↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アルカロイドに眠る妖精-Alkaloids of the gods-  作者: 可燃性少女
第四部【空席の王位】

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

100/102

Ep.99『enkephalin』

 そして、松島甫は小さく呟く。


「解き放て、鏡面閉架(アンダァスタデイ)。」


*


 古今東西、女を見世物にしたり、酒を飲んだりという場所には喧騒がつきものであるが、ストリップクラブというのはその二つの要素を完璧に兼ね備えている。だというのに、僕とマツシマが腰かけた劇場のホールは、しんと静まり返っていた。

 当然、そこに、僕とマツシマ以外は誰もいなかった。

 見渡したストリップクラブのホールは、かつて僕とマツシマが一度だけ訪れた、東都のストリップクラブだった。あのときとは違って、僕らの席は一階席で、目の前には、踊り子が踊るキャットウォークがある。

 僕らはそこで、初めてハナブサ・スズと出逢った。

 ぷしゅ、と開栓の音がした。僕と席を二つ跨いだ場所に座っていたマツシマが、缶ビールを開けた音だった。シルバーの缶には、シンプルな商品名のアルファベットだけが記されている。

 憎たらしい顔でマツシマがその缶を掲げるので、僕の席のドリンクホルダーにささっていたビールを僕も開けた。マツシマに倣って缶を掲げ、杯のぶつからない乾杯を演じた。麦芽を発酵させ、沁みだしてきた生理活性物質を熟成させた飲料。炭酸に溶けたその味が、滑らかに喉元を滑り下りていく。

 ふぅ、と息を吐くタイミングが、マツシマと被った。

「約束したんです。」

 プルタブを弄びながら、マツシマはネクタイを緩めた。

「彼女のこの舞台に、私の知り合いを連れて行くと。」

 マツシマが眺めたキャットウォーク。これが一体誰の舞台なのか、わからないほど馬鹿じゃない。

 足を組んで、腰を深く据えた。

「それで、僕はまんまとこんなところまで連れてこられたというわけか。」

「えぇ。まぁ、楽しんでいってくださいよ。」

「……パトロン気取りか?厚かましい奴だ。」

 開演までは、まだ時間があるようだった。

 だから、マツシマはもう随分と久しぶりに、他愛のない話をした。なんの打算も謀略も含まない、本当に、ただの話。

「貴方にもいるでしょう。私にとっての、ハナブサのような少女が。それは、アルカロイドを切り開いて出てきたものではない。」

「あぁ。」

 あんなにも小さな身体、そのいっぱいに、眩しいものをとにかく詰め込んで、それを燃料に動き続ける。その内燃機関を被覆するヴェールを剥いだとき、僕らはその美しさに思わず眩む。ただ、血と暴力を撒き散らすだけの僕らとは、決定的に違う存在。

 思い当たるだけで、何人いるだろうか。

「人間が、この地獄を生み出した。それでも、人間の中にしか埋没していない光が、確かにある。お前のそれをわからない、というつもりはないよ。もちろん、わかんないところの方が多いが。ただ、わかるところもある。

 資本主義を生み出した人間だって、きっと美しい何かを内包している筈だ。僕の歴史が、それを証明する。」

 ビールを飲んだ。少しだけ苦みが増していた。

「逆に言えば、きっと、アルカロイドの中にも、邪悪なものが埋まっていたりするんだろう。お前が解き放とうとしているエンケファリンという妖精についても、僕は判断しかねるな。」

「……しかし、彼女は本物だ。彼女は、アルカロイドの宿命を一身に引き受けている。アルカロイドによって得られる快楽を貴方が本物だと思うのなら、彼女は本物だ。だからこそ、目覚める必要がある。」

 魔薬の快楽は本物か。それによって得られた世界は、生み出された地獄は、そこで巻き起こったいくつもの確執は、結束は、本物か。僕がそれにノータイムでYesを返すように、マツシマもそうする。その手に握ったナイフによって、その答を表明する。

「私たちは、間違っていない。」

「あぁ、そうだな。妖精でも、人間でも。僕らの論理は同じだ。古来から人間は、人間の中に神を、妖精を見出してきた。僕らの中に眠る妖精。それは、アルカロイドに眠っている彼女たちとは決定的に違う。」

 それは、資本主義と言われたり、魔薬戦争と言われたり、光、と言われたりする。彼女たちのように人格を持たず、ただ、歴史という大局的な世界にのみ横たわり、その真名を明かさない。僕たちは、僕たちがそれを形容した名前でしか、其れの名前を呼ぶことができない。

「お前は、どっちだと思う。」

 僕らが生み出した魔薬資本主義。それが、この世界を地獄に変えた。メヒクトだけではない。もはや、このブラックマーケットの網は、全世界に波及している。潜在していた金の流れは、あと十年もすれば、全ての国を汚染し尽くすだろう。

 それは、魔薬に眠っていたなにかがそうさせたのだろうか。果たして、それは僕らの中に眠っていたのだろうか。

「それは、私たちの咎だ。魔薬が地獄を生み出したのではない。私たちが、魔薬を使って地獄を生み出した。妙なレトリックで罪悪感を仮託する現実逃避が、果たしてどんな結末を呼ぶのか、知らないわけじゃないでしょう。」

 ゆっくりと回転し、水面に叩きつけられる巨漢の肢体。皮膚はぐずぐずに焼け溶けて、体の内側まで燻されていた。浄化されたがった、とあるマフィアのボスの死体。

 僕らはみんな、病に侵されている。病に侵されていながら、それでも介入を受け付けなかった矜持、輝き、それが、僕らの中には眠っている。ふとした拍子に露呈したそれを見て、僕らは、そこに妖精を重ねる。僕らが宿した悪魔が、妖精へと姿を変容(か)える。

「僕らは、切り拓かずにはいられない。暗闇に光が差し込んで、そこに眠っていた何かが、僕らに微笑んでくれる。それを、見たくって仕方がないんだ。」

 照明がゆっくりと落ちて、スピーカーが震える。ハイテンポな音楽が鳴り響き、缶の表面を滑り降りていた水滴が振動する。

 ステージに、ハナブサが現れる。純白のドレス。ミニスカートから伸びる両足には、同じく純白のブーツと網タイツ。ひらひらと華やかなのに、そのスタイルと勝気な表情のお陰で、どこかスタイリッシュに見える。

 この少女に眠っている何かを、マツシマは信奉している。

 キャットウォークの終端。真円を象っている。

 マツシマへ、そして僕へ、ハナブサは上品に腰を折った。どちらともなく拍手で迎えた。

 音楽はどんどん駆け足になり、ハナブサはその中を踊った。ドレスに追従するヴェールが、僕らの鼻先を掠めていく。

 なにも、具体的な対象を指定しない比喩表現で、妖精のようだと思った。呆気に取られていた僕の前に、ステージから身を乗り出したハナブサの顔がある。

 「見惚れたでしょう?」なんて言いそうな、自慢げな笑顔だった。

 キャットウォークに舞い戻ったハナブサは、ふわり、ターンした。綺麗に真円の外縁をなぞったヴェールの軌跡。重装備だったドレスの一部が離断されて、キャットウォークに半円を描く。

 途端に肌面積が拡張される。ノースリーブになったお陰で、美しいデコルテから胸元までが惜しげもなく晒される。

 ゆっくりと、彼女の核心が曝け出されていく。

 キャットウォークに座り込んだハナブサは、扇情的に膝を立て、下着が見えるのにも構わずにブーツのジッパーを下ろした。網タイツ越しの脚線美。脱いだブーツを放り投げるついで、ハナブサは立ち上がり、見惚れるほど綺麗にターンした。

 スカートのスリットから紐が引き抜かれる。

 それは、彼女の下着に繋がっていて、するりとスカートからすり抜けてきた布───もとい下着が、ハナブサの手によって彼女の柔らかなふとももに結び付けられる。

 彼女が纏った、彼女を被膜した外装。その中に、一体、どんなものが眠っているのだろう。そしてそれは、どのようにして、この男を、魅了したのだろう。僕の共犯者で在り、友ではなく、仲間でもない。そんな稀有な男を、どうやって。

 コルセットが外されて、スカートがずり下ろされる。精密に踏んだステップは、キャットウォークに散らばった衣服を足先でかき集める工程も完了させた。漆黒の下着姿に魅了されているうち、ステージは、いつの間にか終局のために整えられている。

 自身の豊満な胸を抱き、その隙間からブラを引き抜く。一糸まとわぬ───といっても、網タイツとガーターベルトは履いたままだったが───姿で、その輝きは最高潮に達しようとしていた。

 その腕だけが、彼女を被膜していた。

 曲がクライマックスに入る。舞い踊っていた先ほどまでとは一転、ハナブサは、キャットウォークの中央にゆっくりと屈んだ。円形のステージがゆっくりと回転し、そこに乗ったハナブサも回転を始める。

 世界が開けるように、ハナブサの裸身が解き放たれる。

 ただ、そこに佇んでいるだけだった。指先までを完成されたしなやかさが管制していて、なにも動的な動きはない。まるで彫刻のような、完成され尽くした静の美しさ。

 ゆっくりと、全方位からの視線に耐える、おそろしく強度の高いプロポーション。回転するステージは、その自負でもある。

 女性的に膨らんだ乳房と、惜しげもなく晒される女性器。そしてそれを繋ぐ引き締まったウエスト。

 徐々に女体が露になる過程で湧き上がっていた卑しい性欲が、なにか、その目的地に到達した瞬間に、別の感情に転化していくような気がした。それが、なにか神々しい感情へと流れ込んでいくような気がした。

 美しさ───全てを超越する、絶対的価値。

 それを、彼女は内包していて、この場で、それが解放される。

 そこには、本物の輝きがある。




 扇情的に谷間をクローズアップしたプリントのTシャツを着て、ハナブサは嬉しそうにキャットウォークに戻ってきた。

 マツシマがそうしたように、僕もチップを縦に二つ折りにして差し出してやる。

「挟んでいいですよ?」

 シャツの襟をぐいっと押し下げて、本物の谷間を露出させたハナブサは、にんまりと微笑んでそんなことを言った。

 これが所謂カーテンコールというやつなのだろう。そこそこにうるさかった音楽は、今は穏やかなポップスに変わっていた。

 踊り子の胸ごときに今更どぎまぎしてやれる可愛げもなかったから、ありがたく金を突っ込んだ。少しだけ湿った蠱惑的な肉の感触が、指先をぴったりと浸す。

「ほら、マツシマさんも」

 困ったように笑いながら、マツシマもせびられた金を差し出した。

 きっと、僕もマツシマも、言われずともチップは出しただろう。それくらいのものを見た、と僕は思っていた。

 ステージは僕らの視線と大体同じくらいの高さがあったから、オーバーサイズのTシャツだけを着た防御力の低いハナブサの下半身は、さっきからチラチラと見えていた。下着を着てくる時間くらいは待ってやったというのに。

「本当の劇場まで行ってあげられなくて、すみませんね。」

 なにか感傷的に言ったマツシマに、僕も内心では同意していた。

 マツシマがハナブサとした約束。知り合いを連れて見に行く。それは、このアダムスの世界の中だけで果たされて、そして、もうそれ以外では果たされることがない。僕とマツシマは袂を分かち、そして、やがて、どちらかの死によって、この相互確証破壊は役目を終える。

「マツシマさんはさ、……こっちに、戻ってこれないの……?」

 聞かずとも、わかっていたような問いだ。いや、それは、僕がこちら側にいるからだろうか。僕らが、彼女と同じ側に、いないからだろうか。きっと、そうなんだろう。

 マツシマはぐっと何かを堪え、結局、小さくため息だけを吐いた。

 ハナブサでも、それが明確な拒絶なのだとわかったようだった。

「貴方には、妖精が必要ない。しかし、私には、必要だった。」

 貴女に出逢うのが、もう少し、早ければ。

 パシャ、とシャッターを切る音が聞こえた。ハナブサがどこからか持ってきたインスタントカメラだった。

 そういえば、踊り子と写真を撮れるサービスがあったな、と茫洋と思い出した。

「じゃあ、もうこれが最後。」

 それは、マツシマという存在を、彼女が物理的に切り取ることのできる、最後の手段だった。

「私と貴方が、確かに一緒にいたことを、ちゃんと残しておく。」

 ぽいっと放り投げられたカメラを危なげなく掴み取って、なんだ、とハナブサに視線を飛ばす。すれば、「撮って」と端的に言葉が返ってくる。

 長身のマツシマは、ステージに腰を据えるのに苦労しなかった。ぐいぐいと引っ張られ、まんまと画角の中に引き摺り出される。

 満面の笑みのハナブサと、それを眩しそうに見つめるマツシマ。写真の心得などない僕は、しかし、それが、素晴らしい出来栄えになったと直感した。

 それを見つめるたび、思い出すだろう。

 思い出がどうして美しいのか、僕はそのとき、一面の答えを得た。

 過去は、記憶は、思い出は、数多の感情を、体験を、経験を含有させた、濁流の一幕を切り取る。そして、写真のようにその一端を切り取ったとき、そこに格納されるのは、美しい感情ばかりなのだ。

 僕らは今殺し合いの最中で、ハナブサとマツシマは二度と出逢うことがなくて、僕とマツシマは、これからどちらかが死ぬ。

 そんな最悪の現実すらも、思い出はキャンバスの外側に追い出してしまう。フィルムに記述されないそれを、僕らは容易に消し去る。

 だからこの場では、それがありがたいことのように思えた。

 この写真の中では、僕らは、ただ再開を喜び、その関係性に賞賛を送る。ただ、それだけに終始できる。それは、ただシャッターを切っただけの僕も同じだ。

 思い出が美しいのは、そこに含有された苦痛が漂白されるからだ。

 それは一種の、魔薬に近かったかもしれない。


*


 もう、誰にも助けられることのない、妖精の部屋。

 固く閉ざされた、真っ白の部屋。

 僕に縋りつくように歩いたフラクタルと、それを放っておいてくれたアステア。僕ら三人は、そんな扉の前に立ち竦んでいた。

 僕の手の中に在るナイフの切っ先が、真っ直ぐに、その扉を向いていた。

 魔薬の快楽は、アルカロイドがもたらす快楽は本物だ。きっと、この扉を切り開けば、僕らがハナブサに見たような、アステアに、セスタに、アザルベーダに見たような輝きが、その中から解き放たれる。

 だってその中には、本物がいるはずなのだから。

 もうずっと、そこに閉じ込められ続けてきた、憐れな妖精。僕がそれを解き放ったって、なにも、矛盾はないはずだ。

 ファミリア・ナイフのトリガーを引いた。ナイフは、僕の身体を照準した。そしてその情報は、ファミリア・ナイフからエンケファリンに直通して、その姿を克明に浮かび上がらせたはずだ。

「……お前が待っていた男は、もう死んだ。その男の血筋も、もう死に絶えた。僕が殺した。」

 酷だろうか。盲目に、その場所でただ待ち続けるのが、彼女にとっては幸せだろうか。

 僕はどうにもそうは思えない。だから、僕は、突きつける。ナイフの切っ先を、彼女の心に差し込む。

「僕はお前を、解き放たない。お前を巡って引き起こされた、お前を始発点とした物語を、完結させてはやらない。僕は、そう約束したから、あのとき」

 アンタゴニストは、物語を断ち切った。

「もう、僕をなにも中継させない。始発させない。仮託しない。」

 返る言葉はない。感慨もない。

 全てのアルカロイドを司る、アルカロイドの具象化のような妖精。この世界で、最初に生み出された妖精。

 その妖精は、盲目の中、ただ、待ち望んでいる。もう二度とは開かない扉に爪を突き立て、このナイフから送信されてくる恋文が、自分に宛てて書かれた解放の祝詞なのだと誤解したまま、永劫を過ごす。

 この監獄に眠る妖精は、解放されない。僕はその妖精を、解放しない。目覚めさせない。


 その妖精は、アルカロイドに眠ったまま───









挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。