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アトラースの天盤  作者: のぎく
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1 プロローグ

納得するまで推敲するので変化します。

夢を見た。


かつて「塔の一員」になる前。




鈍色の鉄やカーボンの建物、太い配管が大きな音を立てながら稼働する。


埃っぽくて砂の溜まったお世辞にも綺麗とはいえない私達の家。空は見えず、人工的な光が照らす私の故郷(2層目よりの3層目)。


立体迷路のような構造も近所の近道は知り尽くしていて、幼い頃1人で探検もした。




あの日、伝えられなかった罪悪感が今も私の胸で成長し続けている。




***



洗面台で顔を洗い、コンタクト型デバイスを装着する。


「おはよう」という音声ログよりも先に、右目のデバイスが起動する。


視界に並ぶのは、心拍数、体温等の生体情報。



『状態:良好。本日の責務を確認してください』


私は、配給された一切れのパンを口に運ぶ。

焼きたての、少し甘い香り。

昨日まで隣の部屋にいた補助員の「名前」を思い出しそうになって、私は咀嚼そしゃくを止めた。


「……不味い。」

呟きは、誰にも届かない。






今日の仕事を確認し、身だしなみを急いで整える。



もう3年目になる。白を基調とした服も、右目のデバイスもいつの間にか私の一部のように馴染んでいる。


若干の居心地の悪さを感じながら、私は使い慣れた端末を腰のホルダーに差し込んだ。








L.A.240.02.01.12:32



今日の現場は、私が到着する頃には既にすべて終わっていた。心拍の停止により「処理」が決まった “人間だったもの” が転がっている。それが運ばれ「処理」されるのを。下水の配管に投げ入れられるのを私はただ見ていた。



柵を掴み、軽く下の階を覗き込むと眼下では配管が口を開けて獲物を待っている。


私の背丈を超える太さの金属筒が、ゴボリ、と重い音を立てて獲物を飲み込む。





ーーおててを はなせば おそらの底へ

真っ逆さまに 落ちてゆく


遠くから、子どもの笑い声と共に童歌が聞こえてくるのに、現場は静まり返り冷静な指示を出す声しか聞こえない。



世界で物質は循環している。水も栄養もエネルギーも。


暖かさに乗った甘い匂いに、少し気分が悪くなる。


下水の近くはいつも独特な匂いがする。


今朝食べた配給パンを思い出して吐き気がした。




ーー明日のパンに なれるのさ

ふたの裏側 影ぼうし





管理区画へ戻る途中、




繰り返し。耳に残る童歌、さっきの現場が頭の中で再生される――


配管が立てた重い音。


下水のあの独特な甘い香り。


あの先に待ち受ける、分解やその先すら想像してしまう。


流され、凍り、砕かれる。その後、成分へ。


学習した循環システムの仕組み。






そんな感情を、デバイスは

『警告:心拍数の乱れ』

『推奨:安静』

という文字で塗りつぶした。





――何か他の事を考えないと。



癖で、もう記憶に薄い家族の顔を思い出そうとしてしまう。


まただ。



塔の中で働くには「適合性検査」を受け、適合する必要がある。


選ばれたものしか就くことができない塔での仕事。

人々が羨む特権を持つ「塔の人間」である。





実のところは、塔のパーツの1つでしか無い私たちは


感情を排し、システムという巨大な論理回路の、末端にある「スイッチ」として機能しなければならない。





何も知らず、羨ましく思っていた過去の私はあまりにも無知で愚かだった。







**


L.A.240.02.01.13:45



金属特有の反響音を聞きながら、入り組んだ金属の建物の中を進む。

薄暗くどこか不気味だ。


まぶしい青空が、恋しくなる。


建物と建物をつなぎ合わせ、積み上げて出来たようなこの層はデバイスのナビ機能が無ければ迷ってしまう。


まるで出来の悪い立体迷路だ。建物が積み重なる中層から階段を上り、塔の建つ上層へ向かう。





「疲れた……。」


私は上層へ繋がる螺旋階段の途中で立ち止まり、手すりに触れた。


体温を奪うほどに冷たい。

塔を構成する特殊合金は、自身の損耗を検知すると、周囲の熱を吸い上げて自己修復を行う。この冷たさは、塔が「生きている」証だ。



まばたきを一つ。右目のデバイスが私の「現在」を無機質に表示する。


『状態:正常。管理権限:レベル2 記録員(補助員)』




記録員の権限に含まれる「注釈」。

これは私の能力ではない。塔という巨大なシステムから一時的に貸与された、世界を操作するための権限だ。


注釈を付けるには、独特のコツがいる。


ただ願うだけでは、システムは動かない。意識のピントを、指先から触れている対象の「核」へ、細い針を通すように滑り込ませる。適性検査で選ばれた者にしか分からない、あの指先が物質の深層へ沈み込んでいくような感覚。


そこで、対象の状態を「事実」として固定し、念じる。



――この手すりに「亀裂」を願うと、システムが受理し、塔内の物理リソースを即座に割り当てる。数秒後には頭上の暗闇から修復ドローンが飛来し、火花を散らして溶接を始めるだろう。



まぁ、そんな事をすれば処分を免れない。


私に「注釈」を自由に行使する権限はない。


所詮、巨大な機械装置の「優先実行ボタン」を、自分で押しているだけに過ぎない。









――「判断はしなくていいから。」



いつかの上司の声を思い出す。穏やかだが、すべてを諦めたような投げやりな声。


そう言われたのは、確か十四のときだったか。




適合性検査で「事物の固定に適している」と診断され、私はこのデバイスを与えられた。


初めてのコンタクト型デバイス。レンズ部分が硬質で装着が難しく、装着ができても異物感が強かった。


度重なる検査や研修を受けた後。





初めての現場では、緊張しながら真新しい白を基調とした制服に身を包み立ち尽くしていた。

与えられるデバイスの指示通りに地面に倒れている人の腕に触れたとき。

視界には『推奨:停止』という青いログが明滅していた。


私は指示に従い、ピントを合わせ、その人の生存状態を「停止」としてシステムを同期させた。



――この人は「動けない」



瞬間、塔のシステムが私の意志を物理現象へと翻訳した。

どこかで機械音が鳴り、システムから指示を受けたのであろう一人の警備員が男の首に何かを巻き付けた。



それは治療ではなかった。ただ、システムが「動かさない」という目的を最も効率的に遂行した結果だった。


遠くで意識が戻ったのであろう男が、動こうとしているのか断続的な悲鳴が聞こえる。


「よくやった。」

上司はそう言って、私の肩を叩いた。


「君はシステムと同期しただけ。その結果、男の首に絞縄が巻き付いたのは、システムが選んだ『最適解』に過ぎない。」





私を落ち着かせるための上司の言葉も、私がほしかった薄っぺらい言い訳のようで。


システムは効率を守り、私は手順を守った。

誰も悪くない。誰も間違っていない。

ただ、その人の悲鳴だけが、私のデバイスには記録されていなかった。








**



腰で呼び出し端末が震える。


また現場だ。


私は壁に映る自分の顔を横目で見ながら、元来た螺旋階段を下り始めた。

右目の中では、常にシステムが「推奨される事実」を提案し続け、私にピントを合わせろと促してくる。


今日はまだ、一度も同期させていない。

この「権限」という借り物の重みが、今の私には少しだけ恐ろしかった。





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