・ 5章 記憶菓子
バイオリンで少しホラーチックだが同時に悲しく切ない、そんな美しい旋律が耳へ届く。
また、あの空間に、[夢]であり悪魔たちの[仕事場]である真っ白な空間に来た。
俺は一昨日の出来事に対して少し苛立ちを覚えていた。俺は足早に悪魔たちの元へ行くと怒鳴る
「おい!なんだよ!一昨日のアレは!恥をかいたじゃないか!」
そう怒鳴りつけると悪魔アニスは焦った顔で苦笑いしながらまあまあ、落ち着いてと手でレクチャーする。
「願った幸福を与えるんじゃ無かったのか?」
と一度深呼吸をして息を整えてから言うと悪魔アニスは不思議そうな顔をする。
「そうですよ~…?だから叶えたんじゃ無いですかぁ。可愛い子に“会う”って言う願いを」
クスクスと口元に手の甲を当てて悪魔は笑う。
「勘違いしてませんか~?あくまで、会わせるだけでキッカケを作れなんて頼まれてませんし。言葉足らずって事ですよぉ」
俺はそう言われて理解する。確かに俺は会わせてくれとは頼んだ。自分の失敗に気付くと次第に顔が赤くなっていく。
「いやー。傑作でしたねぇ!勝手に勘違いして声かけて赤っ恥をかく羽目になったのは」
ついには涙ぐみながらお腹を押さえアハハハと声を出して悪魔は笑う。
「わ、笑うなよ!」
「…プ、クフフ。」
シーナとやらも声を殺そうとしているが笑っている。やはり悪魔だ。他人の不幸でこんなにも笑うなんて
「…ふぅ。さてお客さん?今回もまた幸福を望みます?幸福を与えましょうか?」
息を整えたアニスが言う。
「…そうしてくれ。そうだな。今回は普通に彼女を」
「下さい、と。プッ、フフフ…わ、解りましたぁ」
こっちを見るなりまた笑いかけて、いや含み笑いをして俺の願った幸福を受理する。
アニスは両手を広げ合掌しようとする。
―その時、ある考えが脳をよぎった。
「ま、待て!」
考えるより先に体が動く。伸ばした手はアニスの手の間に挟まる。意識は…薄れてない
「どうしたんですか?」
「一旦取り消してくれ。確認してみたいことがある」
そう言うとアニスは仕方無いですねと言いたそうな顔で見て手を降ろす。
「それで、確認してみたいこととは?」
それは…今朝、友人と名乗った奴らや周囲の反応を見て思ったこと。
俺は何か記憶を忘れている、いや、無くしているようだと言うこと。俺はその感覚も覚えも無いが、周りの反応がそれを示唆していた。
「…まさかとは思うが、お前、俺の記憶を奪ってる?」
そう言うとアニスの顔は驚く。
が、すぐにいつもの笑みを浮かべた顔に戻る。
「どうしてそう思ったんですか?」
ビンゴなのかと思いつつ聞かれた質問に答える
「周りの反応が示唆していたんだ。まるで俺の記憶が抜け落ちている、消えているようだと。お前、対価は無いと言ったな?あれは今の事が真実なら大嘘じゃ無いか。」
そこまで言うとアニスは歪んだ笑みを浮かべて話し出した。
「えぇ。その通りですよ。ですが、嘘ではありません。」
意味が解らない。お代は無いといいつつ貰ってたら矛盾が生じる。つまりは嘘になるだろう。
顔に出たのかアニスは今俺が考えたことを察して説明しだす
「理解できてないようですねぇ?では、まず貴方の考えの根本的な間違いを消していきましょう」
「根本的な間違い?」
「えぇ。貴方はお代は無いといいつつ貰ってたら嘘になるだろう、と考えているでしょう?ですがそれは大きな間違い。最初に私はお代はいりません♪と言いましたね?お代は貴方が望んだ瞬間に貰っているんです。記憶を対価に支払っていたらその記憶は失われる訳ですよね?ではその記憶を貰った、支払ったとどう証明しますか?既に、完璧に、元から無かったかのようになったモノをどう証明しますか?」
…そんなもの証明できるわけ無い。
記憶なんて不鮮明なモノ、どうしようと掴むことは出来ない。それこそ雲を掴むのと同じでスルスルと手から抜けていくだろう。
「理解して頂けました?なら、次の説明しますね?…対価に貰った記憶はどこにいくでしょうか?」
…まさか!
「お前らが食べていたお菓子、か?」
「お察しが良い。その通りです。それで私達の“私物”となり貴方から完全に失われます。以前に『一つの仕事をし終えると一人につき一つしか貰えない』と言ったの覚えてますか?…アレ、今思うと上手にカモフラージュ出来てると思いません?」
…一人の記憶を奪って幸福を与える。それが仕事。
なら、それを終えるとその客たる一人の人間の奪った記憶を一つのお菓子として得ると言うことだったのか。
「…だから食べさせなかったのか。食えばその菓子に込められた記憶が戻るから」
「はい。あぁ、ですが、一つしか無いのであげれないと言うのも事実ですよ。」
……………………なぜだ。
「なぜ記憶を奪う!」
アニスはそんなことを聞くなんて愚鈍ですねと俺を一瞥し笑う
「決まってるじゃ無いですかぁ。私達の生きるための食料になりますし、幸福を与えるならそれ相応の対価は必要と思いません?そ、れ、に。感覚や人体ではなく、記憶ならばいくらでも書き加えれるから一人につき何度でも食料を得ることが出来るじゃないですか。そりゃ記憶を取ることを選ぶに決まってるでしょ」
「そんな、そんな勝手な理由で人を貶めるのを許されるとでも言うのか!人が幸福を求めるのは自由だ!人の特権だろ!何かを奪っていいはずが無い!」
生きるために仕方が無いとはいえ、他人のモノを奪うなんて悪事を許すなんてできるか!!
そこまで言い切ると俺は目の前の敵に、悪魔に殴りかかっていた。…その時、まるでゴミでも見る視線を向けられていることに気付く
「…女だからってなめてないですかぁ?こっちは悪魔ですよぉ。人間程度の下等種族に易々《やすやす》と負けないですよ」
アニスは俺の全力の拳を片手で受け止める。
次の瞬間パキンと何かをへし折ったような、何かを弾いたような音が響き俺は光に包まれる。気付くと俺の体は宙を舞っていた。
「ぐあっ」
俺の体は鳥のように宙を舞ってから重力に従いドスンと鈍い音をたてて地面に叩き付けられる。
「それに、ほんっとに愚かですよね。人間って。生きるために仕方が無いとはいえ、悪事は許すべからざるモノだと、罪だと言うのですか。…ハッ。ヘドが出ますね。貴方達も生きるか死ぬかの極限な状況に立たされるとそんな生温いこと言いませんよね?なのに自分の事は棚に上げ悪事を行った者を責めると?思い上がりも甚だしい!」
痛む体でなんとか立ち上がるが、大きな声で威圧され、正論を放たれ何も言い返せない。
だが、俺は諦めない。奪われた記憶を、取り戻すために
「ふざ、けるな!俺の記憶は元から俺の私物だ!」
アニスは呆れと怒りを露にした顔で俺に刺さるような鋭い声で怒鳴る。
「…やはり人間と言うものは強欲の化身と呼べるものでしたね。幸せを与えられるだけじゃ飽きたらず記憶を返せなどと図に乗るな!自分が良ければ全て良しとでも言うの!?」
そう言った口調は始めて聞いた口調だった。これが素なんだな。今の言葉はこいつらにも当てはまるだろう。俺は睨み返し
「確かに人間は強欲だろう。だが、何が悪い。醜い所があっても良いだろう!?それが人間だよ!それに、お前は何かを与えてやったと見下している。何かしてやったから見返りを寄越せと見下している。俺ら人間が強欲の化身と言うならお前らは傲慢の化身だよ。それだって立派な罪だろ?」
と言う。辺りは静まり返る。ただ、来たときから流れるバイオリンの独走曲が他の音も混じりより壮大になり虚しく響いている。
アニスを見ると悲壮な顔をして涙のような水が目を潤していた。
「アニスを…お姉ちゃんを…貴様ァ!」
突如聞こえた高い声に反応するまでも無く腹部に激痛が走る。
体が軋み視界が歪む。そのまま俺は飛ばされ壁にぶち当たる。
視界の先に見えたのはシーナと思わしき小柄の悪魔。
そう理解した直後に視界はまた歪む。今度は顔に激痛がはしる。
地面に仰向けに倒れ込んだ俺をシーナは激しい憤怒と憎悪の形相で俺を殴る。殴る。殴る。
何をしようにもその一撃の重さと速さに翻弄され、なす術無くただひたすらに体を壊されていく。
「…私の、私達の敗けです。人間さん。シーナ、もう、良いですよ」
その声の主に振り上げた腕を押さえられ、止まる。
俺は歪む視界の中でアニスを仰向けのまま見つめる。
「…貴方に最後に一つだけ。…どうしますか?最も大切な記憶を犠牲に幸福を望み、得ますか?」
アニスが真顔で、でもどこか悲しげな顔で見下しながら言う。
もう体は動かない。動かせるほど体は元気ではない。
ここで諦めればこの夢から覚めて痛みも傷も、ここでの記憶も無くなり普段の生活に戻れるだろう…だが、俺は閃いた。最高の案が。
「ああ。」
「解りました。では、望む幸福は?」
「望む、幸福、は…全ての記憶を、取り戻す事だ」
そう掻き消えてしまいそうなそうな声で力なく呟くとアニスの顔が驚きで満ちる。
「そんな方法を…。貴方達人間の考えには驚かされっぱなしですね。私の敗けです。」
あぁ。意識が薄れていく。アニスの顔を見ると…そこには狂気の笑みを浮かべこちらを見下す紅い瞳があった。その悪魔の手にはクッキーが握られている。
「機転を利かして導いた方法は発想としては何とも面白く、素直に驚かされましたよ。ですが貴方も敗けですよ。最後まで愚かでしたね。名も無き、“無名の存在“」
意識が薄れていく中でそう聞こえた。
心なしか体も消えている気がする。
「貴方は最も重要な記憶が何か知ってましたか?…それは貴方の産まれた瞬間の記憶、つまり“存在し始めたという概念の記憶”です。即ち、それを失ってから記憶を取り戻す幸福を望もうとも何も戻りません。貴方はここから戻れば、俗に言う森羅万象という全てから忘れられた存在となり、自分が存在しているという己が意識からさえも喪失して残りの余生を暮らすことになります。最も、そんな感覚さえ無いですが。では、さようなら」
「…!!!」
その声を最後に体も意識も、そして記憶さえも完全にこの空間から消える。
霞む視界の先に最後に写ったのは文字通り悪魔の笑みでお菓子を頬張るアニスたちと、今しがたここに来たであろう目を閉ざした誰かが突っ立っている姿。