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朝の光に照らされて。鏡の中には精霊のように美しい少女が映っている。
……なんて。現実逃避をしてしまいそうなほど、化粧によって自分の顔は大きく変わっていた。
今日の装いはフォンリーゼ侯爵家との顔合わせに備えたもので。白いドレスはスカートのボリュームこそ控えめだが裾に銀糸と真珠で繊細な刺繍があしらわれた逸品だ。
本来はお茶会に来ていくようなドレスなのだろう。
全体的なデザインは小作りで愛らしいのにシフォン生地のオーバードレスがどきりとするほどに印象深く、まるで朝日のなかで咲く、咲き初めの花のようで美しかった。
金の髪は編み込まれた後半分結い上げられ。庭師に頼んでロベリアが選んできたというしろくちいさな花が散らされる。
動く度ふんわりと香る花の香りにヴィクトリアはうっとりしつつ……やはり気合を入れすぎではないかと内心ひやひやした。
「昨日はとても美しかったけれど今日はとてもかわいいです、ヴィクトリア様!」
朝とは思えないほどロベリアは元気だ。
太陽に負けないほど明るい笑顔には欠片も嘘がなくて。こうも綺麗に整えてくれたのだからしっかりしないといけないとヴィクトリアは姿勢を正した。
これからヴィクトリアはユリウスと共に王都にあるフォンリーゼ侯爵家のマナーハウスに赴く。
昼前に顔合わせを行い、昼食をご馳走になる予定だ。
きっと素晴らしい料理が並ぶのだろうけれど、ある意味昨日の夜の食事会以上に緊張している。
もしもフォンリーゼ家が自分を受け入れられないと判断すれば当然、ユリウスと結婚することは難しくなる。
ユリウスは当然のように他の家を探そうとするだろうが、拒否したのが名門フォンリーゼ家なら……自分を受け入れるまともな家はないといっても過言ではない。
そもそも自分には調査で否定されたとはいえ、不義の噂が付きまとっていたこともあった。
本当は純潔を失っているのではないかと疑われてもおかしくない立場なのだ。
つい、この数日間ユリウスを始め皆が大切にしてくれるから忘れてしまっていたけれど、自分は本来嫌な噂の標的になるような『問題のある令嬢』なのだ。
貴族社会で噂の対象になることはよくあることだ。
だがその噂を制御できずに蔓延させてしまう貴族は噂を跳ねのける力がないとみなされる。
自分は、噂を跳ねのけることができなかった。
妹や婚約者が噂を煽っていたのもあるし、家の助力も期待できなかった、というのはただの言い訳に過ぎない。
毅然とした態度と優秀な成績だけでは、数多の噂の前には無力だった。
今後同じ状況に放り込まれた時……自分はどう行動すればよいだろうか。
一度敗者に落ちた自分は、ユリウスの足を引っ張らずに嫣然と微笑んで立っていなければいけない。
そんなことを思っているうちに支度が終わり、ユリウスが部屋を訪れる。
「今日のドレスも似合っている。昨日は水の女神のようだったが、今日は朝の妖精のようだ」
部屋を訪れたユリウスはヴィクトリアを見つめて動きを止め。
昨夜を思わせる沈黙の後、ユリウスがそんなことを言ってくるのでヴィクトリアはユリウスをまじまじと見つめた。
ちなみに視界の隅ではロベリアがそうでしょうとも、というように胸を張り、ハンナに耳元で鈴を鳴らされている。
「……昨日のお酒が残っておられるのですか」
あまりにも予想外な一言だったので何か思う前に口から言葉が零れてしまう。
流石に失礼だ、と思ったヴィクトリアは手で口を覆い。ユリウスは頬をひと刷毛紅くしながら肩を竦める。
「飲んでない。隣にいたから見ていただろう……さっきのは……その……母と義姉上と妹に釘を刺された結果だ」
「あぁ……」
ユリウスの言葉にヴィクトリアは微笑んだ。
きっと自分の知らないところで美しく装った女性を褒めるのは紳士の嗜み、まさか褒めなかったのかと突かれたのだろう。
「だが、慣れないことはすべきではないな。君を前にすると言葉が見つからなくなる」
気にすることはないです、と言おうとした矢先にユリウスが頬を淡く染めたままそんなことを言うので。ヴィクトリアは何も返せないまま俯いて赤らんだ顔を誤魔化した。
緊張を持て余しているうちに王家の紋章を掲げた馬車がフォンリーゼ侯爵家についてしまった。
名門だけあって、侯爵家のマナーハウスは王城からほど近いところにあり、門構えも息をのむほどに立派だ。
門からは石畳が続いていて広い庭園が広がっている。
意外だったのは王城の完璧に作りあげられたような庭園ではなく、豪華なことに変わりはないが、緑を感じる自然さがあることだ。
もしかすると領地の庭を再現したものなのかもしれない。
フォンリーゼ侯爵家の領地は国土の西側。
比較的寒冷な、国内有数の穀倉地帯を擁する広大で豊かな土地だ。
当代の侯爵は学園の教科書に名前が載るような人物であり、彼が二十年前に創設した研究機関は現在の技術にも大きな影響を与えている。
領地について学んでいたヴィクトリアにとって、奇跡的な機会に恵まれたら一度話してみたかった相手で……だからこそ、養女にとフォンリーゼ侯爵家の名が挙がった時は信じられない気持ちになったものだ。
故にいまから会えるとわかってもなんだか現実感がわかない。
フォンリーゼ領には王都に繋がるメルーシュ河沿いに交易の要衝となる西域最大の街リーゼがあり。
水路の美しい街として有名だ。
もしもすべてうまくいけば、ユリウスとともに訪れる未来も……あるだろうか。
大きな不安の中には確かに小さな期待があって。
ほんの数日は随分と自分は変わったものだとしみじみと思う。
きっと助けて見守ってくれているユリウスと美しく装ってくれるロベリアとハンナのお蔭だ、とヴィクトリアはくすぐったい気持ちを飲み下しながら馬車が邸宅に近づいていくのを待った。
「緊張しているか?」
じっと黙っているのもよくないと思ったのかもしれない。
ずっと黙っていたユリウスが不意にそう問いかけてくるので。ヴィクトリアは微笑みを返した。
「はい……けれど不思議と恐ろしくはありません。殿下が傍に居てくださるお陰ですね」
「ヴィクトリア」
「はい……?」
ユリウスが躊躇った眼をして名を呼んでくるのでヴィクトリアは首を傾げた。
フォンリーゼ家の人々と顔合わせをするにあたって、何か伝え忘れたことがあったのだろうか。そう考えながら言葉を待っているとユリウスがそっと身を屈めて目を合わせてくる。
「君がフォンリーゼ家に受け入れられたら、俺のことをちゃんとユリウスと呼んでくれ」
「……はい」
予想外の言葉にヴィクトリアはやはりユリウスは頑なに自分が名前で呼ばないことに気づいていたのだ、と思いながら頷いた。
「帰りの馬車で、楽しみにしている」
そんなやりとりをしていると馬車が停まって。エスコートをするために席を立つユリウスが笑いかけてくる。
ヴィクトリアが受け入れられると信じているその顔を見て。ヴィクトリアは心を落ち着けて姿勢を正した。




