22:イーサン・ベレスフォードの情報(1)
マーシャとロイは城内で麻薬を持ち歩いているという事実に耐えきれず、自然と廊下を歩く速度がやや早足になる。城の回廊をほぼ競歩で駆け抜ける愛人様と麗しの女騎士の姿に周囲は騒然としていた。唯一、何があっても動じないで有名な高潔の侍女長は『廊下を走るな』と叫びたかったが、一応走ってはいないので叫ぶに叫べず苦い顔をしている。
たが、そんなことは二人には関係ない。
執務室の前に着くと、ロイは勢いよく扉を開けた。
「陛下!」
彼はほとんど地声でそう叫びつつ、執務室に足を踏み入れる。
すると、そこに居たのは皇帝アーノルドと、彼の旧友イーサン・ベレスフォードだった。
「…….え」
「えーっと。……え?」
思いもよらぬ人物がいたことに、ロイの後に続いて、入室したマーシャも一瞬思考が停止した。
「……あ、あの」
驚いたように口をポカンと開けているイーサンに対し、ロイの方は焦りのあまり硬直してしまい、体が動かない。厚化粧が落ちそうなほど、額からダラダラと冷や汗を流す彼は心の中で叫んだ。
(女装がバレるっ!)
どう取り繕っても、バレる気しかしない。なぜなら、イーサンとは寄宿学校で約四年もの時間を共に過ごした仲だ。加えて先程、ロイは地声で『陛下』と呼んだ。そう、思い切り地声で。
いつもロイの声を聞いていた彼ならすぐに気づくはず。いくら厚化粧をしていてもすぐにきっとバレる。どう誤魔化すべきか、ロイは頭をフル回転させたが、良い案が浮かばない。
「マ、マーシャ……」
意識的にか、無意識的にか。ロイは助けを求めるように小さくか細い声で恋人の名を呟いた。
その声にハッとしたマーシャはロイの腕を引き、すぐさま後ろに隠す。そして、先に室内にいた二人に深く頭を下げた。
「申し訳ございません。至急お耳に入れたいことがございまして、大変失礼いたしました」
「お、おう。次からはノックはしような?」
「……はい。以後、気をつけます」
マーシャは少しだけ頭を上げ、前髪の隙間からチラリとアーノルドの方を見る。
アーノルドの表情は『何やってんだよ、馬鹿』と言っていた。思わず『お前に言われたくはない』と言い返したくなったが、そこ
はぐっと我慢した。
(どうしようか……)
この後、どのような行動を取るべきなのか正解がわからないマーシャは、とりあえず一旦退室しようと後ずさった。
しかし、イーサンはそれを引き止めるかのように、大きく咳払いをした。アーノルドはその音にビクッとして、背筋を伸ばす。
「アーノルド」
ただ名前を呼ばれただけなのに、その後に続く言葉が確信をついてくるであろうことがわかってしまったアーノルドは、視線を逸らせた。ロイと同様に、彼もまた冷や汗が止まらない。
「な、何だ?」
「ランドルフ嬢の後ろに隠れているのは例の愛人か?」
肯定しても否定しても地獄な気がするが、バレていない事を信じて、彼は小さく『そうだ』と答えた。
「皇帝の執務室にノックもせずに押し入り、来客に無礼を働いたのはそこの愛人のお嬢さんな訳だが、なぜ彼女は前に出てきて頭を下げないんだ?」
「彼女は、その、まだ貴族社会に慣れていなくてだな」
「慣れていなくとも謝ることは誰だってできるだろう?」
「し、しかし……」
「子どもでも悪いことをすれば『ごめんなさい』と謝ることができるのに、彼女はそれすらできないと言うのか?」
イーサンは冷めた目でギロリとロイの方を睨む。
それは女装男を軽蔑する視線なのか、それとも単に無礼な愛人に対する軽蔑の視線なのか。どちらにしろ、軽蔑の視線である事には変わりないが、せめて後者であることを願うばかりだ。
ロイはぎゅっと目を瞑り、覚悟を決めてマーシャの前に出た。
「た、大変失礼いたしました。申し訳ございません」
精一杯の高い声を作り、深く頭を下げるロイにイーサンはフッと乾いた笑みをこぼす。
「顔を上げたまえ」
「は、はい」
顔を上げたロイは、穴が開きそうなほどにジッとこちらを見つめてくるイーサンの方を見ることができない。彷徨う視線はぐるりと執務室の天井を一周して、アーノルドの目元へと落とされた。
だが、奴はその熱い眼差しからそっと目を逸らせた。これは立派な裏切りだと思う。
「君はロイ・フェローズを知っているか?」
「ぞ、存じ上げません」
「君はロイ・フェローズの親族か?」
「いいえ」
「では、君の名はもしかしなくともロイ・フェローズか?」
「………」
肯定すべきか否定すべきか、ロイはじっくりと考えた。
重たく長い沈黙が室内に流れる。マーシャはロイの後ろで、今すぐ回れ右をしてこの部屋を飛び出したい気分だった。
「ああ、勘違いしないでくれ。別に自分は怒っているわけではない」
あまり笑わないはずのイーサンは最高の笑みを浮かべてそう言う。怒っていないと言うのなら、そんな顔をしないで欲しい。メガネの奥に見えるまつ毛多めの円らな瞳が、うっすらと弧を描く。
ロイは両手を上げると『事情を説明させてほしい』と白状した。
***
昨夜雨が降ったせいか、今日の気温は少し低めだ。
(そう。だからこの肌寒さはきっと、気温が低いせい)
マーシャは城のメイドからティーセットが乗ったワゴンを預かると、そっと執務室の扉を閉めた。そして扉に向かって小さくため息をつく。
背後の空気が重い。
そこそこ広い皇帝の執務室の端に設置された茶色い革張りのソファには、ぎゅっと体を小さくしてつま先を見つめるアーノルドと、ピンと姿勢を正して硬直しているロイ、そして死人のような顔で足を組むイーサンの姿があった。
阿呆ニ人だけでなく、イーサンまでお葬式のような空気感を醸し出しているのはなぜかと言うと、先ほどロイの女装の経緯を聞かされたから。その内容の一部に、彼は引っ掛かっているらしい。マーシャはそんな彼らの前にお茶を用意しながら、チラリとイーサンの方を見た。
「……ランドルフ嬢」
「はい、なんでしょう?」
「君はシエナ様のそばに仕えて何年だ?」
「五年、ですかね?再来月で六年目ですが……」
「では、シエナ様のことはよくご存知かと思うが、その、聞いても良いだろうか」
「どうぞ?」
「色々と気になる事とか言いたいことが沢山あるのだが…その…いつからだ?」
「何が、ですか?」
「いつから、私はシエナ様に疑われていたのだろう」
「……そんなに昔ではない、とだけお答えしておきます」
「そうか……」
マーシャの言葉に、イーサンは両手で顔を覆う。旧友の女装の理由よりも、シエナの餌作戦の内容よりも、自分が慕っているシエナに疑われていたという事実が彼には何より辛いらしい。
『気にするところ、そこかよ』と思いつつも、マーシャは正論をぶつける。
「閣下には、その、閣下のお考えがあったことはわかりますが、知らされていない身としては疑わざるを得ません」
「わかっている。ごもっともな意見だ」
イーサンは顔を隠したまま、大きくため息をついた。
実は彼、麻薬問題が深刻化し始めた頃からハワードの関与を睨んでおり、独自で調査を行っていた。そして最近、漸く彼の懐に入り込めたので、そのことをアーノルドに報告するつもりでいたのだ。
まあ、その矢先に起きた愛人事件でタイミングを逃してしまっていたわけだが……。気のせいで教会の重鎮にメスを入れることができないため、ある程度の情報が掴めるまでは大事にしないでおきたいと黙っていたのが裏目に出てしまったようだ。
お気の毒だが自業自得とも言える。
旧友に女装がバレたロイ。
旧友に阿呆な企みをしていたことがバレたアーノルド。
そして、慕っている女性に疑われていたことを知ったイーサン。
項垂れる彼らを見てマーシャは思った。
(うっとおしい)
このままでは話が進まない。紅茶を配り終えた彼女は沈む三人を見下ろしながら、パンパンと手を叩く。静まり返った室内にその音はよく響いた。
「陛下。貴方に落ち込む資格はありませんし、貴方の阿呆さは閣下もご存知のはずですから落ち込む必要はありません。落ち込んだところで手遅れなので無駄とも言えましょう」
「辛辣っ!」
「ロイ様。女装はよくお似合いですし、今の貴方は我らが愛する祖国の安寧のために女装しているのです。恥ずべき事ではありません。むしろ誇っていい。それくらいに良くお似合いです」
「その慰め、あまり嬉しくはない」
「そして閣下。疑われてようが疑われてなかろうが、シエナ様が貴方の方を向くことはありませんから、落ち込む必要はありません。あのカンの良いシエナ様に『もしかして』とすら思ってもらえないくらいの興味しか持たれていないのだから、いい加減に諦めることをお勧めします」
「待って。すごく傷口に塩を塗り込まれてる気分なんだが」
鬱陶しいから気持ちを切り替えろと言いたいのだろうが、マーシャのフォローはフォローになってない。
彼らはそう抗議したが、彼女はその抗議に対し、舌打ちで返した。
「互いに色々と言いたいことはあるでしょうが、それは後にしましょう。私は先に話を進めたいです」
マーシャはスッと、テーブルの上にステュアート公爵からもらった紅茶の缶を置く。そして、にっこりと微笑んでイーサンを見つめた。
「閣下もご協力いただけますよね?」
疑問形でこちらに協力するか否かの選択肢が与えられているにもかかわらず、なぜか否という選択肢を既に潰されているような気がする。
軍と騎士団はあまり関わることがないとはいえ、戦場の最前線で、荒くれ者の軍人たちとともに死線を潜り抜けてきた彼が、たかだか護衛の近衛騎士、それも女騎士の眼力に気圧されてしまったことに、イーサンはまた無駄に傷ついた。




