閑話 サファイア
サファイア公爵であるマゼンタさんのお話です。
1
それは、雪が降り積もる夜だった。
赤髪の少女は一人震えながらロウソクを売っていた。
グルドニア王国は、昨今の魔導具の飛躍的な発展により魔石による魔導ランプが発明された。低級のクズ魔石でも、一週間明かりを灯すことができる『魔導具ランプ』によって、工業等、生産職は仕事の効率が上がった。夜勤という、夜の仕事も増え、王都での市民の暮らしはより豊かになった。
その一方で、ロウソクの需要は一気に減った。
道行く者は、誰も少女のロウソクなど気にも止めない。
「ロウソク、ロウソクは要りませんか! どなたか! ロウソクは」
「お嬢ちゃん」
「はい! 騎士様! ロウソク要りませんか」
「いやね。お嬢ちゃん、ここで物を売るには許可証がいるんだよ。ちゃんと許可とってるかな? 」
見回りに来ていた見習い騎士に少女は呼び止められた。
「えっ! 許可!? 」
「まあ、許可以前に、保護者の方はいる? こういってはあれだけど、今の時代、もうロウソクはなかなか売れないと思うんだけどね」
「その、ロウソクは家にいっぱいあって、最近急に売れなくなって、お母さんは病気で、食べ物も、今にも弱ってて、薬も欲しくて……えっえっうえぇぇぇん! 」
「ああ、だいたいの事情は分かったよ。今回は見逃してあげるけど」
「うわあぁぁぁぁあん」
少女は泣き止まなかった。
「困ったなぁ」
見習い騎士は困り果てた。
2
見習い騎士にとってそれはほんの気紛れだったのだろう。
見習い騎士は巡回の時間が終わると少女を連れて酒場に来た。一番安い山兎のシチューと温かい葡萄酒に固いパンを二つずつ買った。
見習い騎士は少女を家まで送った。
狭い作りの家で暖炉には薪もなかった。
代わりに家には売れないロウソクで溢れていた。
ベッドには病弱の母親が臥せっていた。見習い騎士は、病弱な母親を見た。赤毛で痩せ細っているが平民とは思えない非常に整った顔立ちだった。
見習い騎士は不覚にも胸がときめいた。見習い騎士は隣の家で三日分の薪を買った。
シチューとパンは二人分しかなかったが、見習い騎士は「お腹が空いていない」からと二人に食べさせた。本当は、腹は空いていたが葡萄酒で空腹を紛らわせた。
「おいしい、おいしい」
少女は嬉しそうに、母親は涙しながらシチューと硬いパンを食べた。
少女と母親は今の暮らしで温かい部屋で温かい食事できることが夢のようだった。
見習い騎士はその二人の表情を見ていた。腹は空いていたが、胸はいっぱいだった。
3
見習い騎士はそれから、少女の家に通うようになった。
見習い騎士は考えた。売れ残ったロウソクをどうすればいいか。見習い騎士は、ルビー公爵家の三男坊で爵位を継承できない立場だった。だが、幼少よりそれなりの教育は受けてきた。見習い騎士は絵を描くのが好きだった。実際には、騎士団に入れたのは親の七光りであり、武力は平均以下だった。
「このロウソクに絵を描いてみてはどうだろう? 日用使いではなく、パーティーや特別な日の嗜好品として使うんだ。それなりに需要はあると思う」
見習い騎士は少女と母親に提案した。
4
見習い騎士はロウソクに絵を描いた。
神話に出てくるような神々や、聖なる騎士、竜等を描いた。
少女と母親は難しい絵は描けなかったので、見習い騎士が描いた簡単なデザインの花を描いた。色遣いを工夫したらそれなりに見えた。
ロウソクは売れた。
少女と母親は飢えや寒さで悩まなくなった。
5
幸せと不幸は同時にくるという。
ロウソクは貴族界隈でも人気となった。贈呈用で淑女に好まれた。他の商会が目をつけたが、腐ってもルビー公爵家の三男が行っている事業に手は出せなかった。暮らしはさらに良くなった。だが、母親の病気は良くならなかった。見習い騎士は、神殿の神官にも診せたが病気の類は《回復》では完全には治らなかった。
治療薬を作ろうにも材料が品薄で、入手することはできなかった。後に聞いた話では、ロウソクの事業に対する他の商会からの嫌がらせだったらしい。
見習い騎士は、騎士となった。同時に僻地勤務が言い渡された。
6
数か月後に見習いだった騎士は、王都に帰ってきた。
少女の家はなかった。見習いだった騎士は、異動の際に有り金のほとんどは、置いてきたが少女と弱った母親には過ぎたものだった。逆に、ハイエナ達を引き寄せる餌になってしまった。
見習いだった騎士は、酒場の情報屋から情報を買った。なんでも、母親は見習いだった騎士が異動後にすぐに亡くなったらしい。神殿の神官は、よく持ったほうだと言っていた。
少女はその後に身寄りもなく、商人に金を騙し取られた。さらには、身売りされそうだったところを神殿で保護されたらしい。
見習いだった騎士は神殿に向かった。
赤毛の少女は、神殿にいた。
7
「すまない、すまない、私が余計なことをしたばっかりに……本当にすまない」
見習いだった騎士は少女の前で泣いた。
「騎士様、そのようなことを言わないでください。少しの間でしたが、私と母は幸せでした。あの寒い雪の日に、あなたが目の前に現れた。騎士様は、冷え切った暖炉に明かりをつけて下さいました。騎士様から頂いた、シチューとパンを食べたときに世の中にこのような美味しいものがあるとは、飲まず食わすだった私や母にはまるで天国の食べ物みたいでした。騎士様がいなくなってからは、辛いことが多かったです。ですけど、こうして貴方にまたお会いすることができた。運命神に母の分も感謝しております」
「……おおおおおおおおお、私に、私にもっと、もっと! 力があれば! 」
「最後に、お願いがございます。この恩をどうにかして騎士様にお返ししなくてはなりません。私になにができるかわかりませんが、母の分も、よろしければお名前とお伺いしてもよろしいですか? 」
「……オスマンだ。オスマン・ルビーだ」
「オスマン様、やはり御貴族様だったのですね。オスマン様、いつか、いつか必ず私は、何を犠牲にしようとも貴方様に恩返し致します」
「……いや、幸せになってくれ。そして、私のことは忘れてくれ」
オスマンはその場を去った。
「忘れません! ずっと、ずっと、忘れません! 」
少女の無垢な気持ちは傷付いたオスマンにとっては呪いのようだった。
8
少女は神殿の仕事をしながら勉学に励んだ。
少女には賢い子だった。さらには魔術の才能もあった。
数年で少女は医術士として大成した。一時期は、聖女ジュエルに弟子入りもした。少女は多くの薬を作れるようになった。
診察でたまたま、サファイア家を訪れた。その時に、サファイア公爵の目に止まった。その少女の姿が、サファイア公爵が恋した娼婦にそっくりだったのだ。さらには、少女の名前はサファイア公爵が娼婦に話していたサファイア公爵家の英雄の名だった。サファイア公爵は、神殿に『血統診断』を頼んだ。
少女はサファイア公爵の娘であった。
9
「ゲコゲコ、サファイア公爵家の執事のフロッグと申しますゲコ。当主様より、姫様をお迎えするように参りました」
サファイア公爵家より教育係としてフロッグが少女を迎えにきた。
フロッグは少女の話をよく聞いた。少女の傷を聞いた。
「それは、大変だったゲコー。ロウソクは確かに、ウェンリーゼの魔導具ランプができてからは、全然売れなかったゲコからねぇ。姫様は何も悪くないゲコ」
「私は悪くない? 」
「そうゲコ、そうゲコ、ルビー公爵家の三男オスマン様は騎士道を理解した騎士の中の騎士ゲコね。親の七光りなんて言われて馬鹿にされていたけど見直したゲコー!」
「オスマン様が……馬鹿にされている」
「まったく、皆はオスマン様の良さを全く分かっていないゲコね。こうなったら、姫様がオスマン様の助けになるゲコ」
「私がオスマン様の助けに、なれるかしら」
「大丈夫ゲコー! 一緒にいっぱい、お勉強するゲコ! ゲコゲコゲコゲコ! これから楽しく、じゃなかった、忙しくなるゲコー! 」
馬車は揺れた。
少女を乗せて揺れた。
馬車の中のフロッグの声は少女の耳にやけに残った。
「頑張るゲコ! マゼンタ姫様」
悪魔の教育が始まった。
10
二十年後 査問会当日
「もう、早く決闘なんて終わらないかしらん。ねえ、オスマン」
「胃が痛い。なぜ、貴公はそんなに楽しそうなのだ」
オスマンは査問会を前に震えていた。
「だって、もうすぐ二人だけのパラダイスが手に入るのよん。これで、貴方を立派な騎士様にできるわん。うふふふふふ」
「貴公はいったい何を企んでいるのだ」
「やだわん。オスマンったら、もう、いつになったら気付いてくれるのかしらねぇ。うふふふふふ。まあ、そこも貴方の愛しいところよおん」
「いったいなんのことだ」
コンコン
扉が開いた。
「お待たせしました。決闘が終わったゲコ。アーモンド殿下の秒殺ゲコ」
「フロッグのいった通り、前座にもならなかったみたいねん」
「本番はここからゲコ。参るゲコ。マゼンタ姫」
「うふふふふふ、ウェンリーゼの皆様あん。時間をかけた分、たーっぷりっと可愛がってあげなくちゃねぇん」
「はぁー」
オスマンが長い長い溜息をついた。
ロウソクの火種が、時を経て大きく燃え上がろうとしている。