蜥蜴の尻尾切り
ゆるゆると書いてます。
変なところがあれば都度ストーリーに関わらない程度に直しております。
「んだぁぁお前ぇぇ……んぷっ」
視界がぐにゃりと歪んでまともに焦点を結ばないが、目の前に緑色の不気味な小鬼――ゴブリンがいることだけは分かった。
「ゲギャギャギャ!」
なんだ? こいつも俺を笑っているのか。
無性に腹が立ってきた。
酒臭い息を吐き出しながら、俺はふらつく足でその化物を睨みつける。
「俺がぁぁ……しょんなにおもひろいのかぁ? んあ? やるかぁ? おん?」
手にした刀をあやふやな手つきで構え、ゴブリンに向かって足を進める。
あちらもこちらを獲物と認識したのか、甲高い声を上げて距離を詰めてくるのが見えた。
「ほいっ……となぁ」
振り下ろされた棍棒のような武器を、上半身をカクンと奇妙な角度に曲げて躱す。
自分でもどうやって動いたのか分からない。
ただ、身体が勝手に勝手な方向へ傾いたのだ。
「よいしょっとぉ!」
躱した勢いのまま、独楽のように身体を回転させる。
遠心力に引かれるままに振り抜いた一太刀が、ゴブリンの首筋を綺麗に捉えた。
確かな手応えと共に、一撃で斬り伏せる。
倒れた化物はまたたく間に紫色の靄へと変わり、そのまま俺の体内へと吸い込まれていった。
……この時から俺は、人間を辞め始めていたのかもしれない。
「うえっ……気持ちが悪い……」
込み上げる吐き気に襲われながら、俺は膝をついた。
◇
3年前、世界中に突如として『ダンジョン』と呼ばれる空間が発生した。
アニメや小説の中でしか存在しなかったはずの、怪物が蠢く迷宮だ。
だが、それは災厄だけではなかった。
出現するモンスターを討伐することで獲得できるアイテムや素材、ダンジョン内で採掘される特殊な鉱石。
その全てが、現代の科学技術やエネルギー産業に多大な好影響をもたらしたのだ。
さらに、ダンジョンの発生からしばらくして、事態は大きな局面を迎える。
初頭の調査で危険な地下へ突入した自衛隊員が、奇跡的に持ち帰った一個の特殊な『解析』の効果を持った魔道具のおかげだった。
その魔道具に手を置くだけで、人間の体内に眠る能力が可視化され、個別のスキルやジョブ――所謂ステータスが授けられるシステムが確立されたのだ。
そうして能力を得た者たちは『探索者』と呼ばれるようになる。
その数は決して多くはなかったが、最前線で魔物と戦う戦闘系だけでなく、採取した素材の加工や武具の製造を得意とする生産系のジョブを持つ者も現れ始めていた。
彼らが生み出す未知の技術や新素材は、瞬く間に国家のインフラへと転用されていく。
世界は一気にダンジョン時代へと突入し、今やダンジョンの保有数と探索者の多さが、そのまま国の国力を表す指標とまで言われるようになっていた。
そんな世界で、俺はダンジョン資源関連の小さな企業に勤め、営業の管理職として働いていた。
自分自身は能力を持たない一般人だったが、少しでも会社に貢献したい一心で専門知識を必死に勉強し、毎日汗水流して働いていた。
5年前、27歳の頃に結婚した。
これからは家族のために、もっと頑張らなければならない。
妻を必ず幸せにする。
そう心に誓って、不条理な仕事にも耐えてきた。
部下のフォロー、度重なるトラブルやクレーム処理、休日関係なしの緊急対応。
自分の仕事だけでなく、部下たちが確実に顧客を獲得できるよう、裏で必死にサポートを続けた。
その中で、特に目をかけて熱心に指導していた1人の後輩社員がいた。
彼は俺の教えをよく吸収し、営業として着実に結果を出していった。
ただ、彼には『管理能力の甘さ』という明確な弱点があった。
俺は先輩として、上司として、彼の弱点をフォローしているつもりだった。
「説明不足のまま勢いで契約を押し切るな」
「領収書の処理を溜めるな、ちゃんと整理しろ」
「言葉の威圧で強引に人を動かそうとするな」
どれも社会人として、営業として、彼が将来困らないようにするためのアドバイスのつもりだった。
だが、彼は徐々におかしくなっていく。
契約をしっかり取ってくる彼の社内評価は確かに上がっていった。
しかしそれと比例するように、業務上、明らかに無駄だと思えるものや、こちらとしては使途不明と判断せざるを得ない怪しい領収書を何度も提出してくるようになったのだ。
そして、ある日のこと。
「承認をお願いします」
彼がまた、要領を得ない書類を持って笑みを浮かべてやってきた。
「お前、いい加減にしろよ。しっかりやれと言っただろ」
度重なる不誠実な態度に、俺はつい強い口調になってしまった。
「すみません……」
「俺が今まで何を教えてきたんだ? 分かってるのか?」
「はい……」
「お前だからこうして言ってるんだ。ちゃんと出来るな?」
頭を深く下げる彼の姿を見て、自分でも少し強く言い過ぎてしまったと反省した。
慌ててフォローするように、最後はトーンを落として声をかけた。
「申し訳ありません……はい」
彼はもう一度頭を下げて、俺のデスクから去っていった。
その背中を見送りながら、少しは響いてくれただろうか、と呑気に考えていたのだ。
数日後。
「桐原、ちょっと来い」
社長室に呼び出され、怪訝に思いながら部屋へ向かう。
重苦しい空気の中、デスクに座る社長から書類を突きつけられた。
「お前にパワハラされたと訴えてきている社員がいてな。それだけでなく、やりたくもない不正な仕事を無理やりさせられていたと言っている。これはどういうことだ?」
差し出されたのは、あの使途不明な領収書の束だった。
「これ以外も全部調べさせてもらった。承認欄にお前の印鑑がばっちり押してあるぞ」
見覚えのない発注書まで混ざっている。
そしてそこには、確かに俺の管理印が押されていた。
――架空発注か。
ハメられた、と気付いた時には遅かった。
「ちょっと待ってください! 私はそんな指示はしていません、これは……」
社長が手元のスマートフォンを操作する。再生されたのは、あの日の音声だった。
『お前、いい加減にしろよ。しっかりやれと言っただろ。俺が今まで何を教えてきたんだ? 分かってるのか? お前だから言ってるんだ、ちゃんと出来るな?』
都合よく切り取られた、俺の声。
「お前が脅迫まがいの態度で、彼に不正な処理を強要していたと本人が証言している」
「いや、私は! 彼は自分で勝手に……!」
「……桐原、お前の言い分も分かる。だがな、録音という証拠がある。お前の印もあるんだ。会社としてはこれ以上、お前を庇いきれん。降格を受け入れるか、自主退職するか選べ」
その後、どれだけ事実と違うと訴えても、濡れ衣だと叫んでも、社長は一切の耳を貸さなかった。
会社を巻き込む大きなスキャンダルにしたくない社長は、体よくトカゲの尻尾切りをしたいだけなのだ。
「猶予は与える。頭を冷やして、しっかり考えるように」
社長から放たれたその言葉を聞いた瞬間、俺の頭の中で、プツンと何かが切れる音がした。
実質的な死刑宣告とも取れる言葉を背中に受けながら、俺はフラフラとした足取りで、幽霊のように部屋を退出した。
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