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02.死線のインテグレーション

本日6話投稿です。(2/6)

読めるはずのない言語なのに意味が脳に落ちてくる。

理解ではなく、もっと原始的な感覚としての納得だった。内臓がひやりと冷える。


(登録?)


思考の途中で、右側の支柱が崩れた。作業員たちの叫び声が、遅れて耳に入ってくる。

誰かが自分の名を叫んだ気もしたが、その声はすぐに轟音に呑まれ、断片に砕けた。


火花が散り、魔導ハーネスが天井から垂れ下がり、光る鞭のように床を打ちつける。

一筋の光がユキヤの首筋を掠め、皮膚を焼いた。電撃が走った。

筋肉が硬直し、握りこぶしのまま固まった。


コアの表面が波打ち、亀裂の奥から覗く内部は、機械というより鼓動する臓器のようだった。赤い光の奥で、無数の微細な回路が渦を巻いている。

そこに、自分の鼓動が同調していくのがわかる。高鳴った心拍と、赤の脈動が重なり、やがて一つの拍に合致する。


〈SEEKING NEURAL PATTERN〉

〈NO AUTHORIZED PILOT FOUND〉

〈SEARCHING……〉


コアの声はない。だが、確かに探していると感じた。

誰を? 搭乗者。正規ユーザー。

そんな言葉が、勝手に頭の中に並ぶ。馬鹿げている。

こんなスラムの解体現場に、正規の搭乗者などいるものか。そもそも「搭乗」とは、操縦のことか、所有のことか、定義も曖昧だ。


その瞬間、天井がひしゃげ、鋼材の束が雪崩のように落ちた。

ユキヤは身を捩ろうとしたが、右足の自由がわずかに戻っただけで、体勢はほとんど変えられない。落下する鋼材の先端が、彼の左肩を狙ってまっすぐに――。


衝突は来なかった。

とっさに伸ばした左手の手袋の甲が、コアの縁に触れていた。感電し焼ける臭いがする。


同時に、手袋の内側に仕込まれた薄い補助義皮の導電層が、コアの外縁の微細な端子配列に噛み合った。

工房帰りの中古品で、補修した跡のある安物。

奇跡のような偶然。

火花が指先から肘へ走り、脳幹まで一本の線で貫く。


〈CONTACT CONFIRMED〉

〈NEURAL LINK: TENTATIVE〉

〈LIFE-THREAT LEVEL: CRITICAL〉


同時に、床を打った鋼材の衝撃で、梁がさらに崩れる。

ユキヤの腰から下は再び瓦礫に埋もれ、肺から息が漏れた。視界は狭まり、暗さが増し、世界が遠のいていった。

心拍がばらけ、音が波の底へ沈む。死が、目前に迫る。


コアの赤は変色した。血のような赤は冷たい白に、熱は澄んだ雷光へと変わっていく。

空間全体が白い閃光に呑まれ、網膜を破るような光が視界を覆った。

だが、痛みは光より速かった。頭蓋の内側から、焼きごてで押されたような痛みがせり上がる。

視覚も聴覚も匂いも、すべての感覚が一斉に飽和し、次いで一点に収束していく。

世界の輪郭がほどけ、紐状に解きほぐされた情報が、細い管を通って脳に直接流れ込んできた。


〈EMERGENCY PROVISIONAL PILOTING〉

〈SAFETY AI: FAILURE〉

〈FALLBACK TO REGISTRATION PROTOCOL〉

〈SEEKING MATCH: STRESS-STATE NEURAL SIGNATURE〉


意味がわかる。旧文明の安全装置が、起動できないときの保険として、搭乗者登録を試みている。

通常、許可のない人間の接続は即座に遮断されるはずだ。だが、セーフティそのものが壊れている。

敵味方識別も、権限認証も、焼け落ちている。だから、より原始的な生存優先の手順に落ちた。

目の前で死にかけている生命体を検出し、その脳波が適合閾値をかすめた。それだけの理由で、扉が開く。


〈NEURAL PATTERN MATCH: 37.2%〉

〈STRESS/PAIN MODIFIER APPLIED〉

〈EFFECTIVE MATCH: 62.9%〉

〈THRESHOLD: 60%—PASSED〉


薄れる意識の底で、ユキヤは自分の鼓動と、見知らぬ拍動が合致する瞬間を、確かに感じた。熱は冷え、痛みは逆に鋭さを取り戻していく。

世界の輪郭は線に変わり、数式へ、そしてコードへと置き換わっていった。彼は息を吸い、そして吐いた。

吸うべき空気がどれほど残っているか、肺の負圧と酸素濃度から逆算できた。

何もしなくても、できる。頭が勝手に走る。


〈AUTHORIZATION: PROVISIONAL〉

〈USER CLASS: PILOT/MAINTAINER〉

〈CORE DIRECTIVE: PRESERVE PILOT LIFE〉


赤が完全に消え、白が満ちる。

コアの奥で何かが断ち切られた気配があった。人の形とは違う、しかし確かに”誰か”と呼べる輪郭が、一瞬だけユキヤの前に現れ、そして崩れた。

それは声を持たない声だった。人格と呼ぶには薄いが、確実にそこにいた存在――人型兵器の中枢に宿っていたはずの、意思の影。

焼けた紙の灰が風に散るように、それは光に溶け、無数の演算経路だけが残った。


〈PERSONALITY MATRIX: CORRUPTED/ERASED〉

〈RETAINING FUNCTION: INTELLIGENCE AUGMENTATION〉

〈INSTALLATION TARGET: NEURAL HOST〉

〈BEGIN DIRECT INTEGRATION〉


痛みが第二波で襲う。今度は焼け付く熱ではなく、細い針で脳の皺ひだ一つひとつを縫い直すような、精密な痛みだった。

記憶の棚が開き、引き出しにラベルが貼られ、配列が再編成される。

彼の生きてきた日雇いの現場、拾って覚えた安物の工具の癖、路地の売人が好む不正規コードの匂い。

それらすべてに、新しい索引が与えられる。計算が自動的に走り、意識よりも速く流れていく。

眼前の崩落物の荷重分布、支持点、剪断力、摩擦係数。魔導ハーネスが生む磁場の向き。火花の発生周期から逆算される回路設計の推定。

頭の中の暗い空間に、透明な式が浮かび、連なり、簡約され、最短路が導かれる。


(――動ける)


意識的に筋肉を動かす。

ユキヤは、瓦礫と自分の体の間に残っていたわずかな空間に肩を滑り込ませ、右足を拘束する装甲片に対して、最小の力で最大の効果が出る角度をつくる。

現場で体に刻み込まれたこじ開け方が、数式の裏付けを得て蘇る。

左手の手袋の導電層は既に焼けて穴が空いていたが、ここで役立つ別の要素がある。床に散らばった魔導部品の欠片。

その一つの形状が、テコの支点に最適だ。反射的にそれを掴み、装甲片と床の間に差し込んで、わずかながら持ち上げる。

右足が滑った瞬間、腰をきしませて体をひねり抜く。響く痛みは鮮明で、しかし制御可能な数値のように扱えた。


〈LIFE-THREAT REDUCED〉

〈FURTHER COLLAPSE PREDICTED〉

〈RECOMMENDED VECTOR: 312° / 0.8m / 3.1s〉


頭の内側に浮かんだ矢印に従い、ユキヤは体を縫う。

天井から落ちてきた梁が、さっきまで彼の頭があった空間を叩き潰す。間一髪。

肺が悲鳴を上げる。咳を噛み殺し、さらに前へ。

コアの至近を抜け、別の保守点検用の小空間に肩を差し入れる。

そこは一見すれば塞がっているが、内側の補強材が抜けていて、肋骨の隙間のように柔らかい。手のひらで触れた瞬間に、材質と腐食の程度から、負荷をかければ割れると理解できる。

工具袋の中の最も薄いスパナの刃を当て、掌で叩く。

金属が悲鳴を上げ、空間が開いた。そこへ身を滑り込ませる。


背後で、世界が崩れる音がした。

もはや空間と呼べぬ隙間の迷路が、ドミノのように連鎖して潰れていく。粉塵が肺に刺さり、喉は血の味で満たされる。

目を閉じればすぐに意識が落ちそうだった。しかし、落ちなかった。落とさなかった。

白い光の残滓が、まだ脳の表面を走っている。そこに乗って、彼は体を運ぶ。


いつの間にか、外の音が戻っていた。誰かの叫び、泣き声、金属がぶつかる怒涛。

監督の濁声が遠くで罵倒を吐き、次いで沈黙する。爆ぜる音。

魔導火が、誰かの衣服を焼いたのだろう。

ユキヤは振り返らなかった。振り返る余裕はない。


狭い隙間を抜けた先に、灰色の空気が広がった。胸部外装の裂け目。

そこから、外気が吹き込み、粉塵が渦を巻いている。

ネオンの光が煙の層を薄紫に染め上げていく。

都市〈シンカイ〉の遠い唸りが耳に届く。生温い風が吹き込み、それは確かに生きている世界の温度だった。


そこを目指して、最後の距離を這う。

右足は言うことを聞かない。だが、両腕はまだ動く。

肩の筋肉の繊維一本一本に、どの順番で力を入れるべきかという指示が、自然に降りてくる。外へ。光へ。


縁に手を掛け、体を引き上げたとき、背中で空気が震えた。

コアの光が、一瞬だけ再び強くなる。白ではない。今度は淡い金色。

それは熱ではなく、記憶のように柔らかい波のように感じられた。

ユキヤは振り向きかけ――やめた。自分にとって重要なのは、今この身を外に出すことだけだ。


外へ転がり落ちると、遅れて残骸の内部で大きな崩落音が起きた。

胸部全体が僅かに沈み、内部の空間が完全に潰れる。

もし数秒遅れていれば――考える必要はない。砂利と金属片の上で、ユキヤはしばらく動けなかった。

肺が短い呼吸を繰り返す。心臓は不規則に脈打ち、やがて、波形が落ち着いていく。


〈INTEGRATION: 67%〉

〈TEMPORARY INSTALL COMPLETE〉

〈MODULE NAME: INTELLIGENCE〉

〈STATE: DEGRADED / EXPANDING〉


脳内に、薄い文字列が浮かんだ気がした。見間違いだ。夢だ。幻覚だ。

そう言い聞かせても、文字は消えない。だが、それはユキヤに語りかけてくるわけではない。指示もしない。

ただそこにあり、そして、機能する。彼の思考の奥底で、無数の演算が無言で回り続ける。

彼の視線が捉えるものすべてに、精緻な数式と、最適化の矢印が薄く重なる。


砂埃の向こうで、人影が動く。助けに来た者もいる。逃げ出す者もいる。

肩を掴まれたユキヤは、反射的に手首を払った。

骨を折らず、しかし関節の遊びを封じる角度。それが瞬時に浮かび、その通り動いた。

男がうめき、すぐに「すまねぇ、すまねぇ」と繰り返した。

敵ではない。ただ混乱しているだけだ。


「ユキヤ! 生きてたのか!」


別の声が飛ぶ。さっきまで同じラインで働いていた中年整備士だ。顔は煤で真っ黒だが、目だけが白くむき出しになり、恐怖で震えている。


「こっちは……こっちは地獄だ。逃げろ。ギルドの連中が……」


言葉が途切れた。遠くから、硬質な足音が近づいてくる。

統一されたテンポ。訓練された部隊の動き。次いで、整然とした怒号。

魔術コードの発動音。抑制の効いた魔導火の唸り。

ギルドの武装兵が、"名目上は"封鎖と救助のために現れたのだ。

彼らの優先順位は、いつも人命ではない。遺物の管理。情報の封鎖。証拠の回収。

スラムの人命など、列の最後だ。


ユキヤは体を起こし、立とうとする。右足が悲鳴を上げたが、支えは取れる。骨は、折れてはいない。

筋肉の断裂はある。だが切断ではない。

回復に必要な時間や行動制限までも、数字となって脳裏に浮かぶ。うんざりするほど冷静だった。

自分の体が、工具箱の中身のように把握できてしまう。

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