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03.舐められるのは、終わりだ

本日6話投稿です。(3/6)

〈INTEGRATION: 71%〉

〈PAIN MANAGEMENT: PASSIVE〉

〈ADVICE: EVACUATE / AVOID OFFICIAL CONTACT〉


忠告でも命令でもなく、ただの評価にすぎない。

けれど妙に納得できた。

ギルドの兵がここに来る。

旧文明のコアが暴走した現場。そこには、生き残った者がいた。

彼らは、尋問し、拘束し、検査するだろう。自由は、そこで終わってしまう。


(冗談じゃない)


ユキヤは肩で息をしながら、周囲を見渡した。

崩れた外装の陰から離れる経路はいくつかある。正面は広いが、ギルドの隊列が来るだろう。左手には配管の森。

そこを抜ければ、資材置き場の柵に出る。柵は破れている。

向こうは廃線になった搬送路。そこからなら、スラムの路地裏へ戻れる。

頭の中で、地図が無意識に描かれ、最短距離と所要時間が算出された。ギルドの進入速度を加味しても、間に合う。


「立てるか」


さっきの中年が、短く問う。ユキヤは頷いた。言葉はいらない。


二人は崩落地帯を縫うように走った。

正確にはユキヤが走り、中年が必死に追いすがった。子供の方がすばしっこいのだ。

途中で、焼けた梁が行く手をふさいだが、ユキヤは迷わず梁の端を持ち上げる位置を選び、二人分の通過空間をひねり出す。


背後で、ギルド兵の声が近づく。「止まれ!」という命令。

いやだ、と心の中で返し、足を速める。銃ではない。魔導警棒の起動音。

抑止力のアークが、空気を撫でて唸った。

ユキヤは振り返らずに、足音の間隔から相手の距離を推測し、曲がり角の手前で突然身を沈めた。その頭上を、青白い火が掠め、壁のパネルを焦がす。

中年が悲鳴を上げ、転びそうになるのをユキヤは手首ひとつで引き戻す。その勢いのまま駆け抜け、左へ折れる。

次の鋼製階段を二段飛ばしで駆け上がる。


柵が見えた。金網は一部が破れて垂れ下がっている。体を横にして滑り込み、外へ。

外気が、腐った金属と油の匂いを運ぶ。

ネオンが遠くで瞬き、シンカイの心臓が夜に低く鼓動していた。街は確かに生きていた。

無数の腹が鳴り、無数の嘘が交易される場所。そこが、ユキヤの帰るべき家だ。


背後で怒声が増えたが、追撃はこない。ギルドは現場の封鎖を優先したのだろう。

遺物は彼らの神だ。神の血が漏れぬよう、祭壇に壁を築くことが先だ。


息を整えながら、ユキヤは資材置き場の影に腰を落とした。

中年はしばらく咳き込み、やがて短く礼を言って走り去る。家庭があるのだろう。

守るべきものがある者は、こういう時に足が速い。ユキヤには、それがなかった。

あるのは、金への飢えと、自由への渇きだけだ。


ふと、左の掌が痺れていることに気づいた。手袋は焦げ、導電層が破れ、皮膚が赤く腫れている。

その下で、微細な震えが続いている。震えの周期が一定だ。

電磁ノイズではない。脳から末端へ流れる信号の位相が、どこか変わっている。

自分の体なのに、他人の体のように段取りよく動く。恐ろしいほどに効率的だ。


〈INTEGRATION: 79%〉

〈HOST STABILITY: MARGINAL〉

〈RECOMMENDATION: REST / NUTRIENT INTAKE / ANALGESIC〉


まただ。頭のどこかで、無言のインディケータが灯る。痛み止めを飲め、と言われているようなものだ。笑えてくる。

そんなもの、スラムの路地で出回る安物の魔力薬しかない。だが、それでも今は欲しい。

頭が冴えすぎている。世界が数式へと分解され続けるのは、ひどく疲れる。脳が熱い。


ユキヤはゆっくり立ち上がり、スラムへ繋がる細い裏道を選んだ。

足取りは、先ほどより安定している。痛みは消えないが、波形として整えられている。

歩幅と呼吸が自然に同期し、余計な上下動が削ぎ落とされるように意識する。

新しい知能は正確に、彼の現状を示していた。


ネオンの反射が、濁った水溜まりを薄紫に染める。違法コードの屋台では、今日も偽の幸運が売買されている。

路地の角で、義体の少年が安いナイフを振り回して喧嘩をしていた。旧文明の残骸で生きる街。

ここでは、奇跡も、呪いも、同じ顔をしている。


歩きながら、ユキヤは自問した。

さっきコアで何が起きた? なぜ自分だけが生き残り、自分の頭はこうも変わった?

答えは、分かる。分かってしまう。旧文明のセーフティが壊れ、登録モードに落ち、近くにいた生存者の中で、自分の脳波だけが適合閾値を超えた。

死にかけていたからだ。痛みと恐怖と、怒りと、執念。

その混線した周波数が、偶然にも、旧文明の設計者が想定した「搭乗者の臨戦時脳波」に似ていた。だから、扉が開いた。

人型兵器の人格は焼失し、知能だけが残った。残骸から剥がれた頭脳が、自分に埋まった。


言葉にすれば、たったそれだけだ。だが実際には、そこに数え切れない偶然が重なっている。

落下の角度。導電層の摩耗。手袋の裂け目。コアの亀裂。血の粘性。息の長さ。

誰かが笑って言うだろう。「運が良かったな」と。だがユキヤは決して笑わない。運では片付けられない。

片付けてしまえば、舐められるだけだからだ

自分の力で生き延びた。その事実だけを、胸のどこか硬い場所に収めた。


〈MODULE INTELLIGENCE: ONLINE〉

〈CAPABILITY: CODE OPTIMIZATION / SENSOR FUSION / PREDICTIVE PATHING〉

〈LIMITATION: HOST STRAIN / MEMORY FRAGMENTATION / LEGAL RISK〉


法律。笑える。

ギルドの法は、上に都合よく、下に厳しい。

だが、無視できない現実として、彼らに捕まればこの頭の中を取り出され、覗かれる。

兵器の証拠として、どこかの冷たい部屋に封印されるだろう。それは、自由の反対側だ。

避けるに越したことはない。


路地の角を曲がると、見慣れた小さな看板が見えた。

歪んだ木の板に、手書きで「宿」とある。灯りは弱い。

ユキヤの帰る場所だ。扉を押す前に、もう一度だけ、周囲を見回した。尾行はいない。

遠くに、規律正しい足音。あれは別方向へ向かっている。

監視ドローンの虫のような羽音は、今日はない。代わりに、猫がゴミ箱を漁っている。


扉を開ければ、古い油と煮込んだ豆の匂いが混じった温い空気が出迎えるだろう。

宿の婆がいればきっと文句を言う。「血の匂いで客が逃げる」と。だが結局はタオルを投げてくれる。そういう人間だ。

ユキヤは深く息を吸った。肺に入った空気の温度と湿度が瞬時に解析される。

その滑稽さに、かすかな笑みが漏れた。


(金だ。まずは金を稼ぐ)


頭のどこかで、白い光の欠片がまだ瞬いている。そこから、静かな数列が流れ続ける。

重要なのは、使えるかどうか。使って、勝てるかどうか。強制力を、跳ね除けられるかどうか。


蝶番が鈍い音を立て、外界との隙間を閉ざした。婆は丁度どこかへ行っているのか、いなかった。

背中で木の感触を確かめ、ゆっくりと息を吐く。心拍が、元のリズムに戻っていく。

いや、元ではない。新しい基準値。演算に最適化された、見知らぬリズム。


〈INTEGRATION: 100%〉

〈SLEEP RECOMMENDED〉

〈NEXT STEPS: RESOURCE ACQUISITION / LOW-PROFILE OPERATIONS〉


眠れ、と無言の文字が示す。従う義理はないが、価値はある。

眠りは、明日を買うための最安の手段だった。

ユキヤは階段を上がり、狭い部屋の扉を押し、軋むベッドに体を沈めた。

天井のシミが、ゆらゆらと波のように揺れ、数式と重なってはほどける。

瞼が重くなる寸前、彼は思った。


(舐められるのは、終わりだ)


外では、ネオンがまた一つ灯り、また一つ消えた。

シンカイの夜は長い。崩れた戦場の遺物の中で、失われた人格が静かに灰になり、代わりに、小さな演算の灯が、スラムの一室で膨らみ始めていた。

誰も知らない。だが、間もなく、誰もが知ることになる。


それは英雄の誕生譚でもなく、救済でもなかった。


ただ一人の、自由を求める者の頭の中で、機械仕掛けの叡智が目を覚ましただけだった。


この街でそれは、十分に世界を変える火種になる。

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