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箱庭の主 ~俺だけが異能に目覚めたので、小さな世界を育てていたら国家機密になりました~  作者: にゅん


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繋ぐ

 水野美月と付き合い始めてから、三年が経った。


 あの頃、世界中のニュースを騒がせていたハコニウムは、今では誰もが名前くらいは知っている新素材になっている。日本とアメリカの共同研究は順調に進み、国内企業による実用化研究も本格化していた。


 もちろん、どこでも自由に購入できる材料になったわけではない。供給量や用途には厳しい管理があり、海外への輸出についても政府間で協議が続いている。それでも、最初は研究室にしか存在しなかった金属が、実際の工業製品へ使われようとしているのだから大したものだった。


 そして俺自身にも、大きな変化があった。


 美月と結婚したのである。


 現在の名前は八樹美月。近所の酒売り場で偶然出会い、ワインを勧めてくれた女性が、今では俺の妻になっていた。


 結婚するまでの間には、当然ながらいろいろなことがあった。


 特に大変だったのは、俺の仕事について説明することだったと思う。


 美月は俺が普通の会社員ではないことを知っていたし、資産関係の収入があるという説明にも納得していた。しかし、結婚する相手に対して、いつまでも本当の生活を隠しておくわけにはいかない。


 そこで高橋さんに相談した。


 政府内では相当な議論があったらしいが、最終的には結婚を前提とした限定的な情報開示が認められた。美月には秘密保持について説明したうえで、俺自身が《箱庭》の存在を打ち明けることになった。


 最初は当然、信じてもらえなかった。


 しかし、目の前で俺が消え、箱庭から採ってきた果物を持って戻ってくると、さすがに冗談では済まなくなった。


 さらに後日、正式な手続きを経て美月を箱庭へ招待した。


 あの日の反応は、今でも忘れられない。


「……伊織。これ、全部あなたのものなの?」


 湖畔の家から広がる景色を見て、美月はしばらく動かなかった。


 湖の向こうには山々が連なり、家の近くには果樹園と牧場がある。羊たちがのんびり草を食べ、少し離れた研究区域では日本政府の研究者たちが働いていた。


「正確には、俺が管理している世界かな。ちなみに、あの山の向こうにハコニウムの鉱山がある」


「……ちょっと待って。ニュースでやってる、あのハコニウム?」


「そう。そのハコニウム」


 美月は俺を見た後、もう一度山の方へ顔を向けた。


 それから、妙に納得したような表情を浮かべた。


「だから、平日の昼間から釣りをして、あんなに高い家に住んでいたのね」


「最初に気になるのがそこ?」


「だって、ずっと不思議だったんだもの」


 そう言って笑った美月を見て、俺はようやく安心した。


 もちろん、秘密を知ったからといって何もかも簡単に受け入れられるわけではない。それでも美月は、俺が箱庭の主であることより、これから二人でどんな生活を送るのかを大切にしてくれた。


 結婚後は、日本側の自宅と箱庭の湖畔の家を行き来する生活になった。


 美月も箱庭を気に入り、休日には一緒に果樹園の手入れをしたり、湖で釣りをしたりするようになった。特にブドウ栽培には熱心で、今では俺より詳しい部分もある。


 そんなある日のことだった。


「伊織、ちょっと話があるんだけど」


 朝食を終えた俺がソファでくつろいでいると、美月が隣へ座った。


 いつもより少し緊張している。


 何かあったのかと尋ねる前に、美月は小さな箱を取り出した。


「赤ちゃん、できたみたい」


 俺は一瞬、言葉を失った。


 箱を見て、美月の顔を見て、もう一度箱を見る。


「……本当に?」


「うん。病院でも確認してもらったから、間違いないと思う」


 次の瞬間、俺は美月を抱き締めていた。


 嬉しかった。


 何と言えばいいのか分からないくらい、嬉しかった。


 世界中がハコニウムの研究成果を発表した日でさえ、こんな気持ちにはならなかったと思う。


 ところが、その直後だった。


 俺の目の前に、久しぶりに見覚えのない通知が現れた。


『《箱庭》からのお知らせ。次期後継者候補の存在を確認しました。候補者の保護を開始します』


 思わず画面を凝視する。


 これまで《箱庭》には、領域の拡張や購入機能の追加など、様々な通知が表示されてきた。


 しかし、後継者という言葉を見るのは初めてだった。


「伊織? どうしたの?」


「いや……ちょっと待って」


 俺は表示された内容を美月へ説明した。


 彼女も驚いた様子だったが、しばらく考えた後、お腹へ手を添えた。


「つまり、この子が将来、箱庭を引き継ぐかもしれないってこと?」


「そうみたい。ただ、候補って書いてあるから、まだ決まったわけじゃないと思う」


 俺は改めて通知を確認した。


 どうやら《箱庭》は、俺一代で終わるものではないらしい。


 最初に異能へ目覚めた時には、自分だけの小さな世界を手に入れたとしか考えていなかった。


 それが今では、日本政府と共同研究を行い、世界中が欲しがる資源を生み出し、さらに次の世代へ受け継がれようとしている。


 随分と遠くまで来たものだ。


 ただ、今の俺にとっては、後継者のことよりも大切なことがあった。


「とりあえず、今日はお祝いだな」


「まだ早いわよ。これからが大変なんだから」


「じゃあ、しばらく俺が家事を担当する」


「それは助かるけど、ちゃんと続けてね?」


 美月が笑う。


 俺も笑った。


 箱庭の未来について考えるのは、もう少し先でもいい。


 今はただ、生まれてくる子供を楽しみにしていたかった。


     ◇


 それから数ヶ月後、日本政府はハコニウムの新たな供給方針を発表した。


 国内の選定企業に対する限定的な商業供給を開始し、同時にアメリカとの間で正式な輸出契約を締結するという内容だった。


 ハコニウムが研究材料から実際の産業資源へ移行する、最初の大きな一歩である。


 もちろん、世界中の企業へ無制限に販売するわけではない。用途や供給量には厳しい条件が設けられ、日本政府が管理する仕組みも維持されていた。


 それでも、最初の取引が成立した日のニュースは大きかった。


 日本国内では航空宇宙関連企業や精密機器メーカーが実用化へ向けた研究を進め、海外でも共同研究の拡大が決まった。


 供給源については、相変わらず非公開のままだった。


 世界中がハコニウムを知っていても、その鉱山が俺の箱庭にあることを知っている人間は、ごくわずかしかいない。


 そして、そんな歴史的な出来事が起きた頃、我が家でも別の大事件が発生していた。


 美月が出産したのである。


 生まれてきたのは、元気な男の子だった。


 名前は、奏。


 八樹奏。


 俺と美月が何度も相談して決めた名前である。


 初めて息子を抱いた時、俺はあまりの小ささに驚いた。


 これまで箱庭で様々な生き物を育ててきたし、生命が増える光景も何度となく見ている。それでも、自分の子を抱く感覚は、それらとはまったく違っていた。


「伊織、顔がすごいことになってる」


 病室のベッドで休んでいた美月が笑った。


「いや、だって……小さいな」


「赤ちゃんなんだから当たり前でしょう」


「そうなんだけどさ」


 俺は奏の顔を見つめた。


 小さな手が動き、俺の指へ触れる。


 その瞬間だった。


 視界の端に、再び《箱庭》の通知が現れた。


『次期後継者候補の確認が完了しました。八樹奏を正式な次期後継者として任命します』


 俺は通知を読み終え、思わず笑ってしまった。


 どうやら《箱庭》は、本当に奏を選んだらしい。


 ただし、息子が新しい異能を手に入れたわけではない。


 あくまでも、俺が持っている《箱庭》を将来引き継ぐ存在として認められたということだった。


「美月、正式に決まったらしい」


「何が?」


「奏が、箱庭の次の主だってさ」


 美月は少し驚いた後、俺の腕の中で眠っている娘を見た。


「そうなのね。でも、この子が大きくなったら、自分で決めさせてあげたいわ」


「俺もそう思う」


 世界中が欲しがる資源を生み出せる場所だからといって、娘へ無理やり押し付けたいとは思わない。


 俺自身、自由に暮らしたくて会社を辞めた人間なのだから。


 奏がどんな人生を選ぶのか。


 その答えは、本人が大きくなってから決めればいい。


 俺は息子を抱きながら、そう考えていた。


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