Ep.100『先へ』
「今日は……行動で示してほしい、気分だわ……」
セスタ・クリスタルベリーは、いじらしい表情でそう言った。
既に終着した僕たちの物語。東都の端っこにある小さな島で退屈をひたすらに浪費する僕たちは、そうやって愛に眩まされてしまう。
僕が手にした王の肩書きすらも、漂白されてしまうような気がした。
セスタの頬に手を添える。
「まだ、満足してない。」
じ、と僕の目を覗き込む、セスタの双眸。確かに、その視線は、掌の形を模って、僕の中に埋没していた核心に触れた。握りしめられた。心臓が軋み、「ぇ、」と困惑の声が漏れる。
「貴方は、まだ……満足してない。もっと、面白がりたいんでしょう?もっと、血沸き肉躍る局面を待ち望んでいるのでしょう?退屈な平穏なんて、欲しくなんかないんでしょう?」
わかっちゃうのよ、アタシは。
俯いてしまったから、彼女を黙らせることができなくなる。僕の中に眠っている醜悪な何かを、引き摺りだされる。生臭いにおいを放ち、目を背けたくなるような形をしている。幻滅される、絶望される。
僕は、そうやって君を───失ってしまうのか。
「アタシも」
ぷぷ、と堪え切れないという風に、セスタは笑みを漏らした。
「アタシもよ!リゼルキルトくん……っ!もっと、もっと大きなことをやりましょう?アメリクス大陸を手に入れたからなに?世界最大手の魔薬カルテルになったからってなに?長者番付に載ったからってなに?
もっとよ……アタシたちは、たった四人で始まった。そして、そこに集まった四人全員が、稀代の天才だった。そうじゃなきゃ、今のこの状況が説明つかないわぁ……!」
だから、と息継ぎして、セスタは満面の笑みで言う。
「はやく、戻ってきて。」
血と暴力の世界。魔薬と金の世界。
犯罪組織と、資金洗浄と、アルカロイドの単離実験と、密輸ネットワークと、死刑執行人と、反政府組織と、原理主義者と、黒社会と、海賊と、テロリストと、武器商人と、聖職者と、密入国ビジネスと、戦争と、抗争と、血と、死体と、血と───アルカロイドに眠る、妖精の世界。
そのおぞましい地獄の中には、輝きが埋没している。
はっとした僕の背後、どがん、と扉を開ける音。僕より先に反応したセスタが、僕の肩越しに視線を投げる。それに倣って振り向いた。
「リゼルキルト!ロス・アンタニオスとアヴィエル・カルテルが、……異憲章をっ」
僕に速報を持ってきたエンタクトは、不自然に息を詰まらせた。
あぁ、そうだ。止まっちゃあいけない。
どうして、ここで終わりだって、ここで止めておこうなんて、少しでも思ったんだろう。
魔薬戦争は終わらない。僕が死んでも、永劫と続いていく。それこそ、宿主足る資本主義を殺し切らない限り。
あれは、そういう薬なのだ。それなら、僕がここで終わる筈がないじゃないか。
僕が断ち切ってきた、幾多の人間の未来への道のり。僕の前にはまだ、道がある。その先に、見たことのない景色がある。
彼女は、止まらなかったじゃないか。光は、真っ直ぐに進み続けるじゃないか。
光子には、寿命がない。
「な、……で、笑ってるの……?」
エンタクトに言われて気付いた。僕は嗤っていた。あれだけ苦労して作り上げた異憲章をぶち壊されて、これからまた、戦争の時代が始まる。それなのに、僕は嗤っていた。楽しくて仕方がなかった。
「この人はそういう人なのよぉ……?知らなかったの?」
呆れたように、セスタは言った。
「その顔、怖いからやめて。」
頭の中の白紙の地図には、いくつもの軌跡が往来している。
「エンタクト、メヒクトに戻るぞ。聖教銀行から奴らの資金をありったけ引き出す。アメリクスの資本家とシャムアマートの軍需企業から強襲用大型ドローンをあるだけ買い取る。」
僕の心臓に住まう老兵が、奇妙なリズムを取る。つま先が地面を叩く音。あぁ、そうだ。
「戦争の予感だ……!」
*
早朝───もう太陽は昇ってきていたが、地下駐車場に陽は差さなかった。
レベル6の装甲を積んだ装甲車が、スロープを降りてくる。前後には、黒塗りのセダンが二台ずつつけていて、その中では凄腕のシークレットサービスがMSCSを起動した状態で睨みを利かせていた。
車列の先頭。ヘッドライトの中で、一人の男の姿を認める。
頭から赤いペンキを被ったような風貌。あまりの量に、それが血液であるのだと気付かなかった。
鮮血を纏った男は、ずたずたになった袖───あるいは皮膚だったかもしれない───をだらりと垂らし、従来のものよりもスマートな拳銃型MSCSを構えた。
セダンのインターフェースに繋がれた自動迎撃システムが照準を感知し、ボンネットのエンブレムに仕込まれた障壁デバイスを展開しようとする。しかし、およそゼロコンマ三秒ほどで完了したそのプロセスの狭間を、魔法がすり抜けてきた。
爆轟が噴きあがり、バラバラになった自動車部品が火を纏って撒き散らされる。
魔法によって抉り取られたり引き剥がされたり粉々に砕かれたりした地下駐車場の酷い有様を見て、男は自嘲気味に笑った。彼の背後には、轟々と燃え盛る装甲車と、ガソリンに引火して爆破されたセダンの残骸があった。
装甲車の扉から続く血液の道筋。その終端に、老人の巨躯が横たわっていた。
「お初にお目にかかります、ローレン枢機卿。」
「きさま……ぁ」
老人───ローレン枢機卿は、懐から銃を抜いた。MSCSではなく、火薬式の銃だった。銃口と目が合って尚、男はローレン枢機卿の仕草を咎めはしなかった。あわや引き金が絞られる直前、ローレン枢機卿の手から銃が滑り落ちる。
「貴様……まさか……」
「死は救済だ、枢機卿様。踏み込み過ぎたな。」
火薬が爆ぜたような強烈な音がして、ローレン枢機卿の頭が弾け飛ぶ。
男は、ローレン枢機卿の胸の上に据え置かれた十字架を手に取り、小さく呟いた。
*
「今度ばかりは八方塞がりだわぁ……素直に負けを認めましょうか……」
「あぁ、そうだな。」
パラマ周辺の海域を潜航する潜水艦の中で、麗しい見た目の女がへろへろの声を上げた。
一方、傍らの男はそれに頓着せず、手元のケーブルをこねくり回すばかりだった。
「だから、核燃料なんかに手を出すのはやめた方がいいって言ったのに……」
「あのとき君が言ったんだろう。僕らでもっとデカいことをやろうって。」
「そうだけどぉ……もう一か月もこの中よぉ……?きっと、メアリは父親の顔なんて忘れてるわぁ……」
「なんで忘れられてるのが僕だけなんだ。」
そんな風に弱音を吐く割に、女は心の底から参っている様子ではなかった。
べったりと男の背中にしなだれかかり、思い出したように頬を擦り付けた。
「さて、……ものは試しだ。やってみるか。」
「……アメリクス海軍の空母を相手に、何するつもり……?」
半目で男を睨む女は、不信感を隠すこともなく訊いた。そして男も、思惑を隠すことなく言い切った。それは、荒唐無稽というか、あまりにも無謀というか、規格外というか。
だからこそ、女は大声を出して笑った。
男は云う。
「魔素インターフェース型広域殲滅魔法。小規模だが、再現しようか───ダーティーアリス。」
その手元、外部装置に接続された、白銀のナイフがあった。
*
メヒクトの砂漠の中、水を含んだ男は、通話口から喚き散らされる声に苦笑いした。
『大体!せっかくわたしが休み出来て子供たちと旅行でもしようかって言ってたのに!なんか強そうな適合者が出てきたからって急に出て行って!タリャーリナのマフィアに喧嘩売ったんでしょ!?そりゃあ無事に帰れるわけないよね!』
「悪かったよ。でも、もうすぐ帰れる。明日か明後日から東都旅行にでも行こう。って、もう飽きたか。」
『飽きてない!行くけど!』
不機嫌そうな声音は変わらず。しかし、電話越しの相手が話題を切り替えたことを、男はしっかりと理解した。
『それで……勝ったの……?』
「あぁ。久しぶりに、死を予感した。いい男だった。」
携帯端末を持っていない方の手、そこに血まみれの男の首が握られている。彫が深く、白い肌の男。タリャーリナのマフィア社会を、その腕っぷしだけでのし上がってきたマフィアのボスだった。それでいて、デジナウェスカ───エリンの百二十倍の快感と、二百分の一の致死量の魔薬───の適合者だった。
妖精の顕現の度に、生きるか死ぬかのコイントスを強いられる、狂気じみた力。
『ふーん……そ。』
つまらなそうに言った声は、最後、少しだけ、かつての面影を思わせる、優しい声音で聞いた。
『楽しかった?』
男は思わず足を止め、しみじみと呟いた。
「あぁ、最高に。」
*
キツィリト連邦共和国───首都マスカヴァーグラードの最高司令機関庁舎の一室。
震えるほどの美貌を持つ女は、つまらなそうに本を読んでいた。その女がページを繰るたびに、傍らに控えた長身の歩哨は意識を引き寄せられ、はっとして視線を戻す。
キツィリト連邦共産党書記長レオナードは、それにふん、と鼻を鳴らしてとうとう口火を切った。
「同志、今日の要件は、一体なんなのだね。」
たっぷり一ページ分、国家の最高指導者の言葉を無視した女は、つまらなそうに顔を上げ、こく、と喉を鳴らした。
「読んだんでしょ?私達からの手紙。」
ぴく、とこめかみを震わせたレオナードのそれは、明確な怒りであった。同じ部屋の中にいる高官たちが固唾をのんで見守る中、それを気にした風もない女は、扇情的に足を組み替えた。
「国際社会から嫌われまくった貴方達に、西側の兵器を売ってくれるのは私たちだけでしょ。なのに、こんなはした金も払えないの?」
「粋がるなよ……所詮密売人風情が───!」
MSCSを突きつけられるより先に、女は片目をぱちりと閉じた。
「……っ」
女が座った椅子の横に、幼げな少女が立っている。
誰も、それを知覚していなかった。女は確かに一人だった。その認識を全員が共有していて、そしてその意識が事実だったのだとしたら、その幼女は、今突然現れたのだと解釈するほかない。
べ、と舌を出した女の舌先に、ピンク色の錠剤が載っている。
「うーんと……これって、宣戦布告?」
レオナードは、MSCSをテーブルに置き、安全装置のロックをかけた。
キツィリト連邦による越境戦争。敵対国の抵抗は凄まじく、キツィリト側の侵略行為に国際社会からの批判は殺到した。孤立し、立ち行かなくなったキツィリト連邦は、いわゆる”魔薬密売人風情”に頼らざるを得なかった。
「ちゃんと払ったら勝たせてあげるんだから、彼の言うとおりにしてね。」
女は言い終えると立ち上がり、言葉を失った男たちを尻目に出て行ってしまった。
にこにこと微笑みを撒き散らす幼女を残して。
その後、数十分にわたって執務室を遊び場に変えた幼女は、満足したのかふわり、漂って消えてしまった。
翌年、キツィリト連邦は崩壊した。崩壊直前に行われたエネルギー産業の民営化は、アメリクス大陸のとある資本家によって軒並み独占され、その後、CIS諸国連帯の時代になっても、その利権に深く食い込み続けた。
*
「ねぇ!ねぇ!あれ!最新のAXシリーズよ!」
「あんまり顔出すなよ。まぁ、どうせ当たんないだろうが。」
今日も今日とて、メヒクト砂漠の灼熱の中、暑そうなカジュアル風のドレスを着た少女───というには大人びているが、仕草は少女のそれである───は、綺麗な宝石を見てはしゃぐように、波状収束型自動迎撃装置AXシリーズの最新型に目を輝かせていた。
「お姉さまに何吹き込んだの。」
「勝手に僕のカタログをのぞき込んだりしていたからだろ。それと、ベートと最近仲がいいからな、あいつは。僕のせいじゃない。」
と、いいつつ、男も立ち上がり、お姉さまと呼ばれた少女の隣で遠くの方に見える兵装に双眼鏡を向けた。
「レンド・リースで見たことがない機種だ。同盟国の東都でも配備されていなかった。」
「それじゃあ、アメリクスでしか使用されていないオリジナルね……!」
「あぁ、フォルトワース州工場で作られていたのは、あれだったわけだ。」
男はその兵器の挙動を数秒眺めたのち、まだはしゃいでいる少女を撫でて頭を下げた。
彼らがいたのは、この場所を要塞としたときの指令室であったので、万が一にも被弾することはない場所だった。
優雅に紅茶を啜っていたもう一人の少女は、ちらちらと男を窺い見て、自分も頭を撫でられると「……いいから……っ」とそっぽを向いた。
苦笑した男は、懐から携帯端末を取り出した。ワンコールで通話が取られ、炸裂音や爆発音をBGMに気だるげな声が聞こえる。
『あの子を使った方がいい?』
「……いや、君も戻ってくれ。相手側の兵装が思ったより強力だ。こっちのシステムを試したい。」
『ん。わかった。』
ぶつりと通話が切れる。
男は、胸ポケットから煙草を取り出し、妻(の一人)からプレゼントされたオイルライターで火をつけた。煙草をくわえたまま、テーブルに備え付けられたコンソールの前に立つ。大農場───プランテーション───の迎撃システムを司る基幹コンソールだった。
随分前に迷い込んだ二人の子供のうち、片割れを殺し損ねたときから、大農場の迎撃・抗戦システムは改修され続けてきた。
「こんなところで籠城戦なんて、キミらしいわぁ……」
呆れたような声は、指令室に入ってきた雪色の髪をした女が漏らしたものだった。その傍ら、硝煙と煤で頬を汚した黒髪の女を伴っている。
「妖精さんはどこに行ったのぉ?貴方のそばにいないなんて珍しいわ。」
「あぁ、彼女は───」
*
微かに歪曲した八十五インチのモニターを前に、人間離れした美貌の少女はソーダ水を飲んだ。電気をつけていなかったせいで、モニターから放射されるブルーライトが、その肌を不健康そうに見せた。
モニターには、真っ暗な部屋の様子が、暗視処理を施されて映し出されている。
美しい銀髪を構い、少女はすくと立ち上がる。
モニター越し、少女と同じような綺麗な銀髪をした妖精が、こちらを見ていた。
ばたん、と扉が閉じて、その奥ですぐに喧騒が始まる。空の彼方にいる妖精は、真っ暗な部屋の中から、明るい外の世界の喧騒を聞く。扉の奥で、小さな妖精は楽しそうに意中の相手を揶揄い、あるいは赤面させられ、そしていくつかの愛情表現を互いに交わし合う。
モニターの中、妖精がいる。アルカロイドを司る、小さな女神。本物と称された妖精。
その口許が、にぃ、と歪む。
*
息を切らしながら、道端に見つけたカフェに入った。
血糊は落としていたし、傷口の止血も十分。傍から見れば、僕は全力疾走をして息を切らしながら、水分を求めて来店してきた客程度にしか思われなかっただろう。いや、それでも十分不審か。
なんとなく店内に居づらかったので、テラス席に座ることを伝えて外に出た。
もう夏が近づいていたが、この国の例年の気温に比べれば涼しかった。頬を舐った微風が、気化熱で体温をかすめ取っていく。
どっかりと座り込み、持ってこられた傍から水を飲み干し、コーヒーをオーダーした。腹も減っていたから、なにかがっつり食べられるものはないかと聞いたら、ステーキを勧められたのでそれも注文する。
ジャケットの下のMSCSの具合をそれとなく確認した。どうやら壊れてはいないらしい。
さすがに、今回はやり過ぎた。
アステアともはぐれてしまったし、偽造IDも紛失してしまった。携帯端末は法撃を受けて粉々になってしまったから、データが復元できないような状態に破壊して棄ててきた。ということで、僕は自分が今何県にいるのかもわからない。
さて、これからどうしようか。
切羽詰まっているのに、どうにも綺麗な青空は、僕に楽観的な気分を押し付けてくる。否応なく鼓動が落ち着いて、呼吸がいつもの調子を取り戻す。脳はちゃんと疲れていてくれたので、背もたれにぐったりと体重を預けた。
これまでいろいろと好き勝手やってきたが、それでも、僕はまだ止まるつもりがなかった。まだまだ中間地点。目指せ世界征服、というスローガンは、最近どうにも冗談に聞こえなくなってきたので口にしなくなっていた。
DEAに潜入する手筈も整ったから、いい加減にオースをぶち殺すのも悪くない。まだまだ、やることはたくさんある。
僕の中に埋まるなにかは、僕が輝きを見出してきた彼女たちに、少しは追い付くことができただろうか。どうにも、そんな気はしなかった。そしてだからこそ、この人生というやつが、悠久のものに思えた。
光には届かない。わかっていたはずなのに、どうにも僕は、そいつに魅せられ続けているらしい。
悪戯に僕を誘惑し、かと思えば全宇宙最速の速度で飛び去って行く。その道のりに微かに香る君の残滓で、僕はいみじくも自分を慰める。僕らは完結しない。先だ。次だ。僕らは───
テーブルの上に灰皿があったので、煙草に火をつけた。いつもより大きく吸い込んだ。ふと、煙が流れていく先を見つめた。
隣のテーブルに座っていた女が、僕の方を見た気配がした。
僕たちは、この血肉の底に、そんな輝きを湛えている。
それを信じさえすれば、あの小さな女神は、目覚める必要がなかった。こんな悲劇は生まれなかった。
沈黙が落ちて、なんとなく、その女の方を見る。
視界を、輝きが席巻する。
「お久しぶりですね、リゼルキルト殿っ───!」
飛びついてきたアザルベーダが、爽やかに笑う。
Ep.100 【先へ───】




