青銀色の未知金属
ーーー松島視点ーーー
松島孝明が所属する国立系研究機関へ、通常とは異なる経路で分析協力の依頼が届いたのは朝の九時を少し過ぎた頃だった。
五十二歳になる松島は、長年にわたって金属材料と結晶構造の研究へ携わってきた。企業との共同研究だけでなく、政府から公開前提ではない材料評価を依頼された経験もあるため、今回の連絡そのものに驚いたわけではない。
気になったのは、依頼内容の少なさだった。
提供される試料は青銀色の金属質物質であり、由来は非公開。民間の分析機関で予備的な測定が行われたものの、一部の結果について再確認が必要と判断されたため、政府側で改めて評価したいという説明しか書かれていなかった。
さらに分析結果については外部発表を行わず、研究機関内部でも共有範囲を限定するよう求められている。
「由来も分からない金属を調べろ、か」
松島は画面を見ながら呟いた。
面白くないと言えば嘘になる。
ただし、未知の金属という表現には慎重になる必要があった。
分析結果がおかしいからといって、直ちに人類が知らない新物質ということにはならない。試料の汚染や測定条件の問題、複数材料の混合、既知の合金を特殊な方法で加工した可能性など、先に疑うべきものはいくらでもある。
松島が依頼を受諾すると、その日の午後には政府側の担当者が研究機関を訪れた。
現れたのは野口玲奈だった。
「経済産業省の野口です。本日は急なお願いを受けていただき、ありがとうございます」
「松島です。話は聞いています。ただ、由来を教えられないというのは少し困りますね。材料は製造方法まで含めて性質が変わりますから」
「承知しています。現段階では、まず試料そのものから分かる範囲を確認していただきたいんです」
野口が持参したケースは小さい。
その中にはさらに密閉された試料容器があり、青銀色の小片が収められていた。
大きさだけなら指先に載る程度しかない。
松島はすぐに触ろうとはしなかった。
「安全性については?」
「民間で行われた範囲では、強い放射線などは確認されていません。ただし安全性が完全に確認されたわけではありませんので、未知試料として扱ってください」
「当然です」
松島は試料を観察した。
銀より僅かに青みを帯びた金属光沢がある。表面は天然鉱石を切り出したようにも見えるが、見慣れた金属鉱石とは印象が違った。
「人工物ではないんですか?」
「提供者は自然に存在していたものだと説明しています」
「産地は?」
「現段階では非公開です」
松島は野口を見る。
答えられないことを責めても仕方がない。
「分かりました。まずこちらで測定します。ただし結果によっては、追加試料をお願いすることになります」
「その場合は提供者へ確認します」
「提供者がいるんですね」
「います」
それ以上、野口は説明しなかった。
松島は試料へ視線を戻した。
政府がここまで情報を制限する理由は分からない。
だが材料そのものに答えがあるなら、先に調べればいい。
最初に行ったのは、試料を壊さず確認できる範囲の測定だった。
質量と体積から大まかな密度を確認し、表面状態を観察する。導電性や磁気への反応についても、試料へ大きな変化を与えない方法から調べていった。
そこで最初の違和感が出た。
「軽いな」
見た目から受ける印象に対して、明らかに軽い。
もちろん軽量な金属材料そのものは珍しくない。しかし青銀色の外観や表面状態から松島が最初に想像したものとは、かなり離れている。
さらに導電性を確認すると、こちらも無視できない結果が出た。
松島は一度測定を止めた。
機器を確認する。
別の標準試料で測定し、装置そのものに異常がないことを確かめる。
それからもう一度、青銀色の試料を測定した。
結果は大きく変わらなかった。
「……なるほど」
軽いだけなら、それほど驚かない。
電気を通すだけでも同じだった。
しかし複数の性質が、松島の知っている一般的な金属材料の感覚から少しずつ外れている。
だからといって、まだ結論を出す段階ではない。
翌日から、さらに詳しい分析へ移った。
野口を通じて試料提供者へ確認し、ごく一部を分析用に使用してよいという許可も得られた。
表面の微小な一部を採取し、組成を調べる。
松島が最初に疑ったのは、複数の既知元素を組み合わせた特殊合金だった。
ところが測定を進めるほど、その説明だけでは整理しにくくなった。
試料に含まれる主要な成分を確認しようとしても、装置が返してくる結果に安定しない部分がある。既知の標準データと綺麗に一致せず、測定条件を変えても説明しきれない特徴が残った。
「装置を替えよう」
松島は同じ結果を一台の機器だけで判断しなかった。
別方式の測定を行い、試料の位置を変え、標準試料を挟みながら何度も確認する。
それでも違和感は消えない。
さらに微細構造を調べると、松島はしばらく画面から目を離せなくなった。
天然由来だという説明をそのまま信じるなら、奇妙なほど整った構造を持っている。
人工的に高度な処理を施した材料だと言われた方が、まだ理解しやすかった。
「誰が作ったんだ、これ……」
松島は小さく呟いた。
しかし野口の説明では、作られたものではないという。
そこから数日、松島は分析を繰り返した。
軽量性、硬さ、導電性、熱に対する挙動、微細構造を一つずつ確認していく。
どれか一つだけなら、既存材料にも優れたものは存在する。
問題なのは、その組み合わせだった。
軽量な材料を求めれば別の性能を犠牲にすることがある。高い強度を持たせれば加工性や重量との兼ね合いが生じ、電気的な特性まで同時に優れるとは限らない。
この試料は、その常識的な組み合わせから外れている。
しかも天然状態に近いという。
松島は途中から、最初に受け取った依頼書を何度も読み返すようになった。
由来非公開という一文が、次第に重く見えてくる。
四日目の午後。
松島は野口へ連絡した。
「一度、直接話したいんですが」
「結果が出ましたか?」
「出たというより、分からないことが増えました」
電話の向こうで野口が少し黙った。
「詳しくお願いします」
「まず、単純な測定ミスという可能性はかなり下がっています。複数の方法で確認しました。少なくとも、普通の金属片を誰かが持ち込んだだけという話ではありません」
「既知の合金でしょうか?」
「そこも断定できません。というより、そろそろ産地と製造履歴を知らないまま分析するのが難しくなっています」
松島は机の上にある試料ケースを見る。
「この材料は、本当に天然物なんですか?」
「提供者はそう説明しています」
「どこの鉱山です?」
「それについては、私の判断だけではお話しできません」
「では、その判断ができる人と話をさせてください」
松島は少し間を置いた。
「それから可能なら、試料を見つけた本人とも話したい」
野口は即答しなかった。
「確認します」
「お願いします。研究者として言いますが、このまま由来を伏せた状態で数字だけ積み上げても、限界があります」
「分かりました」
電話はそこで終わった。
松島は椅子へ深く座り直した。
目の前には、指先ほどの青銀色の試料しかない。
それなのに、数日間調べても正体へ近づいた感覚がなかった。
むしろ調べるほど疑問が増えている。
そして二日後。
松島は再び政府側から呼び出された。
指定された場所へ向かうと、以前会った野口だけではなく、高橋誠司も待っていた。
「松島先生。本日はありがとうございます」
「こちらこそ。今日は産地を教えてもらえると思って来ました」
高橋と野口が一度視線を交わした。
「その前に、松島先生へお願いがあります」
「何でしょう」
「これからお話しする内容については、現在の分析結果を含め、外部への発表や第三者への共有を控えていただきたいと考えています。研究機関内部についても同様です」
松島の表情から僅かに笑みが消えた。
「そこまでの話ですか?」
「はい」
高橋は明確に答えた。
「そして、先生が分析されている試料について、通常の産地情報をお伝えすることはできません」
「なぜです?」
「通常の鉱山から採掘されたものではないからです」
松島は黙った。
「では、人工的に作った?」
「それも違います」
「だったら、どこから持ってきたんです?」
高橋はすぐには答えず、机の上の資料を閉じた。
「それを説明できる人物が、今日こちらへ来ます」
松島が質問しようとしたところで、会議室の扉が開いた。
職員に案内され、一人の若い男が入ってくる。
松島が想像していた研究者や企業関係者とは明らかに違った。
「八樹さん、ありがとうございます」
「いえ。今日はこの前の金属の話ですよね?」
「はい。こちらが分析を担当している松島孝明先生です」
高橋に紹介され、伊織は松島へ軽く頭を下げた。
「八樹伊織です。よろしくお願いします」
「松島です」
松島も挨拶を返した。
それから目の前の青年を改めて見る。
若い。
どう見ても、あの材料を開発した研究者には見えない。
「八樹さんが、あの試料を発見されたんですか?」
「はい」
「どこで?」
伊織は高橋を見る。
高橋が頷いた。
「箱庭です」
松島の眉が動いた。
「……箱庭?」
「俺の異能です」
今度こそ、松島は完全に言葉を止めた。
高橋は松島の反応を確認してから、これまで政府が確認した事実を説明していった。
八樹伊織だけに発現した《箱庭》という異能。
伊織自身が出入りできる独立した空間。
内部で異常な速度で成長する植物。
生命循環によって拡張される領域。
その地下に形成された鉱床。
そして採掘後に再形成される資源。
松島は途中から一度も口を挟まなかった。
話が終わってから、ようやく伊織へ尋ねる。
「私が調べている試料も、その箱庭の地下から?」
「そうです。山みたいな場所を調べていたら見つけました」
「人工的に精製したものではない?」
「俺は何もしてません。掘り出して、表面の石を少し落としたくらいです」
松島は額へ手を当てた。
研究者としては信じられない話だった。
だが政府が単なる自己申告だけで自分へ説明するとは考えにくい。
「高橋さん。異能について、政府は確認しているんですね?」
「八樹さんが我々の目の前から消失し、約一分後に箱庭から持ち出した物品とともに同じ場所へ戻る現象を確認しています。映像記録もあります」
「見せてもらえますか?」
高橋は用意していた映像を再生した。
松島は無言で最後まで見た。
伊織が消える。
そして戻ってくる。
映像が終わると、松島は椅子へ背中を預けた。
「……なるほど。私の分析結果がおかしいんじゃなくて、試料の出所がおかしかったわけですか」
「たぶん、そういうことになります」
伊織が答える。
松島は思わず笑いそうになったが、すぐに表情を戻した。
「八樹さん。一つ聞いてもいいですか?」
「はい」
「あの鉱石は、どれくらいあります?」
「正確には分かりません。でも鉱床としてあります。それと、一度少し削ったところは戻り始めてます」
松島の表情が再び止まった。
「……この金属も?」
「はい」
「採掘しても、また形成される?」
「今のところは」
松島は数秒間黙り込んだ。
未知の性質を持つ材料が存在する。
それだけでも研究者にとって大事件だった。
しかし今聞いた話が事実なら、問題はさらに大きい。
有限の試料ではない。
研究のために数グラムを大切に分け合う必要がなくなる可能性がある。
「追加試料をいただけますか?」
松島が尋ねると、伊織はあっさり頷いた。
「必要な量を言ってくれれば、たぶん大丈夫ですよ」
「現在の百倍程度でも?」
「そのくらいなら全然」
松島は目を閉じた。
最初に渡された試料は、失わないよう慎重に扱うほど小さかった。
その百倍を簡単に出せるという。
「高橋さん」
「はい」
「分析体制を増やしたいです。ただし人数を増やすという意味ではなく、使える設備を増やしたい。強度、熱特性、電気特性だけでは足りません。加工した時にどう変わるかまで調べる必要があります」
「必要な設備と、そのために情報を共有する必要がある人物を整理してください。こちらで検討します」
「分かりました」
松島の声には、最初に会った時とは明らかに違う熱があった。
その日の面談が終わる直前、高橋が伊織へ確認した。
「八樹さん。前回お話しいただいた《限定ゲート》についても、政府側で検討を始めています」
「安全確認が終わってからって話でしたよね?」
「はい。箱庭から持ち出していただいた水、土壌、植物について、現時点で重大な危険を示す結果は確認されていません。ただし、まだ調査は続けます」
伊織は頷いた。
「じゃあ、もう少し先ですね」
「そのつもりでした。ただ、松島先生から今後大量の試料を求められる可能性があります。そのたびに八樹さんへ運搬をお願いする方法では、長期的には負担が大きいでしょう」
「それは確かに面倒ですね」
伊織にとっては重要な問題だった。
箱庭から鉱石を持ち出せるとはいえ、政府に呼ばれるたびに自分で運ぶ生活を何年も続けるつもりはない。
「限定ゲートを作るなら、どこに置くか考えないと駄目ですよね」
「はい。一般人が立ち入れず、物資の搬入にも対応でき、長期間管理できる場所が必要になります」
高橋はそこで一枚の資料を伊織へ差し出した。
「政府側で候補施設を探し始めています。ただし、設置するかどうかを含めて最終的に決めるのは八樹さんです」
伊織は資料を受け取った。
政府管理下の研究施設。
警備された区画。
そこへ《箱庭》へ繋がる出入口を作る。
一か月ほど前まで、伊織にとって箱庭は仕事帰りに野菜を育て、鶏を眺め、森を歩くための小さな趣味だった。
それが今では、日本政府が専用施設を用意しようとしている。
「……随分、大きな話になったな」
思わず漏れた言葉に、高橋が答えた。
「まだ始まったばかりだと思います」
伊織はその言葉を聞きながら、手元の資料へ目を落とした。
そして箱庭の中では、人間社会の動きなど知らないまま、青銀色の鉱床が採掘された部分をゆっくりと埋め続けていた。
後に《ハコニウム》と呼ばれ、日本だけでなく世界の材料研究を大きく変えることになる金属は、この時点ではまだ正式な名前すら与えられていなかった。




