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イルマが死んでから、クラリスの薬を求める村人の数は目に見えて減った。
「薬を飲んでも死ぬのなら、あの薬に効力はないのではないか?」
そんな噂が村中を巡っていることに、クラリスはうっすら気づいていた。
仕方のないことだと思う。
そもそもがクラリスに怯え、クラリスの薬を忌避していた村人たちだ。効果がないと思われたのなら、求める人が減るのも仕方ない。ギルが死ぬ前に戻っただけだ。
どちらにしろ、クラリスのすることは変わらない。今日も薬草を摘み、煎じ、できた薬を配り歩くだけ。今も、昔も、病人の数は変わらない。
そうだ、昨夜、近所の子供が熱を出していた。今日はそこへ行こう。断られるかもしれないけど。断られて傷ついたクラリスを、受け入れてくれるイルマはもういないけれど——
イルマのいつもどこか戸惑ったような声色を思い出し、胸がジクリと痛んだ。
誰からも冷たくされていた時から、自分を受け入れてくれたイルマ。「飲んでいる」と言ったのに、瓶いっぱいに残されていた薬瓶。
どちらの彼女を信じればいいのだろう。それを考えるたび、クラリスの心は重くなった。
イルマは他の村人たちとは違い、自分のことを偏見なく見てくれているのだと思っていた。
目が見えないだけで、クラリスは魔女なんかじゃないこと。いつだって、村のために薬を作り続けていたこと。
自分の行いを見て、そう判断したから、手ずから薬を受け取ってくれていたのだと——
(——ダメダメ。いい加減、しっかりしなきゃ。イルマおばさんがいなくなっても、村に病の人はまだいるのだから)
心の中でそう呟き、己を奮い立たせる。
『汝、人を愛せよ』胸のうちで教えをなぞる。
まだ、救わなきゃならない人たちがいる。愛すべき人たちがいる。だけど——
——誰にも、必要とされていないのに?
小さな疑問が、頭をもたげる。薬を瓶に詰める手が止まった。
ひとり、佇むしかないクラリスの姿を、淡い月の光だけが照らしていた。
*
そんな、ある夜のことだった。
ぱち、と何かが弾けるような音がして、クラリスは目が覚めた。
最初は、夢だと思った。薪がはぜる音。両親と囲んだ小さな暖炉を思い出す。
まだ両親といた頃の、温かい家の温もり。自分によくしてくれていた近所のご夫婦や、お姉さんが、まだこの村にいて、生きていた頃の——
思い出の温もりに抱かれ、再び夢の世界へ沈みそうになった、次の瞬間。
鼻を刺す匂いがして、飛び起きた。
薬草の焦げる匂い。熱く乾いた空気。起こした体の片側に、じり、とした熱を感じる。熱気を纏った重苦しい空気が喉を焼いた。
——火だ。村のどこかで、何かが燃えている。
(まさか、火事? 一体どこで……)
心臓が強く脈を打つ。
慌てて立ち上がり、家を飛び出す。
横手から来る熱波に頬を叩かれ、クラリスは目を見開いた。
夜の闇の中で、薬草小屋が燃えていた。
通路を挟んで向かいの奥、村の外れ。その先は間違いなく、クラリスが通い詰めている薬草小屋だ。
熱をまとった風。煙。木の焼ける音。甘く焦げた薬草の匂い。
クラリスの見えない瞳には、小さな小屋が轟々と燃える様が映っていた。
「……うそ」
なんで、どうして。
クラリスの頭は焦りと疑問でいっぱいになった。
薬草を乾かすために使った炉の処理を誤った?
木枯らしがどこからか火種を連れてきた?
足が勝手に動き、外へ飛び出す。
進んだ先、小屋の前には人影があった。
男、女。子供から老人まで。
この村のほとんどの人間の気配が、クラリスの小屋の前でひしめいていた。
——それは異様な光景だった。
「——燃やせ! 燃やせ!」
「呪いの薬だ! 村に災厄をもたらす薬草だ!」
「ひとつ残らず燃やし尽くせ!」
狂気の顔で、そう叫びながら、村人たちは薬草小屋に火をくべていた。
松明を持つ者。薪を抱える者。
炎に向かって、次々と木を放り込んでいる。
「ッやめて——!」
声に合わせて火が大きくなるのを感じ取ったクラリスは、ハッとして村人に飛びかかった。
「やめて! なんで小屋を燃やすの! あの中には薬が——」
「どけ! これは薬じゃない!」
「人を選ぶ呪われた薬だ!」
「燃やせ! 燃やし尽くせ!」
「——!?」
何を、言っているのだこの人たちは。炎の中に投げ込まれる言葉たちに、クラリスは戸惑った。
薬じゃない? 呪われている?
そんなわけがない。あれはクラリスが作ったものだ。クラリスは、呪いなど何も知らない。
「あれは穢れだ!」
「あれを飲んでも、村人が死んでいる!」
「あれは薬じゃない! 村に災厄を呼び込むものだ!」
言葉と共に火種が投げ込まれ、どんどん小屋が燃えていく。炎が薬草棚の影を飲み込み、薬草の燻される匂いが殊更強くなった。
「、だめ——!」
棚の中には、まだ使える薬草がある。クラリスの脳裏に今も病に伏している人たちの名が浮かんだ。もしもこの小屋が全て燃えてしまったら——
「やめてください、あれは薬です! 呪いなんかじゃない!」
クラリスは叫んだ。縋るようなその声に、誰かが答える。
「——あれが薬なら、なぜイルマは死んだ?」
「——っ!」
「イルマが死んだ。向かいの老婆も死んだ。近所のガキも、連日熱を出している」
「みんなみんな死んだ。薬を、飲んでいるはずなのに」
「あれが本当に薬なら、どうして人が死ぬ?」
「疫病が流行ったわけでもない、薬が村に行き届いてないわけではない」
「それなのにどうして、人が死ぬ?」
「それは……」並べられた事実に言葉がでない。
そうだ、確かに、イルマは死んだ。クラリスが毎日のように薬を持って会いに行っていたのに。
イルマの家に残されていた薬瓶の存在を、クラリスは伝えることができなかった。
「答えは簡単だ。あれは薬ではないのだ」
「呪いの源泉だ。あれが全て悪いのだ」
「穢れは、燃やせ! 神の御許に還すのだ!」
「待っ——!」
再び小屋に火が投げ込まれるのを感じ、クラリスは炎の前へ駆け出した。
「待ってください、燃やさないでください! 薬は悪くないんです、悪いのは——」
その先は、言えなかった。
唇を噛み締める。熱風が肌を刺し、髪がはためく。
誰かが振り向いた。
「……薬は、悪くないから。まだ使える薬草だけでも、病の人に——」
言い終わる前に、強い力が肩にぶつかった。
「邪魔だ!」
「きゃあっ!」
強く体を押され、よろめく。
土に足を取られ、クラリスの身体は燃え盛る小屋の中へ投げ出された。
「——きゃぁあああッ!」
倒れた先、背中に激しい痛みがして、クラリスは思わず叫んだ。
「いやぁ、熱い、熱い…ッ!」
乾いた木で勢いを増した炎が、クラリスの体を焼いた。
きしんだ髪に、麻の寝巻きに、炎がまとわりつく。
世界が熱で塗りつぶされた。
「!? おい待て、子供が中にいるぞ!」
「こっちに手を——」
炎から逃れようともがくクラリスに、焦ったような声が届いた。
誰かが前に出る気配がして、必死でそちらに手を伸ばす。
差し出されているだろう手にしがみつこうとして、
「触るな!」
誰かの声に、阻止された。
バランスを崩した体が土に倒れる。
「ッい゛ぅ!」
「助ける必要はない! この薬を作ったのはこの女だぞ!」
狂気を孕んだ声に制され、伸ばされた手が引っ込む。
それを空気で感じたクラリスは、さらに絶望の淵に叩きつけられた。
頬が痛い。倒れた先の土まで熱い。
燃え盛る炎の中、クラリスを追い込むように言葉の刃が降ってくる。
「そうだ、一緒に焼き尽くせ!」
「呪われた薬を広めた女!」
「この村に穢れを持ち込んだ女!」
「疫病を広めたのもあいつなんじゃないか!?」
「あの疫病から生き返った子供だ!」
「魔女に魂を売って、視力を代償に生き返ったんだろう!」
言葉が、火よりも熱く胸に突き刺さる。
両親と視力を失ってから、ずっと言われてきた言葉だった。
影からこそこそと、時には石を投げられながら。
「ちがう、私は魔女なんかじゃ…ッ痛゛ぅ!」
否定の言葉を叫ぶため、上げた顔に松明を打ち付けられた。
「いぁあ゛ッ!」見えない視界がジュウウと音を立てる。
「呪われた薬に選ばれた魔女だ!」
「燃やせ、穢れは全て焼き尽くせ!」
怒号と共に、薪や松明が投げ込まれる。
吊るしていた薬草束が燃えて雨のように降ってきた。
ばきりと音がして、梁が裂ける。天井が軋む音がした。
開いた口に火の粉が入り込む。喉が焼かれ肺が燻された。
「熱い、痛い、たすけ……!」
助けを求め這いずるクラリスの目の前に、薬棚が崩れ燃えた木片が落ちる。それでも罵声は止まない。
「ギルは、魔女を嫌っていた」
「だから死んだんだ」
「イルマは、魔女と親しかった」
「だから死んだんだ!」
炎と共に、村人の声も大きなっていく。
——ちがう、ちがう。私はイルマのために。村のために。
悲しくて、苦しくて、焼けた瞳から涙が出た。ポタリと落ちた雫では、肌を燃やす炎を消してくれない。
——私は、薬を作っただけなのに。
村の人が一人でも多く救われるように。もう二度と村が、燃えることがないように。
それなのにどうして、今、自身が燃やされているのか。
私が悪かったのだろうか。
気味悪がられてるのを知ってもなお、薬を作り続けたから。
疎まれても、拒否されても、薬を配るのをやめなかったから。
村の隅で小さく、慎ましく、ひとりぼっちで生きていれば、こんなことにはならなかったのだろうか。
『汝、人を愛せよ』
何度も胸で唱えた文句が、ぐるぐると頭を廻る。
『祈りは報いとなりて還らん』
祈りとはなんなのだろう。報いとはなんだったんだろう。
村を助けたかっただけなのに。
村に必要とされたかっただけなのに。
村に、受け入れてほしかっただけなのに。
その願いは、こんな仕打ちを受けるほどのことだったの?
「魔女だ! 魔女を殺せ!」
「魔女を断罪しろ!」
「これは、神の裁きだ——!」
吸った酸素が肺を燃やす。肉の焦げた匂いすら炎に飲まれる。もはや思考すらもうつろだ。
声が遠ざかる。
指先が燃える。
床が震え、空間が縮む。
崩れた天井が、クラリスの小さな体に炎ごと覆いかぶさった。
「いやああああああああ!!!!!!」
崩れ落ちた小屋を前に、村人たちの歓声が上がる。
その声は炎と共に、夜の闇の月まで届いた。




