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ムーンリバー  作者: 秋鹿
2/2

 戸惑いを浮かべるベリーを抱き締めたまま、ハックは優しげな口調で語りだした。

 ベリーはそっとと瞳を閉じた。

 

「まだ月が大きく、寂しがり屋だった時の噺さ。

 地上では一匹の小鳥が夜空に浮かぶ美しい月に恋をし、毎夜月を見上げて彼に会いに行く歌を歌っていた。

 彼だけがいつも小鳥を見つめてくれ、小鳥の歌を聞いてくれる。それだけで小鳥は満足だった。

 月も美しい歌声に惹かれ、毎夜小鳥に会えるのを楽しみにしていた。

 小鳥の歌は広い宙で一人ぼっちの月の心に染み込み、月は孤独を忘れた。

 ある日、月はどうしても近くで小鳥に会いたくなり、月影を集めた自分の分身を地上に送った。

 小鳥は月の分身をハックルベリーと呼び、二人は月の光が照らす一時を幸せに過ごした。

 夜になると月影の中からハックルベリーが現れる。

 まず二人は散歩をし、隠れ鬼をし、その後小高い丘に寝ころび、朝日が昇るまで語り合った。

 穏やかで、何気ない日々。

 でもそのささやかな日々が二人にとって何物にも代えがたい幸せだった。

 新月の夜は月が見えない。

 そんな日はハックルベリーも姿を現すことはなかった。

 でも小鳥は姿が見えなくても広い空の何処かに月がいることを知っていた。

 だから雨の日も風の日も、どんな時でも月に届くように歌を歌った。

 月は微かに聞こえるその歌を一つも聞き洩らさないように耳を傾け、小鳥のことを思った。

 見えなくても繋がっている。寂しがり屋の月は小鳥を思うことでその寂しさを紛らわすことができた。

 でもそんな幸せも長くは続かなかった。


 小鳥は小鳥――。


 小さな体に与えられた命の期限は決まっていた。

 小さな小さな小鳥がその小さな羽に埋まるようにして動かなくなったのは新月の晩だった。

 いつもの歌が聞こえない。

 月は小鳥の死を悟った。

 月は泣いた。

 泣いて泣いて、月は壊れてしまった。

 月の壊れた穴から止めどなく涙が流れだし、それは宙に広がり雄大な河となった」



 ゆったりとした物語を終え、一息吐くとハックはベリーに笑みを向けた。

 しかしベリーはそれに答えない。


「おやおや、寝ちゃったのか」


 可愛らしい寝息をたてるベリーを抱え直し、ハックは愛しげにその頬に触れた。


「ずっとこの河を一人で漕いできたんだ。疲れているよね、月の可愛い小鳥さん」


 ハックはそっと眼を閉じ、ベリーの額に口付けた。


「君に会いたかった」


 切なげに揺れる銀の瞳は大切な人に出会えた喜びに満ち、清らかな雫で潤んでいた。


 

       *

 月は小鳥の死を嘆き、泣き続けた。

 止めどなく流れる河には悲しみと共に小鳥との思い出さえも流れ出てしまった。

 小鳥との楽しい思い出がより月の心を締め付け、小鳥の愛らしい歌を思い出す度に月は悲しみを深くした。

 いっそ知り合ったこと全てをこの河に流してしまえたら。

 しかし小鳥との思い出がなくなることはもっとつらいことだった。

 そんな月の涙が地上に降り、一雫、動かなくなった小鳥の上に落ちた。

 これは月も知らないことだった。

 悲しみに暮れた月はもう地上に目を向けることなどなかったから。

 月は小鳥を思って涙すること以外できなかった。

 小鳥に月の思いに満ちた涙が染み込んだ瞬間、小鳥は飛びあがった。

 小鳥は月の雫に導かれるように宙に昇り、月の涙の河を月に出会うために漕ぎ出す旅に出たのだ。

 しかしそれは長い旅だった。

 月の悲しみが多すぎて、涙の河はどこまでもどこまで、悲しみの川はとどまることなく続いていた。

 蘇った小鳥は自分が何者なのか忘れてしまったが、河の始まり、つまり月に会いにいくことだけは忘れていなかった。

 月の心に出来た穴を塞ぐために、月の欠片を持っていく。

 蘇っても忘れることのなかったこと。

 それが小鳥の使命。


「大丈夫。今は忘れているかもしれないけど、きっと思い出す。この河は月の涙で、月の記憶たち。一滴掬って感じてごらん。僕たちの幸せな時間が蘇るから」


 ハックは優しくベリーを舟床に寝かせた。


「君の持っている月の欠片は月の思い出。それで月の悲しみを塞いで」


 ハックは離れがたいのか小鳥の髪に触れ、その絹のような柔らかさをじっと感じた。

 ハックは別れを惜しむようにもう一度ベリーに口づけをした。さっきよりも長く、心を込めて。

 ゆっくりと唇を離すと彼は愛しげに微笑んだ。


「待ってるよ、可愛い僕のベリー」



       *

 ベリーが気付いた時、唇に優しい温かさが残っていた。しかし舟にはベリーしかいない。


「ハック?どこに行ったの?」


 懸命に銀の大河を見渡すが、そこにはいつもと変わらない雄大な流れと美しい星宙が広がるばかり。


「わたし、まだお礼も言っていない。優しい物語をくれてありがとうって。ねえ、ハック」


 必死に声を上げるが、小鳥の声は悠久の時を包み込む宙に飲み込まれ消えていった。


「ハック……やっと出会えたわたしの友達」


 ベリーは悲しげに眉を寄せたが、何故だか涙は流れなかった。


(どうしてだろう?ハックとはまた会える気がする。この河の先で……)


 ベリーはそっと傍を流れる美しい河の水を掬ってみた。

 銀の水はキラキラと輝き、霧のような細かな粒子になってベリーを包み込む。

 ベリーの青い瞳から涙が流れた。温かな雫はベリーの頬を伝い、銀の河に落ちた。


「温かい」


 ベリーは切なげに微笑むと河に刺さった櫂を抜き、また河の上流を目指して櫂を漕ぎ出した。

 この河の先に何があるのかベリーは知らない。

 でも誰かが自分を待っていることだけは分かっていた。

 愛らしいベリーの口が知らず知らずの内に紡ぐのはもちろんあの優雅で優しい歌のメロディー。


「  ~月の河に小舟を浮かべ

    あなたの元に胸を張って

    渡って行くわ

   

    あなたはわたしに夢を

    与えてくれる

    だからわたしは歌えるの


    あの虹の橋のたもとで

    いつものように

    待っててね


    月の河を優雅に

    超えていきたい

    大好きなあなたと」



 月影の大河を渡る小舟が一艘。

 涙を流し続ける月に向かってゆっくりと進む。

 舟に乗っているのは小さな小鳥。

 彼女が持っているのは小さな月の欠片を二つだけ。

 その欠片を愛おしげに抱きしめながら、彼女は粗末な木の舟に乗り、細い腕で櫂を動かし月を目指す。

 宙は美しい星々の瞬きに満ち、雄大な河を銀色に照り輝かせる。

 広い宙の下の、たった一人の旅。でももうベリーは寂しくなどなかった。

 自分の歌を聞いてくれる人がいるから。

 そしてこの河の先にはきっと、ベリーを待っている人がいるはずだから。



      *

 これは月がまだ今より一回り大きく、寂しがり屋だった時の噺。

 穴が塞がり、流れていった悲しみの分月が小さくなって、月の側にはいつも優しげな歌が流れるようになった噺はまた別の機会に――。

名曲ムーンリバーを聞いて、なんとなく考え付いた話です。

なんとなく真夏の、少し熱気を含んだ夜がこの曲に似合う気がするのは私だけでしょうか。

宇宙はきっと驚くほど冷たいところなのでしょうけど、この物語は真夏の夜が舞台です。

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