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梅色ごよみ  作者: 風速健二
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初冬景色

 今年は十一月になると直ぐに「酉の市」が開かれる。本家は足立の鷲神社と言われていて、今は浅草が盛んだ。その他にも各地で「酉の市」は開かれる。無論、我街にも「酉の市」が開かれる神社が存在する。

 その日は、色々な出店が並び、大きな熊手が売られている。子供の頃に両親はよく浅草の鷲神社に連れて行ってくれた。確かその頃の十一月はとても寒かった。

 オーバーを着て両親に腕を繋がれて歩いていたが、人混みで子供の背では全く前が見えず、楽しかった思い出は余り無い。

 ただ、帰りに名物の「切山椒」を買って貰ったことは良く覚えている。沿道のお店では湯気が上がっていて「何事か?」と思って見たら笹の葉に何かを挿して蒸かしていた。母に尋ねたら

「八頭を蒸かして売っているのよ。食べたい?」

 そう訊いてくれたが、首を振ったのを覚えている。


「お酉さま行ってみようか?」

 母に尋ねると

「ええ、浅草まで大変じゃない」

 そんな答えが帰って来た。母にとっては「お酉さま」は浅草でなければならないらしい。

「地元の神社よ。車で行けるし、幾らも歩かなくても良いのよ」

 わたしの提案に母は少し考えてから

「昼間ならいいわよ。夜はイヤ」

 そう答えて遠い目をして

「昔、浅草に何回か連れて行ったのを覚えている? あの頃は寒くてね。人が大勢出ているのにそれでも寒かったわ」

 やはり大人の母にも寒く感じたのかと思った。

「行って見る?」

「そうねえ、連れてってくれるなら」

 そう言って約束したが用事が重なり「一の酉」は行く事が出来なかった。それでも「二の酉」には約束どおり行く事が出来、車に母を乗せて神社に向かった。道中、母が

「なんで三の酉まである年は火事が多いか知っている?」

 珍しくそんな事を訊くのでわたしも真剣に考えてしまって

「判らないけど、実際に大きな火事があった年がたまたま三の酉まであったとか」

 適当な事を言ったのだが

「それもあるみたいよ。それと酉の市に便乗して、遊びに出かけようとする男達に戒めとして『三の酉には火事が多いから、遊びせずにまっすぐに帰って来るように』って女達が言ってそれが広がった。という説もあるそうよ」

 きっと色々な事が重なって伝えられたのだと思った。



 神社の近くのコインパーキングに車を停めて、母と一緒に参道を歩き出す。

「ここには初詣に来るけど、また感じが違うわね」

 普段、外出しない母にとって、大勢の人を見るのはやはり刺激になるみたいだ。目の輝きが違う。途中で良い匂いがしたので、その方を見ると「揚げ饅頭」だった。

「お参りした帰りに寄ろうか?」

 そう提案すると嬉しそうな顔をした。

 昼間なので境内はさほど混んではおらず、母を連れたわたしでも楽に境内を歩けた。本殿に登りお賽銭を入れて二拍二礼をしてお祈りをする。特別に頼む事もないのだが、『穏やかに過ごせますように』と祈った。母に何をお願いしたのか尋ねたところ

「穏やかにお迎えが来ますように」

 そんな事を言っていた。娘の心母知らず、だとその時は思った。

 帰りにもう一度「揚げ饅頭」の前を通り、饅頭二個とお茶を注文してお金を払うと、裏手のテント張りの一角に案内された。

 幾つかのテーブルと椅子が並べられていて、その一角に座った。程なく発泡スチロールのお皿に乗せられた「揚げ饅頭」とおおぶりの湯のみ茶碗に入ったお茶が運ばれて来た。饅頭は思ったより大きく、竹製の小さな小刀みたいな串で切り分けて食べるみたいだ。

 その小刀で、饅頭を切り分けると切り口の餡から熱々の湯気が立ち上る。切った部分を口に入れると熱くてまともに噛む事が出来ない。慌ててお茶を口にする。



 隣を見ると母は平然と饅頭を食べている。思わず

「熱くなかった?」

 そう尋ねると

「うん熱かったけど、これがこのお饅頭の命でしょ。熱くするために揚げているのだから、それを楽しまないと損じゃない」

「でも口の中が火傷しちゃう」

「それも込みでこの価値があるのよ」

 我が母なのだが恐れいったと正直思った。

 ふうふうして、やっと食べ終えて車に戻る。どうやら口の中を火傷したみたいだった。上顎の皮が口の中で遊んでいる。

「やっちゃった」

 わたしの様子を見て何か楽しそうな母。車を出して少し行くと母が口を開いた。

「昔ね、お姑さんが言っていたのだけど、『冬が来て、やがて年が開けて梅の花が咲くとああ、もう少しだと思い、春になり桜を見ると、ああ今年も生き延びたって想うのよ』って言っていたの。その時はね、歳を取ると皆そう想うものだと思ったのよ。でもね、この歳になるとお姑さんが言っていた言葉の本当の意味が判った気がする。あんたには未だ判らないでしょうけどね」

 わたしでも本当の意味は判らなくても、表面的な意味なら判る。でも母は何を言いたいのだろうか、気になった。

「人はせいぜい今でも七~八十年の寿命でしょう。でもねえ死んだら終わりじゃ無いのよね。死んでもそれは形だけなの。命って続いているものなのよ。この歳になると何となくそんな事を感じるの、人も自然の一部なのよ。お姑さんの、あの言葉にはそんな意味があるのじゃ無いかと思ったのよ。あんたもそのうち判る時が来るわ」

 母の言っている事は理屈では判る。でも本当はそうでは無いのだろう。理屈ではなく心の底から、それを感じる事が出来る。それがきっと真実なのかも知れない。でも、本当は、わたしの全くの思い違いかも知れない。

「ねえ、今夜何食べる?」

「そうねえ鱈ちりがいいわ! 白菜とお豆腐と鱈と沢山入れて食べたいわ」

「お酒も呑みたいのでしょ!」

「少しね。いいやつを少しだけ」

「じゃあ、帰りにスーパー寄って行きましょう」

 わたしは車を家の方ではなく大型スーパーの方に向けて走りだした。初冬のお陽様は傾くのが早く、樹木が長い影を作っていた。

 何だか暗くなる前に帰りたくなった。


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