始まりは最初で最後の晩餐
「本当に素敵よ、ヴィクトリア」
夏の終わり。結婚式当日。
控室を訪れた侯爵夫人……母は心底幸せそうな笑みを浮かべ。傍らの侯爵……父は溢れる涙をポケットチーフで拭おうとして夫人に止められていた。
「ありがとうございます」
ヴィクトリアは微笑んだ。
今日の為に用意された純白のドレスは溜息の出るような代物だ。
ふっくらと膨らんだドレスの裾は長く、さらに腰の後ろからはそれだけでひと財産になりそうな複雑なパターンのトレーンが透明な翼のように広がっている。
生地の美しさを活かしつつ惜しみなく刺繍があしらわれ、裾や袖、胸元には絶妙な配置で真珠や水晶が縫いつけられていて。動くたびに雪を纏っているかのようにきらきらと輝いている。
第二王子妃としての予算が降りているにせよ、父母が用意してくれた『見せる為』のドレスに、初めてドレスを見たヴィクトリアは卒倒しそうになったものだ。
改めてフォンリーゼ侯爵家の権威を感じながら、ヴィクトリアは美しいドレスが最も綺麗に見えるように姿勢を正した。
ちなみにロベリアは今日だけでも侍女として戻りたいと言ったけれど、ヴィクトリアは『今日は一番の友人として招きたい』と伝えた。
きっとロベリアは出会った中で一番きれいな格好をして参加してくれるだろう。
彼女もまた、数日後に結婚式を控えていて。ロスティーニ侯爵としては二度目の結婚であるためつつましやかではあるものの、ユリウスとヴィクトリアも招かれている。
「本当に素敵ですわ、ヴィクトリア様」
髪にヴェールをつけながらハンナが微笑む。
ロベリアと共に傍にいてくれたハンナの言葉にヴィクトリアは胸がじんと熱くなった。
思えばハンナは、いつも後ろで微笑んで自分を見守ってくれていたのだ。
不意に、とうとう城の侍女である彼女とは今日でお別れであることに気づいてしまう。
そして同時に、父母ともこの一年のように毎日のように会うことはできなくなることにも。
何か思う前に大粒の涙が見開いた眼をいっぱいに満たして。
ヴィクトリアはせっかく整えてくれた化粧を崩さないようにそっと掌で涙を受けとめようとしたけれど。それより早く良い香りのするハンカチがそっと目尻に押し当てられた。
目の前には繊細なレースを重ねた青いドレスが見えて。それが母のものであると知ると余計に涙が止まらなくなった。
もう五年は、こんなふうに泣いた事なんてなかったので涙の止め方がわからない。
誤魔化すように微笑もうとしても唇の端が歪んで、余計に自分が普段通りではないことを突き付けられて心が波打ってしまう。
「ヴィクトリア、あなたが結婚しても、私達やハンナと会えなくなるわけではないわ」
優しい声が降ってくるけれど。
そんな母の声も滲んでいて。ヴィクトリアは嗚咽を噛み殺そうとして肩を震わせた。
「ヴィクトリア、どんな時でも駆けつけるからねぇ……いま開発中の、空を飛ぶ機械が実用化できればほんの数時間でフォングレイス領にだって会いに行けるからねぇ」
ちょっとずれた父の声はもうぐずぐずで。ヴィクトリアは漸く小さく笑うことができたけれど。
「……私たちは、君の親になれたんだね、それが何より嬉しいよ」
父の言葉にまた呼吸がまともにできなくなった。
「お父様、お母様、ハンナ……本当にありがとうございました」
上擦る息に声を乗せる。
聞き苦しい声だと思いながらも溢れる感情は止められない。
「優しくしてくれて、ありがとう……離れることが、寂しいです……」
泣きながら漸くそう告げて。
別れ際に寂しさを感じることができるのはとても幸せなことなのだと実感した。
控室を訪れないはずのユリウスがヴィクトリアの元を訪れたのは涙が落ち着いてハンナをはじめとする城の侍女達がヴィクトリアの化粧をきれいに整えてくれた後だった。
様子を見に来てくれたのだとわかっているからこそ気恥ずかしくて、ヴィクトリアは何事もなかったような顔をして、姿勢を正して立ったままユリウスを迎えた。
「式の前に花婿が花嫁に会うのは縁起が悪いのではなかったのですか」
「慣習ではな。君の両親をのぞいて、誰よりも一番に君の姿を見たいという気持ちに勝てなかったんだ」
そう言って笑うユリウスは普段おろしている前髪を半分あげていて。整った形の額から眉が露わになっていて、ヴィクトリアはそれだけで目のやり場に困ってしまう。
いまになって、整ったユリウスの顔の、特に眼差しが好きだったことを突き付けられた気分だ。
ユリウスは淡く微笑んだままヴィクトリアを見つめ。見慣れても見惚れてしまう整った顔をとろりと綻ばせる。
咲いた花を見るような眼差しに胸の奥が熱くなって……羞恥とは違う、持て余してしまうほど大きくて激しい感情が煮えているような気がした。
「ユリウス様……あなたに会えてよかった。どうしようもない状況から私を掬い上げてくださってありがとうございます」
じっとユリウスを見つめて改めて感謝を述べる。
遠からず自分との一件がなくともヴァロワ伯爵家は調査が入り、監査されることになっていただろう。
だがそれは数年後だったかもしれない。
そうなっていたら、きっと今の自分はなかっただろう。
どの道、婚約破棄は免れなかっただろうから、問題のある貴族や商人に売られるように嫁に出されるか、最悪、飼い殺しのような状態になっていた可能性もある。
そんな、あったかもしれない未来を考えるとぞっとするけれど。いまはいまだ。
ユリウスが自分を見つけてくれて。自分は親しい人と楽しく食事をすることを思い出し、うつくしく装うことの楽しさを覚えた。
両親と呼べるようになるほど、尊敬できる優しい人と暮らすこともできたし。生涯の付き合いになるであろう、得難い友人もできた。
なにもかもから護ってくれるユリウスの隣に立てる人間になれたかは、これからの人生で証明するしかないと思っている。
「私、ユリウス様に初めて会った日のような『面白い女』ではないと思いますが……ユリウス様のことが特別で、好きです」
だからただ、ヴィクトリアは微笑んで。
何故か体勢を崩してしまったユリウスの顔を覗き込むとそっと抱き寄せられ……唇の端にキスをされて、持て余していた熱なのか、感情なのかよくわからないものが腹の奥から喉元までこみ上げるように膨れ上がるのを感じて……それが特別な好意だと気付くしかなかった。
「君はずっと面白いよ、ヴィクトリア。けれど君が面白いからじゃない……俺も、ハンナも、ロベリアも、侯爵夫妻も……君だから優しくして、護ろうとしたり愛したりしたんだ」
静かな声は厳かで。だからこそ胸に染みた。
「あと、俺の好きという言葉では足りない気持ちは……少しずつ伝えていくから」
そっと耳元で囁かれた言葉の意味を考えてしまったヴィクトリアは。
婚礼の夜に何があるのかを思い出し……真っ赤になって俯いた。
王国歴895年。
第二王子改め、フォングレイス公爵の結婚式が王都で盛大に開かれた。
妻となったのは国内有数の名門、フォンリーゼ侯爵令嬢。
極上の白の衣装を纏った、黒い髪の王子と金の髪の令嬢。
そのうつくしい一対に衝撃を受けた詩人や絵師が後世に多くの作品を残したとされる。
中でも絵画『昼と夜の結婚』は有名だ。
当時は蒸気機関が実用化され始めているが産業革命における黎明期。
後世の学者たちはこの婚姻を、グレイス領発展のための政略結婚と受け止める者も多かった。
……フォングレイス公爵の、生涯にわたってつづられた日記、というか妻に関する覚書が発見されるまでは。
四十冊に及ぶ日記は彼が没するその日まで書き連ねられており。現代語に翻訳された一部は戯曲にもなった。
私人としてのフォングレイス公爵夫人に関するものは見つかっていないが、公人としての彼女の功績は今日の領主教育論の礎となった論文の数々に残っている。
ただ、フォングレイス公爵の日記が見つかったことで彼女が時折著書に書く献辞『ユーリに捧げる』が息子ではなく、フォングレイス公爵に充てたものである説が濃厚となったことは追記しておこう。
この物語にお付き合いいただき、誠にありがとうございました!
用意していた番外編はこれで以上となります。
書き上げられただけで大満足な一作でしたが後学のために感想やご意見いただけるととても嬉しいです。
また、『こういう話が読みたい』などのリクエストがある場合はお気軽にお伝えいただけると、面白い展開が思い浮かべば書くかもしれません。
改めまして、拙作にお付き合いいただき誠にありがとうございました!
またどこかの物語でお会いできると嬉しいです!




