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 だれもいなくなった後の観光地。


 そういう場所が、夜のフロロダルルだった。


 あえて舗装されていないような、土の道路。その横にはずらっと店が建っている。


 かき氷のノボリ。


 土産物屋の看板。


 東屋みたいな、食べるスペース。


 そのぜんぶから明かりが消えて、いまはすっかり暗くなっている。


 街灯なんかもさっぱりなくて、いまは月と星の明かりが、藍色の夜空から下りてくるのだけが、光になっている。


 歩くと、砂を踏む音がした。


「かき氷、好きか?」


 聞いても、答えはなかった。


 すねたように自分の足下だけ見て歩くルウは、小さく、なんで、とだけ口にして。


 まあそうなるよな、と沙季は思って、まぶたを一度だけ閉じて、


「――よし。じゃあこれ、秘密の話な」


 言うことに、決めた。




「正直言うと、もう疲れちゃったんだ」




「――え?」


 言うと、あまりにも言葉が重たかった。


 自分の心の中にあることを、そのまま口にしただけなのに。


 裏切った、という気持ちが、あまりにも強く。


 強く。


「頭ではわかってるんだけどさ。あたしの家、仲良かったから。生命保険とかそういうの残すより、ちゃんと生き続けた方が絶対いいって、わかってるよ。あたしだってお母さんとか弟が、お金と引き換えに死ぬ、なんて言ったらふざけんな、って止めるもん。


 でも、ダメだな。もうあたし、そんな元気ないや」


 ルウが、ひどく戸惑っているのが、顔を見ないままでも伝わってくる。


 でも、一度始めたら、もう止まらなかった。


「ばかみたいじゃん。いっしょうけんめい生きて、がんばりすぎたから死にましたって。なんだよ、それ。バイトして生活費貯めて、安定した仕事目指して勉強して、学校行って先生の受けもよくして。


 いつかきっとよくなるとか、そういうことを期待してたわけじゃないよ。ただ今日とおなじくらいの明日がありますようにって、それだけ。それだけのために毎日毎日がんばってきて、これだもん」


 ばかみたいじゃん、と。


 二回目は、夜風に溶けて消えた。


「自分が悪いってことはわかってるんだけどさ、それでもやっぱ、しんどいよ。


 あたし、昔は歌手とか目指してたんだ。音楽の時間に先生から声がいいって褒められて、そんなの真に受けちゃって。路上ライブって知ってる? 最初、駅前ならだれでもやっていいんだと思って、勝手に始めちゃってさ。意外と人集まってくれたんだけど、すぐおまわりさん来ちゃって。人が見てるところでめっちゃ怒られんの。恥ずかしかったなあ……。でも、そのときに『上手いのはわかるんだけどね』とか言われてさ、笑いこらえちゃったよな、実際。うれしいもん」


 沙季ちゃん、と呼んだ声はか細くて。


 聞こえなかったふりもできる。


「でも、あんなのやるんじゃなかったなあ。あんなことしてるくらいなら、もっとちゃんと勉強してればよかった。そうすれば、ほら。高校生になってから勉強する時間が節約できて死ななくて済んだかもしれないしさ。それに、もしかしたら将来、生活が安定してから歌がやれるかもとか、そんな夢見ないで済んだし。


 自分が悪いって、わかってるんだよ。いつまでも叶いもしない夢、叶える気もないまま抱えてるから。バイトして、勉強して、それだけで終わりにしてればよかったのにさ。一日歌わないと、それだけで夢が遠ざかる気がしてカラオケに通い詰めて。死ぬほどがんばったって死なないとか、そういうの本気にして」


 でも、と沙季は言う。


 顔は空を見上げるようで、ルウからは見えない。


「あたしもう、そこまで強くなれないや」


 きっぱりと、沙季は言った。


「お母さんにも弟にも悪いと思うけど、もう限界。さっきシロファニアさんに気高いとか言われたけど、そんなのうそだよ。ただ弱いだけ。


 弱っちいから、あきらめるしかなかった。それだけだよ」


「――そんなの、」


 うそだよ、という言葉は、声にならなかった。


 代わりに、使い慣れた言葉が先に。


「じゃあなんで、わたしについてきてくれたの」


 もうなにも、ルウにはわからなくなっていた。


 生きることをあきらめるどんな理由も、そんなことはないと、そんなことであきらめなくてもいいと、納得させるつもりでいた。生きたり死んだり、そんなものの間に勝手に引かれた線なんて、いくら引き直してもいいと、そう思っていたから。理論的に、頭で考えて、その線は意味のない線だと、そう思っていたから。


 でも。


 人の引いた線は、実際に目にしたら、信じられないほど重たくて。


 小さく、沙季の服の裾をつまんで。


 小さく、訊いた。


「いろいろ理由はあって――、まあ、生きる努力って基本的に、絶対しなくちゃいけないものだろ。だから流されたとか、あとは家族への義理もあるし……でも、やっぱりいちばんは、うれしかったからかな。


 あたし、もう自分のことどうしようもないやつだってあきらめてたからさ、死神が来て、神さまからいい人って言われて、褒められて、それでうれしかったのかもしんない。……実際、ふた開けてみたらただの子どもだったわけだけど」


 沙季は笑うような声色で言ったけれど。


 その言葉は、大きくルウに突き刺さった。


「……ごめんね」


「ん?」


「神さまじゃなくて、ごめん、なさい」


 耐えきれなくなったのは、ルウが先。


 泣き出したのは、ルウが先で。


 それに慌てて顔をむけた沙季は、泣いてなんかいなかった。


「ごめっ、なさ、わた、さ、きちゃ、んのこと、」


 しゃくり上げながら、ほとんど言葉にならないまま、ルウは思うことのぜんぶを、口にした。


 全然、なにも考えずに沙季に生き返りたいかだなんて持ちかけたこと。


 自分勝手に物を進めたこと。


 沙季の気持ちにまるで配慮しなかったこと。


 そのうえ、できると言ったことすら成し遂げられなくて、こうしてもう一度あきらめさせてしまったこと。


 アーミラが言ったことを、いまはようやくルウも理解できていた。


 命は簡単に扱っちゃいけない。


 自分では考え抜いて行動したつもりだったけれど、まるで足りていなかった。


 ルウはそのまま言う。


 傷つけてごめんなさい。


 それでも心配しなくていい。絶対に、あの死神だって出し抜いてみせる。自分にならできる。もしもまだ生き返りたいなら、


「――そういうことじゃ、ないんだよ」


 涙の流れるほっぺたを、ぺたり、と沙季の手のひらが包んだ。


 冷たい、細い指だった。


「いいんだよ、もう。嫌味みたいに聞こえたんだったらごめんな。そういうことじゃない。


 ――楽しかったんだ。最後の時間が」


 信じられないほど優しく、沙季は笑った。


「夏祭りとかさ。何年ぶりかな。人前で歌ったりして。あとお金、すげえいっぱい稼げるの。気分よかったよな。あの田舎っぽい街だって、あんなにゆっくりできたのほんと、最近は全然なくてさ。なんも考えずに水浴びとか始められたし、そんででっかいカブトムシに魔法だろ? 楽しかったなあ。なんも、つらいことなくてさ。だからよかったんだよ。それだけでよかったんだ」


 ルウの頭に、沙季の腕が回る。


 ゆっくり、引き寄せて。


「楽しかったから、それだけでいいんだ。いっしょうけんめい生きてきて、最後にこんなことがあるなら。あたしのために、何かをしてくれる人が、想ってくれる人がいるなら、それでいいって、そう、思えたから。


 ルウは自分のこと、神さまなんかじゃないって言うけどさ。死んで、そのあとこんなに楽しい時間をくれて、あたしにとっては神さまだよ。


 ただの子どもで、それで神さま。それで……」


 友だち。


 秘密を打ち明けるみたいに。月明かりみたいにささやいて。


 ありがとな、と言えばとうとうルウはぜんぶの涙をこらえきれなくなって、わあわあ声を上げて泣き出した。


 その背中を沙季はゆるくなでながら、ふと、約束を思い出した。


 歌を聴かせるって、そんな約束。


 伴奏はない。


 マイクだってない。


 月にまではとても届きそうにない、頼りない歌声。


 でも、それでも。


 泣き止んだルウは、こう言った。


 世界でいちばん上手かった。


 そうしたら、沙季は笑ってこう言った。


 そっか。


 じゃあちょっと、もったいなかったかもな。



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