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梅色ごよみ  作者: 風速健二
8/13

年越しの夜

 その日、今年の夏に漬けた梅干しの瓶の蓋を開けて思わず眉をひそめてしまった。梅干しの色が何時もより濃いのだ。いや正確には黒っぽい色をしていたのだ。

「なにこれ」

 底の方からひっくり返してみると、半分より下は何時もの色をしていた。先月見た時はこんな状態では無かったので胸騒ぎがした。

 とてもじゃ無いが母には見せられないので、色の変わっている梅干しだけ別な瓶に移して、残りはタッパに入れた。冷蔵庫の野菜室で保管しようと考えた。問題は瓶に移した方をどうするか、今は良い考えが浮かばないので、納戸の奥にまた、しまってしまう。

「夕飯に出してたべましょうよ」

 居間から母の声がする

「うん、そうね。幾つか出して食べましょう」

 わたしはタッパに入れた方を母に見せる

「いい色になったわ、楽しみだわ」

 真実を知らない母は喜んでいる。これで誤魔化せたら良いのだがと、冬なのに冷や汗が脇の下を流れる。

 だが、まてよ、色の変化が母の事と決まった訳では無いと思い直したが、先日の医者の件もあるし、ここはあの事に関係していると思うのが筋なのだろうと考えた。そう、やはり母には見せられない。

 台所に行き、お正月の料理の支度をする。実は近所の数件の方とここ数年、おせち料理の作り分けをしているのだ。

 なます、黒豆、酢蓮、玉子焼き、野菜の煮物、きんぴらごぼう。そんなに量は要らないが、種類の多さを、数件で作り分けして交換しているのだ。

 我が家は、なますと黒豆担当。黒豆は実はある方法で煮ると簡単に出来るのだが、皆知らないらしく、わたしが煮た黒豆を皆喜んでくれる。

 なますも、同じで業務用のスライサーが我が家にはあるので、思ったより楽に出来るのだ。その様な訳で、わたしは残りの料理を戴けるのだ。

 台所に帰り黒豆の煮え方を見る。どうやら今年も美味しく煮えたみたいだ。市場で丹波産を買って来て煮るのだが、その年によって豊作と不作の年があるので、手に入らない場合は北海道産にする。今年は丹波産が手に入った。



 その晩、母の所望した、今年漬けた梅干しを出した。先ほど冷蔵庫に保管した口だ。瓶の梅の始末の方法は未だ考えつかない。

「何だか今年は余り美味しくないわね。梅が悪かったのかしら」

 やはり母の口は誤魔化せないかと冷や冷やした。

「そう、そんなに変わらないと思うけど」

 努めて冷静に答える

「まあ、出来不出来があるから面白いのよ。毎年良く出来ていたら商売になってしまうものね。あなたの作っている、なますや黒豆のようにね」

「別に商売じゃ無いわよ」

「でも、毎年きっちり同じ味じゃない」

「それは、ちゃんと計っているからよ」

 やはり母は何かを感じているのだろうか。


 そして今年も大晦日となった。娘は彼氏と初詣に行くのだという。

ここ数年夫が手打ち蕎麦を拵えて、家族でそれを手繰るのが恒例となっている。今朝から夫は張り切って蕎麦を打っている。

以前、どうして蕎麦打ちをするのかと尋ねた事があり、夫は

「あと少しで定年だろ。嘱託で数年は働けるけど、暇になったら趣味を持ちたくて」

「それで蕎麦打ち?」

「まあ、そう言う事だ」

 それまで、自分で、料理を作る事など無かったので驚いたのだ。

「食べてから行けよ。縁起物だから」

「うん、ありがとう」

 娘としても父親の打った蕎麦は興味があるらしい。今しがた出来上がった蕎麦を茹でて、それを娘が手繰っている。

「元旦は向こうの家に顔を出すから夕方こっちに連れて来るわね」

「別に行ったきりでも良いぞ」

 夫が笑って言うと娘も

「嫁に行く時に泣かないでね」

 そんな事を言って反抗する。食べ終わると

「美味しかった。腕あげたね。じゃ、行って来るから」

 嬉しそうな顔をして出て行った。息子は昨日からスキーに行って帰るのは二日の夜だそうだ。

「久しぶりに静かなお正月になるわね」

 母も蕎麦を口にしながら、つぶやくように言うと

「まあ、いつかは通る道ですから」

 夫が判ったような事を言って母を慰めた。遠くで除夜の鐘が鳴り出していた。

「確か最後の百八つ目は年が開けてから点くのだっけ?」

 うろ覚えだが、そんな事を聞いた記憶があった。

「多分そうだと思う。もしかしたら宗派によって違うのかも」



 夫が時計を気にし出した。地元の神社の氏子であり睦の世話人としては、これから少しでも手伝いに行かなくてはならないらしい。

「甘酒配るだけだけどな。二時過ぎには帰れると思う」

 自分も蕎麦を手繰ると上着を着込んで外に出て行った。

私も手繰ると、蕎麦の香りが口に広がり鼻に抜けた。市販品ではこうは行かない

「ご馳走さま。美味しかったわ。腕あげたわね。帰って来たら褒めてあげなくちゃね」

 母も満足したようだ。満足気な母の顔を見ていると、やはり梅干しの事は言わなくて良かったと思った。

 年が開けた。テレビでも盛んに「おめでとうございます」とやり合っている。わたしも母に

「明けましておめでとうございます」と挨拶をすると母も

「おめでとうございます。今年もよろしく」

 そう返してくれた。その後だった。



「年が変わったから言うけど、残りはどうしたの? 捨てちゃったの?」

 いきなり言われて、最初は何だか判らなかった。

「冷蔵庫の分で全部じゃ無いでしょう」

 その言葉で梅干しの事だと気が付いた。やはり母には判っていたのだ。

「残りは色が変わっていたのでしょう?」

「気が付いていたのね」

「味で判るわよ。何年やって来たと思っているのよ」

 わたしは納戸に行き色の変わってしまった梅干しが入っている瓶を出して来て母に見せた。

「まあ~見事に変わったわね。これは、愈々かしらね?」

 戯けてはいるが、その目は笑っていなかった。

「梅の色が変わった時はこの家に異変がある。確か、そうだったわよね」

「わたしがお姑さんから聞いたのはね。お父さんの時も確か変わったわよね」

 それはわたしも覚えている。伝説が本当だったと思ったからだ。

「大丈夫よ! 今日明日に死ぬ訳じゃ無いから。死ぬなら、ひ孫を見てから死ぬからね」

 それだけの口が利けるなら、少しは大丈夫だろうと思った。

「全部変わらなかったのは、わたしの心臓が悪いって判ったからじゃ無いかしら。検査をして治療するから半分しか変わらなかったのかも知れないわね」

 良い方に考えれば確かにそうなのだろう。今は、そう思うしかなかった。

「二人だけになるまで待っていたの?」

「うん、だって余計な心配させたく無かったしね」

 確かに、息子はスキーだし、娘は初詣だし、夫は神職の手伝いだ。聞かせる訳には行かない。

「何より、あんたが一番動揺すると思ったのよ。だから皆が居る時は知らないふりをしたのよ。年寄りの知恵よ」

 そんな母の気持ちが嬉しかった。絶対は無いが、多分、母は未だ大丈夫だろう。これだけの余裕があれば、未だ安心だと思った。

 気持ちが明るくなったら、今頃、最後の除夜の鐘が聞こえて来た。今頃何かの間違いだろうと思った。

「お寺でも間違う事があるのね」

「そうよ。だから気にしない事よ」

 母がそう言ったら、またしても鐘の音が聞こえて来て、二人で笑ってしまった。

 わたしは、寒い中を帰って来る夫の為に、熱燗を用意しておく事にする。何時でも温められるようにした。

「きっと明日はいい日の出が見られるわよ」

 静かに新年が明けて行く。


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