最終話 あの日の海へ、もう一度
最終話 あの日の海へ、もう一度
結婚して1ヶ月が経った。国のお祝いムードのなだらかな落ち着きと共に、セラとレオの新婚生活も徐々に穏やかさを増していた。
夜、隣に寝るのが当たり前になったレオが言った。
「2日後からメーアベルクの離宮に行くぞ。」
「メーアベルクですか?何か用事でも?」
「ああ。重要な用事があるんだ。ついて来てくれるだろ?」
「勿論です。」
愛してると告げられた時から変わらない、優しい顔。結婚してからはそこに甘やかな愛おしさが混ざるようになった。
幸せだ。ただ、そう思う。あの時、川を渡らなかったことを後悔しないぐらいには。
(あ、もしかして……)
やめておこう。もし違ったら悲しくなってしまうから。
幸せを得ても変わらないセラの悪い癖。聞かずに期待しないことで自分を守ろうとすること。
随分改善したのだ、これでも。ただ、どうしてもレオとのことだけは慎重になってしまう。どうしようもなく愛している人。傷つくのも、傷つけられるのも嫌だから。
馬車で向かうメーアベルクの離宮。懐かしい思い出を懐古していると向かいの人も同じことをしていたようだ。移りゆく景色を眺めながら穏やかな沈黙を感じていた。
「……あの時とは大違いだな。」
「……そうですね。」
「お前俺と同じ馬車に乗るのも嫌がっただろ。忘れてないぞ。」
「……愛していると言われて私なりに動揺していたのです。ましてや心の中では慕っていた相手に。胸中穏やかに馬車に同乗出来るわけないではないですか。」
「何だ、その時から自覚はあったのか?」
「……まあ。」
「拗ねるな。確かにお前には苦しい思いをさせた。でも馬車自体は楽しかっただろう?」
「それは……そうですが。あの質問攻めに意味があったのか未だに分かりかねます。」
「俺はお前のことなら何でも知りたい。それが一生使うことのない内容でもな。」
「……折角ですし今日は私がレオ様を質問攻めにしてみましょうか。」
「お、やるか?何でも答えてやるぞ。」
「何だか逆転する未来が今から見えます。」
「したらそれまでだ。2日ある。楽しもう。」
馬車を、こうやって楽しめる人でよかった。沈黙が苦手なセラは、心からそう思った。
離宮に着くと陽は暮れていた。湯浴みをして一息吐けばもう夜だ。
「今日は早く寝ろよ。明日は出るから。」
「私もですか?」
「ああ。ほら、横になれ。そんなとこに座ってないで。」
「アイルが入れてくれるミルクセーキは美味しいのですよ。」
「確かにいい腕だがな。おいで、セラ。」
気が抜けてしまうレオの腕の中。厚い胸に顔を埋めればゆっくりと髪を梳いてくれる。初めて梳かれた日から、不思議なほどセラを落ち着けるレオの手。
「今日は抱かないからな。お前を休ませないと。」
そう眉を下げて言う彼は少し残念そうに見える。疲れ知らずなものだ。
「私は馬車疲れで今日は無理そうです……ふぁ」
「分かってる……寝ろよ、セラ。」
「うん……」
眠ってしまったセラにレオが口付けたことを、セラは知らなかった。
「セラ、起きろ。」
「ん……」
「ったく……こんなに朝弱いやつがどうやって生き抜いていたんだ?」
「セラ」
名を呼びキスすると驚いたように目をぱちぱちさせている。
「あ、レオ様……おはようございます。」
「おはよう、よく眠れたか?」
「すっかり寝坊してしまいました。」
「いいんだ。離宮に来てる時ぐらい気を抜いたら。さ、支度しろ。出かけるぞ。」
「はい。」
出ていくレオに入れ替わって4人の侍女たちが入ってくる。
「セラ様!おはようございます!」
1番に挨拶するのはエティだ。彼女とこの離宮にいると何とも言えない気分になる。
「さあ、支度を始めましょう。髪型はどうしましょう?」
「今日は編み込んで纏めてしまいましょう!うなじが綺麗に見えます。」
「それがいいわね。ドレスはこれなんでしょ?殿下が決めて行かれたわ。」
差し出されたドレスはいつかの演技用に使ったものを仕立て直したもののようだ。何だか今日は何もかも懐かしい。
「お化粧は私が。」
意外にも4人の中で1番化粧上手なのはアシュレイだった。
いつも場に合った化粧をしてくれる。
「さあ、出来ました。殿下とのお出かけ、楽しまれてくださいませ。」
「でも私どこに行くかも分かってないのだけど……」
トントン
「支度はできたか……」
「まあ殿下ったらまたですわ。」
「最早お決まりの芸みたいです。たまには違う反応をしていただかなくては。」
「お前ら……!」
「まあまあレオ様、このドレス、レオ様が選ばれたのですか?」
「ん?ああ。懐かしいだろう。少し仕立て直した。」
「良いですね。また着ることはないと思っていました。」
「折角だからな。飾りともよく合ってる……綺麗だ。」
何度言われても慣れない言葉。後ろで顔を赤くしている侍女たちによって恥ずかしさは倍増している。
「もう……早く行きましょう。」
「これもあの時と一緒だな?」
「……そうですね。」
「で、どこに行くのですか?」
「やり直しだ。」
「またですか?」
「今日は別のな。今日は途中で賊の邪魔なんてさせない。最後まで行く。」
「そうではないかと思っていました。」
「お前が、言ったんだろう。俺と海を見るために戻って来たと。」
「……そうですね。」
街は変わらず賑わっていた。自然に繋がれる手はもう恥ずかしくない。あの日をなぞるように菓子を食べて、店を見ていく。
「あの髪飾り、なんだか使うのが勿体無くてしまったままなんですよ。」
「どうりで見ないと思ったら……失くしたのかと思ったぞ。」
「まさか。逆です。失くしたくなくてつけてないのです。」
「そんなに特別だったのか?他にも贈り物はしただろう。」
「……あの日、私がこの店の前に立ち止まったのはほんの一瞬でした。それにレオ様は気づいてくださいました。あの髪飾りをした自分を見た時、初めて自分を綺麗かもしれないと思えたんです。レオ様といなければきっと一生思うことがなかったことでしょう。」
「何だ、そんな風に思ってたのか……。お前は可愛いものが好きだと言っていただろう?だから入ったんだが正解だったな。」
「今日はやめておきましょう。その代わり、あっちの店に行きませんか?」
「ああ、いいぞ。」
目指したのは外れにぽつんとある小さな露店。知らなければ見逃してしまいそうなこじんまりした店は武具店でもアクセサリー店でもない。
「ここに欲しいものがあるのか?」
「はい、これです。」
「革紐のブレスレット?」
「はい。これ、結び目に意味があって旅路の無事、厄災を遠ざけるとかの意味があるんですよ。」
「意外だな。お前に宗教心はないと思ってた。」
「ありませんよ。気休めです。ただ、これを2つ一緒に持ってたら離れてる時も近くにいる気がするかな……と。嫌ですか?」
「……いや、ちょっと感動した。お前が自らお揃いなんて提案してくれるとは。」
「私、そんな淡白に見えますか?はい、これ。黒でいいですよね?」
「お前は妙に淡白なのに急に情緒がやってくるから忙しい。そこがいいんだがな。お前は何色だ?」
「私は濃茶にします。」
お揃いなら結婚指輪だってお揃いだ。だけどこれから仕事で離れることもある彼に、何か願掛けのようなことがしたかった。ただそれだけ。
「そろそろ目的地に行くか。」
「尾行されてませんか?」
「縁起でもないこと言うな。……されてない。大丈夫だ。」
「じゃあ、行きましょう。」
歩き、見えて来たのは青く、澄んだ海。見るのはあの日、崖から落ちて死にかけた日以来だ。
その時、隣にこの人はいなかった。
白い、砂浜を歩く。後ろに出来る足跡が生きていることを示す証に見えた。
「……綺麗だな。」
「……ほんと。」
「……お前が、いなくなった時、後悔した。この海の底に沈みたい程に。今は、この海の上を走りたいと思うほど満ち足りている。勝手なものだ。」
「……海は、希望も、絶望も運ぶ。それ故に美しいのでしょうね。」
傾き始めた太陽が海の青さを朱く変えていく。
「夕焼けは、今もお嫌いですか?」
「そうだな。あの重さが憎らしく見えたが不思議だな。お前が隣にいるとあの重さすら美しいと思ってしまう。」
「私も、あの朱を見る度に人生を振り返らねばならぬ気がして嫌いでした。でも今はそう悪くありません。」
「……人とは、変わるものだな。」
「……今、こう言ったこともまた時が経てばきっと変わる。それでも、レオ様は私といてくださいますか?」
「当たり前だろ。お前がいきなり王を殺すとか言い出さなきゃな。」
「何言ってるんですか。私たちの役目は王をお支えすることです。」
「ああ、そうだ。……なあ、子供欲しいか?」
「……まだいらないと仰っていたのはレオ様でしょう。」
「最近子供よく見てるだろ。欲しいのかと思った。」
「そうですね。もし女の子だったら、男の子だったらとつい想像してしまいます。でも同時に親になる自信もあまりありません。」
「最初から完璧な親なんていない。お前みたいな母親に恵まれる子は強運の持ち主だ。そんな弱い子は出てこない。もしお前が子を望むなら。」
レオの、真っ直ぐに未来を見据える目。
「俺は喜んで子を迎える。例えその子が王家の子として使命を持たねばならぬとしても。」
「……人は、どの家に生まれても使命を持って生まれてくるものです。その使命に大きいもの小さいもきっとない。」
「……なら早速帰って子作りするか。」
「もう。気が早い……んっ」
「あっ……ゃ……」
「はぁ……セラ。愛……」
「愛しています、レオ様。」
「おま……」
「たまには先に言わせてください。」
「お前には敵わない。愛してる、セラ。」
音もなく重なる唇。水面に煌めく赤は、その影を濃く、映し出していた。
完結です。長い間お付き合いありがとうございました。
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