4:愛人と皇后
シエナに言われた通り、南棟の客室にアメリことロイを連れてきたアーノルドは顔面蒼白のままソファに腰掛けた。
ロイは金髪のヴィッグを取ると、そのままベッドに飛び込む。ウィッグの中身である彼のくすんだ金髪は大量の冷や汗のせいで少し湿っていた。
二人は仲良く揃って、大きく「はぁー」とため息をついた。なぜあの場で『これは冗談だ』と言えなかったのか、という後悔から出たため息だ。
優秀なシエナは一瞬のうちに愛人の受け入れ体制を万全に整えてしまった。ここにくるまでの使用人達の冷ややかな視線が本当に痛かった。
「裏声使いすぎてしんどい」
「どうしてこうなってしまったんだろうか……」
「あんたが馬鹿だからです。止められなかった僕が言えたことではありませんが」
「どうしよう……」
「もう今からでも『嘘でーす』って言いに行きましょうよ」
「そ、そうだな」
「それで、めいっぱい怒られましょう」
「そう、だな…」
「これで嫌われてしまっても、自業自得ですし」
シエナはくだらない嘘を一番嫌うが、もし嫌われたとしても自業自得だ。仕方がない。
そういえば昔、アーノルドが余命三ヶ月だというかなり悪趣味な冗談で彼女を揶揄った時、そこから約一年間口を利かなくなったことがあった気がするが、まあ仕方がない。たとえあの時のように一年ほど口を利いてもらえなくなったとしても当然の報いだ。仕方がない。これ以上、城内に無駄な混乱を招いてしまう前に全てを白状しようとロイは言う。
しかし、アーノルドはものすごい勢いで首を横に振り始めた。
「い、いいいいいいいやだ!」
「は?」
「仕方がないとかない!嫌われたくない!」
「はぁ?」
「あの絶望感をまた味わいたくない!」
余程その一年が苦痛だったのだろうか。アーノルドは悲壮感を漂わせながらプルプルと震えはじめた。
怒られるとわかっているのならやらなければ良いのに。大人になり、シエナが優しい女性に擬態するようになったことで、過去のことを忘れていたらしい。ロイはむくりと体を起こすと、ドレスの裾を捲り上げて大股開きでベッドの端に座る。
「じゃあ、どうするんですか?」
「し、しばらく様子を見よう。そして頃合いを見て、飽きたからと言って城からアメリを追い出す」
「むしろそっちの方が嫌われそう。すごく最低な男に成り下がりますけど、いいんですか?」
もう既に最低な男であることに変わりはないが、それでも勝手に愛人を連れ込んでおいて、飽きたら追い出す男など更に最低だ。救いようのないクズだ。そんな事をするくらいなら素直に『くだらない嘘をつきました』と白状する方が何百倍もマシである。
そんな風に二人が今後について決めあぐねていると、コンコンと扉を叩く音が聞こえた。
おそらくはシエナだ。
ロイは急いでカツラを被り、ドレスの裾を直して立ち上がる。
室内に入ったシエナは愛人の乱れた服装と髪、そして使用感のあるベッドを見て一瞬だけ顔を顰めた。
「陛下。少しアメリさんと二人きりでお話ししたいのですけ……」
「嫌だ」
アーノルドは他の男とシエナを二人きりにしたくないという思いが強すぎるあまり、食い気味に答えた。シエナはそんな彼の態度に眉尻を下げ、困ったように笑う。
「別にアメリさんをいじめたりなんてしませんわ。ただ、女同士で大切な話がしたいだけです。不安なら陛下の侍女をお一人、室内に置いてくださってもかまいません」
「違うんだ。君を疑っていると言うわけではなく……」
「では、彼女と二人きりにしていただいてもよろしいですか?」
「ああ。わかった……」
これ以上拒否することは、シエナを愛人を虐げる女だと疑うことになる。アーノルドは渋々部屋を出た。
部屋に残されたのはロイとシエナと、そして先ほどから何故か腰の剣から手を離さない皇后の護衛騎士マーシャ。
(この状況で置いていくとか鬼かよ!お前が原因だろうが!)
特に女騎士が怖い。心の中でそう叫びつつ、ロイはどうするのが正解なのか、精神的疲労で処理速度の落ちた頭をフル回転させた。
声は高い方なので裏声を使えば、ぎりぎりハスキーな声の持ち主で誤魔化せるかもしれない。だが至近距離で見られては厚化粧で誤魔化した髭も、詰まった襟で隠した喉仏も確実にバレる。
(バレたら……何をさせられるんだろう……)
バレたら確実にシエナの不興を買う。いくら幼馴染といえど、皇后を騙したのだ。ただでは済まないだろう。
周囲には心優しい皇后だと思われているが、本来の彼女はそんなに優しくない。なんならむしろ性格に難がある方だ。怒らせるとかなり怖い。
具体的にはそう、あれは幼き日のこと。彼はアーノルドと共にシエナを落とし穴にはめた際、激怒した彼女にパンツ一枚で宮殿内を一周させられたことがある。また、アーノルドと共に、お昼寝をする彼女の顔に落書きをした次の日には、昼寝用の布団で簀巻きにされた上に、庭の木に吊るされたりもした。
もちろん馬鹿な事をした自分たちが悪いのだが、当時のことを思い出したロイはぶるっと体を震わせる。
うまく隠していても、人間の本質はそう簡単には変わらないはず。今回はどんな刑が執行されるのだろうか。
「アメリさん」
「は、はい」
「ソファに座りませんか?」
「は、はいぃ……」
にっこりと微笑むシエナの穏やかな笑顔が、何故か般若に見えた。ロイはどうするのが正解なのかわからず、とりあえず言われるがままにソファに腰掛ける。
すると、シエナは小刻みに震えて怯えている様子の愛人に優しく声をかけた。
「そんなに緊張しないで……、なんて言っても緊張してしまうわよね。けれど本当に意地悪しようと思ってるわけではないの。少し聞きたい事があって……」
「き、聞きたい事ですか?」
ロイは思わず声が裏返ってしまった。『アメリ』という女の設定についてあまり深く考えていないため、陛下とどこで出会ったのかとか、出身地とかについて聞かれても答えられない。
(まずいまずいまずい)
根掘り葉掘り聞かれれば確実にバレる。ロイはギュッと目を閉じた。
しかし、
「アメリさん。無理やりではないわよね」
シエナの質問は彼の予想していたものではなかった。
「……へ?」
「陛下があなたを無理やりここへ連れてきたわけではないわね?」
「は、はい」
「良かった。ではあなたの意思であなたはここにいると思って接して良いわね?」
「はい。大丈夫、です……」
その返答に、シエナは心の底から安堵したような表情を見せる。
(……まじか)
どうやらロイの主人は、妻に『一方的な感情でアメリを愛人にした最低男』と思われていたらしい。哀れアーノルド。
ロイは仕方なく、主人の名誉のために全力で『彼が無理矢理連れてきたのではなく、二人が愛し合った末にこうなったのだ』と説明した。
そして、説明し終えたところで、ふと気づく。
(あれ?良くない方向に進んでいる気がする)
アーノルドが女性を無理矢理従わせるような最低な男ではないということを説明するため、彼の妻に愛人とのラブラブ具合(妄想)を語ってしまったが、これは愛人が正妻に対しマウントを取ったとほぼ同義だ。正妻にマウントを取るなど、身の程知らずにも程がある。ロイは市中引き回しの刑が確定したと思った。
「そう、そんなに愛し合っているの。そう……」
シエナはマウントを取ってくる愛人に対して少し寂しそうに微笑むと、彼女……ではなく彼の手を取る。ロイは恐怖のあまり強く拳を握るが、力尽くでその手は開かれた。意外に怪力だ。
「あ、あの……」
「これを貴女に渡しておきます」
そう言って彼女は胸元から小さな小瓶を取り出し、それを彼の手のひらに乗せた。
(……収納場所、そこ?)
胸元から小瓶を取り出した場面を見たことをアーノルドに知られたら、多分殺されるだろうなとロイは思った。
「こ、これは一体」
ツッコミを入れたいが入れられないロイは、とりあえず自分の手の中にあるものが何なのかを尋ねる。するとシエナは不敵な目を細めた。
「これは堕胎剤です」
「ふぇ?」
自分でもびっくりするほどに、間抜けな声が出た。




