35:黙秘する皇太后
ハワードの自供もあり、麻薬の入手先以外は一通りの証拠が揃った。アーノルドは集められた情報をもとにおおよその関係者の身柄を拘束した。ただ単に麻薬を買っていただけの者から、麻薬を売り捌いて利益を得ていたものまで合わせると結構な数の人間が拘束され、事態が落ち着くまでにはまだもう暫く時間がかかりそうだ。
現在、中毒者はそれ専用に建てた施設で療養し、麻薬を売り捌いていた者たちは全て牢屋にぶち込まれて刑が下されるのを待っている状態らしい。処分を下す人数が多い分、やることが多い。公爵領から帰ってきたアーノルドはろくに寝られていなかった。
(……さて、どうしたものか)
目の下にくっきりとクマを作り、山積みの書類に目を通すアーノルドは傍目から見てもかなりイライラしていた。執務室の空気は重みを持っていて、雨の日のように暗い。煮詰まった会議のときの会議室のようだ。
ロイはアーノルドの様子を横目で確認しつつ、空気を入れ替えるために少し窓を開けた。入り込んできた生ぬるいそよ風が彼の黒髪をそっと撫でる。
「用があるなら声を掛ければ良いだろう」
アーノルドは深く息を吐き出すと椅子の背もたれに体を預けた。
「どのタイミングで声を掛ければ怒られないかと考えてました」
「別に怒らねーよ。態度悪くなるだけだ」
「態度悪く対応されると腹が立つので、一区切りつくまで待っていたんですよ」
お互いイライラしているとそこから無駄な喧嘩に発展しかねないので、とロイは笑った。彼の笑みに気が緩んだアーノルドは、そうだなと笑みをこぼす。
「報告」
「了解。まず公国についてですが、ジェームズ・ハワードの犯した事について連絡しましたが現在の大公が外遊中のため、また折り返すとのことです」
「いつぐらいになりそうだ?」
「おそらく連絡がついたらすぐにこちらに向かうでしょう。七日以内には来られるかと」
「貴賓室の準備を侍女長に伝えておいてくれ。あと、料理とかはシエナと相談しておいて欲しいと」
「了解です」
「他は?」
「イーサンが確認したいことがあるから、明日時間を作って欲しいとのことです」
「適当に時間調整しといてくれ。元老院との会合とか削れるだろ」
「削ったら後からうるさいと思いますが……」
「急を要する話ではないから問題ない。そういえば公爵はどうしてる?」
「喚いています」
「そうか」
「独房に入れてますが、看守がそろそろ殺していいかと」
「まだダメだ。次騒いだら四肢の爪を全て剥ぐと伝えておけ」
「わかりました」
「ジェームズ・ハワードの方は?」
「自殺しないよう、個別に二四時間体制で監視しています」
「ではそのまま続けてくれ」
「了解です」
一通り報告を終えたロイは、ちょうど先ほどメイドが持ってきたティーセットを指さして休憩を促した。アーノルドも大人しくそれに従い、ソファに移動する。
慣れた手つきでお茶を入れるロイ。多分女装期間中にマーシャから教わったのだろう。以前より格段に上手くなっていた。
「レモングラスのハーブティーではありませんが、どうぞ」
冗談めかしてロイは紅茶を机の上に置いた。
「笑えない冗談だ」
そう言いながらも、アーノルドは自嘲じみた笑みを浮かべる。ロイも自分の分を入れると彼の前に座った。
紅茶の香りと外の鳥の囀り。少しの沈黙の後、ロイは困ったような表情を浮かべた。
「……皇太后様はどうするおつもりですか?」
「どうすると言われても、何も話さないんだから……」
どうしようもないだろう、とアーノルドは形の良いジンジャークッキーを齧った。
シエナ救出に向かう前、ヴィクトリアの部屋を捜索し、アーノルドが出した結論は『グレー』だった。
捜索の結果、エマが受け取ったレモングラスのハーブティーと同じ缶が2つ見つかったらしいが、発注書を見る限り普通に紅茶として購入していた。それだけでは、何の目的で所持していたのか、またこの缶の中身についてどの程度知っていたのかまではわからない状況だったため、そういう結論に至ったそうだ。
シエナ救出が最優先事項であったこともあり、その報告を受けたアーノルドは一先ずヴィクトリアの部屋を立ち入り禁止とし、あとは彼女が帰ってきてから事情を聞くつもりだったのだが。
「なぜ何も話してくれないんだ……」
アーノルドは大きなため息とともにそう吐き出した。ヴィクトリアは拘束され、牢に連れて行かれてから何一つ重要なことは話してくれない。
部屋から出てきた麻薬のこと、なぜあの廃教会にいたのか、ジェームズ・ハワードやトマス・ステュアートとの関係。何を聞いてもダンマリなのだ。
「現物が部屋から見つかったから身柄を拘束したが、それはあくまでも念のために過ぎなかったのになぁ」
ハワードやステュアートへの尋問の結果、ヴィクトリアについては麻薬密売に関わっていた帝国貴族やステュアートたちをハワードに紹介しただけで、実際に麻薬に手を出したり、裏で売り捌いたことはないということがわかっている。また検査の結果、彼女自身が麻薬を使用したような形跡もない。
シエナ誘拐については何も聞かされておらず、ただあの日、教会に来てくれと言われたから来ていただけだということがハワードの証言からわかっている。
正直これだけなら、無罪放免とはいかないが巻き込まれただけとして、死は免れるだろう。
だが、これらはあくまでも尋問の末にわかったことであり、本人の証言が得られない限りは動きようがない。まして、もし皇帝夫妻暗殺を知っていた上で加担したのなら、いくら皇太后とはいえ極刑確定だ。
「ただ『知らなかった』とひと言、そう言ってくれればいいのに」
そうすれば、それなりの対応ができる。話してくれないのは何かあるからだと思わざるを得ない。このままでは疑いは深くなるばかりだ。
いや、話さないということはそう言う事なのだろう。後ろめたいことがあるから、彼女は何も話さないのだ。
「とりあえず、皇帝夫妻の暗殺未遂については箝口令を出してますから、罪状を取るなら表向きは麻薬の件だけで済みます」
「……でも、もしそうするのなら公爵とハワードも同じように麻薬の件のみで追及する必要があるぞ」
「そっちはシエナ様『誘拐』の罪も上乗せできます」
「まあ、それはそうなんだけど……」
「ちなみに、皇太后様の侍女は忠誠心の強い人間なのでしょうね。口を割りません」
「母上と心中でもするつもりか」
「拷問しますか?」
「その前に、侍女への拷問を餌にもう一度母上を事情聴取しようか」
「了解です」
アーノルドは紅茶を飲み干すと、ふぅと息を吐き出した。
母親の性格上、自分が拷問を受けるよりも周りの人間がそれを受ける方が効果はあるだろう。
「それで話してくれなければ、母上の牢の隣で侍女を一人ずつ鞭で打つ」
「……了解です」
彼らしからぬ残虐な提案。拷問などあまり気持ちの良いことではないため、できることなら避けたいだろうに。
(手を加えるなら自分でするんだろうな)
アーノルドは昔から、こういうことほど決して他人には任せない。皇帝たる者が自ら拷問に立ち会う必要もないのに。
悪戯に人間を傷つける業は決して他人には背負わせない。つくづく不器用な男だと、ロイは思う。
「でも、その前にシエナ様に一度行ってもらいますからね」
「……」
アーノルドとは違い、シエナはその辺は割り切れるタイプだ。彼女にとっては相手が誰であろうと、手段を選ばず吐かせることは容易いはず。
最愛の妻に、彼女が慕うヴィクトリアの尋問などさせたくはないのだろう。アーノルドは返事をしなかった。
「大丈夫ですよ。昔から、あの二人は仲が良いですから」
「そうだな」
「きっと、シエナ様になら話してくださいます」
「ああ」
納得してないことが丸わかりな返事に、ロイは小さく息をこぼした。
***
「納得できません」
「何が?」
シエナが自ら容疑者の尋問に行くことに納得していないマーシャに、シエナはため息をこぼした。
「行き先がハワードやステュアートなら、何も言わないくせに」
マーシャは昔からヴィクトリアをあまり好いておらず、行き先がその彼女の元だから怒っているだけだ。
「皇帝陛下の『命令』よ」
「違います。ロイ様の『提案』です。陛下は行きたくなければ行かなくて良いとおっしゃっていました」
「では、私の『意思』ね。私は行きたいから行くの」
あれからずっと、ヴィクトリアには会えていない。何故あの廃教会にいたのか、何故理不尽に牢に囚われているのか。シエナだって早くことの真相を知りたいし、できることなら早く冷たい地下牢から解放してやりたい。
シエナはマーシャを諌め、地下牢へと向かった。
肌を刺すような冷たい空気、皇族専用の独房は一般的なものと比べるといくらかマシだろうが、それでも日の光がないこんな場所で長くいれば気が触れてもおかしくはない。
(息子であるアーノルドにすら話さないのに、私に話してくれるだろうか)
そんなことを考えながら、シエナは不安げな表情で地下の独房の前に立った。
鉄の扉を開けると、豪華なベッドや装飾品が置いてある少し異質な空間が広がっていた。さすがは皇族用の独房だ。シエナはその中で疲れ切った顔をして項垂れる皇太后ヴィクトリアと目が合い、軽く会釈した。
「では、よろしくお願いします」
「かしこまりました」
マーシャは看守を部屋の外に退室させると、地下牢の扉をしめた。ギーッと立て付けの悪い音を立てて閉まる物々しい扉に、なんだか寒気がする。
シエナはヴィクトリアの前に膝をつくと、優しく語りかけるように声をかけた。
「ヴィクトリア様。シエナです」
ヴィクトリアはシエナの顔を見ると、少し安堵したように目を細める。
それに安心したのか、シエナも同じように微笑んだ。
「シエナ……。シエナ。私の大事な私の娘……」
震える手を伸ばし、ヴィクトリアは壊物を触るようにシエナの白い頬に触れる。その手はひどく冷たい。
シエナは頬に触れる彼女の手に自分の手を重ねると、怯える子どもをあやすように大丈夫だと呟いた。
「シエナ。ごめんなさい。ごめんなさい……」
「……それは、何に対する謝罪ですか?」
「……」
「ヴィクトリア様。ゆっくりで構いませんから、どうか話してくださいませんか?」
シエナがそう言うと、ヴィクトリアは首を振って拒否する。そして置いていかれた子どものように、縋るように口を開いた。
「……嫌われたく、ないの」
「誰に?」
「貴女に。アーノルドに」
あまりに切実にそう言うものだから、シエナは思わず笑みをこぼした。
なんだ、そんな事。
「大丈夫ですよ。私もアーノルドも、貴女のことを嫌うなんてあり得ません。私たちはお母様が大好きだもの」
たとえ貴女が何を言おうとも、貴女を嫌いになんてなれない。
だって、今まで辛い時もずっと側で支えてくれたのは貴女だから。
シエナはヴィクトリアの両手を握り、もう一度、『大丈夫だ』と笑った。




