21:トマス・ステュアート公爵の思惑
シエナが公務で舞を披露している頃、皇帝の側近ロイ・フェローズは今日も元気に女装して頭頂部の寂しい変態親父をもてなしていた。昨日に引き続き今日もご来店とは中々気に入られたらしい。どうせならチップでもくれれば良いのに。こちとら無料の娼婦ではないのだぞ、と内心悪態をつく。
品の無い食べ方で出された焼き菓子をつまみ、親指の腹をぺろりと舐めたステュアートは自分の側に控えていた公爵家のメイドらしき人物を愛人アメリに紹介し始めた。
「アメリ殿、こちらは我が公爵家で雇っているメイドだ」
「え?ああ、そうですか」
「聞くところによると、君は皇后陛下の嫌がらせで世話係がついていないそうじゃないか」
ステュアートは下卑た笑みを浮かべて、探るように彼女……、もしくは彼の背後に立つマーシャに視線を送る。
確かに今のアメリにはマーシャ以外に側仕えがいない。そして城の中に愛人に仕えたいと思うメイドなどおらず、彼女の身の回りの世話をする人間が不足していると言えばそうなのかもしれない。だが、中身が男であるアメリとしては着替え等を手伝われるわけにはいかないために、誰も申し出てくれないことはむしろ好都合だった。
「どうだ?良ければ我が公爵家のメイドを貸し出してやろうか?」
ステュアートはメイドの腕を強引に引き、自分の横に跪かせた。人を人とも思っていないような扱いだ。この調子なら、公爵家の使用人の待遇も決して良くはないのだろう。怖がっているのか、それとも寒いのか。陰鬱な雰囲気を醸し出したメイドは俯き、小刻みに震えていた。
「あ、あの……」
何かを言いかけたが、声が掠れている。よく見ると指先は青白く、爪は変色していた。
ロイは今、自身の中にある軽蔑と憐憫の感情を気取られないように軽く微笑んだ。
「お心遣い、感謝いたします。けれどもご遠慮させていただきたく。私ごときに専属のメイドなんて分不相応ですもの」
「何故だ?君は皇帝陛下の寵愛を受ける存在だ。未来の国母にもなりうるかもしれない女だ。側仕えくらい置いておくべきだと思うが?」
まるで当然であるかのように、自然に、彼はアメリを『未来の国母』と言った。未来の国母とはまた大きく出たものだ。マーシャは咳払いをするふりをして、彼の発言を鼻で笑った。
(愛人に取り入って何をしようとしているのかしら)
ステュアートが愛人の後ろ盾となることで、彼女を皇后まで押し上げて宮廷内の実権を握ろうとでもしているのだろう。相変わら
ず考えが浅い。浅瀬の海よりも浅い。多分、水深五センチくらいだろう。
どう答えるのが正解なのか考えながら、ロイは目の前の愚かな男に返す言葉を紡いだ。
「公爵様、実は私は体に昔の事故で負った大きな傷があるのです。ですからあまり人に見られたくなくて……」
「おお、そうなのか……」
「はい。だから、あまり大勢の人にお世話してもらうのは、その、ちょっと苦手で……」
しなを作り、少し上目遣いで憂いを帯びた目をしながら、ロイはステュアートを見た。その嗜虐心を誘う表情が気に入ったのか、彼は赤く頬を染める。
相手は日頃から何かと衝突している相性の悪い皇帝の側近だというのに、そんなことも知らずにときめいているなんて、なんと愚かなこと。そばで見ていたマーシャは笑いを堪えるのに必死だった。
「そんな事情があったのか。ならば仕方がないな」
「せっかくのご好意を無碍にしてしまって。申し訳ありません」
「いやいや、問題ないよ。気にしないでくれたまえ」
ロイが猫撫で声で『さすがは公爵様、懐が深くていらっしゃる。素敵ですわ』と褒めると、彼は嬉しそうに頭をかいた。目が『あわよくば自分の愛人にしてしまっても良いかもしれない』と語っている。怖い。
(なんでこんな人が公爵なのかしら)
とても皇帝や前皇帝と血が繋がっているとは思えないほどに貴族らしい貴族であるとマーシャは思った。ここまで欲望に忠実だと逆に尊敬さえしてしまうほどだ。そんなマーシャの失礼な心の中を読んだのか、それとも少し緩んでしまった空気を察したのか。ステュアートはコホンと咳払いすると、ピッと姿勢を正して場の空気を変えた。
「君は皇后陛下とはお会いしたのか?」
「はい、この城に来た初日に」
「その後は?」
「その後から会えていません」
「そうか」
ステュアートは軽く舌打ちし、わかりやすく顔を歪めた。アメリとシエナに繋がりがあった方が彼にとっては都合が良かったのだろうか。例えばアメリを使い、シエナに何かを仕掛けようとしているとか……、十分にあり得る話である。ロイは小さく息を吐き出した。
「公爵様。一つご相談があるのですが」
「おお、なんだ?言ってみなさい」
「実は皇后陛下と仲良くなりたくて……、最近の皇后陛下は寝不足でいらっしゃるみたいですし、何か良いプレゼントはありませんか?」
その言葉に、ステュアートはニヤリと口角を上げた。待ってましたと言わんばかりの、とてもわかりやすい笑みである。
「それならこれを渡して差し上げなさい」
そう言うと、彼はメイドにとあるハーブティーの缶を取り出させた。
「これはハワード猊下から分けていただいた異国のお茶でね、不眠によく効くらしい」
「まあ、そうなのですか!」
「これを自分からのプレゼントだと言って渡すと良い」
「『私から』ですか?」
「ああ、だって私から貰ったと言っては君が皇后陛下を思っていることが伝わらないだろ?」
「確かに……。では、ありがたく頂戴致します」
ロイはその缶を受け取るとにこっと微笑んだ。決して自分の名前を出すなと念を押すステュアート。
明らかに何かある。
後ろのマーシャに缶を託すと、ロイは『そろそろお茶会をお開きにしよう』と申し出た。
公爵を見送ったロイはソファに深く腰掛けると、残っていた紅茶を喉を鳴らしながら一気に飲み干し、一息つく。
「ふぅ……」
「お疲れ様です」
マーシャはロイの手からティーカップを取り上げると、水の入ったコップを手渡した。
「ありがとう」
「喉が渇くでしょう?」
「無駄にね。裏声使いすぎて声帯死にそう」
「しんどければ最終的に『風邪をひいた』ということにして筆談で会話する手段も取れますよ」
「ハハッ。できることなら、声帯を使い潰す前に、この任務を終わらせたいものだね」
こんな、恋人に女装を晒すなどという恥しかない任務。アーノルドがシエナと和解した今となっては、何のお咎めもない彼の代わりに罰を受けているような気分だ。
これが終わったら、今頃は悠々自適に玉座に深く腰掛けているであろう幼馴染にも、我らが女王陛下の鉄槌が下ることを祈るばかりだ、とロイは肩をすくめた。
「両陛下がいないところで悪態をつくなんて、それ、ただの悪口ですよ?」
「マーシャと僕の、二人だけの秘密ということで」
「それはお約束致しかねます。私はシエナ様の剣ですので」
「冷たいなぁ」
ロイはまた、ハハッと乾いた笑みを見せた。それから、しばしの沈黙。
マーシャは彼の手から空のコップを取り上げて、紅茶のセットが置いてあるワゴンの上へと移した。カチャカチャと食器が重なる音が、静かに響く。
互いに何を言いたいのかはわかっているのに、なかなか口には出せない。
「……」
「……ねえ」
先に沈黙を破ったのは、ロイの方だった。
先ほどとは違う、男らしい低い声色で、マーシャに呼びかける。
「さっきのメイドの……見た?」
「……見ました」
ステュアートがモノのように扱っていたあのメイド。アメリに献上するために連れてこられた彼女は、もう手遅れだった。
「爪の変色と血色の悪い唇、そして、虚ろな瞳。間違いなく例の薬物を摂取している人間の反応だったね。それも、かなり長期間に渡って」
ふ、とロイは微かに笑い、天を仰いだ。マーシャは目を閉じ、彼女の虚な瞳を思い出す。
現在帝国に出回っている麻薬は、摂取すると幻覚が見えるなどの一般的な麻薬に現れる特徴のほかに、爪が青白く変色したりするなど体の外にも症状が出やすいという特徴もある。
ステュアートの連れてきたメイドはその症状に当てはまっていた。特に、彼女の体が小刻みに震えていたのは禁断症状の表れだろう。どのくらいの期間、摂取しているのかは想像に難くない。
「あれはもう……」
ロイはそこまで言って、口をつぐんだ。マーシャも奥歯をグッと噛み締める。
言わずともわかることだ。あれはもう、助からない。後は狂ったように自分で首を吊るか、もしくは内臓や脳がおかしくなり、苦しんで逝くか。どのみち楽な死に方はできない。
それでも彼女は息が続く限り、薬を求め続けるだろう。依存性が高いため、一度その薬に溺れたものは容易にその沼から抜け出せない。どれだけ法外な値段を提示されても求めずにはいられなくなるのだ。そのおかげで、公爵ら仲介業者は大儲けできている。
そして、摂取するたびに禁断症状が出る間隔が短くなり、摂取するたびに内臓を、精神を破壊されていく。人として持っているべき思考や痛覚などの感覚の類が奪われていく。
「ステュアート公爵邸の使用人は皆、麻薬に侵されている可能性があるかと」
「そう考えた方がいいね」
駒としていいように使うために無理やり飲まされた可能性を、マーシャもロイも考えたらしい。下劣だが、歴史の中で、そういう方法で無理矢理に民を徴兵した国もあったから。
「悪いことはするものではないね。特にこの国では」
「間違いありませんね」
二人は顔を見合わせ、互いに目を逸らせた。
皇帝が正義の鉄槌を下すまでに公爵邸では何人が毒に犯されて人であることを忘れてしまうのだろうと、そんなことを考えてしまったのかもしれない。
マーシャは、すうっと息を吸い込み、『それにしても』と無理やりに話題を変えた。
「あの禿げ親父はあっさりとジェームズ・ハワードの名前を出しましたけど、あの二人は繋がっているということで間違い無いんでしょうか?」
「公爵がただの阿呆だったのなら繋がっていると考えるのが自然かな。だが、阿呆でない場合はミスリードしようとしているという可能性もある」
「じゃあ前者ですね」
「そんなあっさりと……」
間違いではないだろうが、そうあっさりと彼を阿呆と断定するのはいかがなものか。あれでも大陸の半分を手中に収めた先帝の弟なのに。まあ、アレも途中から元老院の言われるがままに侵略を繰り返した程度の男ではあるのだが。
視線でそう言ってくるロイに、マーシャはステュアートが渡してきた紅茶の缶を開けながら、フンと鼻を鳴らした。
「それ、結局何が入ってたの?」
「見かけは普通の紅茶ですね」
缶からティーバックを取り出したマーシャはそれを太陽の光にすかしてみたり、匂いを嗅いでみたりした。だが、匂いも見た目もレモングラスのハーブティーのようにしか見えない。
「一つ入れてみる?」
「入れてどうするのですか?」
「飲む」
「却下」
麻薬かもしれないのに摂取させるわけにはいかないと、マーシャはロイの足の甲を踏みつけた。
「なんで踏むの」
「早くこの仕事を終わらせたいからって、鑑定の時間を短縮してもその時間は微々たるものですよ」
「ほんと、なんでもお見通しだ」
「これはとりあえず陛下のところへもっていきます」
「そうだね」
麻薬の現物を見たことがあるアーノルドなら判断がつくかもしれないと、マーシャはその缶を紙袋に入れて胸の前で抱えた。
「これ、シエナ様に渡したくて用意していたんでしょうか?」
「そうだろうねぇ」
もしこれが麻薬だった場合、シエナがこれを所持していたら彼女にも麻薬密輸に関与しているという疑いがかけられる。これは彼女の失脚を狙った公爵の策略だろうか。本当にろくなことを考えないハゲである。
「禿げればいいのに」
マーシャは毒々しく吐き捨てた。もう禿げているのに、これ以上の毛根の弱体化を願うとは。ロイは呆れたように目を細めた。
「毛根に罪はないよ、マーシャ」
怒れる恋人を宥めつつ、カツラの位置を直し、彼らは部屋を出た。




