかどったという意見がある一方で、守護霊がいなくなって事故が起こりやすくなったということも言われている。

 一概にこれらがお祓いのせいであるかは言えないが、どうやらリラが言っていることは本当のようだ。

「沙織、大丈夫かな」

 そう思いながらブラウザを閉じ、パソコンの電源を切ると、亜留はベッドに身を投げた。

 その瞬間、山道を歩き続けたせいか、全身に疲労が襲う。

「明日も早いし、もう寝ようか……」

 部屋の電気を消すために立ち上がろうとするが、体が持ち上がらない。力が入らないまま、亜留は瞼をゆっくりと閉じた。

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