15.最後の夜②
ディーンはゆっくりと聖剣を持ち上げ、その切先をルナへと向けた。光のない蒼の瞳でルナを見据え——
地面を強く蹴り、ルナに斬りかかった。
「……ッ!」
気づけば聖剣が眼前へと迫る。
ルナは身を翻し、黒猫とともに背後の闇へ沈んだ。
夜はどこまでも魔女の味方だ。光の届かぬ影さえあれば、ルナはどこへでも渡れる。
聖剣が誰もいない壁を斬り裂く。
その背後、柱の影からルナが滑り出るように姿を現した。
「こちらです、ディーン!」
オーギュストの声にディーンが振り向く。その前にまたルナは闇へとその身体が沈み込ませた。
「……こざかしい」
吐き捨てるような言葉と共に、オーギュストは傍にあった燭台を手にした。
「逃げ道を潰せばいいだけでしょう」
「くっ……!」
オーギュストが燭台を掲げる。光が走り、ルナの足元の影が消えた。
その姿が浮かび上がった、そこへディーンが聖剣を振り抜く。
一閃。
唸りを上げる刃をルナは転がるように身をかわす。直後、背後の祭壇が真っ二つに裂けた。
(相変わらず、無茶苦茶な力ね……!)
薙ぎ払われた風がルナの長い髪を乱す。こめかみにじんわり汗が滲んだ。
「おや、そんなものですか?」
「うるさいわね……!」
クスクスと喉を鳴らしながら、オーギュストがまた燭台を持ち上げる。ルナは光から逃げるように、今度は大鏡の影へと飛び込んだ。
幸い、祭祀室には神具も柱も多い。一つ影を消されても、別の影へ潜ればいいだけだ。
大鏡の影を伝い、ディーンの背後の柱へ、祭壇の裏へ、ルナは顔を出してはまた沈む。
ディーンは翳りの落ちた瞳でじっとそれを追い、しばらくそうしたあと——誰もいない柱際へ向けて、おきく聖剣を振り抜いた。
「——ひっ!?」
次の瞬間、その影からルナが姿を現す。
刃は、まるで彼女がそこへ出てくることを知っていたかのように迫っていた。
「——ニ゛ャァアアンッ!」
「っ!?」
斬られる——そう思った瞬間、黒猫が影から飛び出し、ディーンの腕へと体当たりした。わずかに剣筋が逸れる。聖剣はルナの肩すれすれを通り過ぎ、そのまま足元の床を叩き割った。
黒猫は、まるでルナを守るようにその前へと立ちはだかる。
ディーンは自らを阻んだ相手を鋭い眼光で見下ろし——
「黒——……猫?」
……と、ほんの一瞬その瞳を揺らした。
その一瞬の揺らぎに、ルナは息を呑む。だが——
「構う必要はありません、『斬りなさい』」
オーギュストが命令を下す。再び瞳が濁った。
「……了解」
淡々と落とされた言葉。同時に、また聖剣を構える。
ルナは心で舌打ちし、黒猫と共にまた闇へと飛び込んだ。
(このままじゃ、埒があかない。オーギュストをなんとかしないと……!)
深い闇の中、ルナは考える。
ディーンが聖剣を、オーギュストが燭台を構えたまま、ルナの姿を探しているのがわかった。
(……それなら、)
ルナは黒猫へ視線を送った。黒猫は意図を察したように小さく鳴く。
そして影から飛び出ると、迷いなくオーギュストへ向かいその顔へ飛びついた。
「ギャアアッ!」
「なっ——この獣……!」
「ニ゛ッ……!」
死角から飛びかかられ、オーギュストは慌てたように叫ぶ。
所詮は子猫、すぐに振り払われてしまうが、ルナはその隙を逃さなかった。オーギュストの手から燭台を奪い、そのまま床へ叩き落とす。
床に落ちた炎を踏み潰しながら、ルナは嗤って言った。
「甘いわね、オーギュスト」
祭祀室に、深い闇が落ちた。
そのまま一人と一匹の影が闇へ溶ける。
光を失った祭祀室では、ディーンにもオーギュストにも、その行方を追うことはできない。
「——なるほど、考えましたね」
だというのに、オーギュストはどこまでも冷静に、淡々と言葉を落とした。
闇の中でも迷うことなく手を伸ばし、壁際の神具へ触れた。
「だが——甘いのはそちらの方です」
「……っ!?」
と、オーギュストの言葉と共に、眩い光が室内を照らした。
その光に、再びルナの姿が闇から浮かび上がる。
(しまった、光輪盤(こうりんばん)……!)
オーギュストが手にしたそれは、中央の聖石へ聖力を注がれると聖光を放つという神具だった。
その眩さに思わず目を細める。
その視界の端に自分に向かって駆け出すディーンの姿が見えて、ルナはその光の届かない影へと飛び込んだ。
「——舐められたものね。そこまで真っ直ぐな光くらい、簡単に避けられるわ」
闇の中に身を隠しながら、ルナはオーギュストへ語りかけた。
だがオーギュストはまた不適な笑みを浮かべ、こう返す。
「ええ。……この光、それだけならね」
「え——?」
言うが早いか、オーギュストは中央の大鏡に光輪盤(こうりんばん)を向けた。眩い光が反射し、周囲の影がどんどん消されていく。
それだけではない。鏡は神具、この祭祀室には大小問わず、いくつもの鏡が飾られていた。
大鏡で跳ね返った聖光が小鏡へ、磨かれた神具へと次々に渡り、祭祀室を幾筋もの白光で満たしていく。
ルナの渡れる影が、みるみるうちに室内から消えていった。
「く……っ!」
すぐそばにあった鏡を引き倒す。
だがその程度では室内を埋め尽くしていく光には到底追いつかない。
そもそもここは祭祀室、光を放つ神具は他にもある。今オーギュストの手にある光輪盤(こうりんばん)を奪えたとて、焼石に水だ。
(まさか……カトリナをここへ誘い出したのも、最初から私を封じやすいとわかって……!?)
青ざめるルナに、オーギュストはニタリと嗤った。
「無駄ですよ、ルナ。ここがどこだと思っているのですか」
「——ッ!」
愉快そうなその表情に、ルナは奥歯を強く噛み締める。
そこへまた聖剣が横薙ぎに払われた。
ルナはすぐさま近くの聖像の影へと飛び込む。そのまま神具の影を次々と渡った。
香炉、祭壇、大鏡、長椅子——室内の物体が作る小さな影を、ルナは飛び跳ねるように移った。
最初は追いきれなかったそれも、ディーンが神具や調度を斬り倒し、オーギュストが燭台や鏡の向きを変えて光を流し込むことにより、だんだんルナの渡れる影それ自体がなくなっていった。
やがてディーンは、ルナが沈んだ影へ直接聖剣を振り下ろした。
「ふっ——!」
「きゃあっ!」
白い聖光が床を走り、影の奥まで侵食する。闇の中に潜んでいたルナの身体が、強制的に外へ弾き出された。
「ぁぐッ!」
弾き出された勢いのまま、肩を柱へしたたかに打ちつける。
痛みに喘ぐルナに、オーギュストが容赦なく光を浴びせた。
もう、ルナの渡れる影は、ほとんど残っていなかった。
そのまま動けないでいるルナの眼前に、聖剣が迫る。
「痛゛ぅッ——!」
寸でのところで躱すが、肩口を深く斬り裂かれた。
紅い血が吹き出す。
流れたそれが白い石床を染めるのを、ルナはほんの一瞬だけ見つめた。
オーギュストが嗤う。
「ふふっ。魔女の血も、紅いのですねえ」
「……ッ」
次の一撃が来る前に、なんとか柱の影へと滑り込む。だがその直後、ディーンによってその柱も砕かれた。ルナの隠れられる影が、また一つ消えた。
最後に残ったのは、室内中央、大鏡の影だけだった。
(……やっぱり、私一人の力じゃ無理か)
影の中、悔しさに歯噛みしながらルナは思う。
肩が焼けるように痛んだ。逃げるなら、今しかない。
そんなことはわかっている。それでも——
(ここで退いたら、もう二度とあの男に手が届かないかもしれない……!)
こめかみに汗を滲ませるルナに、足元で黒猫が不安げに鳴いた。
ルナはそれに、かすかに笑って答える。そして——
覚悟を決めたように、紅い瞳を鈍く光らせた。
「……なかなか頑張るじゃないですか、ルナ」
「……」
大鏡の裏、その影から、ルナが姿を現す。
怪我が痛むのだろう、眉を深く顰める彼女に、オーギュストはいっそ感心したようにそう言った。
大鏡の裏に身体を預けるようにして立ちながら、ルナは真っ直ぐにオーギュストを睨みつける。
「ううん、それにしても、やはり惜しい。ここまで来ても、君の力は有用だ」
しかしルナにトドメを刺すかと思われたオーギュストは、一向にその場から動かず、むしろ和やかにそう語り始めた。
「どうです、ルナ。今からでも私の側につきませんか? その力を私のために使うというのなら、命くらいは助けてあげましょう」
「は……?」
突然の申し出に、ルナは呆けたように目を丸くする。
だけどすぐに、その紅い瞳をギラつかせて答えた。
「絶対に……お断りよ……!」
「それは残念」
オーギュストは、一つも残念そうな素振りを見せずにそう笑う。
そして、ゆったりとした仕草で窓辺へと近づいていった。
次は何をする気か、どんな神具を取り出すつもりか……ルナは身構える。ディーンもまた、命令を待つように聖剣を握り直した。
しかし——
「それならば——そろそろ終幕といたしましょう」
高らかに宣言したオーギュストは、神具でもなんでもなく——
窓辺の分厚いカーテンを、勢いよく開け放した。
露わになった窓、その先の光景に、ルナは息を呑む。
カーテンの向こうはもう……
眩い朝日が、山間から顔を出していた。
(……しまった、もう——!)
石床を、崩れた柱を、壊された神具を、穏やかな陽光が染め上げる。
背後では光輪盤が白光を放ち、正面の窓からは朝日が差し込む。
逃げ場だった大鏡の影までみるみる薄れ——
ルナの足元の影は、跡形もなく消え去った。
瞬間。
閃光が走る。
太陽より眩い光が視界を埋めた。
次いで目に入ったのは真白な騎士服。
眼前にディーンがいるのだと、気づいたのは腹に焼けるような熱を感じてからだった。
ごぼり。
乾いた音と共に、唇から紅い血が溢れだす。
視線を落とす。
そこでやっと、自分の腹を聖剣が貫いていることにルナは気づいた。
指の先が小さな光の粒と変わる。
まだ現実を受け止めきれないままのルナの耳に、静かなオーギュストの声が届いた。
「さようなら、——魔女、ルナ」




