エピローグ4
1
「グアアアアアー! ギィィィィィィィ! 」
レイの全身から脈打つように血管が浮き出る。
その叫びからは、尋常ではない痛みが伺える。
「いいゲコ! いいゲコ! その調子だゲコー! 」
「ああぁぁ、なんとも甘美な叫びでしょうかククク。新たなる芽吹き! 新たなる生命の誕生にふさわしい序曲ですねぇククク」
ドクンドクンドクンドクンドクン
「なんだゲコ? 」
「この鼓動はクク? 」
二人が困惑する。
「ギィィィィィィィィィウィィィィ! 」
レイの身体から毛が生え、筋肉が隆起し、臀部からは尻尾が生える。
「なっ! ゲコー! おかしいゲコー! 」
「馬鹿なこれは、魔猿じゃないぞ! 魔猿の上位種いや、更に上の存在に進化しようとしているのか? 」
フロッグとクイーゼルは驚愕した。
実をいえばこの二人は、実験は失敗することは分かっていたのだ。
先の液体は、人種を魔獣にする薬であった。しかも、人体を無理やり変質させてこの世のものとは思えない痛みを誘発させながら、血を流し形を変えるといった代物である。
本来の使い道は拷問用の薬で、少しずつ投与して部分的に肉体を痛みとともに変質させて、肉体と精神を削り取る薬である。
そのような代物を規定量以上、投与すれば痛みに耐えられずに全身から血を吹き出し絶命する。
最後には魔獣の姿という肉塊となって……
「ギィィィィィィィ! ギィィィィィィィ! 」
「なんだコイツはゲコー! 」
「クッ! 普通ならとっくに死に絶えてるはずだ! 」
ギロリ
猿になりかけのレイが二人の悪魔を見る。
全身が血だるまになりながらも、レイは意識を失ってはいない。
ビクン
フロッグとクイーゼルは恐怖した。
並々ならぬ圧が二人を襲う。
「ギィィィィィィィ! 《強奪》……《生命置換》」
レイの全身を《強奪》の影が覆う。
ゴキン、ガキン
「ギィィィィィィィ! 」
影が形を変えながら動く。
影の中からはまるで、骨を砕いて新たに繋げるような音がする。
「なんだと! 四散しようとした魔力を無理やり押し留めたゲコー! 」
「ククク! この感覚は、コイツ! 我々と同じいや、もっと上位の……混じってやがる」
「ギィィィィィィィ! ウイィィィィィイ」
地下室にレイの魔力が暴れ出る。
「なんてことだゲコー! 」
「余計なものを産み出してしまいましたねクク。ある意味では、成功? いや、失敗作かなククク」
「ギィィィィィィィ! 」
二人の目の前には、深紅の瞳をした大猿がいた。
2
ウェンリーゼ
木人とフォローの歓談
「私は、一部始終をレイの監視をしていた使い魔を通して見ていました。私が到着した時には、大猿になったレイと、瀕死の二人がいました」
「その二人が悪魔だったと」
「フロッグとクイーゼルは、最後には砂なりかけてました。レイがやったのでしょう。私はあの二人の頭から二本角を見ました。それと、どす黒い魔力を……さらに最後にフロッグとクイーゼルはこういったのです」
フォローが目を閉じた。
「最高の贄だったのに残念だゲコ」
「また、遊びに来ましょうククク。めげずに次ですよ、次、クククククク」
「……その二人は見覚えがあるねぇ。特徴を聞くに、中級悪魔カエルとイタチで間違いないだろうね」
木人が杯の蒸留酒をあおりながら、ホクトの頭を無意識に撫でる。
「ご存知でしたか」
「奴らとは少ない縁があってねぇ。あいつらは、魔界の住人だ。地上に受肉する肉体を見つけては、時代、時代でやってくる鬱陶しい奴らだよ」
「魔界ですか、古来の禁忌となる。調べてはいけない項目の一つですね。しかし、悪魔の受肉にはそれなりに生け贄が必要とききますが」
「ああ、それは上級のそれこそ単騎で大陸を滅ぼせるような神々に近いような連中だねぇ。あいつらは、力自体は大したことはないのさねぇ。ただし、嫌なくらい知恵が回るからね……悪魔としての格は中より下かもねぇ。そのせいか、適当な人間をそそのかして自身を受肉、いや、《憑依》とでもいった方がいいかねぇ。もとが小物だから、贄も多くはいらない」
「下手な上級より、厄介ですな」
「人間ってのは、基本的に強欲な生き物さね。奴らはそれを少し刺激してやればいい。ある意味では、肉体さえ選ばなければ大陸のどこにだって《憑依》できちまうんだよ。私も何度か追い詰めた時はあるけど、根源を滅することは出来なかった」
「木人様でも手に負えないですか……」
「まあ、それは今は置いといて、それでアンタはその後にどうしたんだい? まあ、その羽の生えた腕を見るからにだいたいの予想はつくけどねぇ」
「私は、悪魔たちの研究成果を地下室で発見しました。大猿になったレイはしばらく、流行り病にかかったということで地下室からは出さずに、なんとか元に戻す方法はないものかと……数か月が過ぎて流石に、レイのことを隠しきれなくなりました」
「アンタが自分を成功例といったね。わたしゃ、てっきりあんたの獣化は使い魔を元にした《同化》と《同調》かと勘違いしていたよ」
「嘘をついていたことは謝ります」
「いやいや、自分でいうのもなんだけど、私を騙すなんて大したもんだよ」
「キャン、キャン」
ホクトも同意した。
「恐れ入ります。研究の結果ですが、レイが摂取した液体はおおよそ拷問、いや、毒のようなものでした。レイが獣化できたのは奇跡です。普通ならば痛みに耐えられずに死んでいます。私は、なんとか薬を調整して……ざっくばらんにいうと薄めてスパイスを加えた程度ですが……自分の意思で獣化できる梟をベースとした肉体を得ることができました」
「自分を実験台にしたのかい? 」
「あの薬は魔力量と適性が高い物しか効果はありませんから。しかし、レイを元に戻し事はできませんでした」
「アンタ、自分の体をつかって、実験をしたんだね。たいそう痛みも伴っただろうに」
「レイは、私にとって弟子の子、孫同然の存在です。可愛くない訳がありません。自分の命で済むならばなんでもしましょう。結局は元に戻してやることはできましたが」
「グルドニアに返したのはせめてもの情けかね。アートレイやエミリアの怒りを買うことは分かりきってただろうに、もっと説明の仕方もあったんじゃないかい」
「当時は、悪魔の一件で私は全てを疑うようになっていました。それと、自惚れもあったのです。獣化した肉体に私は酔いしれました。一種の麻薬のような多幸感、全能とでもいいましょうか。だから、思い上がっていたのです。誰が相手でも負けるわけないと……」
トクトクトク
フォローが木人の杯に静かに蒸留酒を注いだ。
3
「アートレイを雷獣にしたのは、あんたかい? それとも、悪魔達かい」
木人がフォローに聞く。
「……どちらでもありません。恐らくは、あれは天然でしょう」
「天然? 」
「表現が正しいか分かりませんが、私はアートレイには完璧に敗北しました。しかし、奴の怒りは収まらなかった。己の身を獣と化してまで……何故、アートレイが雷獣になったか、私にもわかりません」
「別の因子があると……」
「賢き竜ライドレーを喰った聖なる騎士アートレイ・グルドニア、私と違い正真正銘の化物ですよ。私ごときでは、器を秤知れません。木人様も大概ですが……」
「こんな乙女を掴まえといて、まあ、褒め言葉として受け取っとくよ。しかし、良かったよ。宰相殿の本心が聞けてね。禁忌となる獣人化計画はあんたのプランじゃなかった」
「キャン、キャン」
ホクトも安心したように、嬉しそうに泣く。
「全ては過ぎてしまったことです。木人様に後ろ楯になって、リトナー魔法国なんてものを作りましたが、きっと私は過去の贖罪をしたかった……いや、違いますね。本当はあわよくば、坊さまの道を、場所を作っていてあげたかった。しかし、坊さまは自分で自分の居場所を見つけました。私のエゴが暴走して、独りよがり国を作る結果になってしまいました」
「リトナー魔法国は、規模は小さいけど、世界の叡知が詰まった魔法学院は、他国同士の繋がりを作る若い世代の橋渡しになってる。十分に貢献してるじゃないかい」
木人がフォローに微笑んだ。
フォローは一瞬だけその木人の純粋な好意に胸が高鳴った。
その高鳴りは、フォローの胸の奥に使えていた岩よりも固い何かを、じんわりと柔らかくほどいていった。
「……あっ、うぇ? 」
フォローは気付かないうちに泣いてた。
「ああぁぁ、その、そういえばもう一人客を呼んでいたんだよ。歓喜余っているところ悪いんだけどねぇ」
「客ですか? 」
「出てきておいで、エミリア」
「ぶっ、ふぉっ! はっ、エッ……エミリア! ? 」
フォローが名前を聞いただけで驚愕した。
パサリ
エミリアが認識阻害の強い『影猫のローブ』から顔を覗かせた。
「……ご無沙汰しておりました。フォロー先生」
木人の隣にエミリアが認識された。
フォローとエミリアが五百年ぶりに顔を合わせた。
エミリア(マム)は、アートレイの妻でレイの母です。