魔界の王子と女子高生
私は今、高校二年生です。
ちょっと、古臭い言い方をすれば「セブンティーン」。今風に言うなら「JK2」。
どちらの呼称も大して好きではありません。
ですので、私は今、高校二年生です。
偉い人が言うには、世の中は常に変わり続けているそうですが、私としてはいまいち実感が伴いません。
スマートフォンやテレビなどを見て、何が起こっているかはなるべく把握をしようと試みてはいるものの、どうも現実味が無いのです。なぜならば、隣の件で銀行強盗が起きても、有名な企業の株価が大暴落しても、地球の裏でテロ事件が起きても、私の身の回りに何か具体的な変化が起きることが無いのです。
勘違いが起きないように言っておきますが、私は何事にも興味を示さない、いわゆる無気力系の女子ではありません。部活に恋に関心事は沢山あります。千葉県にある夢の国行けば、ふわふわした気分にもなります。来年からは投票にだって絶対に行くつもりです。
それは、女子高生ならば、あるいは当たり前かもしれませんが、世間に対するある種の危機感、この世の中で、「人間界」で何が起きているのか実感を伴った理解を欠いてしまっているのです。
――そのせいで、私は今、錆と腐さった肉の匂いのする牢獄の中にいるのです。
「人間界」という呼び方が必要になったのはここ最近のことで、記憶が正しければ去年ごろからニュースでも正式に用いられるようになった気がします。
その表現が必要になるということは、つまり、「人間界」以外の世界が存在しているということになります。
「魔界」「魔物界」「暗黒界」「地獄界」。こちらはしばらく統一されませんでしたが、時が経つにつれて「魔界」が最もポピュラーな呼び方になりました。
「魔界」は私たち人間界に突如として姿を現しました。面積で言えば、だいたい沖縄の三分の一程度です。
出現した場所は日本海の上、高度はよくわかりませんが、飛行機より少し低い位置らしいです。
そのせいで、航空会社はルートの変更を強いられ、多少の損害を受けました。
もちろん、当初は国内外問わず大騒ぎでした。しかし、一年も経つと、侵略するでもなく、ただただ上空に存在する「魔界」に対して人々の興味は徐々に薄れていきました。
航空機の進路妨害は立派なテロ行為だ、と怒りを覚える人もいましたが、あの禍々しいビジュアルに対して、損害があまりにもしょぼすぎるという理由で民間人にまで怒りが伝播することはありませんでした。
慣れ、というのは怖いもので、私の周りの友人達の興味の水準も既にコートジボワールと同じくらいにまで落ちていました。
国内でも、「日中でも夜みたい」という理由で、船で真下まで行くという観光ルートが生まれる程の平和ボケ具合です。
このビジネスは儲かる一方で、国内外で安全性において批判を受けました。
私もSNS等で批判したい気持ちは山々です。
しかし、最悪なことに、そのビジネス主、船の所有者というのが、私の父の弟、叔父にあたる人なのです。
「日本海をただ遊覧しているだけだ」という到底通らないようなふざけた主張を押し通しているのです。
「お前も乗ってみるか?」と何度も誘われましたが、毅然とした態度で断り続けています。
しかし、「魔界」に興味が無いと言えば嘘になります。
「魔界」に昼夜の概念があるか分かりませんが、こちらが昼間の間はどす黒い霧のようなものに包まれる一方で、こちらが夜の時は青白く、そして淡く光を放つのです。
私はその景色が好きで、夜によく海岸まで散歩に行きます。
人のことを責められないほど平和ボケをしているのは分かっています。
しかし、齢17の小娘に完璧な危機管理を求められる程世の中だってしっかりしていないと思います。世の中がしっかりしていないからこそ危機管理をと言われても……いえ、こんな議論は今となってはどうでもいいのです。
ある日の夜のことでした。
私は、晩御飯を食べ終えた後、いつも通り散歩に出かけました。
家の周りは街灯が少ないため、スマートフォンの懐中電灯機能を使って海岸まで向かいます。
そして、街灯が10m感覚で設置されている薄暗い車道に出たら、それを横切れば目的地の海岸に辿り着きます。
海岸に着いたら、いつも腰かける大きな岩がある場所まで少しだけ歩きます。あの岩は、たまたま私が座るのに都合よく岩が欠けています。それが何だか私のために用意された特等席のように感じて、とても気に入っているのです。
そこに座りながら、イヤホンでお気に入りの音楽を聴きながら「魔界」を眺める。
これが私のいつもの日課です。
日頃抱えるストレス達、それらがこの時間だけはおとなしくなってくれます。
誰にも邪魔されることなく、虚無と幸福の間をゆらゆらと揺れる。
夜ということもあり、眠気によるまどろみも混ざっていたのかもしれません。
きっとそのせいです。そのせいで私は……
「……ということで、一緒に来てくれないか?」
「え?」
目の前の人の話を最後まで聞き逃すことはおろか、存在にすら気が付きませんでした。
私の脳みそは少しずつ情報を整理しようと頑張りましたが、一つ情報が増えるたびに状況の把握が困難となっていきました。
まず初めに、目の前の人は二人組ですので、目の前の人「達」が正しいと思います。
次に、目の前にいるのは、一見すると背の高いかっこいいお兄さんと腰の曲がったおじいさんですが、お兄さんとおじいさんは二本の角と尖った耳を持っています。
ですので、目の前の「人」達も正しくありませんでした。
最後に、話の尻尾の部分しか聞いていないので何とも判断し難いのですが、どうやらこの方々は私に同行を求めているようです。
「え?って返されたけど、これは来てくれるってことでいいのか、バーグ」
「いえ、坊ちゃま。おそらくイエスでもノーでもございません」
「どういうことだ?僕の人語が下手すぎて通じてないのか?」
「そういうわけでもございません。先ほど、そちらのお嬢様は耳に白い糸状の物を刺しておいででした。あれは先の方から音が出る仕組みとなっております」
「それで?」
「つまり、そちらのお嬢様は我々の話を全くお聞きになっていないということになります」
「そんな訳ないだろう!僕の言葉を理解していなければこの人は僕たちの姿に怯え、すぐにでも逃げているだろう!」
「いえ、そちらのお嬢様は坊ちゃまの素晴らしい演説の途中、半分寝ていらっしゃいましたので、今さっき私たちの姿を認識したのでしょう。その証拠に……」
すぐにでも逃げなければいけないはずなのに、恐怖で体に力が入りません。
平和の中で完全に麻痺しきっている私の体が、防衛本能にクレームをこれでもかと付けてきます。
「ほら、とても怯え、体が震え上がっているではありませんか」
「ああ……本当だ」
「もう一度説明された方がよろしいのでは?」
「いや、もう時間が無いんだ。とりあえず来てもらって、多分この子には後で怒られるだろうから、その時、一緒に謝ってくれ」
「承知しました。このバーグめが、一緒に坊ちゃんと謝って差し上げます」
二人は会話が終わると同時に、小柄なおじいさんの方が背の高いお兄さんにしがみつきました。
そして背の高いお兄さんの方は私に右手を差し伸べました。
「あ、え、その……」
私は咄嗟に差し出された右手を反射的に自分の右手で掴んでしまいました。
「よし、じゃあいこうか」
その瞬間、お兄さんは私を自分の体に抱き寄せました。年頃の女の子の、抱き寄せられたことで分泌される、ときめく心が脳から全身に伝達するより早く、私たちは天高く舞い上がりました。
――そして、私は今、錆と腐った匂いのする牢獄に閉じ込められています。
アニメや映画、ドラマの見過ぎであると指摘されるのは重々承知ですし、話を聞かずにここまで来てしまった私にも非があると思いますが、もう少し丁重な扱いを期待していました。
一緒に来てほしいという言葉から、人質や魔物の餌として連れてこられたのではないという推測は出来ますが、この扱いから、その線も捨て切れなくなりました。
「ああ、どうしてこんなことに……」
普段なら心の中で唱えるだけであろう言葉も、こんな意味不明な状況下なら思わず口から出てしまうというものです。
「……戸惑っているところすまん、もう一度説明するから入るぞ」
独り言は聞かれるものである。独り言を日常的に言わない私にとって見落としがちな穴でした。
ガチャ、と目の前の鉄扉を先ほどのお兄さんの方が押し開けました。
というか、
「この扉、鍵掛かってなかったんですね……」
「そりゃそうだ。別に閉じ込めているわけでもないし、そもそもこの部屋は牢屋じゃないし」
「では、何の部屋なんですか?」
「控室だな、俺らの」
この言葉から、私の推理力もとい妄想力は大きく掻き立てられました。
「俺ら」の控室。この言葉が意味するもの。
男女二人に用意された控室といえば、結婚式と考えるのが妥当でしょう。
もしや、私はこの方の花嫁として連れてこられた、そういうことなのではないのでしょうか。
つまり私は、初恋を飛び越して、婚姻関係を結ぼうとしているのです。
「本番までもう一時間しかないから、君が聞き逃した部分の説明をもう一度したいんだけど、今度こそ寝ないで聞いてくれるか?」
「は、はい」
心の準備は出来ています。
しかし、せめて純情少女の儚いプライドである乙女心を少しでもねじ込みたいという私もいます。
「で、でも、私はあくまで、囚われの身。これからするあなたからの申し出を嫌々引き受けなければならないということをあなたは理解してください」
「その前提になんの意味があるのか分からないけど……いや、だから別に君は囚われでも何でもなくて……ああ、もうこの際囚われでも何でもいいけど、とりあえず協力して欲しいんだ」
「そ、その前に、その、あれです!私の身の安全を保障してください!」
彼は私の乙女心を受け止めきれず、はぁ、とため息を漏らしました。
――その時、ギギギと鉄扉を開く音がしました。
「おお、バーグか。どうした?」
「シローガ=ユーキ様、ご家族の方と連絡がつながりました。どうぞ」
小柄なおじいさんの方のバーグさんという方から受話器の形をした悪趣味な骨のオブジェクトを渡されました。これに耳を当てるのは少し気が引けますが、これで家族と連絡が取れるのであれば背に腹は代えられません。
そして、申し遅れました。私の名前は白緒河夕喜と申します。念のため申し上げておきますと、シローガ=ユーキというハーフの女性ではなく純日本人です。
「え、あ、ありがとうございます……もしもし?」
『おお、夕喜!』
「あれ?叔父さん?お父さんとお母さんは?」
『大丈夫、大丈夫!俺が上手いこと言っといてやるからよ!お前はその大役をしっかりとこなせよ!』
「え、ちょっと待っ……」
『じゃあバーグさんに今後もよろしくと伝えといてくれ!じゃあな!』
ブツン!ツーツー……
「うそ……」
正直に言います。確かにこの角の生えたかっこいいお兄さんはタイプの男性です。しかしながら、人間界を離れ、友達や家族と離ればなれになることは耐え難いことです。
「みんなに会いたい……」
涙が出そうになります。今まで当たり前だったものがいきなり奪われてしまうなんて……。
「すまん、あと少なくとも三時間は会わせることはできないな。俺らの種族なら三時間くらい会わないのは何ともないんだが、その様子だとユーキの種族はそうじゃないんだな」
「いえ、坊ちゃま。そうではございません。人間の方々は我々に比べて肉体は貧弱ではあるものの、精神の方はかなりの発達をしております。おそらくまた勘違いが起こってらっしゃるのでは?」
「馬鹿を言え、現にユーキは目に涙を溜め……てないな。何なんだ本当にもう。バーグ、説明をしてくれ」
「説明が必要なのは私から坊ちゃまへ、ではなく坊ちゃまからシローガ様へ、ということなのです。いきなりこんなところに連れてこられて、坊ちゃまはまだ具体的に何をするかを伝えておりません。さしずめ、年頃の人間の女性であるシローガ様からしたら、坊ちゃまの婚約相手として連れてこられ、それはまんざらではないものの、ご家族や友人に一生会えないのは辛いといった……」
「ストップです。バーグさん。あの、もう、その、これ以上は大丈夫です……」
この年老いた魔物の方は、本当に魔物なのか怪しいくらいに人間の心の機微に聡すぎます。
何も悪いことをしていないのに、私はどうしてこんな辱めを受けなければならないのでしょうか。
「分かった。もう回りくどいのは無しだ。単刀直入に、結論から入るぞ」
「は、はい」
「ユーキ、お前には……」
「俺と一緒に、ラジオDJをやって欲しいんだ!」
「…………?」
……………………え?
「……え?それは、何かの比喩でしょうか?」
「ヒユ……」
例え話のことにございます、と横からバーグさんから注釈が入る。
「いや、例え話でも何でもないんだ。ユーキと一緒にラジオ番組をやりたいんだ」
「そもそも、ラジオなんてあるのですか?この世界に」
「そのご質問の答えは今回のプロジェクトの根幹に当たる部分ですので、私の口から申し上げたいと思います」
バーグさんの口調からは先ほどまでの優しそうな口調からは1ミリも発されなかった深刻さを感じ取れました。
「僕がそのまま説明すれば良いだろう!」
「いえ、坊ちゃまの説明ではまた認識のズレが生じてしまうかと思いますのでここは私めが……」
「余計なお世話だ!僕に任せておけ!」
「あ、あの!説明をお願いしてもよろしいでしょうか、その、バーグさん……」
ユーキぃ……とお兄さんの方がひどく落胆をしていました。しかし、それより事の経緯を一刻も早く知りたいのです。
「はい、承知いたしました。では、シローガ様にお尋ねしたいのですが、私たちの世界、そちらでは魔界と呼ばれるこの世界に対してのイメージを一言で言っていただけますでしょうか?」
「えっと、その、一言で言いますと……怖い……です」
「次に坊ちゃま。人間たちの住む下界に対して思っていることを一言でお願いします」
「うむ。怖いな」
「え」
「そうなのです。人間の方々からしたら意外だと思いますが、我々の世界の住人達も、得体の知れない知的生命体で、かつ常軌を逸した繁殖をしている人間に対して恐怖心を抱いているのです。そのような恐怖心が膨れ上がり、破裂した際に起こることはいつの時代、世界であっても同じであると思います。それは、『排除』です。恐怖の元凶を根っこから絶つために戦いへと発展してしまうのです」
「なるほど……」
お互いがお互いの存在をよく知らないままで、一年間も隣接している状態です。
いつ何が起こるか分からないという不安に苛まれるのは人間もこちらの住人の方々も同じなのでしょう。
「そして、その恐怖の膨張が一年たった今、限界に達しようとしています。そちらの世界の首脳の方々に攻撃を提案する人がいるのと同じように、こちらのリーダー達にも戦いを好む者がいます。こちらの世界では大王様が首を縦に振るまでは如何なる攻撃命令も出ませんが、そちらの世界には国ごとのリーダーは存在するものの、人間界を代表するリーダーは存在しないと伺っております。ゆえに、恐怖を抱き、排除の選択をする方が過半数を超えた段階で戦争になってしまうのでは、と大王様は心配をなさっております」
「そしたら僕も前線に出て指揮を取らなければならなくなるし、絶対に避けたいところだな」
「では、戦争にならないためにできることは何か。それは友好関係を築き上げ、恐怖のガス抜きをすることであると大王様はお考えになりました。そこで、白羽の矢が立ったのがシローガ様、あなたなのです」
「ええ!そ、それはそちらの大王様からの直接の指名ということですか?」
「パパは忙しいんだ。そこまで手が回らないからこの件は僕に一任されている」
「そうなんですね……って、え!パ、パパということは……?」
「そうだ!僕こそがこの世界の王子であるカイル・オドルクだ!」
坊ちゃまと呼ばれていることから、ある程度の位に就いていることは推測できましたが、まさかこの世界の王子様だったなんて……。
「“第四”が抜けておりますよ。坊ちゃま」
「余計なことは言わなくていい!」
「いえ、詳しく聞きたいです。その、カイルさん……」
名前を呼ばれ、少し驚いた様子だったが、少し機嫌が戻ったようにも思えました。
「『後継者争い』って言えば伝わるか?僕は第四王子で、第五まで王子がいるんだ。その五人にそれぞれ『人間界との親交を深める』という課題が課せられているんだ。そして、一番親交を深めた王子を次期大王に内定させるらしいんだ」
「大王様らしい実力主義な評価法にございます」
「そこで、ユーキには勝手なお願いで申し訳ないけれど、手伝ってほしいんだ!僕が大王になるのを!」
「え、あ、そのうん、と……」
二人が私の顔を覗き込む。そんなに期待されたら誰だって……
「よろしく、お願いします……」
二人は今日初めての笑顔で私に言葉の限りにお礼を言いました。
どんな内容であれ、誰かに必要とされ、喜ばれるというのはいい気分です。
「あの、疑っている訳ではないのですが、本当に王子であるというのは間違いないのでしょうか?」
「ああ、そうだが。どうしてだ?」
「いや、王子様に用意された控室にしては、この場所が少し粗末に感じられたので……」
「あ、いや……それは」
急にバツが悪そうにするカイルさん。もしや、今までの言葉は嘘だったのでは!?
そんな様子を笑いをこらえながら見守るバーグさん。きな臭くなりました!
「どうなんですか!カイルさん!」
「坊ちゃま。お教えになったらいかがですか?」
含んだ笑みの量がさっきより三割増しになったバーグさんはカイルさんに回答を促す。
「……最下位なんだよ」
ぼそっと、カイルさんは呟きました。
「え?」
「だ!か!ら!最下位なんだよ!現時点で後継者争いが!」
「大王様は成果に応じて王子様たちにそれぞれ順位をつけて、その順位に見合った支援を行います。実力主義の大王様らしいです。そしてその結果、今現在坊ちゃまが、その、最下位に……」
「うるさい!それも今日までだ!なんたって俺たちにはユーキが付いているんだ!」
「ええ!そんなに期待されても……」
鉄の扉を押し開けながら、カイルさんは私に言いました。
「――行くぞ、ユーキ!今日で全部ひっくり返すぞ!オンエア10分前だ!」
帰りたいです……。




