30、争いの種。
「大翔、顔が真っ青だが、いったいどうした?」
「いえ、少しお酒に酔ってしまったようです」
「それならば良いが。ーーーそうだ、今日は是非泊ってくれ。レディアーノ、悪いが客間の準備をしてくれ」
「いや、そこまでして頂いては、却って迷惑をかけることになります」
「いやいや、気にしないでくれ。命の恩人が気分が悪いというのに、そのまま帰してしまったら、娘に叱られてしまう」
娘の顔を見ながら優しく微笑むジェームスに、娘のマリーナも笑顔で応える。
二人のやり取りを微笑ましく見ながら、酔ってしまったと嘘をつく自分に軽い自己嫌悪を覚えても、戦争と聞けばそうも言ってられない。
すぐにでも直接ロンダさんに会って話を聞き、最悪な状況に対応できるようにしなければならない。
俺には、ロンダさん達従業員の命を守る責任があるからだ。
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせて頂きます」
「そのほうが良い、今準備させているので少しだけ待ってくれ」
「よろしくお願いいたします」
暫くしてレディアーノが戻ってきて、俺とリリは客間に案内される。
案内された客間には、二つのベッドとソファーがあるだけのシンプルな部屋で、結構広めなシティホテルに似た感じだ。
(リリ、聞こえるか?)
(えっ? 同じ部屋なのに、どうして念話を使うの?)
(ジェームズは良い人と思うが、まだ知り合ったばかりで彼の事を何も知らない。だから用心のために念話を使う)
(ーーーうん)
ジェームズや彼の家族が良くしてくれるのは嬉しく思うが、だからといって彼の全てを信用するわけにはいかない。
王族や貴族に対する考え方が変わったとしても、何もかも信用するほど異世界は甘くないと思っている。
(実はロンダさんから、バスタアニア王国のロンバード辺境伯領で、戦争が起こるかもしれないと連絡があった)
(戦争!)
(あぁ、だから今からロンダさんに会ってくる)
(そっか…… 分かった。でも、この部屋で一人で寝るのは嫌だから、早く戻って来てよね)
(勿論だ。それと、もし何かあったら念話をしてくれ。すぐに戻るから)
(うん。ありがとう)
リリとの念話を終えると、俺はアイテムボックスから取り出した毛布を丸め、布団の中に入れて誰かが寝てるように偽装する。
ジェームズたち家族を疑うのは心が痛むが、初対面の貴族を信用するほど純粋で寛大な心を、俺は持ち合わせていない。
リリに目配せした後、俺は王都ガルン異世界雑貨一号店にテレポートした。
「お待ちしておりました、御主人様にお嬢様」
「おぉ!」
今から行くと念話で伝えていたが、まさか扉の向こうで待機していたなんて、相変わらずロンダさんは生真面目だ。
「あちらの部屋のテーブルに簡単な地図を準備してますので、お手間をかけますが移動をお願いします」
「分かった。ありがとう」
ロンダの案内で部屋を移動すると、リビングのテーブルに地図が広げられており、バスタアニア王国の地名やドリッシュ帝国、ガードランド公国などの国の名前が書いてあった。
地図をよく見ると、詳細な地図のなかに見覚えのある文字が数多く見える。
この文字は、ロンダさんの文字だ。もしかしてロンダさんが描いたのか、この地図。
地図の正確性は置いといて、山や森、川などが水墨画のように白と黒の濃淡だけで描かれており、見事と言うしかない。
いったい、どれだけ多才なんだよ!
「しかし戦争とは、ただ事じゃないな」
「えぇ、以前から何度か衝突してたようですが、今回は大規模な戦争になりそうです」
「ロンバード辺境伯領が戦争すると言っていたが、相手はガードランド公国のゼノン侯爵領との戦争になるのか?」
「そうです。ー--三十年以上前の話になりますが、ロンバード辺境伯領はガードランド公国の領地だったので、ガードランド公国との衝突は仕方ないとも言えます」
「つまり三十年以上前から、お互いに衝突を繰り返しているのか」
「そのようです。ーーーですが実際は、遥か大昔から領地の奪い合いを繰り返しており、元はどの国の領地だったのか、誰も知りません」
「なるほどな、大昔から続く因縁というわけだ」
「左様でございます」
殆どの戦争は侵略戦争か宗教戦争のどちらかで、今回は侵略戦争のようだ。
愚かなことに地球でも異世界でも、人類は同じ道を歩んでるように思える。
だが、権力者でもない俺達は、飛んでくる火の粉からは逃げなければならない。
そのためにも、取り敢えず情報集めからだ。
「それで、お互いの戦力はどうなんだ?」
「私が聞いた限りだと、ガードランド公国が四万に対して、ロンバード辺境伯領は三万七千を少し超えるぐらいかと」
「殆ど同じ戦力だが、ロンダさんはどう思う?」
「国境のスヌーズ川近辺が戦場になると思いますが、万が一ロンバード辺境伯領内での戦いになれば、たとえ勝っても絶望的な状況になると思います。勿論、その逆もしかり」
そうか、戦争に勝っても農作物に壊滅的な打撃を受ければ、その後の状況は火を見るより明らかなわけだ。
「もし負けた場合、ガードランド公国は王都まで侵略してくると思うか?」
「完全にないとまでは言えませんが、可能性は低いと思われます」
「その理由は?」
「実はロンバード辺境伯領と、リンドバーグ伯爵領との境目には難攻不落のドーラン砦があります。その砦を落とすのは、流石のガードランド公国にも難しいかと」
「ん? ロンバード辺境伯領と、ガードランド公国の間に砦は無いのか?」
「勿論過去に何度も砦の建築を試みましたが、ガードランド公国も黙って見てるわけでは御座いません。ガードランド公国と何度も衝突するのは、砦の建築絡みが殆どです」
以前はガードランド公国の領地だったロンバード辺境伯領と、リンドバーグ伯爵領の境目が三十年前のバスタアニア王国の国境線で、その名残がドーラン砦になるのか。
確かにそれならロンバード辺境伯領が戦争に負けても、ガードランド公国が王都まで侵略することは難しいだろう。
「王都まで攻めて来ないのなら、取り敢えず現状維持が正しい選択となるのか?」
「それが、そうでもないようです」
「どういうことだ?」
「今回は大規模な戦争になると思いますので、もしロンバード辺境伯領内での戦いになれば、ロンバード辺境伯領内で大規模な食糧不足になり、当然だが王都や他の街からも食料の援助が求められます」
「そうなったらバスタアニア王国内で食糧不足が起こり、それに伴う食料の値段が高騰するわけか」
「左様でございます。ー--勿論、可能性の一つになりますが」
確かに可能性の一つだが、なんらかの手を打ったほうが良さそうだ。
だが戦争を見越して、食料の買い溜めをしても良いものか?
それって、人道的にどうなんだ?
「もし食料を大量に購入できれば、莫大な利益が得られるかと考えます。たとえ予想が外れても、アイテムボックスがあれば食料が無駄になることもありません」
「ロンダさんの言わんとすることは分かるが、俺は戦争で金を儲けるつもりは毛頭ない。まして俺達が食料を買い占めれば、値段高騰は免れなくなる。俺は普通に生活する人に、迷惑かけてまで金儲けなんかしたくない」
「畏まりました。ー--卑しい浅知恵を、どうか許してください」
「許すも許さないもない。商売人として正しいのは食料を買い占めることかもしれない。実際買い占めたほうが、儲かると思う」
ロンダさんは俺に、金儲けのチャンスを教えてくれただけで、その考えを間違いだとは思わない、情報を集めてくれたことには感謝するべきだ。
だが、やはり戦争で金儲けはしたくない。
勿論全従業員の、一か月分程度の食料を備蓄する事には賛成だが、それ以上の食料の買い占めには賛同できない。
戦争が今後、このバスタアニア王国にどのような影響を与えるのか注意する必要はあるが、今は慌てず状況を見守りながら従業員の事を考えるべきだ。
異世界の戦争は良く分からないが、たぶん中世ヨーロッパの戦争に似てると思う。
もしガードランド公国が王都ガルンまで攻め込んで来たら、俺はどう動くべきか……
不安だが、力のない俺に戦争を止めることはできない。
俺にできるのは、従業員を連れて逃げることだけだ。
暫くロンダさんとの話し合いは続いたが、ある程度の食料を確保する事で落ち着き、俺はリリの待つ公爵邸の客間にテレポートした。




