41話 お人好しと牧場の真実(後)
エルシャが深呼吸をすると、人間たちにも緊張が走った。
「働かずに、健康的な生活を送って欲しいのです。」
人間たちが呆気にとられる。
「働かずにって……食事や衣服、生活品はどうなるんですか?」
エルシャが柏手を叩く。
従者の吸血鬼たちが箱いっぱいの食事や衣服、石鹸などを積み上げていく。
「私たちが支給いたします。
皆さんは三食を取り、適度な運動をして、清潔にお過ごしください。
お酒も少量なら結構です。
ただし、二週間に一度は血を頂きますので、前日は控えていただきます。」
エルシャがハンカチで目元を押さえる。
「ただし、少しだけ条件があります。」
人間たちが息を飲み、喉を鳴らす。
「条件……ですか?」
「一つ。暴飲暴食や運動を行わず、血が不味くなった方は──
二連続で退場です。
二つ。高齢になった方、六十歳を超えた方は退場です。
三つ。子をなした場合、私たちが審査をして、
状況によっては住む区画を変えていただきます。
その場合、その区画の夫婦に育てる事をお願いします。」
人間たちが恐る恐る尋ねる。
「退場って……まさか殺されるんですか……?」
エルシャが目を見開き、口を大きく開く。
「まさか! まさか! そんな非道な事は致しません。
人間界に戻っていただくだけです!
ご安心ください、“元に”戻るだけです!」
エルシャが胸に手を当てる。
「さて、ここまでご静聴いただきありがとうございました。
お約束した通り、ご褒美を差し上げますね。」
エルシャが指を鳴らすと、
王侯貴族でしかお目にかかれないような御馳走や美酒が並んでいく。
「他のご褒美をお望みの方は、あちらの吸血鬼たちにお声がけください。」
そこには、美男美女の吸血鬼たちが姿勢よく直立していた。
「人間界に戻ることをご希望の方は、あちらにお集まりください。」
暴力的なほどに嗅覚を刺激する美食の香り。
貴族のような美男美女たち。
人間の欲を刺激する酒池肉林の誘いがそこにあった。
やがて、一人の男が声をあげた。
「俺は残るぞ。ここは天国だ!」
そう言って食事を口にし始めた。
「美味い……こんな美味い物、初めてだ……」
見ていた人間たちが喉を鳴らす。
やがて一人、また一人と移動していく。
ある者は美食に舌鼓を打ち、ある者は美酒に酔いしれ、
ある者は壁際の美男美女に声をかけ、別室へと消えていく。
エルシャは満面の笑みを浮かべ、
まだ泣き続けている者の側へ歩み寄った。
「うふふ、まだ決められませんか?
また明日、答えを聞かせていただきますね。」
そう言って頭を撫でた瞬間、
泣き続けていた者は深い眠りに落ちた。
「誰か、寝室に運んでください。
今日は人間界に戻る方は居なさそうですね。
とても良い結果で、私も嬉しいです。」
◇
「こうして私たちは住居と食事を与えられたんだ。
人間界じゃ貴族たちの下で家畜のように働いていたのにね。
ここは本当に天国だよ。」
婦人がそう言って話をまとめた。
俺たちは、どこに住んでいるかを聞かれる前に
お礼を言ってその場を立ち去った。
そしてカリンと意見交換を始めた。
「いくつか気になったことがある。
一つは、暴飲暴食や高齢者の血についてだが……」
カリンが口に指を当てる。
「何かの論文で、若い血には若返り因子があると
読んだことがある気がします。
とはいっても、人間が普通に飲むと胃酸で分解されるただのタンパク質で、
無意味なものですが……」
俺は首肯する。
「俺も読んだことがあるよ。
吸血鬼なら牙から直接摂取できるのかもしれないね。
逆に高齢になると、細胞老化随伴分泌表現型──
炎症性物質が増えるなんて話もあった。
はっきりとは覚えていないけど……そういった理由があるのかもしれない。」
俺は続ける。
「二つ目は、生まれた子供の区画移動だが……
恐らく血液型で分けているんだろう。」
カリンが戸惑いながら口にする。
「そうですね……徹底した“食料としての管理”という
薄ら寒さを覚えます……。
最後に三つ目……“退場”についてです。」
俺は喉からかすれるように声を発した。
「あぁ……カリンも気付いていたか。
そうだ。本当に人間界に戻すのか……そこも気になるが、
仮に戻されたとしても……」
カリンが頷く。
「この環境で、自堕落や高齢を理由に追放された人間が
社会復帰……元の世界で生きる事は難しいでしょうね。」
俺はあえて明言を避けて口にする。
「そうだな……戻っても、既に人間界に居場所なんてない。
行きつく先に、それほどの選択肢はないだろう。」
その時、背後から突然の気配と同時に声がした。
「ふふふ、そこに気付くなんて──
あなた方は随分と高度な知性をお持ちのようですね。」
振り向くと、そこにはゴーレム領で出会ったストリクスと、
話に聞いていた“エルシャ”と思われる吸血鬼の二人が立っていた。




