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血濡れの魔女は夜と踊る  作者: ウミノリリオ
第一章 盲目少女は闇と燃える

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5

 イルマが死んでから、クラリスの薬を求める村人の数は目に見えて減った。

 「薬を飲んでも死ぬのなら、あの薬に効力はないのではないか?」

 そんな噂が村中を巡っていることに、クラリスはうっすら気づいていた。


 仕方のないことだと思う。

 そもそもがクラリスに怯え、クラリスの薬を忌避していた村人たちだ。効果がないと思われたのなら、求める人が減るのも仕方ない。ギルが死ぬ前に戻っただけだ。

 どちらにしろ、クラリスのすることは変わらない。今日も薬草を摘み、煎じ、できた薬を配り歩くだけ。今も、昔も、病人の数は変わらない。

 そうだ、昨夜、近所の子供が熱を出していた。今日はそこへ行こう。断られるかもしれないけど。断られて傷ついたクラリスを、受け入れてくれるイルマはもういないけれど——


 イルマのいつもどこか戸惑ったような声色を思い出し、胸がジクリと痛んだ。

 誰からも冷たくされていた時から、自分を受け入れてくれたイルマ。「飲んでいる」と言ったのに、瓶いっぱいに残されていた薬瓶。

 どちらの彼女を信じればいいのだろう。それを考えるたび、クラリスの心は重くなった。


 イルマは他の村人たちとは違い、自分のことを偏見なく見てくれているのだと思っていた。

 目が見えないだけで、クラリスは魔女なんかじゃないこと。いつだって、村のために薬を作り続けていたこと。

 自分の行いを見て、そう判断したから、手ずから薬を受け取ってくれていたのだと——


(——ダメダメ。いい加減、しっかりしなきゃ。イルマおばさんがいなくなっても、村に病の人はまだいるのだから)


 心の中でそう呟き、己を奮い立たせる。

 『汝、人を愛せよ』胸のうちで教えをなぞる。

 まだ、救わなきゃならない人たちがいる。愛すべき人たちがいる。だけど——


——誰にも、必要とされていないのに?


 小さな疑問が、頭をもたげる。薬を瓶に詰める手が止まった。

 ひとり、佇むしかないクラリスの姿を、淡い月の光だけが照らしていた。





 そんな、ある夜のことだった。


 ぱち、と何かが弾けるような音がして、クラリスは目が覚めた。

 最初は、夢だと思った。薪がはぜる音。両親と囲んだ小さな暖炉を思い出す。

 まだ両親といた頃の、温かい家の温もり。自分によくしてくれていた近所のご夫婦や、お姉さんが、まだこの村にいて、生きていた頃の——

 思い出の温もりに抱かれ、再び夢の世界へ沈みそうになった、次の瞬間。


 鼻を刺す匂いがして、飛び起きた。

 薬草の焦げる匂い。熱く乾いた空気。起こした体の片側に、じり、とした熱を感じる。熱気を纏った重苦しい空気が喉を焼いた。

 ——火だ。村のどこかで、何かが燃えている。


(まさか、火事? 一体どこで……)


 心臓が強く脈を打つ。

 慌てて立ち上がり、家を飛び出す。

 横手から来る熱波に頬を叩かれ、クラリスは目を見開いた。


 夜の闇の中で、薬草小屋が燃えていた。


 通路を挟んで向かいの奥、村の外れ。その先は間違いなく、クラリスが通い詰めている薬草小屋だ。

 熱をまとった風。煙。木の焼ける音。甘く焦げた薬草の匂い。

 クラリスの見えない瞳には、小さな小屋が轟々と燃える様が映っていた。


「……うそ」


 なんで、どうして。

 クラリスの頭は焦りと疑問でいっぱいになった。

 薬草を乾かすために使った炉の処理を誤った?

 木枯らしがどこからか火種を連れてきた?


 足が勝手に動き、外へ飛び出す。

 進んだ先、小屋の前には人影があった。

 男、女。子供から老人まで。

 この村のほとんどの人間の気配が、クラリスの小屋の前でひしめいていた。


 ——それは異様な光景だった。


「——燃やせ! 燃やせ!」

「呪いの薬だ! 村に災厄をもたらす薬草だ!」

「ひとつ残らず燃やし尽くせ!」


 狂気の顔で、そう叫びながら、村人たちは薬草小屋に火をくべていた。

 松明を持つ者。薪を抱える者。

 炎に向かって、次々と木を放り込んでいる。


「ッやめて——!」


 声に合わせて火が大きくなるのを感じ取ったクラリスは、ハッとして村人に飛びかかった。


「やめて! なんで小屋を燃やすの! あの中には薬が——」

「どけ! これは薬じゃない!」

「人を選ぶ呪われた薬だ!」

「燃やせ! 燃やし尽くせ!」

「——!?」


 何を、言っているのだこの人たちは。炎の中に投げ込まれる言葉たちに、クラリスは戸惑った。

 薬じゃない? 呪われている?

 そんなわけがない。あれはクラリスが作ったものだ。クラリスは、呪いなど何も知らない。


「あれは穢れだ!」

「あれを飲んでも、村人が死んでいる!」

「あれは薬じゃない! 村に災厄を呼び込むものだ!」


 言葉と共に火種が投げ込まれ、どんどん小屋が燃えていく。炎が薬草棚の影を飲み込み、薬草の燻される匂いが殊更強くなった。


「、だめ——!」


 棚の中には、まだ使える薬草がある。クラリスの脳裏に今も病に伏している人たちの名が浮かんだ。もしもこの小屋が全て燃えてしまったら——


「やめてください、あれは薬です! 呪いなんかじゃない!」


 クラリスは叫んだ。縋るようなその声に、誰かが答える。


「——あれが薬なら、なぜイルマは死んだ?」

「——っ!」

「イルマが死んだ。向かいの老婆も死んだ。近所のガキも、連日熱を出している」

「みんなみんな死んだ。薬を、飲んでいるはずなのに」

「あれが本当に薬なら、どうして人が死ぬ?」

「疫病が流行ったわけでもない、薬が村に行き届いてないわけではない」

「それなのにどうして、人が死ぬ?」


 「それは……」並べられた事実に言葉がでない。

 そうだ、確かに、イルマは死んだ。クラリスが毎日のように薬を持って会いに行っていたのに。

 イルマの家に残されていた薬瓶の存在を、クラリスは伝えることができなかった。


「答えは簡単だ。あれは薬ではないのだ」

「呪いの源泉だ。あれが全て悪いのだ」

「穢れは、燃やせ! 神の御許に還すのだ!」

「待っ——!」


 再び小屋に火が投げ込まれるのを感じ、クラリスは炎の前へ駆け出した。


「待ってください、燃やさないでください! 薬は悪くないんです、悪いのは——」


 その先は、言えなかった。

 唇を噛み締める。熱風が肌を刺し、髪がはためく。

 誰かが振り向いた。


「……薬は、悪くないから。まだ使える薬草だけでも、病の人に——」


 言い終わる前に、強い力が肩にぶつかった。


「邪魔だ!」

「きゃあっ!」


 強く体を押され、よろめく。

 土に足を取られ、クラリスの身体は燃え盛る小屋の中へ投げ出された。


「——きゃぁあああッ!」


 倒れた先、背中に激しい痛みがして、クラリスは思わず叫んだ。


「いやぁ、熱い、熱い…ッ!」


 乾いた木で勢いを増した炎が、クラリスの体を焼いた。

 きしんだ髪に、麻の寝巻きに、炎がまとわりつく。

 世界が熱で塗りつぶされた。


「!? おい待て、子供が中にいるぞ!」

「こっちに手を——」


 炎から逃れようともがくクラリスに、焦ったような声が届いた。

 誰かが前に出る気配がして、必死でそちらに手を伸ばす。

 差し出されているだろう手にしがみつこうとして、


「触るな!」


 誰かの声に、阻止された。

 バランスを崩した体が土に倒れる。


「ッい゛ぅ!」

「助ける必要はない! この薬を作ったのはこの女だぞ!」


 狂気を孕んだ声に制され、伸ばされた手が引っ込む。

 それを空気で感じたクラリスは、さらに絶望の淵に叩きつけられた。

 頬が痛い。倒れた先の土まで熱い。

 燃え盛る炎の中、クラリスを追い込むように言葉の刃が降ってくる。


「そうだ、一緒に焼き尽くせ!」

「呪われた薬を広めた女!」

「この村に穢れを持ち込んだ女!」

「疫病を広めたのもあいつなんじゃないか!?」

「あの疫病から生き返った子供だ!」

「魔女に魂を売って、視力を代償に生き返ったんだろう!」


 言葉が、火よりも熱く胸に突き刺さる。

 両親と視力を失ってから、ずっと言われてきた言葉だった。

 影からこそこそと、時には石を投げられながら。


「ちがう、私は魔女なんかじゃ…ッ痛゛ぅ!」


 否定の言葉を叫ぶため、上げた顔に松明を打ち付けられた。

 「いぁあ゛ッ!」見えない視界がジュウウと音を立てる。


「呪われた薬に選ばれた魔女だ!」

「燃やせ、穢れは全て焼き尽くせ!」


 怒号と共に、薪や松明が投げ込まれる。

 吊るしていた薬草束が燃えて雨のように降ってきた。

 ばきりと音がして、梁が裂ける。天井が軋む音がした。

 開いた口に火の粉が入り込む。喉が焼かれ肺が燻された。


「熱い、痛い、たすけ……!」


 助けを求め這いずるクラリスの目の前に、薬棚が崩れ燃えた木片が落ちる。それでも罵声は止まない。


「ギルは、魔女を嫌っていた」

「だから死んだんだ」

「イルマは、魔女と親しかった」

「だから死んだんだ!」


 炎と共に、村人の声も大きなっていく。

 ——ちがう、ちがう。私はイルマのために。村のために。

 悲しくて、苦しくて、焼けた瞳から涙が出た。ポタリと落ちた雫では、肌を燃やす炎を消してくれない。

 ——私は、薬を作っただけなのに。

 村の人が一人でも多く救われるように。もう二度と村が、燃えることがないように。

 それなのにどうして、今、自身が燃やされているのか。


 私が悪かったのだろうか。

 気味悪がられてるのを知ってもなお、薬を作り続けたから。

 疎まれても、拒否されても、薬を配るのをやめなかったから。

 村の隅で小さく、慎ましく、ひとりぼっちで生きていれば、こんなことにはならなかったのだろうか。


 『汝、人を愛せよ』

 何度も胸で唱えた文句が、ぐるぐると頭を廻る。

 『祈りは報いとなりて還らん』

 祈りとはなんなのだろう。報いとはなんだったんだろう。


 村を助けたかっただけなのに。

 村に必要とされたかっただけなのに。

 村に、受け入れてほしかっただけなのに。


 その願いは、こんな仕打ちを受けるほどのことだったの?


「魔女だ! 魔女を殺せ!」

「魔女を断罪しろ!」

「これは、神の裁きだ——!」


 吸った酸素が肺を燃やす。肉の焦げた匂いすら炎に飲まれる。もはや思考すらもうつろだ。


 声が遠ざかる。

 指先が燃える。

 床が震え、空間が縮む。

 崩れた天井が、クラリスの小さな体に炎ごと覆いかぶさった。


「いやああああああああ!!!!!!」


 崩れ落ちた小屋を前に、村人たちの歓声が上がる。

 その声は炎と共に、夜の闇の月まで届いた。

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