34:ジェームズ・ハワードの動機
結果から言うと、トマス・ステュアートは爪0枚で全てを自供した。
金欲しさに麻薬売買に手を染めたことや、麻薬取引の顧客リストの在処、隠し持っていた麻薬の保管場所。そして皇帝の地位につくためにジェームス・ハワードと共謀し、皇帝夫妻の暗殺を企てたこと。
彼はそれらをあっさりと自供した。その上で毎日、命だけは助けてくれと牢の中で鼻水を垂らしながら叫んでいるらしい。何と情けないことか。死ぬ覚悟もないのに謀反など企むものではない。
「君は何枚で話してくれるだろうか。ジェームズ・ハワード」
アーノルドは薄暗い地下の拷問室で、木製の椅子に拘束された彼を見つめた。
地下特有の肌を刺すような空気の鋭い冷たさと、不必要な光は遮断した気味の悪い薄暗さ。小さな蝋燭の明かりが、今にも消えそうにゆらゆらと揺れる。それは残りわずかとなった己の命の灯火にも見え、微かに残る血の匂いと圧迫感のある狭い室内の壁に並ぶ古来よりの拷問器具と合わせて、罪人の自白を促す良い材料になっていた。
出来ることならば血を見ることなく白状してもらいたいものだが、目の前に用意された爪を剥ぐための拷問器具を眺めるハワードの瞳には、怒りと憎しみが宿っていた。最早、彼を構築するものはそれしかない、というくらいには混ざりけのない純粋な憎悪。
アーノルドはその目にゾッとした。
「……先に言っておくが、君が話そうとも話さずとも大体の見当はついている」
「……」
「ジェームズ・ハワード。君の目的は帝国に麻薬を広めて腐敗させ、国を乱すことだろう。そのために思慮の浅い、ある意味で貴族らしい貴族の叔父上を懐柔した。彼を王に据え、傀儡として実権を握るつもりだったのかな?」
「そこまでわかっているのなら、私が話すことなど何もありませんよ」
ハワードはフッと自嘲するような乾いた笑みをこぼした。
アーノルドは古びた木製の机に頬杖をつき、苛立ちを誤魔化すようにトントンと指で机を叩く。
「誰の指示だ」
「黙秘します」
ハワードが回答を拒否すると、そばに控えていた軍の一人が彼に頭から冷水をかけた。
なかなか話そうとしないので何度か鞭打ちされたのだろう。その傷に冷水が染みたのか、彼は顔を歪める。
「よく見ると、君は昨年亡くなられたリーズ公国の大公によく似ているな?」
「……それが何か?」
「ベレスフォードの調査で君が亡くなられた前リーズ公国の大公の弟であるという情報が入ったのだが、間違いはないか?」
「ハハッ。そこまで知られていましたか。ならばあとは私から何を聞き出したいのでしょう?」
「全てだよ。こちらの持っている情報に対する確信を得たい。だから君から全て聞かせてほしいと、そういうわけだ。顧客リストも、ステュアートが持っているものだけが全てではないだろうしな。流通量を考えると、麻薬の入手先も一つではなさそうだ」
「……」
「わかった。では、質問にイエスかノーかで答えてくれ」
どんなに凄まれても何をされても口を割らない彼に、これが最大の譲歩だとアーノルドは深くため息をこぼした。
「全部知られているのだから、隠しても仕方がないだろう」
「どうでしょう?全部知られているからこそ、私が何を話しても同じことだと思いますが?」
「本当に爪を剥がされたいのか?」
「何枚剥がされようとも私は何も答えません」
「なぜそこまで頑ななんだ」
「守るものなど、もう何も残っていないくせに。ですか?」
「そう聞こえたか?」
「そうとしか聞こえないでしょう。ええ、そうです。私には何も残っていません。しかし、だからこその黙秘です。どうせ死ぬ運命にあるのだから、それならば少しでもあなたが困る選択をしたいのですよ。ねえ、『アインシュヴァルツ』」
「……」
「アインシュヴァルツ……。忌々しいその名を冠する人間が困っている様を見て、私はざまあみろと言ってやりたい」
ハワードは、にぃっと口の端を上げた。
「貴様っ!」
忠誠心が強いのか、看守の一人がハワードに掴みかかる。アーノルドはそれを手で静止した。そして内圧を下げるように深呼吸すると、席を立った。
「では、母上に聞くとしよう」
そう口にすると、ハワードの目は少しだけ動揺したように揺れた。
「……まさか、自分の母親に拷問する気ですか?」
「罪人に情けをかけてやる必要などどこにある?」
「ハッ!鬼だな。さすがはあの男の息子か」
「なんとでも言えばいい。君の尋問はまた後日にしよう。では、ご機嫌よう」
絶対零度の、シエナのような微笑みを浮かべ、アーノルドは彼に背を向ける。そして看守が開けた扉の枠を一歩出ようとしたところで、ハワードは口を開いた。
「待て」
「……」
「答えましょう」
「……何を?」
「貴方が知りたいことを、全て」
悔しそうに奥歯を鳴らす音が、静かな地下室に響いた。アーノルドは薄く口角を上げると踵を返し、再びハワードの前に腰掛ける。
「なぜ気が変わったのかは……。気になるところだが、まあ追求しないでおいてやろう」
「……ハッ」
乾いた笑いが自然と溢れた。だが口には出さない。母親とこの男がどういう関係だったのかなんて、知りたくもない。
アーノルドは机に両肘をつくと両手を組み、それで口元を隠してじっと前を見据えた。
「……調査で明らかになったのは君が亡くなった前大公の弟だということだった。尤も、正妃の子ではなく流浪の踊り子との間に生まれた婚外子だが、それでも異母兄とは昔から繋がりがあった。そして、大公の隠し子という複雑な立場の君を陰ながら援助し続けた。間違いはないか?」
「間違いありません」
「君は兄君に対して恩を感じていたのか?」
「当然です。正妃の息子が非嫡出子を気にかけてやる義務などないのですから」
「では、これは兄君の意思か?」
「私の意思でもあります」
「これは、大公家の復讐と捉えれば良いのか?」
「貴方がそう思うのならそうなのでしょう」
復讐。その言葉が重く響く。その場にいた看守たちは皆、顔を伏せた。
心当たりがあるからだ。帝国市民になら誰にでもある、公国に復讐されても仕方がないという、心当たりが。
ハワードは辺りを見渡し、そして顔を伏せる彼らを見て鼻で笑った。
「貴方にはわかりますまい。兄上が受けた屈辱がどれほどのものであったか……」
「……」
その昔、アーノルドがまだ即位する前の話。ちょうど、寄宿学校を卒業して本格的に皇太子として振る舞い出した頃のこと。
正義の名の下、帝国のため、或いは大陸のまだ見ぬ同胞のため。圧政を敷き、民を蹂躙する国々を相手に先帝は戦争を仕掛けた。そして多くの国が帝国の支配下に置かれ、やがて帝国は大陸の半分を制する大国となった。
そんな帝国だったが、一つだけ、唯一手を出さなかった国があった。それがリーズ公国だ。
リーズ公国は美しい自然と古き良き伝統をずっと守り続けてきた歴史の長い国であり、争いごとを好まない平和な国だった。どこからも侵略されることなく、またどこにも侵略することなく、ずっと穏やかに時の流れに身を任せて過ごしてきたそんな国だった。
だからこの国だけは長きに渡り、周辺諸国からは暗黙の了解として不可侵とされていた。どんな戦乱の世でも、この国だけは戦火を免れ続けた。いわば地上の楽園だったのだ。
しかし、先帝はそこに手を出した。巨大化してしまった帝国領の中にポツンと佇む陸の孤島と化した公国が煩わしかったのかもしれない。
「当時、貴方の父親はこう言いました。圧倒的に軍事力を誇る帝国が公国を守ってやる代わりに、公国は軍事権と外交権を譲渡しろと」
それは実質的に属国となるということ。
抵抗する余地もなく蹂躙されるか、もしくは支配されるかの二択を迫られた大公は国民を守るために、実質的に帝国の属国となることを選んだ。平和に生きてきた彼らには軍事大国である帝国に対抗できるだけの軍事力を持たなかったのだ。
「一滴の血も流さずに大陸の東側を全て手に入れた貴方の父親は英雄となったでしょうね?」
「……っ」
ハワードはうっすらと目を細めて、憎き男によく似たアーノルドをじっと見つめた。
目の前のこの男が公国に手を出すことに賛同したのか否かなど、どうでもいい。仮に反対していたとしても、止められなかったのなら結局は同じ。同罪だ。
「我々大公家はずっと、力をつけていつか必ず公国を取り戻すと決めていた。だから、そのいつかのために備えてきた。兄上は、リーズ大公は身分を詐称させた異母弟である私を帝国の内部に潜り込ませ、着々と準備を進めていた。それも、貴方たちのようなやり方ではなく、誇り高き公国の王として、武力ではなく交渉で国を取り返そうと根回しをしてきたのです。けれど……」
「……けれど?」
「けれどある時、兄上は気がついた。もうすでに公国が失われていることに。気高く美しかった公国が、いつの間にか憎き帝国の色に染まっていたことに」
唇の端を噛み、震える声でハワードはそう言った。口内に血の味が広がる。
彼ら大公家は帝国に支配された公国の民が皆、帝国を憎んでいるはずだと思っていた。生まれは、故郷は自分自身を構築するのに最も重要かつ不可欠なファクターであり、その大切な祖国というアイデンティティを彼らは奪われたのだ。消えることのない強い憎しみを帝国に抱いているものだと、そう思っていた。
しかし、実際には違った。彼らは帝国を憎んでなどいなかった。なぜなら、公国の民にとって帝国の属国となることは良いことが多かったのだ。帝国は公国の伝統や文化、宗教を尊重し、内政の自治権も与えていたために彼らの生活には大きな変化がなく、むしろ帝国と強い繋がりができたことにより彼らの生活は格段に豊かになったのが大きかった。
特に、安価で入ってくる輸入品や工業技術で生活は便利になり、最先端の医療技術により平均寿命は伸び、教育や政治面でも帝国の真似事をすることで公国は時代を一つ前に進めることができた。
閉ざされていた国は開かれ、公国としての伝統的な文化はそのまま残しつつも、生活は近代化していったのだ。
「そんな変わってしまった公国に落胆した兄上は今回の計画を企てた」
もう、国のため民のためなどという建前を失ってしまった以上、公国の誇りなどを気にする必要もない。
大公はとある国を経由して知った麻薬を帝国内にばら撒き、内部から国を崩壊させることを選んだ。
「これは我々のプライドの問題なのです。兄上は志半ばで亡くなってしまったが、私はそれでもやり遂げなければならなかった」
民が許そうとも、ずっと公国を守ってきた大公家だけは帝国を許せなかった。国を帝国色に染められたように、帝国も公国の薬で染め上げてやろうと思ったとハワードは話す。
握りしめた拳は震えており、微かに血が滲んでいた。
アーノルドはひと言、『わかった。ありがとう』と言って看守に彼を任せ、逃げるように部屋を出た。
そのままそこに居続けたら、謝ってしまいそうだったから。




