第75話 爪痕は風に散る
『海蛇』。
以前受けた依頼において、セラン・ユプセン北部の遺跡内部で戦った、枯化獣の一種……らしき謎の生物。
巨大な蛇の体に細い腕を生やしたような異形で、その爪の殺傷力と水を活かした高い敏捷性に、共闘したクレウグという青年共々随分と苦戦させられたのだった。
結果的には駆けつけた仲間達の協力により撃破、その身は美味しく頂いた。
そして余った手の部分は、お土産と称してシグネーさんに差し入れ……ようとして当然のように受け取り拒否された。
仕方なく持って帰った片方はともかく、共壇の窓口の奥に転がされたもう一本については、そのまま職員さんによって処分されたものとばかり思っていたが……一体何をどうしたら、それがこんな所で発見されるというのか。
全く理解は及ばないが、とにかく、この手こそが今回の異変の原因と考えてまず間違い無いだろう。
《そうね……考えてみれば、これは聖標器――拒葉剣と、恐らく水祇の影響を間近で受け続けた生物の残骸。それが穣祇の界恵枝に刺さっているというのだもの、何か重大な異常が発生してもおかしくはないわ。この程度で済んでいたのは僥倖……いえ、もっと大きなものの前兆だった可能性もある。事前に対処できて良かったと言うべきかしら》
ロティもそんな事を言っていた。なんだか他人事のような言い草だが、ロティが動いていればもっと早くに原因もその場所も特定できたんじゃないだろうか。早々に酔ってやる気なくしてたんじゃないだろうな。いやまぁ原因が特定できたとしても結局処置は俺達で行う必要があったんだが。
なお問題の『手』は、ひとまずは回収を終えている。
俺が頑張っても手は届きそうになかったし、抉界戟を伸ばしてうっかり樹に傷を付けるのも怖かったので、ゼオに頑張ってもらった。
俺より背の高いゼオが思いっきり手を伸ばしてまだギリギリ指が触れない程度の高さ。飛び跳ねながら何度か引っ張っているうちにポロリと取れたのだが、その頃には随分と息が上がっていた。無理させて申し訳無いと思う反面、普段どれだけ運動してないんだと突っ込みたくもなった。
そして回収した『海蛇』の手。
一旦そのまま地面に置き、どうしたものかと思案していたのだが……。
《何を悩むことがあるの。完膚無きまでに粉砕し尽くしてこの世から抹消してしまいなさいそんなの》
そこに、ロティから随分過激な解決策を提示されたのだった。
「粉砕、って……大丈夫なのか、そんな事して? なんか色々な影響を受けているって今言ってたところだけど」
《持ち帰った片割れを折って出汁取りに使った人が今更心配する事じゃないでしょう》
「…………」
ぐうの音も出ない正論だった。そのまま汁物に使ったり煮詰めて肉料理用のタレを拵えてみたり色々したがどれも非常に美味でした。
まぁともかく、壊してしまう分には問題無いことが示された。ならば遠慮なく粉砕させてもらうことにしよう。
壊すといえばアステル。俺は既に祝祀印を構え準備万端といった様子だった彼女に頼もうとして、
「いや……僕が……やるよ……」
そこにゼオが細い声で割り込んできた。
座り込み界恵枝の幹に状態をもたれかけたまま、挙手するよう黒針――冥指を掲げてそう言う。
「完全に……粉砕する、って言うなら……僕が、適任かな、って……」
「い、いや……確かにそうかもしれないけど、その……大丈夫なのか?」
顔は笑っているが、まだ息も整いきっていない。そんな状態のゼオに更に何かさせる訳にも……と思ったのだが。
「大丈夫だよ、それくらい。……というか僕、今日は見事に何もしてないからねぇ。ちょっとくらいは、って」
あぁ、そんな事を気にしてたのか。別にそんなところ配慮しなくていいのに。多分ロティだって何もしてないし。
しかし、この『手』を確実に破壊するというのなら、ゼオが適任というのもまた事実。
少しだけ悩み、
「……じゃあよろしく、ゼオ」
「よしきた」
結局、頼むことにした。
もたれていた幹から体を起こすと、ゼオは『手』を掴み、そのまま界恵枝から遠ざかる方へしばらく歩く。
そして地面にそれを置くと、手にしていた冥指をつまむような形に持ち替えた。
「随祈――『呪方・終止門』」
ゼオが冥指を突き刺すと、『手』は瞬く間に、細かな砂塵と化し風に吹き散らされて消えた。
対象をまさに粉砕し尽くす術。後には何も残らない。
立ち上がり、「終わったよー」とこちらへ手を振るゼオ。
ひとまずは、これで落着といったところか。
念のため、他に異物など無いか確認はしておくが……流石に、これ以上何かが出てくるということもないだろう。
あとはしばらく界恵枝の様子を見て、枯化獣が集まる気配が無ければ大丈夫だ。
一息つき、俺はこの後の行動について考える。
何せ時間帯は深夜。聖立共壇が業務を開始する時間まではまだ随分とあり、すぐに報告には行けない。
帰って一旦寝るべきなのだろうが、それにしては少し半端な時間。事前に少し睡眠を取っておいたためまだそれ程眠くないというのもある。
何より――。
「……腹減ったな」
誰ともなく呟く。
ローナセラを出る前、少し控えめに食事を取ってきてはいたが、流石に足りなかったようだ。今になって軽く空腹を覚えた。これ以上の長丁場にならなくて良かった。
しかし、今から何か作ろうというような気分でも時間でもない。どうしたものか、と少し考えているところに、
《商業区の北端辺りに明け方まで営業している食堂があるわよ》
突如飛び込んでくる有益情報。
成程、それはまたありがたいことだ。……って。
「ロティ、なんでそんな事知ってるんだ?」
まさかこっそり食べ歩きしているなんてことは無いだろうけど。
尋ねると、何やら得意気な調子でロティは答えた。
《こうなる可能性も見越して事前に調べておいたのよ。導祇の権能の前では造作もない事だわ》
……なんというか、そんな私的な事に使っていいものなのか、祇心の能力って。いや本人がいいのならいいんだろうけど、本にでも書いてそうな程度の情報じゃないか。俺がこの前買ってきたような観光案内本とかに。
《夜行便を担当する聖畜衆だとか民間の配送業者への需要に振り切った店らしいわ。基本的に昼間は営業していないから、こんな時しか行く機会は無いんじゃないかしら。ちなみに、甘辛く煮た角切り枯羽牛肉と軽く湯通しした香味野菜類に火錐草を煮出した辛い油をまぶして具材にした麺料理が一番人気だそうよ》
「……あぁ、わかった。ロティがそれ食べたいだけだろ」
《そうだけれど何か問題かしら?》
指摘にあっさり開き直る導祇。まぁ問題かと言われたらそんな事は無いが。
「けど、そんな業者御用達の店に俺達みたいな一般人が急に行って入れてもらえるものなのか?」
《何が一般人よ。聖王の権威を振りかざせば突入くらい造作もない事でしょう?》
「問題あるだろその権威の使い方は」
元より聖王の名にそんな威力があるのかどうか定かではないが。
まぁ普通に入店してみて、駄目だったら諦めて帰宅し何か自作すればいいだけのことだ。
「あ、フィーノ様また何かロティちゃんと美味しそうなこと企んでますねっ?」
「ちょうどよかった、お腹空いてきたんだよね。どこ行くつもり?」
「いや、この時間に普通の料理屋は開いてないんじゃないかなぁ……居住区の飲み屋とかなら知らないけど」
ロティと話す声を聞いていた仲間達も盛り上がり出す。同じ時間に同じように軽めに食べただけだったのだ、腹具合までみんな同じくらいでもおかしくはないだろう。
苦笑し、俺は皆にこの後の予定を伝える。
まだ若干の仕事が残っていることに落胆を見せるミュイユ。
もう終わったかのように浮かれるアステル。
何故かやり切った感と共に酒を呷るゼオ。
そんな皆を先導するよう界恵枝へと足を向けた俺の頭の中には、料理への期待感と同時に、微かな不安が湧いていた。
――結局、共壇にはどう報告すればいいんだろう、この一件。




