坂道を疾走する車輪
床にぺたん座りをして、のしかかる様にしてコントローラーを握りしめるタマちゃんの身体が、徐々に右に傾いていく。
膝がくっついてるのに足の裏は両サイドに向いてるという、随分柔らかい姿勢。真似してみたけどダメだ、膝が折れそうに痛い。
足を戻そうとバタバタしている俺の膝の上に、傾いたタマちゃんがそのまま体重を掛けてくる。痛い痛いやめてー!
タマちゃんの操縦する画面の中の車は、傾きながら外側に大きく膨らみ、壁のスレスレを擦る寸前で見事にカーブを曲がり切り、先行する車両を抜いて一位に躍り出る。減速する事なく走り続けている為、後続の車両は追いつく事が出来ずに順位を維持したままゴール。また記録を更新した。
かいてもいない汗を拭く仕草をしながら、TAMと入力。もはや一位から五位までTAMで塗りつぶされ、かつて一位だったJUNという文字は無い。
「ぼくのかち」
やり遂げた感満載のキラキラの笑顔で俺を見上げるタマちゃんは、堂々と勝利宣言をした。
肩を掴んで膝からどかせると、とりあえず脚を伸ばして痛い姿勢を直す。
「いや、記録は抜かれてるけどさ。別に勝ちとか負けとかじゃないから」
「うんうん、別に勝負とかしてないもんね。でもぼくのが速いのもじじつだから」
くっ!この子狐、最近パズルゲームでの負けを他のゲームで記録を塗りつぶす事でやり返す事に快感を覚え始めている。特にレースゲームは得意っぽい。鼻歌らしきものをフンフン歌いながら、母親の所に行ってママさんまた勝ったよなどと報告している。
いや、負けてないから!その記録はかなり昔のだから!
……まぁ、タマちゃんが寝た後でこっそりやってみて、5位にも入れなかったりもしたのだけど。直接勝負したわけじゃないから負けじゃない。くそぅ。
タマちゃんは、そんな俺の悔しさを読んでいるかのように、部屋の入り口に半分だけ顔を隠してニマニマしている。なんとかひと泡吹かせてやりたい!
「じゃあ、負けた純はちょっとタマネギ買ってきてくれる?」
母親がエプロンつけながら買い物を言いつけてくる。
「いや!負けてないし!そもそも勝負してないから!」
「ママさん、ぼくも一緒にいってくるよ!」
「まぁ!タマちゃん良い子ねー!ホントいい子ねー!」
ぎゅーっとタマちゃんをハグする母親。完全に俺、無視。いいけどね。
大急ぎで部屋着から厚手のオーバーオールに着替えたタマちゃんを連れて、タマネギ買いに商店街へ。
目をキラキラさせたタマちゃんが自転車を押してくる。
「危ないからノーブレーキはしないよ?」
「えー!のーぶれーきでいこうよぉ!」
眉毛を八の字にしてうずくまられた。いや、この程度の事で世界の終りみたいにがっかりしなくても。
一度、坂道を自転車で駆け降りたら気に入ってしまったらしく、ちょくちょくハイスピードの快感を要求してくる。転んだら怪我するからという理由でダメだと言ったら、それ以来自転車に乗る時には厚手の服を来て防御力を高めて臨むようになった程。
仕方なく折れて、車が来なかったらね?と言ってからタマちゃんを後ろに乗せ、実際に車も人も来ていないのを確かめてからノーブレーキで一気に坂道を駆け下りる。
広げた両脚の間で、「カラカラ」から「シャー」に音が変わったあたりから、肩に乗せられたタマちゃんの手がギューっと握りしめるようになる。
坂道の途中にある真っ赤なポストがゆっくり近づいてきて、一気に通りすぎる。
耳のすぐ傍をゴウゴウと風が音を立て、下り坂が終わると身体がグンと重くなる。
そのまま坂を下りた勢いで走り続け、神社の前で急停止。背中にドシンとぶつかったタマちゃんはそのまま抱きついて「わんもあ!」と叫ぶ。確かに爽快。俺も坂道大好きだ!でも転んだら危ないし、近所迷惑だからやめようね。
自転車を降りて、ほっぺ真っ赤にして鼻息ふんふんさせてるタマちゃんの頭をグリグリ抑えて「今日はもう終わり」と告げて、一礼してから鳥居の端っこをくぐる。実は父親からちゃんとした参拝の作法を教えて貰ったんだ。ちゃんと尊敬する気持ちがあれば大丈夫だよと、この間あった神様と同じ事も言われたけど。
きちんと手水を使い、二拝二拍手一拝をして「今日も平穏無事に過ごせています、ありがとうございます」とお礼を述べる。
横で「南無南無」とか言ってるけど、それは違うと思うんだタマちゃん。
商店街でタマネギと1リットルの牛乳を買い、タマちゃんと並んで歩いて坂を登る。
「ねぇねぇ。もう一台自転車借りてきてレースしようよ?」
「絶対ダメ。俺とかタマちゃんが転んで危ないだけじゃなくて、分かれ道から誰か出てきてぶつかったら怪我させちゃうだろ?だからそう言うのはダメ」
そんなに楽しいかなぁ。いや、俺も楽しいのは楽しいんだけど。スキーとか連れて行ったらハマりそうだな。冬になったら父親にスキー旅行行きたいって言ってみようかな。あれも危ないと言えば危ないんだけど、道と違ってみんなが滑りに来てる場所なら部外者いないわけだし、直滑降でスピード出してもいいよね。
「ねぇ、他の人がいるからのーぶれーきじてんしゃはダメなの?」
「そうだよ。他人に怪我させるかもしれないのは悪い事だからね」
「うん、わかった!」
そんな話をしながら帰る。夕食はカレーだった。
次の日。窓の外から、ねぇねぇ車来ないから勝負しようよ!とタマちゃんの叫ぶ声がする。
窓から覗いてみると、家の外に出てみると大きな車輪型の妖怪を連れたタマちゃんが待っている。
「純、一緒に走ろう!勝負!」
なんだあれ。2メートル位の燃える木製の輪の中央に、濃い顔のおっさんの顔ついてて……
タマちゃんが無造作に手を伸ばして、人間の三倍くらいある頭を外してそのまま地面に置く。足元にはスプーンを添えた昨日の残りのカレー。
え、カレーと引き換えに借りたの?それ。
「坊主!子狐の後はわしと走り比べしような!」
「いえ、あの。危ないので」
この人?妖怪?タイヤに直接顔つけたまま走ったら、目が回らないんだろうか。いや、そういう場合じゃない。
「タマちゃん!通行人が危ないって言ったでしょ!」
そしてその危なさはぶつかるとかそういうレベルじゃない危なさに突入している気がする。
だけど、タマちゃんは胸を張って答える。
「それははなしつけた!」
「何を。どうやって」
「坂道の上から下まで、途中の道は全部ふさいだから!だれも来ないから安全だよ。坂道を誰もけがしないようにすぴーど出したいって言ったら、協力してくれるって。」
何の事かわからないで固まっていると、しかたないなぁという風にタマちゃんが説明してくれる。
つまり、人も車もこなければ坂道を走り降りても良いので、誰も来れないように塗り壁に道を塞いで貰おうという考えに至ったらしい。
自転車は環さんに借りようと思ったが持っていなかったので、自転車替わりになる妖怪を呼んで来たとの事。
これでいつもの坂道は完全隔離されたレース場になったというわけだ。そんなバカな。
とりあえず、あっというまにカレーを食べ終わった首を燃えるわっかに戻して、ゴロゴロ大きな音がすると近所の人がびっくりするんで、と説明して帰って貰った。カレーは少し辛すぎたらしい。
塗り壁さんにも頭を下げて帰って貰った。ご夫妻で来て頂いたそうで、うちのキツネがスミマセンと言ったら何だか知らないけど笑ってた。
俺、壁が笑う所、初めて見た。
タマちゃんに悪気がないからあんまり叱るわけにもいかないし、どうしたらいいんだか。
父親に相談したら、車輪の人のブレーキを心配された。違う、そうじゃないんだ。